時間感覚

「年々一年が短くなっているような気がする」と年賀状に書いてくる人がこのところ目立つようになった。我が友人たちも大分歳を取ったということだろうか。

現代では、時間はいつでもどこでも一定の速さで流れていると思われているが、こうした時間の概念を最初にはっきりと示したのはニュートンである。彼は宇宙のどこでも一様に時間が流れると仮定することによって、天体の運行と木から落ちるリンゴを同じ運動方程式から導いたのである。こうして創られたニュートン物理学は、その後の科学の飛躍的な発展をもたらした。一定の速さで流れる時間という概念は、科学の時代の象徴となったのである。

一方、日常生活における主観的な時間感覚においては、時間は決して一定の速さで流れているわけではない。だが、そう感じるのはあくまでも心理的なものであり、時間そのものは一定に流れているという立場を取っている。われわれの主観的な時間感覚は、物理的な時間を優先させながらも、適当な自由度を保っているのである。

普段、われわれは、常に時間が経過していると感じており、それこそが時間感覚であると思っている。では、われわれは五感のどれを使って時間の経過を感じているのだろうか。確かに五感はさまざまな変化を感じ取っている。しかし、もし五感を全て失ったとしても、なお時間感覚はあるのではないだろうか。われわれの時間感覚は、外からの刺激を感じ取るというよりは、われわれの意識にもともと内包されているものなのである。

そもそも時間感覚のない意識というものは想像しにくいが、木村敏著の「時間と自己」によれば、離人症という病気になると時間感覚がなくなるという。あと何分あるとか、あれから何分経ったということが、頭では明瞭に理解できても、実感として全く感じられなくなる。興味深いのは、「現在」を感じるのが時間感覚ではなく、実は現在に至る過去の時間と、現在から未来に至る時間を感じることが時間感覚の本質だということである。

しかも、「あと何分」という感覚は、単にあと何分という感覚ではない。つまり、「もう何分しかない」のか、あるいは「まだ何分ある」というように、その時間を短く感じて焦ったり、逆に長く感じて余裕があるなどと感じている。つまり時間感覚には、単に時間の長さだけでなく、その時間が自分に持つ意味も同時に含まれているのである。

さらに、われわれ現代人は、時計を見ることにより、一定に流れる物理的な時間も取り入れている。時計を見て「あと何分」と感じながら、われわれの時間感覚は常に物理的な時間と意識内の時間のずれを調整しているのである。

年賀状を書きながら、「年々一年が短くなっているように感じられる」のは、自分の中の一年と客観的な一年のずれを感じることであり、そういう意味では、正常な時間感覚が働いているのである。

消費型社会の転換点

トヨタ自動車が本年度の決算で4000億円を超える赤字に転落すると言う。昨年度、2兆円以上の営業利益を上げた日本最強の企業がわずか1年でこのような事態に転落するとは誰が予想しただろうか。自動車メーカーは一斉に大幅な減産に入った。今後、売り上げのさらなる減少を見込んでいるためだ。

自動車の販売が急速に落ち込み始めたきっかけは、昨年のガソリン価格の高騰である。その後、ガソリン価格は下がったものの、販売の減少には歯止めがかからなかった。アメリカの金融危機が表面化し、消費者心理を冷やしたことも一因だが、ガソリンの高騰で消費者の自動車に対する考え方が、微妙に、しかし根本的に変わってしまったのではなかろうか。

買い物にも子供の送り迎えにも自動車はなくてはならない。金はかかるが自動車は必需品で、家計はその維持費を織り込み済みだった。ところがガソリン価格が急騰し始めると、スタンドに行くたびに想定外の出費を強いられる羽目になった。それまで疑問もなく乗っていた自動車が、急に重荷になり始めたのである。折りしも世界中で環境問題が取りざたされ、多量のCO2を排出する車はその元凶の一つとされた。健康診断で肺がんの疑いありと言われた途端、それまで何の気なしに吸っていたタバコが急に怖くなるというが、自動車も、ある日突然、当たり前のものではなくなってしまったのだ。一旦、そうした意識に目覚めると、消費者はすぐに車をやめないまでも、台数を減らしたり、買い替えを遅らせようとする。メーカーにとってはまさかの販売急減も、冷静に見れば当然の結果だったのだ。

