エチュード

その芝居小屋は大崎駅から御殿山方面に5分ほど歩いた住宅地のなかにあった。近くに高層ビルがせまり取り残されたように建つその建物のなかで演劇が行われているとは誰も気づきそうもない。だが入口をくぐると、そこにはレトロな雰囲気の劇場空間が広がっていて、集まった芝居好きたちが静かに開演を待っていた。

劇団「4つ子」は男3人女1人からなるユニットで、各メンバーは普段は別の劇団に所属している。気鋭のメンバーが何か実験的なことをやってみようと一堂に会したわけだ。

劇は、雑談していたら急に明かりが付いたのでやむなくその場をつくろって始めたかのようにいきなり始まっていた。自然で淀みのない会話が特徴的だ。だがしばらくすると疑念が生じた。これはアドリブだろうか。だが、そうだとすれば完璧すぎる。しかし、台本だとすればあまりにも自然だ。どうもこれは、これまでに体験したことのない劇のようだ。

演じるとはたとえそれが自然な演技と呼ばれるものであっても、日常生活をそのまま見せることではない。「芝居がかる」という言葉があるように、演技とは役を演じる表現行為なのである。だから劇団にはそれぞれ個性があって、訴えたいことをどのような方法で表現するかを観客の前で競うわけだ。例えば、かつての「つかこうへい」の劇では、夥しい量の台詞が舞台の上でぶつかり合ううちに激情となり、それが観客の心に突き刺さった。ところが、今、目の前では日常会話がサッカーのパスのように次々とつながっていく。そこで展開されているのは、言わば「完璧な日常会話」なのだ。

話は荒唐無稽だ。数十年にわたる宇宙旅行に出た4人が1人を残して冬眠するのだが、10年に1度、全員が目を覚まして顔を合わせ、その後、また別の1人を残して眠りにつく。

10年間は長い。ある船員は、その間、一人で起きている孤独をなんとか解消すべく、両性具有化して一人男女二役をこなすことで乗り切ろうとする。そのために自らの手で麻酔なしで性転換手術を行い、その様子を痛みをこらえながら地球の家族に向けて実況中継するのだ。すごい想像力に圧倒されたが、やはり最も印象深いのは自然な会話によってムチのようにしなやかにつながっていく人間関係の表現だ。

芝居が跳ねた後のアフタートークで、この台詞を日常会話化する手法は「エチュード」と呼ばれるものであることを知った。稽古を始めた当初は、打ち合わせだと思っていたらすでに稽古が始まっていたということもあったらしい。また、劇に日常を持ち込むうちに、日常が劇化するという逆転現象も起きたようだ。

日常会話においては様々な感情が生じる。しかし、日頃、会話自体を徹底的に追求することはない。もしそれを突き詰めていけば、人間関係はどんどん深まり濃密なものになっていくのかもしれない。芝居がかった台詞を捨てることで、果たして演劇は新たな世界を切り開くことができるのだろうか。

あらためて演劇とは何か、そして逆に日常とは何かを考えさせられることになった。

 

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