「あんた、いい顔してるねぇ!」と、その男は唸るように言いながら近づき一枚の紙片を僕に渡した。「前の駅から乗ったんだが、向かいに座ったんで描かせてもらったんだ。あんたにあげるよ」。そう言うと、ちょうど到着した駅でさっさと降りて行ってしまった。あわてて追いかけたが、帰宅ラッシュの人並みに紛れて見失ってしまった。15年ほど前の常磐線松戸駅での出来事だ。

 状況を考えると、その一辺が15cm程度の紙に赤茶色のコンテを使って荒々しいタッチで描かれているのはどうやら僕の顔のようだ。裏には表情の特徴をうまく捉えた別の人の似顔絵が全く違う柔らかいタッチで2つ描かれていた。

 その日、僕は会社の製品に不具合が見つかり、我孫子のお客さんのところに出向いて朝からお詫びと検品に追われた帰りだった。精神的にも肉体的にもへとへとに疲れていて、さぞ深刻な顔をしていたに違いない。だが、少なくとも彼に取っては、その時の僕の表情はネガティブなものではなかったようだ。

 人の顔は、目や鼻、耳と言った主要なセンサーが集まっているが、同時にその表情によって相手に自分の意思を伝える役割も担っている。相手を観察する目つきや仕草自体が、自分の表情となって相手に伝わる。一説によれば、人間の目に他の動物にはない白目部分があるのは、微妙な心情を伝えるために進化した結果だという。目元や口元の表情のほんのわずかな違いでも、相手に及ぼす影響は大きく変わってくる。

 そうした相手の反応は、反作用として自分に還ってくる。自分の表情一つで相手の気持ちを捉えたり、あるいは反感を買ったりもするのである。そうした相手の反応は無意識のうちに記憶に蓄えられ、それが自分の表情を次第に変えていくことになる。人の顔は決して持って生まれたものではなく、永年のコミュニケーションを通じて次第に造り上げられたものなのだ。顔にはその人がそれまで歩んできた人生が凝縮されていると言ってもよい。

 僕の机の前には、ある美術展で買ったレオナルド・ダ・ヴィンチの素描のポストカードが貼ってある。額が禿げ上がった晩年のダ・ヴィンチの自画像だ。目の下はたるみ、額には深い皺が刻まれ、そこにはもはや若かりし頃の颯爽とした天才の姿はない。だが、この絵はいつまで見ていても飽きる事がないのだ。

 静かにこちらに向けられた眼差しは哲学的な深さを秘めているが、その意図までは読み取れない。固く結ばれた口元から感じられるのは強い信念のようでもあり、単なる年寄りの頑固さのようでもある。見る度に全く異なる印象を受ける。だが、それこそまさに顔の本質であり、ダ・ヴィンチの描こうとしたものではないだろうか。顔にはその人の人生が重層的に積み重なっているのである。この肖像が怪しい生気を放っているのもそのために違いない。

 それにしても、年老いたダ・ヴィンチの顔がこれほど魅力に溢れているのには励まされる。自分にもこれからもっといい顔になるチャンスが残されているのだから。

ブレイクスルー

 ピアノを習い始めて17年。当初は上達が速いと自惚れてもいたが、いつの頃からか大きな壁にぶち当たってしまった。練習すれば確かにその曲は徐々に弾けるようにはなる。だが、実力がついたという手応えがない。自分の練習には明らかに何か問題があるのだ。

 これまで指導を受けた先生方からは、いずれも手首を使う重要性について指摘されてきた。だが、それは僕の手首があまりにも固まっているので、もっと柔らかくして弾くべきだというアドバイスだと捉えてきた。あくまでも主役は指で、手首の役割は補助的なものだと考えてきたのである。

 最近のバッハでも、S先生から手首の使い方について何度も指示を受けた。しかし、手首を意識すると逆に動きがぎこちなくなってしまい、なかなか手首を使う意味が理解できない。普段ならそろそろ諦めて次の曲に移る時期だった。だが、ここが踏んばり所ではないのかという思いが、ふと頭をよぎった。とにかくこのままでは駄目だ。そこで、たとえこの小曲に1年かけようとも感覚がつかめるまでは決して止めない、と腹をくくった。

