村上春樹と死と意識

 自分の意識は死ぬとどうなるのだろうか。その疑問に対してヒントを与えてくれるのが、村上春樹氏の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」だ。

 この小説では、「世界の終わり」と「ハードボイルドワンダーランド」というまるで異なる別々の話が交互に進行して行く。「ハードボイルドワンダーランド」の主人公は、人間の脳を用いたデータの暗号化を行なう「計算士」になるために、ある博士が考案した脳手術を受ける。だが、予期せぬアクシデントから、彼の意識はある時刻になると彼の中にあるもう一つの別の意識、つまり“世界の終わり”に移行してしまい、彼の現在の自我は消滅してしまうことになったのである。

 意識がなくなれば、肉体も間もなく死ぬことになる。となれば別の意識もなくなりそうだ。だが、博士によれば、この“世界の終わり”において彼は永遠に生きていくことができる。なぜなら、そこは思念の世界であり時間の進み方が異なるからだ。つまり、ある時刻に肉体が死ぬとすると、思念の世界では、まずそこまでの半分だけ時間が経過する。次の瞬間には、さらに残りの半分が経過する。それをいくら繰り返しても永遠にその時刻に達することはない。このゼノンのパラドックスにより“世界の終わり”においては時間は無限に引き延ばされ、肉体が滅びる前のわずかな時間に彼は永遠の人生を生きることになるのだ。

 一見、荒唐無稽に見えるが、これは人が死ぬと意識がどうなるかという疑問に対する村上氏の一つの回答ではなかろうか。一般的には人は死ぬと意識がなくなるとされ、死後の世界を考えるのは非科学的だとされている。だが、実際に死んで意識の消滅を経験した人は誰もいない。そもそも意識がなくなるなどと気軽に言うが、自分の意識がない状態を意識することなど不可能なのだ。

 死ぬと意識はなくなるという考え方は、恐らく村上氏にも素直に受け入れられるものではなかったのだろう。そこで彼は人は死をを迎える瞬間に別の意識に移行するのではないかと考えた。もっとも、正確に言えばその移行は死ぬ直前に起こり、第2の意識はあくまでも脳によって生じることになっている。外から見れば、死の直前に本人が見る一瞬の幻覚のようなものだ。だが、当人に取ってはその一瞬のうちに永遠の生を生きることになるのだ。

 ゼノンのパラドックスを持ち出したことは、村上氏の科学的な整合性への強いこだわりが表れている。彼は形而上学を避け、死後の意識を弁証法的に解明しようと試みたのである。

 主人公が別の意識に移行した後の話が「世界の終わり」である。そこでは村上氏独特の不思議な世界が展開して行く。城壁に囲まれ、住人のほとんどが心をなくした街で、過去の記憶を失った主人公はかつて人生で失ったものを何とか取り戻そうとするのである。

 死後の世界がどういうものなのかはわからない。だが、たとえ記憶は残らなくとも、現在の意識は何らかの形で次の意識に引き継がれて行くのではないか。それでこそ自分の存在は意味をもつのではないだろうか。

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