大人のピアノ

 昨年のクリスマスの夜、人前で初めてピアノを弾くことになった。曲目はモーツアルトのピアノ協奏曲第23番の第1楽章。もちろんオーケストラではなくピアノの伴奏だが、初めての演奏会にしてはなかなかの大曲だ。いや、私の力を知っているものは皆思ったであろう、無謀だ!と。なにしろ私がピアノを習い始めたのは40歳を過ぎてからなのだから。本番は緊張でがちがちで、とても人様に聴かせられるレベルではない。しかし、舞台に立った15分間は、実に多くのことを教えてくれたのである。

 演奏会のプレッシャーは大きく、毎日、駆り立てられるように練習した。年末で仕事も忙しく、夜中の1時過ぎまで弾くことも珍しくなかった。おかげで本番直前にとうとう指を痛めてしまい青くなったが、不思議と疲れていても練習は苦にならなかった。もっと気楽にやれば、と言う人もいたが、本人はいたって充実しているのだから仕方がない。

何がそんなにおもしろいのか。好きな曲ほど意欲が湧くのは、音楽の持つ魅力に引っ張られている証拠であろう。演奏すると、聴くだけではけっしてわからないバッハやモーツアルトの世界が見えてくる。彼らの崇高な世界に一歩近づくことができるのである。

だが、これだけ夢中になれるのは、どうもそれだけではなさそうだ。練習自体が面白いのである。自分なりにいろいろ工夫して、弾けないところが弾けるようになっていくのが楽しくて仕方がないのである。弾けば弾くほど引き込まれていく中毒状態で、まさか命を縮めることもないだろうが、少し怖くなることもある。

ところでピアノの練習は指を鍛えていると考えがちだが、実は脳の鍛錬である。もちろん成長途上の子供の筋肉や骨格は、永年の練習によってピアノに適したものになっていくのであろうが、毎日の練習レベルで弾けないところが弾けるようになるというのは脳の学習による。練習とは指を動かすプログラムを脳に書き込んでいく作業なのである。

ただし、このとき主役となるのは大脳ではなく小脳である。小脳は運動能力、技術といったものをつかさどる場所である。体が覚えている、という言い方は小脳の働きを特徴的に言い表したものである。そして言語を習得する能力と同様に、この小脳の働きも子供のほうが大人よりずっと優れている。悔しいが、わが娘を見ていると納得せざるを得ない。しかし、大人だからそこそこ弾ければいいではないか、と言われるのも悔しい。小脳はともかく、大脳の働きは経験豊かな大人のほうがずっと優れているはずだ。そもそも音楽的な表現は大脳の役割である。練習を工夫しさえすれば、働きの弱った小脳を補えるに違いない。

しかし演奏会では、結局、自らの小脳の弱さを痛感する結果となった。練習のとき間違えたことのないような箇所でつぎつぎとミスが出る。どうやら、緊張すると大脳はうまく働かないらしい。練習では小脳への不完全な書き込みを大脳がカバーしていたのだ。しかし、そう気がついたのは本番の真っ最中で、すでに手遅れだったのだ。

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