こうした消費者意識の転換は、自動車に対してだけではない。家電にせよ何にせよ、そもそも巷に溢れる商品は、どれほどわれわれの生活を豊かにしてくれているだろうか。かつて自分が始めてステレオを買ったときを思い出してみると、当時はとにかく欲しくて欲しくてたまらず、毎日カタログにかじりついていたものだ。それが今ではどうだろう。店まで見に行くのも億劫で、ネットで買い物を済ませることも珍しくない。すでに巷に物は溢れているのだ。メーカーは、その程度の興味しかない消費者相手に、必死に購買意欲を喚起しようと涙ぐましい努力を続けているのである。

先進国ではすでに物やサービスが供給過剰になっている。サブプライムローンは、購買力のない低所得者層に無理やり住宅を売ろうとして破綻したが、最近の世界経済は、極論すれば、要らないものを無理やり売りつけることで成り立っているのである。伸びきった腰は、砕けるときはもろい。

現代の大量消費型社会が石油に支えられていることを忘れてはならない。物質的な豊かさを追い求める時代は、すでに終わっているのである。今回の不況は、資本主義社会に本質的な転換を迫っているのだ。にもかかわらず給付金をばら撒く程度の対策しか持ち合わせていないとなると、先行きは相当暗い。

祖母の教え

 先日、祖母が亡くなった。満97歳の大往生だった。この2-3年は、記憶があいまいで、自分の娘もわからない日もあったが、意識はしっかりしており、冗談を言って笑わせることも珍しくなかった。昨年末に、入っていた老人ホームで食事も水も取らなくなり、やむなく病院に入り点滴を受けることになったが、しばらくすると点滴も拒絶してしまい、その8日後に亡くなった。最後の日まで、見舞い客に対し必死に両手を合わせ、感謝の意を伝えようとしていた。

 祖母が自ら死のうとしたのは明らかだった。物欲がなく、ただただ自分の娘たちの幸せだけを願っていた祖母にとって、記憶が衰え、周りに迷惑をかけているのではないかという思いは耐え難いものだったのだろう。食事も水もなしの8日間は楽なはずはないが、病死でないため死顔はきれいで穏やかだった。身内だけで行った葬儀では、多くの曾孫を含め参列した親族はいずれも祖母に対しての暖かい思い出を胸にしていた。人の死に際しては、いつも何か虚しい思いを感じる僕も、最後まで自分の意思で生き切った祖母に対してあっぱれという思いに打たれ、何かすがすがしい気持ちさえあった。

生き物のなかで将来の死に対して恐怖や不安を抱くのは、恐らく人間だけだろう。死を恐れる理由はさまざまだろうが、その一つはいくら充実した人生を送ったとしても、死ねばすべてが失われてしまうという思いがあるからだ。いくら楽しかろうと、何かすばらしいことを成し遂げようと、次第に歳を取り、最後には死んでしまう。結局、全ては無駄ではないのか。そうした虚しさが、人の心に晴れることのない影を落とすのである。

 霊魂の概念は、そうした苦痛から逃れるために生まれたのだろう。死んでも魂が残るとなれば、死の恐怖は消える。確かに生命というのは不思議なもので、それまで生きていたものが、死んだ瞬間、ただの物体となってしまう。生き物に生気を吹き込んでいるのは霊魂であって、死によってそれが肉体から抜け出すと考えるのも無理はない。しかし残念ながら、誰もがそうした霊魂の存在を信じられるわけではない。

 われわれは親から生を授かったと思っているが、われわれの生命は実は40億年前に地球上にはじめて誕生し、それが進化しながら途絶えることなく綿々と受け継がれてきたものである。当初、単細胞生物は2つに分裂することで次世代へと生命をつないでいたが、今日では、60兆個の細胞がひとりの人間を支えるまでに進化し、この40億年という長い旅の最後の80年ほどを、われわれはひとりの人間として生きているのである。

人生とは、40億年に渡る生命の進化の結晶なのだ。人間として生まれた以上、すべての人にこの最後の80年間を生きるチャンスが与えられている。祖母はみごとに、その人生を締めくくった。そして、死について悩む前に、生きていることに感謝するよう、最後に僕に教えてくれたような気がするのである。

