モーツァルトの魅力(4) ピアノ協奏曲23番

モーツアルトの音楽は、器楽から交響曲、オペラ、宗教音楽と多岐に渡っているが、中でも最も重要な分野の一つがピアノ協奏曲である。モーツァルトのピアノ協奏曲は全部で27曲あるが、特に20番以降の作品は、彼の全作品の中でも最高の水準を誇っている。

モーツァルトは生前、作曲家であると同時に当代随一のピアニストでもあった。ピアノ協奏曲は、その彼が自ら主催した演奏会において、自分自身で演奏するために作曲されたものなのである。そのことは明らかに作曲にも影響しており、彼の他の作品に比べても高揚感や即興性が特にリアルに伝わってくる。

一般的にピアノ協奏曲というのはピアノ対オーケストラ全体の対決構造になっている。しかしモーツァルトの作品では、オーケストラの各楽器があたかもオペラの登場人物のようにそれぞれ個性的な役割を与えられ、主人公であるピアノと絶妙の駆け引きを繰り広げる。一方、ピアノも弦のピチカートと絡んだり、クラリネットを引き立てるために裏に回ったりと縦横無尽に駆けまわる。自ら鍵盤の前に座るモーツァルトの細やかな気遣いが伝わってくる。こうしたオーケストラとピアノの関係は各ピアノ協奏曲によって異なり、全く違った世界を描き出しているのである。

そうしたピアノ協奏曲に中で、僕が特に好きなのが第23番K488だ。この曲はオーケストラの各楽器とピアノの絡み合いが特に絶妙だ。そのために彼は、通常のピアノ協奏曲ではオーケストラとは別に必ずピアノに与えられるはずの独立した主題を思い切ってなくしてしまっている。その結果、各楽器同士の心情的な関係がより深く緊密になっている。

楽器同士のメロディーのやり取りは、ときには粋なハーモーニーを歌い上げたかと思えば、ときには敬意を持って相手を称える。そしてまたあるときには励ますように友人の背中を押すのである。

そうしたやり取りは決してその場だけの思いつきではない。一つ一つの表現は曲全体の構造をしっかりと担っている。1楽章と3楽章の主題の緊密な相関が示すように、この曲では、曲全体の統一感が際立っているのだ。通常モーツアルトの作品ではほとんど見られない綿密なスケッチがこの作品では残されていることからも、当時、ウィーンで人気の絶頂にあったモーツァルトのこの曲にかける自信と意気込みが伝わってくる。

僕はこの23番の中でも第3楽章が最も好きだ。この第3楽章のために1、2楽章が周到に準備されていると言っても過言ではない。かつて学生の頃、僕はこの第3楽章を聴くたびに、ああ、自分はこれから一生生きて行っても、これ以上の幸福感に出会うことはないだろうと感じた。今もそれは変わらない。だが、それがどういう気持ちなのか、未だにうまく言葉にできない。幸福感というのは正確ではない。あえて言うなら愛に満ちているとでもいうのだろうが、愛という言葉から想像されるよりずっと多様で、屈託のない、しかもわくわくさせられるような歓びに満ちた世界がそこにはあるのだ。

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