米中貿易戦争の行方

 先日のG20でアメリカは中国製品に対する追加関税措置の実施を延期した。だが、これで米中貿易戦争が収束に向かうと考える人は誰もいない。

 アメリカの中国に対する要求の中には、国営企業優遇の廃止など国家体制に関わるようなものが含まれている。中国がこれを受け入れないことはアメリカも十分承知しており、その上で無理難題を押し付けているのだ。 

 中国国民は政府に対して豊かさは期待するが、政府から干渉されることは決して快く思っていない。共産党に従うにはそれを上回る経済的な豊かさを求めているのだ。この30年間、共産党はその声を叶えるべく中国を発展させてきたのである。

 その間、世界はグローバル化し、インターネットを通じて世界中の情報が入ってくるようになった。中国では表向きはGoogleYouTubeInstagramなどは禁止されているが、お金を払ってアプリをダウンロードすれば見ることができる。さらに、人々は自由に世界中を旅するようになり、今や中国人は世界の様子を最も肌で感じている国民と言っても良い。中国国内ではグローバル化した国民と旧来の共産党一党支配体制が共存しているのだ。

 これまで習近平体制はこの現状を成功と捉えてきた。国家指導の元、経済は世界のどの国よりも発展し、豊かになった国民はグローバル化しつつも現体制を受け入れている。これはまさに現共産党が描く理想像ではないか。

 だが、世界は中国だけで成り立っているわけではない。中国の繁栄は世界各国との関係のなかで成り立っているのだ。資本主義はとりもなおさず競争社会だ。誰が中国の一人勝ちを黙って見過ごすだろうか。アメリカが牙をむくのは時間の問題だったのである。

 アメリカが最も脅威と感じているのは国家資本主義の想像以上のパワーだ。だが、それをやめろと言っても中国が従うわけがない。そこでアメリカはまず関税によって貿易に打撃を与え中国経済の発展を鈍らせて共産党の支配体制に揺さぶりをかけようとしているのだ。

 中国ではあまりにも急激な発展によりその裏で様々な問題が生じている。豊かになるに従い大卒人口は急増したが、それに見合った就職先が十分にない。永年の一人っ子政策は人口構成を歪にし高齢化が急速に進行している。高級車が道路を埋め尽くし豪華なマンションが林立する一方で、社会の歪みは増大し至るところで国民の不満が蓄積しているのだ。

 それをこれまで生活レベルの向上と将来への期待によって抑え込んできたのだが、もし経済に陰りが見え、国民が将来不安にかられるようなことになれば、共産党への不満は一気に高まるに違いない。また党内の習政権批判が高まり権力抗争に火が付くかもしれない。

 事態はすでに単なる貿易戦争ではなく体制間の衝突になっている。中国は自国のAI技術の優位性などを誇示し一歩も引かない姿勢を見せているが、これまでの成長戦略は大幅な見直しを迫られるだろう。その結果、国家資本主義の勢いが弱まり、西側との共存路線に緩やかに移行していくことをアメリカは狙っているのだろうが、その行方は全く見通せない。

国家の質

 利息がゼロなら借金は怖くはない。国の借金は地方も含めると1000兆円を超えているが、政府は様々な手立てで金利を抑え込み、借金を減らそうとする気配は全く見られない。

 だが、もし何かのきっかけで金利が上がり始めれば、利払い費が増え借金は雪だるま式に増え始める。国といえども借金は期日が来れば返さなければならず、返済が滞れば国といえども破産するしかない。

 安倍政権下の金融緩和では、日銀が借金を肩代わりすることで金利を抑えてきた。だが、日銀は無限にお金を刷れるわけではない。やり過ぎれば円に対する信用が失墜しインフレを招く。通常、インフレが起きそうになれば金利を上げ金融を引き締めるが、金利を賄うためにお金を増刷するような状況ではそれも不可能だ。これまでは何とかコントロールされて来たが、今の日本はいつ何時金利上昇とインフレの嵐にさらされるかもしれない危うい綱を渡っているのだ。