学歴社会

最近、ゆとり教育の反動で、高校も急速に受験教育に舵を切り始めている。だからと言って、都立高校に通う長女の話では、大学に行ってからのことや、就職を考慮してどの学部を選択すればよいかというような話は、やはりほとんどないと言う。教師たちの目は受験までで止まっていて、その先を見る余裕などないのだ。

かつて、学歴偏重が学生に強いる過酷な受験勉強を緩和しようと、高校入試に学校群制度が導入されたり、ゆとり教育が試みられてきたりしたが、結局、変わったのは高校の偏差値地図くらいのもので、相変わらず東大の威光が衰える様子はない。高校入試や小中学校教育をいくらいじっても、最後に控える大学入試がそのままでは何も変わるはずがない。そもそも国には学歴社会を本気で変えようとする気などないのである。

大学入試は、学歴社会を支えるために入念に準備された制度である。全国の生徒を一つの基準で判定する制度は他に類を見ない。全員が参加することは、一見公平に見えるが、そこで下される判定は、受験する本人に対しても、世間の眼に対しても、否が応でも序列の意識を刻み込む。小学校から高校まで、毎日のように勉強しろ!勉強しろ!と言われ続けたのも、ひとえに最後に入試が控えているからなのだ。

勉強ができる人を「頭が良い」と言う。そして本人も自分は頭が良いとか悪いとか思い込んでしまう。頭の良し悪しは学校の勉強だけで決まるわけではないのに、知らぬ間に勉強ができない奴は劣等生だとレッテルを貼られてしまうのである。学校教育の現場では入試と呼応して、子供の心に着々と学歴意識を植え付けているのである。

美術や体育などの教科は、英語や数学のような受験科目に比べて一段下に見られる傾向がある。これは、それらの教科が入試に組み込まれていないからである。実生活では、芸術鑑賞や健康の重要性は、英語や数学より劣るとは思えないが、記憶力と理解力を主に評価する大学入試には美術や体育はなじまない。一旦、受験科目からはずされてしまうと、そうした科目は無言のうちに差別され、軽視されてしまうのだ。

一旦、学歴社会ができると、親は子供を受験勉強に駆り立て、その子供が受験によって序列化されることによりますます学歴信仰が強まるというスパイラルが出来上がる。こうして学歴社会はますますゆるぎないものとなっていくのである。

学歴社会が生まれる背景には、権威に弱い日本人の国民性が透けて見える。自分で価値判断ができないから、お上が決めた価値観に従うのである。こうして見ると現代の学歴社会は、意外にも戦前の軍国主義教育の時代と、さほど変わっていないのかもしれない。

ゆとり教育が挫折し、再び復活の兆しが見える受験偏重教育。結局のところ、学歴社会を抜け出せないのは、単に教育制度の問題ではなく、東大ブランド以上の価値観を見出せない日本の社会の貧しさを象徴しているのではないだろうか。

ネットオークションの楽しみ

 ネットオークションはもともとフリーマーケットのインターネット版である。しかし、何しろネットの利用者は全国に広がっているので、不要な物が必要な人と出会う確率は圧倒的に高い。商品の種類も豊富なので、最近は日常的な買い物に利用する人も少なくない。

 オークションでは、当然、人気のある商品は高くなる。デジカメなどの人気家電やブランド品などは、量販店やブランド品専門店などに比べ、あまり割安とはいえない。逆に一般に人気のないものの中に面白いものがある。フィルム式カメラなどもその一つだ。デジカメの普及ですっかり人気がなくなり、物によってはタダ同然である。確かにデジカメは手軽に撮れるが、データをパソコンに保存してそれっきりになりがちである。フィルム写真では、現像するのが当たり前で、出来上がった写真を楽しむ機会はずっと多い。画質的にもまだデジカメより優れるフィルム式カメラは、狙い目商品の一つなのである。

ネットオークションでは、入札に際して実際に商品を手にとって確かめることはできない。出品者がネット上にアップした数枚の写真と商品説明だけが頼りである。従って出品者の信用が重要なポイントとなる。そのため、落札者は落札後、出品者を評価することになっている。この評価内容は公開され、次の入札者が参考にするので、出品者はできるだけ誠実に対応しなければならなくなる。評価システムはオークションにおける信用の要なのだ。

