暗室のある家

子供の頃住んでいた家が、最近、建て直されたというので、この夏、帰省した折に見に行ってみた。名古屋駅から徒歩15分ほどのその辺りは、かつては下町らしい活気に溢れていたが、今では駐車場ばかりが目立つ、すっかり寂れた町になってしまった。

かつて僕の家はカメラ屋だった。店は自宅から少し離れたところにあったが、自宅の一部も父によって暗室に改造され、そこで写真を現像していた。

昼頃、小学校から帰ってくると、いつもちょうど水洗の最中で、午前中に現像された写真が入った水洗機の透明なドラムがザバッザバッと音を立てて回っていた。ドラムの回転にも水道の圧力を利用していたため、水は勢いよく跳ね上がり、水洗機の置かれた台所は、いつも少し定着液の臭いが残る水っぽい空気に満たされていた。

水洗が終わると、次は乾燥だ。玄関に置かれた乾燥機の幅1mほどの布製のベルトに写真を一枚ずつ載せると、高温に熱せられた直径60cmほどの鏡面仕上げのドラムに巻き込まれて行き、ドラムに貼りついて一回転すると、乾燥した写真が煎餅のようにドラムから自然に剥がれ落ちて来る。熱で焼ける香ばしい匂いの中で、写真は美しい光沢面に仕上がっているのだ。

乾燥を終えた写真は、最後に四辺の余分な部分をカットし、お客さんごとに仕分ける。たまたま、その時間に家にいると、叔父が嬉しそうに、「康成、手伝え!」と声をかけて来るのだった。

暗室は、玄関と台所を結ぶ廊下を遮光用の暗幕とドアで仕切って作られていた。引き伸ばし機で焼き付けられた印画紙を現像液に浸けると、数秒で像が現れ、1分後にはくっきりとした写真になる。真っ白な印画紙にボーっと人の姿が浮かび上がってくるのを、感光防止の暗い赤いライトの下で見ていると、その像がまるで生きているかのような妙な気分に襲われる。

ネガもまた不気味だった。現像すれば笑っている人も、ネガで見ると、どうしてもそうは見えない。ネガのなかには、実は異次元の空間があって、現実世界が凍結されているのではないか。暗室は、少年にとって、かなりミステリアスな空間だった。

当時はカメラの性能が悪く、露出がいい加減だった。叔父は、そうしたお客さんの失敗ネガを見て、永年の勘で、一枚一枚、焼き具合を加減していた。うちの店の写真の評判が良かったのは、そのためだった。

しかし、当時、暗室にはエアコンもなく、夏ともなると異常な暑さだ。また、毎日、暗室でピント合わせをしていると、数年で著しく視力が低下する。暗室作業は、かなり過酷な仕事だった。1970年代初頭、これだけの手間をかけても、白黒写真1枚で10円しか取れなかった。写真はカラーの時代に入りつつあった。しばらくすると、父もやむなく、現像を外注に切り替えざるを得なくなった。

 それから35年ほどの歳月が流れた。かつて自宅のあった場所に建つ小奇麗なアパートに住む人は、そこで毎日写真が焼かれていたことなど知る由もない。だが、当時うちで焼かれた何十万枚という写真は、まだ、多くの家庭のアルバムに残っているに違いない。そして、今でも自分で写真を焼く僕の胸にも、あの暗室のある家の記憶は綿々と生きて続けているのである。

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