転機の中国

 先日、会社である製品の製造委託をしている中国福建省の工場を訪れた。半年振りの訪問だったが、まず驚いたのが街中の建設ラッシュだ。大規模開発が進み、地震にでも襲われたかと思うほどいたるところで建物が壊されている。跡地にはマンションや大型ショッピングモールができるようだ。マンションの価格は日本円で一部屋1000万円程度。この数年、地方でも道路などのインフラ整備が急ピッチで進められてきたが、いよいよ街造りの最終段階に入ったようである。

 今回は久しぶりに長い滞在だったので、工場のさまざまな変化に気がついた。大きく変わったのが従業員の表情だ。かつての労働集約型産業の現場では、必死に働く従業員の表情に圧倒されたものだ。しかし、今では彼らの顔は穏やかだ。ちょうど一人の新人が工場の先輩達に仕事を教わっているところに出くわしたが、日本の女子高生並に化粧をしたその少女が微笑みながら説明を聞く様子はなんとものんびりしている。工場からは張り詰めた緊張感が消え、集中力もスピードも以前と比べ明らかに落ちている。

工場の社長によれば、彼らの給料は10年前の5倍に膨れ上がったという。にもかかわらず、誰もが今の給料には満足していない。常により条件の良い勤め先を探していて、厳しいことを言えばすぐに辞めてしまう。一方、会社が従業員を解雇するのは容易ではない。しばらく前に労働者保護の法律ができたからだ。それを盾に従業員は労働条件の向上を求め続ける。こうなると工場の管理は大変だ。経営者も頭を抱えている。

中国は安くて良質の労働力を武器にこの10年ほど急速な経済発展を遂げてきた。その結果、富裕層と呼ばれる人たちの生活レベルはすでに日本人を上回るほどになった。かつて鄧小平が唱えた先富論の第一段階だ。人民政府は次のステップとして、地方の生活水準の向上に向けてインフラ整備を盛んに行ってきた。だが、これまで都市に出稼ぎに出て富裕層出現の原動力となった農民工たちは、同時に都会の豊かな生活も目の当たりにした。その結果、尽きることのない富への渇望が生まれたのである。

しかし、13億人の人口が先進国並の生活レベルに達するためには、まだまだ生産性が低い。中国の発展はここからが踏ん張りどころなのだ。しかしどこかで歯車が狂ってしまった。自分より豊かな人を妬み、現状への不満ばかりが蔓延する世の中になってしまった。まじめに働くのは馬鹿らしく、楽をして金を儲けようとする風潮が急速に社会全体に広まりつつある。ハングリー精神は忘れ去られ、かつて世界一のコストパフォーマンスを誇った中国の労働力は、急速にその競争力を失いつつある。

少ない労力で効率的に儲けようと知恵を絞ること自体は悪いことではない。中国人はもともとそうしたことに長けた国民だ。しかし、あまりにも急速な発展の結果、国家全体が拝金主義に染まり、巨大な欲望の渦に飲み込まれようとしている。果たしてこのピンチを乗り越え、一段と成熟した国家へと脱皮できるのか。中国は今、重要な転機を迎えている。

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