 オークションに出品しているのは個人だけではない。最近ではオークションの巨大な市場を狙ったオークションストアと呼ばれる専業業者も増えてきた。こうしたストアのなかには、驚くべき安さで大量のものを出品しているものがいる。ネットオークションでは、店舗が不要で、営業経費もゼロである。その分安くできるのは理解できるが、材料費さえ出そうもない商品がいくらでも出回っている。いったいどうなっているのだろうか。

それらの商品の多くは、倒産した企業や個人の動産競売品である。ただし、それは競売で落札されたものではない。競売品を落札すると、いらないガラクタも一緒に引き取らなければならず、その処分にコストがかかる。お金を払って落札していたのでは合わない。そこで彼らは、競売で落札されなかったものを、逆に処分費をもらって引き取ってくるのである。つまりタダどころか、お金をもらって仕入れているのだ。同時に彼らは、鉄くずなどを売りさばくルートも持っていて、オークションに出せない物も効率よくお金に換えているのである。

マーケットリサーチと宣伝広告が支配する現代の消費市場は、売る側の論理に支配され、掘り出し物に出会う機会など皆無である。信頼性に不安があるにもかかわらずネットオークションが賑わうのは、思わぬ商品に出くわす期待とオークション独特の駆け引きに、買い物本来の醍醐味を感じるからではないだろうか。

化石燃料の功罪

18世紀、蒸気機関の発明は石炭の利用の道を開いた。さらに19世紀に出現した内燃機関は石油の時代を切り開いた。こうした化石燃料の利用は、それまでの人類の歴史をすっかり変えてしまった。農耕社会から工業化社会への移行が急速に進み、そうした工業化がさらに化石燃料の使用量を増加させるというサイクルが回り始めたのだ。そしてそれ以降、人類は、化石燃料の使用量を増加させ続けてきたのである。

工業化の結果、人類は物質的に急速に豊かになった。飢えや寒さ、病気と言った、それまで人類を苦しめてきた様々な困苦を次々と克服し、人口は増加し寿命も延びた。過酷な労働からも解放され、自由な時間を享受することができるようになった。さらに、科学技術の飛躍的な進歩は、コンピューターやインターネットを産み出し、かつては誰も想像すらできなかったような便利で快適な生活が可能となったのである。

しかし一方で、工業化の急速な進展は、経済的な競争の激化を招いた。19世紀の帝国主義は、やがて20世紀前半の世界大戦へとつながっていくが、これを支えたのは、化石燃料による軍事力の飛躍的な拡大である。大戦が終わっても、経済戦争は終わることはない。かつての帝国主義が、天然資源を争うものであったのに代わり、貿易や資本投下という形で、工業生産のための安い労働力をいかに確保するかに焦点が移る。さらに20世紀後半になると、金融が経済戦争の最前線に躍り出る。われわれは化石燃料により、物質的に豊かな生活を手に入れた反面、熾烈な競争社会に身を置かざるを得なくなったのである。

しかしながら、現在、次の2つの観点から、人類は大きな転換点を迎えているのではなかろうか。まず、地球温暖化に代表される環境破壊の問題である。化石燃料が環境に及ぼす影響を無視して経済性を優先させてきた結果、いよいよそのツケが回ってきたのである。もうひとつは、経済戦争の激化により引き起こされた、資本主義の機能不全の問題だ。サブプライムローン問題に象徴されるように、最先端の金融工学を駆使し、あまりにも効率を追求した結果、市場原理がうまく働かなくなってきているのである。

これら2つの問題は、いずれもこの200年あまりに急速に拡大した化石燃料依存型社会の限界を示している。くしくもそうした中で、石油価格が急激に上昇を始めた。化石燃料に頼りすぎている現代社会の危うさを、市場が敏感に感じ始めたのである。

化石燃料を使い始める以前も、人類は永年にわたって幸福を追求してきたはずである。簡単に豊かさが得られる現代と異なり、当時の人たちはもっと深く幸福について考え、多くのことを知っていたに違いない。現代では、ダ・ヴィンチやモーツァルトのような天才が現れなくなったのも、物質的な豊かさに振り回され、本来持っていたパワーを現代人が失ってしまったからではないのか。