 その決意は先生にも伝わったようで、納得するまで遠慮なく駄目出ししてもらえるようになった。大人のピアノでは、楽しめれば良いという生徒が多く、先生としても技術的なことをあまりしつこく言うのは遠慮があるのだ。

 鍵盤から指が持ち上がっていないかどうかS先生の目が光る。弾きにくい所に来るとなんとか指を動かそうと無意識のうちに指が鍵盤から離れてしまうのだ。これは指に要らぬ力が入っている証拠だ。だが、いくら力を抜こうとしても指は持ち上がり、無理に抑えようして指はぴくぴく痙攣している。なんとも情けなくなる。

 だが、諦めずに試行錯誤を繰り返しているうちに、自然に力が抜けていることがあった。そうした時は、まるで手首より先が手袋になったような気分だ。手袋の指は動かないので自ずと手首を使わざるを得ない。一見、これでは指のコントロールなど出来そうもないように思える。だが、意外にも手首と指は本来あるべき位置を見つけたかのように安定し、無駄な力がすっかり抜け、音も見違えるように澄んでくる。

 無理に指の力を抜こうとするのではなく、指に力を入れずに弾ける弾き方があるのではないか。何かをつかみかけているという思いに胸が騒いだ。

 要は、腕の重みで指を自然に鍵盤に下ろせる位置に、手首を使って持って行ってやれば良いのだ。もちろん理屈はわかっても実際にやるのは大変だ。手首の使い方は音形によって無数にある。試行錯誤の連続だ。だが、気分は晴れやかだ。まるで目から鱗が落ちたように、理にかなった練習方法が見えてきたのだ。随分回り道したが、やっと重い扉が開き始めたのである。

 僕のピアノ人生にこんな展開が待っているとは思ってもみなかった。何事も納得するまでもがいてみれば、意外と道は開けて来るのかもしれない。

アベノミクスに見る危うさ

 先日、日経夕刊のトップに、大きな見出しで「賃金4年ぶり増加」(2014年)とあった。だが、よく見るとその横に小さく「物価上昇で実質2.5%減」とある。これはリーマンショック後の2009年の2.6%減に次いで過去2番目の減少幅だそうだ。

 輸入企業にとってアベノミクスに伴う急激な円安は深刻だ。76円代だったドルがこの2年半ほどで120円程に上昇し、仕入れ価格は1.5倍以上にもなっているのだ。これほど仕入れコストが上がれば値上げするしかない。だが、消費税の引き上げで売り上げが落ちている状況では値上げは難しい。また、値上げしたくてもスーパーなどの売り先は簡単には許してくれない場合もある。そうなれば小さな企業はとても持ちこたえられない。

 自動車を始めとする輸出企業にとっては確かに円安は有利だ。ドルベースで見た日本製品の価格は下がり、企業は現地で値下げして販売増加を狙うか、価格を維持して利益を増やすかのいずれかを選択できるわけだ。もっとも、政府の期待に反して多くの企業は後者を選んだ。その結果、輸出企業の利益は急増したが肝心の輸出量は増えない。そのため設備投資は増えず、そうかと言って利益が全て給与に回る訳ではない。常に厳しい競争に晒されている輸出企業が降って湧いたような円安に有頂天になり大盤振る舞いするわけがない。

 そもそも今回の量的緩和による円安誘導には、かつて日本経済を支えていた輸出企業の競争力が円高によって低下し、それが日本経済全体を沈滞させているという認識の上に立っていた。だが、日本の競争力を低下させたは円高ではない。安い労働力を武器にした中国などの新興国の台頭が最大の要因なのだ。かつてない強力なライバルが現れたのである。

 それに対抗するため、日本企業は新興国に打って出てその安い労働力を利用する戦略を取った。その結果、日本の物価は大幅に下がり、給与は増えずとも実質的に生活の質を向上させて来たのである。日本は徐々に輸出で稼ぐ国から輸入で稼ぐ国に体質転換してきたのだ。事実、今回の円安によって輸入コストが急増し、貿易収支は過去最悪となった。アベノミクスでは、デフレが諸悪の根源のように言っているが、デフレは新興国のパワーを日本の利益として取り込んだ結果でもあったのである。

