「意識」は何のためにあるのか

 生物は進化によって脳を発達させてきた。脳の発達とともに、そこに生まれた「意識」も高度になり、おかげで人類は芸術を生み、科学を発展させ文明を築いてきた。こうした知的な進歩も自然淘汰の結果なのか。あるいは「意識」が絡む別のプロセスなのだろうか。

 近年、脳の研究が進み、脳のどの部分が感情や知覚に関わっているかというようなことは急速にわかってきた。だが、脳がどのように「意識」を生み出すのかという肝心のところは全くわかっていない。記憶についても永年研究されて来たが、未だに脳内に記憶の痕跡は見つかっていない。物理的観点に立てば、脳内に存在するものは物質か電気信号しかない。脳はそれらを使って「意識」を生み出しているのだろうか。

 人間のような多細胞生物は、何十兆個もの細胞がそれぞれ自分の役割を果たしながら互いに連携して個体を形成しているスーパーシステムだ。何か食べれば胃や腸で勝手に消化吸収され、その栄養は全身の細胞にくまなく運ばれる。その仕組みは気が遠くなるほど複雑で巧妙だが、我々は何も指示する必要はない。体が全て勝手にやってくれるのだ。そもそも体のなかで「意識」がコントロールできるのは、せいぜい一部の筋肉くらいのもので、細胞一つ一つはおろか、内蔵も思うようにはならない。もともとスーパーシステムは「意識」などなくても十分やっていけるのだ。

 むしろ発達した「意識」は、肉体にとってかなり厄介なしろものだ。ダイエットを「意識」する女性は体に必要な栄養を十分取ってくれない。酒好きは飲み過ぎて肝臓を痛める。「意識」がやることは、肉体にとってはマイナスである場合が多い。

 もちろん「意識」は肉体を無視して勝手に振る舞えるわけではない。体が栄養の供給をもとめれば空腹感を覚えるし、病気になれば苦しみに耐えなければならない。肉体から「意識」へのフィードバックだ。「意識」は肉体に対して指示を出すが、同時に肉体の状態を常に「意識」させられてもいるのだ。「意識」が自らの欲望を満たそうと肉体を最大限利用するためには、自分の棲む宿主が滅びないように自重する必要があるわけだ。

 「意識」は目や耳をつかって知覚し、さらに脳を使って思考し、判断し、手足を動かして行動する。一方、肉体はそうした「意識」を牽制しつつ、自らは生命システムの管理下で淡々と生きている。こうした「意識」と肉体のやり取りは、脳を含む神経系により媒介されている。おかげで両者は互いに異なる目的を持ちつつも共存しているのだ。

 肉体は老化とともに衰え、やがて死ぬ。だが、それは生命システムに最初からプログラムされた予定通りの成り行きだ。生物は子孫を残せばひとまず目的を達成したといえる。

 一方、「意識」は肉体が衰えた後も、それをも糧としてさらに成長を続けようとする。それは、次の世代に出来るだけ多くのものを伝えようとするためだろうか。あるいは、肉体の死後、「意識」は肉体から離れざるを得なくなるため、それまでに出来るだけ肉体を利用して自らを高めようとしているのだろうか。

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