今、世界は技術の進歩で、快適さを維持したまま環境に良い暮らしを目指そうとしている。一方で、競争社会におけるリスク管理に躍起になっている。しかし、それらはいずれも対症療法ではないのか。化石燃料がなかった時代に人々がどう考えどう生きていたかを、原点に帰って見つめ直してみることこそ、今、本当に求められているのではないだろうか。

車社会の黄昏

 120km車に乗ると、年間2トンものCO2が排出される。家庭が車以外に出すCO2とほぼ同量が、わずか130分車に乗っただけで排出されるのである。これでは、汗をかいてエアコンの設定温度を上げ、照明をこまめに消して省エネに努めても、全てパーである。同じ一人を運ぶのでも、電車の場合、排出されるCO2の量は車の約20分の1で済む。なぜ車はこれほど多くのCO2を発生するのだろうか。

もともとエンジンよりモーターのほうがエネルギー効率が高い。しかも、線路を走る電車に比べ、道路をタイヤで走るため摩擦が大きい。にもかかわらず、体重60kgの人を運ぶのに常に1トン以上の鉄の塊を一緒に運んでいるのである。エネルギーロスが大きいのは当たり前である。確かにどこでも自由に行ける便利さはあるが、その代償として多量にCO2を排出しているわけである。今後、ハイブリッド車や電気自動車が普及しても、これほど重いものを走らせている限り省エネには限界がある。しかも、重量が大きければ、生産時に排出されるCO2の量も大きくなる。車1台を生産するのに約4トンものCO2が排出されているのである。さらに道路などの車のためのインフラ整備においても、莫大なCO2が排出されており、車社会は巨大なCO2の発生源になっている。

1859年、アメリカのペンシルベニア州で始めて石油が掘削された。当時、石油の主な用途はランプであった。しかし、1879年、エジソンの電球が発明されると灯油の需要は落ち込み、石油産業は破産しかける。それを救ったのが車の発明である。車の石油使用量はランプの比ではなく、世界の石油需要は飛躍的に増大する。まさに車は石油大量消費時代の扉をあけたのである。

しかし、いまやガソリン価格は高騰し、温暖化防止でCO2の発生を抑えなければならない。石油を大量消費する20世紀型の車社会は大きな転換期を迎えている。ガソリンの急激な値上がりにより、6月のアメリカでの新車の販売台数は前年比で18%も落ち込んだ。すでに先進国では車離れが始まっているのである。また、世界のあちこちの都市で路面電車が復活し、パリのようにレンタル自転車網を整備して市内の自動車通行量を30%も減らしたところも出てきている。近い将来、人間の移動手段は劇的に様変わりする可能性がある。

単に移動手段を変えるだけでなく、移動そのものの必要性も見直されている。ある国際企業は、会社が排出するCO2の量を減らすためにTV会議を導入し、海外出張を大幅に減らした。IT化が進んだ今日の情報化社会では、果たして毎日会社に出社する必要があるかどうかも疑問である。すでに大企業では、本格的に在宅勤務を検討し始めている。

今後、移動にともない排出されるCO2は徹底的に削減を求められていくだろう。そうした中で、将来の車の姿は果たしてどのようなものになっていくのだろうか。少なくとも多量のCO2を撒き散らしながら風を切って走る鉄の塊がステータスであった時代は、早晩、終わりを告げるのではなかろうか。

エスカレーターの誘惑

 毎日1時間ほどかけて通勤する東京の50代の男性の体力は、小学校高学年の児童より勝っているという。毎日、駅の階段を上り下りしているためらしい。サラリーマンの涙ぐましい姿が目に浮かぶ話だが、最近、JRなどの駅におけるエスカレーターの普及が目立つ。これで少しは「痛勤」が緩和されそうだが、せっかく鍛えられたオジサン達の体力はどうなってしまうのだろうか。

エスカレーターは階段の上り下りの負担を軽減するためのものだが、最近ではバリアフリーの観点から設置される場合も増えた。しかし、単にそれだけの理由で多額の費用をかけてエスカレーターを設置しているわけではない。