 「物価が上昇すれば、値上がり前に買おうと言う人が増え経済の好循環が生じる」と安倍首相はいまだに繰り返している。しかし、かつてのバブル崩壊に懲りた日本人は、多少賃金が上がったくらいでは無駄遣いはしない。さらに今の日本では誰もが大きな将来不安を抱えている。少子高齢化は社会保証費を増やし将来世代の負担を増大させる。非正規雇用の広がりによる格差の拡大も深刻だ。そんな状況で簡単に財布のひもが緩むはずがない。

 アベノミクスは実質賃金を低下させるだけで、経済の好循環には結びつかないのではあるまいか。昨年12月に、突如、経済最優先を唱え解散総選挙に打って出た安倍首相は既にそう思っていたのではないか。失敗も集票につなげる手腕には恐れ入るが、肝心なことには手をつけず、巧みなすり替えによって独善的な政策を推し進める政治手法は要注意だ。

生き方さがし その後

 大学3年の頃、教授に大学院の進路について相談する機会があった。そこで自分の希望を話すと、教授はしばらく考え込んだ末、「君がやりたいことをやれるところはないね」と答えた。僕がやりたいことは、物理ではなく哲学だと言うのだ。

 確かに大学院の受験が迫ってくると、どの分野を目指すか迷った。物理は好きなのに、分野をどれか一つに絞るとなると何か似て非なるものに思えてくる。進学するにはしたが、教授の予言通り大学院では僕が望んだ物理はやれなかった。

 なんとか学位は取ったものの、卒業後、大学に残ることはためらわれた。結局、企業の研究所に進んだが、自分のやりたい物理からはますます遠ざかるばかりだった。

 こんな話をすると、好きなことをやって食って行こうなどと虫が良すぎると叱られそうだ。そんなことができるのは限られた天才だけだと。いや、才能があっても簡単ではない。あのイチローですら、今では高校の頃のように野球を楽しむことはできないと言っているのだ。

 だが、もちろんそんなことは百も承知だった。しかし、それでもあきられないのがつらいところだ。その後、とうとう会社も辞め、物理も捨て、自分の生き方を求めて暗中模索を続けたが、何をやっても手応えは得られなかった。

 ところが、最近、ふと自分がそうした焦りをほとんど感じていないことに気がついた。それには、5年ほど前から物理学者の同級生と物理について定期的に議論するようになったことが大きい。以前は、専門から離れて物理を考えるのには抵抗があった。趣味で物理をやりたくなかった。しかし、このまま物理を忘れてしまっては、後々必ず後悔する。そこで思い切って友人のところに押し掛け、議論を吹っかけたのだ。当初はなかなか話が噛み合なかったが、次第にお互いの理解が深まり始めた。かつて哲学と揶揄された僕の考えは、どうやら物理の問題として考察する意味がありそうだった。

 ただ、最近の意識の変化は、この物理の復活だけによるものではない。10年前にエッセイを書き始めていて以来、自分らしさを強く意識するようになった。自分なりに納得のいくものを書こうと思えば、自ずと自分らしさを表現する必要がある。そこにさらに自分らしい発想が生まれてこそ良いエッセイになる。恐らく、エッセイを書く作業を繰り返すことにより、自分らしさをどうすれば発揮できるのか次第にわかってきたのではないだろうか。それは物理やエッセイに限らない。他のさまざまなことに対して、徐々に自分らしい取り組み方ができるようになって来ているように思うのだ。

 どの分野で成功している人たちも、必ず行き詰まったり悩んだりしている。だが、良い仕事をしている人たちは、壁に当たる度に自分のやり方で乗り越えているのだ。そこには自分らしさ、自分の才能によって克服していると言う強い自負があるに違いない。

 やりたいことは、どこかに転がっているわけではない。やりたいことをやるというのは、実は困難を乗り越えるための自分流のやり方を身につけることなのかもしれない。

自治体消滅

 先日、日本創世会議が公表した「消滅可能性市町村リスト」が話題になった。日本の人口減少に伴い地方の過疎化が加速し2040年までに約半数の自治体が消滅するという衝撃の予想だ。この数字自体には異論もあるようだが、地方の職の減少が若者の都市への流出を加速し地方の人口減少に拍車が掛かっているのは紛れもない事実だ。

