天才のいたずら

 一年ほど前、ピアノを習い始めて10年目にして、モーツァルトのK331のイ長調のピアノソナタに挑むチャンスがめぐってきた。終楽章にトルコ行進曲が来るあの曲である。この曲は、数ある彼の作品の中でも最も有名な一曲だろうが、あまりに親しまれているため、子供向きの入門曲だと思っている人も多いだろう。この曲の真価は案外に知られていないように思われる。

20年ほど前、東京文化会館小ホールで開かれたワルター・クリーンのコンサートに行ったときのことである。その日の演目は、モーツァルトのソナタばかり3曲で構成されていた。その一曲目がK331であったが、ゆったりとした出だしが指慣らしに適当だからだろうと思っていた。だが演奏が始まるとすぐに、クリーンが最も得意とする曲を最初に持ってきたことを確信した。そして、その透き通った、あまりに透き通った響きが、僕の全身を金縛りにしてしまったのである。まるで目の前に、神か精霊がいきなり降りたち、ただ歓喜にむせぶしなかいような状態と言ったら良いであろうか。そんな音楽をピアノが発していること自体が信じられなかった。それは劇的な感動でも、情緒溢れる表現でもない。ただモーツァルトの純粋な心が、無邪気に歌っているだけなのだ。この曲の凄さは、いつも無邪気さと同居しているのである。

有名な曲であるにもかかわらず、この曲にはソナタ形式の楽章が一つもなく、ピアノソナタとしては変則的な作品である。現在、その第一楽章の変奏曲に取り組んでいるのだが、随所にこれまた変則的な指の動きがあって弾きにくい。しかもモーツァルトは、わざと弾きにくくして喜んでいる節がある。今、教えていただいているF先生も、「ちょっと遊びすぎですよね」とあきれるほどだ。

しかし、こんな逸話がある。モーツァルトは旅の途中、あるお宅で世話になったが、その旅立ちの日、家族はおおいに別れを惜しんだ。そこで彼はふと思い立ち、玄関ですばやく紙切れに短い曲を書くと、その紙切れを真ん中で半分に破って見送る家族に手渡し、曲の最初からと最後から同時に歌うよう頼んだ。すると、それが物悲しくもなんともおかしい別れの2重唱になったと言う。

K331において、左手のアルペジオが小節の半ばで反転するような動きをするにつけ、僕はこの逸話を思い出さずにはいられない。それらは、彼のいたずらなのだ。しかし、練習を重ねるにつれ、それが面白くなってくるから不思議である。そして、いたずらは彼の創造の源であり、いたずらにこそ彼の天才の秘密があると感じられるようになってくるのである。

この曲は、1楽章だけをやるつもりだったが、以前、指導を受けていたN先生から、「1楽章から通して弾くと、(終楽章の)トルコ行進曲の面白さに改めて気付くのではないでしょうか」という年賀状が届いた。どうやらモーツァルトの仕組んだいたずらが本領を発揮するのは、まだこれからのようである。

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