 エスカレーターが設置されると大半の人は、かなり遠回りになってもエスカレーターを利用し、階段は途端に利用者が減る。何も言わずに動いていても、エスカレーターが人を引き寄せる力は絶大なものがある。エスカレーターを設置する側は、当然、そうした利用者の心理は計算済みで、人の流れをコントロールすることが彼らの目的なのである。

 それにしても、日頃から健康のためにジムに通っている人でも、平気でエスカレーターを利用するのには驚かされる。楽なものが目の前にあれば利用するのが当然であって、階段を上っていれば逆に物好きと見られかねない。それが社会的常識であって、メタボ解消に階段の利用を勧めてもあまり効果はなさそうである。

そうした常識に異を唱えるのが、高齢者のことを考えて「天命反転住宅」を設計する世界的芸術家、荒川修作氏である。この住宅は今流行のバリアフリー住宅ではない。それどころか、この住宅はいたるところバリアだらけなのである。平坦な場所はほとんどなく、家の中の移動はほとんど斜面か段差の上り下りだ。シャワーを浴びるときも足を踏ん張っていなければならない。なにゆえこんな住宅を作ったのか。

人は歳とともに筋肉が衰え、運動が億劫になる。それがさらに筋肉の衰えに拍車をかけ、怪我や病気の原因となる。その結果、本来、寝たきりになるような歳でもない人が寝たきりになっているのが現状である。バリアフリーの発想は、逆に体力の衰えを促進し、結果的にバリアを高くしているのだ。荒川氏はこの住宅で、人間が本来持っていた感覚を呼び起こし、さらには新しい感覚を生み出す必要性を強調する。楽なことが快適な生活であると信じて疑わない現代人の発想の貧しさを強烈に皮肉っているのである。

エスカレーターが設置されれば、誰も階段を上らなくなり、体力が落ちる。マイナスであるのもかかわらず、それに逆らうことはできない。現代人は無節操に便利さを求めることで、知らぬ間に衰えているのである。これは単に個人の体力の問題だけではない。石油を使い、電気を使い、ひたすら便利さを追求してきたことで、地球環境は蝕まれ、全人類が自らの寿命を縮めているのである。

何の疑問もなく便利さを受け入れる精神構造が改められることはあるのだろうか。現代人の弱点を見透かすように、エスカレーターは今日も静かにあなたを誘っている。

4つの最寄り駅

 「うちって最寄り駅が4つもあるなんて、スゴクない?」。先日、長女がそう言うのを聞いて可笑しくなった。2年程前に、娘たちの通学に支障がないという条件で、以前のマンションから10分程度離れたこの場所に引っ越してきたのだが、それまでの最寄り駅だったJR小岩駅に加え、JR新小岩と京成の青砥、立石が利用可能になったのだ。もっとも、以前、徒歩8分だった小岩駅は徒歩20分の彼方に遠ざかり、他の駅もそれより遠い。何のことはない、どの駅からも遠い場所に来てしまったのである。駅に近いことを最大の売り物にする昨今のマンション事情からすれば、まさに時代に逆行している。毎日の通勤もあり、この距離が生活にどれほど影響するのか、当初は少なからず不安だった。

しかし、住まいの魅力は何も駅に近いことだけではない。この辺りは小岩の西のはずれに当たり、西側にはもはや視界をさえぎる物はない。我が家のある11階から見下ろすと、ところどころに畑が残る住宅地を中川が縫うように蛇行している。そして、荒川の土手の上を走る首都高の向こうには、北から南まで東京の都心が一望の下に展開している。その胸のすくような眺望の魅力は、駅までの不便を補って余りあるものだった。北の方から池袋のサンシャイン、新宿のビル群と続き、新宿と渋谷の間には、丹沢連峰を前衛にした富士山が流麗な姿を見せている。さらにこのところ高層ビルの密集地帯となった東京駅周辺、東京タワー、六本木ミッドタウン...。ずっと行くと、お台場の観覧車まで見渡せる。

都心を東側から眺めることになるのだが、街々は互いに重なり合っているため、当初はどこがどこだかわからなかった。しかし、地図とにらめっこをするうちに、次第に東京の鳥瞰図が浮かび上がってきた。その結果、浅草と秋葉原、渋谷が重なっており、ある日忽然と姿を消した六本木ヒルズは、錦糸町にできたオリナスに隠れてしまったことがわかった。東京の景色も刻々と変わっているのだ。