 かつて登山などで田舎に行くといつも疑問に思うことがあった。この辺りの人たちは一体どうやって生計を立てているのだろうか。工場があるわけでもなく、山間の土地は農業にも向かない。観光客目的の飲食店や土産物屋の客もまばらだ。にもかかわらず、道路はきれいに整備され、目を見張るような立派なトンネルが通っている。何十億もかかるそうした土木工事がいったいどれほどの観光収入につながるのだろうか。だが、ある時、それは観光目的などではなく、地元の雇用創出のためなのだと気づき目から鱗が落ちた。

 公共事業と並んでもう一つ田舎の経済を支えているのが年金である。田舎では高齢化が進み年金受給者の比率が大きい。年金は生活費として消費されるため、それを目当てとしてスーパーなどが進出する。繁盛しているのであたかも経済が回っているかのような錯覚に陥るが、ひたすら年金を消費しているだけで何かを生み出しているわけではない。

 現代の日本社会は、都会の生産活動で得られた利潤を税金や社会福祉費として吸い上げ、公共事業と年金を通じて地方に回す構造となっている。こうした仕組みが出来上がった裏には政治家の票稼ぎがある。時の政権は選挙対策として公共事業予算をばらまき、地方もそうした予算を当てにしてきた。だが、永年のそうした体質が地方から自力で何かを生み出す力をすっかり奪ってしまったのである。

 こうした構造は、日本の国際競争力と言う点からも大きなマイナスである。日本の国民一人当たりのGDPは世界第24位(2013年)と主要先進国の中ではもっとも低い水準だ。票稼ぎに奔走してきた政治家達の永年の方策が、日本を非常に生産効率の悪い国にしてしまったのである。大都市への産業や人口の集中は、ある意味ではこうした低い生産性を是正しようとする流れとも言える。国際競争が日本の弱者を振るい落とそうとしているのだ。

 消滅から逃れるために多くの自治体は定住を促し人口の流出を抑えるのに必死だ。住人に対するさまざまな優遇策を打ち、またそのための予算を獲得するために血眼になっている。しかし、国全体の予算状況が厳しい中、予算頼みの方策には限界がある。

 それよりも、都会にはない地方独自の魅力に目を向けるべきではないだろうか。海外の観光客から見れば、豊かな自然や伝統的な食に恵まれた日本の田舎は宝の山だ。地方が自立するためには、そうした自らの貴重な資源を最大限に生かす知恵と工夫が大切だ。

 自治体消滅は地方だけの問題ではない。自治体が消滅すれば地方から都市への人材供給がストップし、次は都市を労働人口不足が襲う。ばらまき体質と決別し、国を挙げて地方の資源を生かす対策に本気で取り組まなければ日本の明日はない。

ストレスを避けるスマホ社会

 先日、NHKのある番組で道徳教育の問題を取り上げていた。ネットの影響による最近の子供の常識のなさを観ていると何らかの対策が必要だと感じるが、国家主導の道徳教育でそれが何とかなるとは思えない。とはいえ、家庭だけで解決できるレベルでもなくなってきている。番組を見ているうちにこちらも頭が痛くなってきたが、ふと、問題の所在は全く別のところにあるのではないかと思い至った。

 そもそも道徳などというものは、社会との交流なしに身に付くはずがない。周りを気遣うことの大切さを実感するには、実際に町に出て経験することが必要で、学校で美談ばかり聞かせても意味がない。子供たちの道徳観の欠如の根底には、子供同士、あるいは社会と子供が直に交流する機会の不足があるのではないか。

 今の子供たちは、実社会との交流よりもネット社会に慣れている。子供同士の人間関係も希薄だ。友達同士で集まっても、各自が勝手にゲームに没頭しているようでは人間関係とは言えない。

 僕が子供の頃は、好きな友達もちょっと嫌な奴も一緒に遊んでいた。だからいつも人間関係は微妙だった。いじめる奴がいれば、いじめられている奴の味方になる者もいた。親しい仲間同士でもしょっちゅう衝突があった。今思えば、かなりストレスのある環境だが、当時はそれが当たり前で、それでも十分楽しかった。

 誰もがこうした環境のなかでさまざまな体験をすることにより成長した。問題児も次第に広い社会に出るにつれて人間関係の中で揉まれ、自然に常識をわきまえるようになった。そこにはいつもストレスがあったはずだが、それを乗り越えることで一人前になったのだ。だが、最近は子供に限らずおとなもそうしたストレスを避ける傾向にある。

