魔法の時間

 最近では元旦から開いているスーパーもあり、正月もすっかり慌ただしくなってしまったが、それでもその数日間には普段とは異なる特別な時間が流れている。

 歳を取ると時間が貴重になる。毎年、この時期、これまでできなかったことを今年こそはやろうと思うものだが、その切実さが年々増しているように思う。年末から、来年はどういう年にしようかと漠然と思い描いているのだが、年が明け新年を迎えると、いよいよだと身が引き締まる思いがする。正月は静かな中にも独特の緊張感が漂っているのだ。

 正月にはこの1年の政治や経済などを占うTV番組がいろいろ組まれているが、最近はあまり興味が湧かない。この貴重な時間はそんな外的な問題に振り回されず、もっと内なることに集中したい気分なのだ。

 今年はやることを絞り、自分が人生でどうしてもやりたいと思っていることにできるだけ集中したいという思いが強い。やりたいことをやるのは決して楽ではない。なぜなら、本当にやりたいこと、やらねばならないことというのは、大抵は暗中模索だからだ。それに比べれば、目の前にある仕事をこなしたり知識を身につけることはずっと楽だ。だから、そうした結果の出やすいことについ逃げてしまいがちだ。そこをぐっと我慢して暗中模索の中に何かをつかみ取ることが重要なのだ。自分をごまかしている時間はもうない。

 ところで正月には、帰省してかつての友人たちに会うのも大きな楽しみだ。15年ほど前から始めた高校のクラス会はこのところ毎年1月3日に開かれている。最近、かつてのクラスメイトたちとの話が急速に深まって来たので驚いている。

 その理由の一つは、毎年、回を重ねるうちに互いの壁が取り払われ、それまで触れたことのなかったような突っ込んだ話題も取り上げるようになったからだろう。昔からお互いに良く知っているつもりだったが、実は知らないことのほうが多かったのだ。しばしば相手の別の側面を見せられてハッとさせられるのである。

 また、お互いに人生を重ねて成長していることも大きい。仕事のこと、家族のこと、夫婦のこと、人生のこと。誰もがそれぞれに悩んできたのだ。そして、それらは確実に各人の成長を促してきた。もちろん人にもよるが、親しい友がそうした成長の跡を見せてくれると嬉しくなる。そして、また来年までの互いの成長を期して名残惜しさのうちに別れるのだ。決して懐かしさだけで付き合っているわけではない。

 今年もらった年賀状には、子供が巣立って再び夫婦2人の生活になったという便りが目立ったが、幸いまだ娘2人が居座っている我が家は、元旦、家族4人で原宿へ繰り出した。二十歳前後の娘たちと一緒になって原宿でショッピングを楽しめるのも正月ならではのことだ。彼女たちも、この時間を特別な思いで過ごしているようだった。我が娘たちがいつまで家にいるかわからないが、家族の距離を縮め、家族の絆を強めてくれる貴重な機会を与えてくれたのも、まさに正月という魔法の時間のなせる技だったのだ。

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