駅から離れた効用は景色だけではない。人間の心理として、駅と反対側にはあまり出かけないようで、以前は家と小岩駅の間を行き来するだけだったが、今では逆方向に出かける機会も増えた。生活圏が4つの駅に向かって放射状に広がり、これまで知らなかった店や施設を利用するようになった。単に利便性の問題だけではない。いくつもの街の暮らしぶりに触れることで、自分の心の中の街も一回り大きくなったのである。

 越してきて最初の年の大晦日、新年が近づくと、以前は聞いたことがなかった除夜の鐘が、あちこちでゴーンゴーンと鳴り始めた。近くの八剱神社に出かけてみると、かがり火が焚かれ、ちょうちんが明々と照らす参道には初詣の人たちが長蛇の列を作っている。お参りをした人には神主さんが一人一人お払いをしてくれ、その後、甘酒やお神酒が振舞われるのだ。駅から少し離れただけで、地元のこうした伝統が大切に守られている。帰り道、なんだか子供の頃に帰ったような、うきうきとした気分になった。

最寄り駅が4つ。思わず出た娘の言葉には、新たな住みかへの愛着が溢れていた。

生きるってことでしょう

最近、妙に心にしみこんできた言葉がある。養老猛さんがテレビの対談で発した、「要は、生きるってことでしょう」という一言だ。

養老さんは、東大の教授を定年を待たずに辞めた。人生をやり直すには、定年まで待っていては遅過ぎると感じたからだ。しかし、辞めてみて、改めてそれまで自分で考えていた以上にいろいろなことに縛られていたことに気がついたという。

 人は知らず知らずのうちに、色々なことに縛られている。養老さんですらそうであった。サラリーマンは会社に縛られ、自分で会社をやれば会社の経営に縛られる。子供は子供で、勉強や学校に縛られている。もちろん、そうした生活が楽しくて仕方がない人もいるだろうが、そういう人ばかりではない。もともと、どう生きるかは自分の勝手なはずだ。特に、われわれが住んでいるのは、世界有数の先進国であり、大半の人にとって明日の食べ物を心配する必要などない。誰でも自由に生きてよい環境にあるはずだ。むしろ自ら進んで社会に縛られ、自分の居場所を狭めてしまっているのではないのか。

リストラにおびえるサラリーマンにとって、会社は楽しいはずもないのに、逆にしがみつこうとする。辞めても行くところはないし、給料は下がるだけで良いことはない。今の会社で出来るだけ頑張るのがベストなのだ、と自分で自分に言い聞かせている。もちろんそれはあながち誤りではない。家庭を守り、子供を大学に通わせるためには、我慢することは大切だ。さっさと辞めてしまうのは、むしろ無責任だともいえるだろう。しかし、人生は一度しかない。本当にそれでいいのか。家族を守るためなどと言っているが、実は勇気がないだけではないのか?少なくとも、早く定年が来ないかと待っているなんて、異常だとは思わないか?

もっとも、思い切って辞めたからといって、急に道が開けてくるわけではない。人生、そうそう甘くはない。では、一体どうすれば良いのか。その答えが、「生きるってことでしょう」という養老さんの叫びなのだ。いろいろ悩んでいるうちに、肝心の生きることをすっかり忘れてしまい、何かにつけてもっともらしい理屈をつけて悩んでいる。そんなあなたは、生きながらにして死んでるんじゃないか?彼は、そう問いかけているのだ。

養老さんの言葉に、思わずハッとさせられたのは、恐らく自分自身が悩んでいたことへの答えが、ずばりそこにあったからだ。僕は、回りの人からは、やりたいことをやっている人間だと思われているが、決してやりたいことがやれているわけではない。むしろ逆で、自分がやりたいことはいったい何なのか、この歳になってもずっと探し続けているのである。しかし、養老さんの言葉を聞いて、自分があまりにも、「やりたいことをやらねば」という考えに縛られていることに気づかされたのである。やりたいことをやるのは難しい。しかし、「生きること」ならできる。何しろ面白いことはいくらでもあるのだ。

そう思った瞬間、何か急に肩の力が抜けた。そして不思議なことに、心の中で熱いものが湧き上がるのを感じたのである。