 その背景には、スマホに象徴されるIT技術の進歩がある。もともとスマホは情報の伝達を助けるための技術である。確かにネットに接続すればどこにいても世界中の情報が得られるし、LINEを使えば誰にでもいつでも要件を伝えられる。SNSの発達は、アラブの春に象徴されるような大きな社会的ムーブメントをも可能にした。一見、コミュニケーションは高度化したかに見える。

 しかし、そうした派手さの裏で人と人の直接の交流は明らかに減って来ている。スマホによる交流の方がストレスが少ないからだ。LINEやFacebookの急速な普及は、単に便利さだけによるものではなく、そこではストレスなく自己主張できるからなのだ。

 自動車の普及で人類は歩かなくなり、運動不足からさまざまな健康上のトラブルに悩まされることになった。一方、スマホの普及は人間同士の直接の交流を減らし精神的な成長を阻害している。その結果、ストレスに脆く粘りのない不安定な社会が形成されつつある。このところ運動不足を補うためにはジムに通う人が増えたが、スマホによって失われた精神的な強さを補うためのリハビリが求められる日も近いうちにやって来るのだろうか。

魔法の時間

 最近では元旦から開いているスーパーもあり、正月もすっかり慌ただしくなってしまったが、それでもその数日間には普段とは異なる特別な時間が流れている。

 歳を取ると時間が貴重になる。毎年、この時期、これまでできなかったことを今年こそはやろうと思うものだが、その切実さが年々増しているように思う。年末から、来年はどういう年にしようかと漠然と思い描いているのだが、年が明け新年を迎えると、いよいよだと身が引き締まる思いがする。正月は静かな中にも独特の緊張感が漂っているのだ。

 正月にはこの1年の政治や経済などを占うTV番組がいろいろ組まれているが、最近はあまり興味が湧かない。この貴重な時間はそんな外的な問題に振り回されず、もっと内なることに集中したい気分なのだ。

 今年はやることを絞り、自分が人生でどうしてもやりたいと思っていることにできるだけ集中したいという思いが強い。やりたいことをやるのは決して楽ではない。なぜなら、本当にやりたいこと、やらねばならないことというのは、大抵は暗中模索だからだ。それに比べれば、目の前にある仕事をこなしたり知識を身につけることはずっと楽だ。だから、そうした結果の出やすいことについ逃げてしまいがちだ。そこをぐっと我慢して暗中模索の中に何かをつかみ取ることが重要なのだ。自分をごまかしている時間はもうない。

 ところで正月には、帰省してかつての友人たちに会うのも大きな楽しみだ。15年ほど前から始めた高校のクラス会はこのところ毎年1月3日に開かれている。最近、かつてのクラスメイトたちとの話が急速に深まって来たので驚いている。

 その理由の一つは、毎年、回を重ねるうちに互いの壁が取り払われ、それまで触れたことのなかったような突っ込んだ話題も取り上げるようになったからだろう。昔からお互いに良く知っているつもりだったが、実は知らないことのほうが多かったのだ。しばしば相手の別の側面を見せられてハッとさせられるのである。

 また、お互いに人生を重ねて成長していることも大きい。仕事のこと、家族のこと、夫婦のこと、人生のこと。誰もがそれぞれに悩んできたのだ。そして、それらは確実に各人の成長を促してきた。もちろん人にもよるが、親しい友がそうした成長の跡を見せてくれると嬉しくなる。そして、また来年までの互いの成長を期して名残惜しさのうちに別れるのだ。決して懐かしさだけで付き合っているわけではない。

 今年もらった年賀状には、子供が巣立って再び夫婦2人の生活になったという便りが目立ったが、幸いまだ娘2人が居座っている我が家は、元旦、家族4人で原宿へ繰り出した。二十歳前後の娘たちと一緒になって原宿でショッピングを楽しめるのも正月ならではのことだ。彼女たちも、この時間を特別な思いで過ごしているようだった。我が娘たちがいつまで家にいるかわからないが、家族の距離を縮め、家族の絆を強めてくれる貴重な機会を与えてくれたのも、まさに正月という魔法の時間のなせる技だったのだ。

時の流れの速さ

 このところ新年を迎えるたびに、時の流れの速さにため息をつく。以前はそれほどでもなかったのに何かが変わったのだろうか。

 昨年あったことを11つ思い出してみると、例年に比べてもなかなか面白いことが多い年だった。特に昔の友との再会は驚くほど実りあるもので、人生観が変わったといっても大袈裟ではない。昨年、大学に入った我が娘たちの成長も、自分の人生観に少なからぬ影響を与えた。こうしてみるとまんざらでもない。むしろそうしたことをじっくり味わう余裕のなさが、時の流れを速く感じさせるのかもしれない。

寿命が永遠に続くなら1年が長かろうが短かろうがそれほど問題ではない。限りある人生だからこそ、時間は出来るだけゆっくり過ぎて欲しいのだ。だが、その貴重な時間をいくら費やしても、それに勝るようなすばらしい体験というのはある。それは困難なことを成し遂げた瞬間かもしれないし何か大切なことを理解できたときかもしれない。あるいはすばらしい出会いに恵まれたときかもしれない。自分が生きてきたのはこれを体験するためなのだと納得できれば、その換わりにいくら時間が過ぎたとしても惜しくはない。そんな充実した体験に満ちた1年であれば短かいと感じることもないに違いない。

それにしても最近の日本では、そんな時間も忘れるような体験をする機会は少なくなってきている。かつての上り坂の経済に慣れてしまった日本人にとって、このところの退潮はことのほか応えている。かつて世界に敵なしだった日本のハイテク企業の落日はまさに悪夢のようだ。国のやることも、年金問題にせよ財政問題にせよ解決できるとはとても思えない。将来のビジョンが見えない中、この数年、日本中が漠然とした不安にすっぽりと覆われてしまった。

不安な社会では誰もがまず安心を求める。大学を卒業してもろくな就職先がないのでは、将来の夢を語るどころではない。不安が人々を萎縮させ、不安から逃れるために目先のことばかりに注意が行く。社会的不安の増大は1年を短く感じさせる一因に違いない。

そんな不安な社会にあって、人々はいつもスマートフォンを覗き込み、ネットやSNSに余念がない。これらは確かに便利だ。昔だったら絶対にありえなかった交流がいとも簡単に実現するようになっている。しかし、とかく便利なものは不便だからこそ得られていた大切なものを失わせるものだ。メールに慣れれば電話をかけるのが億劫になり、声を聞くことで感じられた相手の心をシャットアウトしてしまう。便利さとは裏を返せば何も意識せずに済むということだ。その結果、時間が過ぎたことにも気がつかない。そして気がつけば1年経っているのだ。

1年が短く感じられ原因はいくつかあるようだが、いずれにせよ地に足の着いた生き方ができていないからだ。1年後、充実した1年だったと感じられるよう、今年は濃い時間の過ごしかたを心がけてみようと思う。

少年パワー

故郷を離れて何十年も経つと、かつての小学校の友人に久しぶりに会ってもすぐに打ち解けるのは難しい。高校や大学の友人とはすぐに馴染めるが、それはそのころすでにある程度大人だったからだ。かつて一緒に遊んだとはいえ子供の興味はまちまちで、ある場面のことを興奮して話しかけられてもこちらは全く身に覚えがない。結局、最近の話題になってしまう。そんなわけでかつては参加していた同窓会もこのところ足が遠のいていた。

ところが、先日、ずっと会うことのなかった小学校の友人から、突然、メールが届いた。彼はかつて最も親しく、最もエキセントリックな友達だったが、高校が別々になったことで徐々に疎遠になってしまい、僕が大学でこちらに来てからは1度も会っていなかった。しかし、世間でしばしば使われる個性とか独創性とか言うことばを僕があまり信じないのは、かつて彼と夢中になってやった遊びに溢れていた創造性に比べると、大抵の場合、たいしたものではないからなのだ。彼はそれほど特別の友人だった。

それにしても彼と遊んでいたのは40年も前のことだ。話が噛み合うかどうか自信がなかった。だか、すぐにそれは杞憂だとわかった。お互いの記憶は驚くほど鮮明に当時の状況を再現して行った。とても何十年も経っているとは思えない。永い間、魔法の箱に封印されていた膨大な記憶が、突然、眠りから覚め溢れ出したのである。

他人が自分のことをどう思っているかということは意外にわからないもので、かつて彼の目に映っていた僕の姿が明らかになっていくのは実に新鮮だった。永年とてもかなわないと思っていた彼が、意外にもこちらに対して同じような思いを抱いていたこともはじめて知った。当時はお互いに突っ張っていたのだ。

友は自分を写す最高の鏡でもある。彼の心の中にかつての自分が何十年も生き続けていたことを知り、自分という人間が新たな価値を持ったように感じられた。だが一方で、今の自分はその鏡にどのように写るのだろうか。これまで自分は成長し続けてきたという自負があった。しかし、かつての自分は今よりずっと個性に溢れていたのではないか。

子供から大人になり社会に適合していく過程で、誰もが受験や就職、結婚と言ったさまざまなハードルを乗り越えていかなければならない。そうした試練を克服し、新たな自己を確立していくことが人生の目的だとも言える。しかし、そうしたハードルを越える過程で子供のころの個性は徐々に角を削り取られて行くのではないだろうか。社会に適合するとは、個性をも社会に合わせて仕立て直すことでもあるのだ。

僕は永年自分の個性を発揮しようと努力してきたつもりだった。しかし、結局は社会に媚びてきただけに過ぎないのではないのか。少年時代に帰ることに抵抗があるのは、当時が幼稚だからではなく、自分が知らぬ間に本来の自分を見失っているからなのだ。

友との再会は久々に少年パワーを思い出させてくれた。そろそろ原点に帰る冒険に出るべき時期に来ていたのかもしれない。

科学と欲望

現代人の生活は科学抜きでは考えられない。しかし、先般の原発事故では、われわれが日頃から恩恵を受け依存している科学技術が、実は十分にコントロールされているわけではないと知って衝撃を受けた。さらに、誰が聞いてもおかしい関係者の言い訳を聞くに及んで、人々は科学神話の裏に深刻な病巣が広がっていることに気づいたのである。

西洋の科学はもともとそれが現れる以前の様々な迷信めいたものから逃れたいという科学者の強い願望によって発展してきた。旧来の権威に対して、「地球は太陽の周りを回っている」と胸を張って言えないことに科学者達は苛立ちを募らせていたのだ。しかし、ニュートン物理学が登場するに至って、科学者は自然を語る権利を一気に自分の足元に引き寄せた。人々はこの世界が神の摂理ではなく自然法則によって成り立っているという考え方に目覚めた。かつては無関係な現象と考えられていたことがある法則によって統一的に説明されるのを目の当たりにして、人々は科学こそ真理だと考えるようになっていった。

やがて科学は技術と結びつき、19世紀には世界の工業化を加速する。だが、その結果、世界的な競争が激化することになる。科学は単なる思想的な革命から、人が富を得るための強力な武器となっていったのである。

科学技術が発展し高度化されるにつれて進んだのが細分化である。同じ科学者でも専門外のことは全く理解できなくなった。その結果、様々な専門技術が集結してできている現代の科学技術をひとりの科学者が理解することは全く不可能になってしまった。たとえば自動車は様々な技術の結晶だと言われるが、その全ての素材や素子を完全に理解している技術者は一人もいないだろう。そうした自動車にわれわれは命を預けている。現代社会を支える科学技術という土台は、実はかなり危ういものなのである。

とはいえ、もし自動車の至上命題が安全性にあるなら、ほとんど事故を起こさない自動車を作ることは不可能ではないだろう。しかしながら、自動車メーカーは安全のために自動車を作っているのではない。利益を上げることが目的なのだ。ユーザーも安全性だけでは自動車を選ばない。科学技術のもたらす安全性は常に経済性とのトレードオフに晒されているのだ。

放射性物質が絡む原発の安全性を確保するためには、莫大な科学的な情報と技術力が必要である。しかし原発の場合、巨大事故の実例が非常に少ないため、必然的にデータが足りない。ほとんどの危機対応は机上の計算を元にしている。情報は全く不足しているはずである。しかも安全性を担っているのが、利益を上げることが目的である電力会社と来ては、安全が守られるはずがない。

こうした事情を隠蔽し人々を騙すためにも科学は用いられてきた。御用学者が理解不能な専門用語を羅列し、「科学的データに基づき」と称して説明するときは要注意である。

科学に対する社会の認識を改めるような議論が必要な時期に来ている。