 こうした財政状況を改善するために事あるごとに持ち上がるのが消費税の増税である。だが増税は有権者には人気がない。そこで安倍政権は2度にわたり増税を先送りし、その代わりさらに借金を増やせるよう日銀による大量の国債の買取り、マイナス金利政策という奇策を押し進めて来たのだ。だが、一方で異常な金融政策に対する危惧も高まり、とうとう消費増税を受け入れざるを得なくなったのである。

 では、増税か借金かどちらがいいのだろうか。何かおかしくはないか。実はそこには肝心の議論が欠落しているのだ。

 政府は国民から税金を徴収し、それによって国民にサービスを提供している。もし徴収した税金に見合った素晴らしいサービスが提供されるのであれば、多少の増税も国民は受け入れるはずだ。2019年度の国家予算は100兆円を越えた。これは4人家族あたり330万円を政府に支払っている計算だ。国民は果たしてそれに見合ったサービスを受けているだろうか。

 政府は社会福祉費の増加を理由に長年国債を増発しつづけ国民からお金を吸い上げて来た。そして、それが限界に近づくと今度は消費増税である。取れるところから徹底的に吸い上げようとする姿勢がそこには見える。だが、そうして吸い上げたお金は一体何に使われているのだろうか。本来、最も議論されるべきはそこではないのか。

 政府の予算には無数の既得権者がぶら下がっている。その見返りとして政府は彼らの支持を受け政権を維持している。権力拡大のために既得権者を優遇し弱いものにツケを回す政府の体質が莫大な借金を積み上げて来たのだ。国民から徴収し、本来は国民のために平等かつ有効に使われるべきお金はそうして至るところで無駄に使われているのである。

 単に増税の是非を問うても答えは出ない。問題は国家の質にあるのだ。予算を国民生活のためにどれだけ有効に使えるかが政府の質、そして国の質を決める。国民はその点にもっと厳しい目を向けるべきではなかろうか。

 何事も一見順調に見えるときほど、隠れたところで問題が蓄積されているものだ。

 史上稀に見る急速な発展を成し遂げてきた中国だが、そこにはいくつかの理由がある。1978年、当時の国家主席、鄧小平の号令のもと改革開放政策が始まった。しかし、政治体制の違いやインフラの不備などにより当初は海外からの投資はなかなか進まなかった。だが、WTOに加盟した2000年頃から投資は加速し海外の技術を急速に吸収し始める。これにより中国は技術開発の時間を大幅に短縮し短期間に発展できたのである。

 さらに共産党一党支配の下ではインフラ整備が非常に効率的だ。市民がごねると立ち退きが滞り道路建設がストップしてしまう他の資本主義国家に比べ、国家が描くデザインに従いインフラ整備が速やかに進む中国では同じ予算を投じても効率が桁違いに良いのだ。

 企業の発展においても国家の指導のもとに無駄な競争を避け、効率の悪い企業は容赦無く潰して来た。その結果、瞬く間に世界有数の企業が多数育ってきたのだ。 

 習近平が国家主席になった2013年にはGDPはすでに日本を抜き世界第2位となっていた。その後も中国の勢いは止まらず、習主席が2期目を迎えた2018年にはアメリカに迫る大国に成長していた。経済規模だけでなく技術的にも多くの分野で世界のトップレベルに達し、生活文化も先進国と遜色なくなった。もはや世界一の覇権国家になる日も遠くはないという雰囲気にあふれていた。

 一方で習主席は就任以来、腐敗撲滅の旗印のもと政敵を次々と粛清し、自らの政治基盤の強化に努めてきた。国民もかつての貧しい中国を世界トップレベルまで引き上げてくれた政府を評価していた。共産党の管理に息苦しさも感じるが、もっと豊かになれるならやむを得ないと考えていた。

 そうした状況に自信を深めたのか、習主席は2018年の3月、憲法改正に踏み切り、それまで2期10年だった国家主席の任期を撤廃してしまったのだ。だが、これに対して普段あまり政治に関心を示さない中国市民がSNSを通じて一斉に批判した。国家主席の任期はかつて毛沢東への権力集中が進み過ぎ文化大革命の悲劇を招いたことへの反省から定められたものだった。市民の頭にはかつての忌まわしい記憶が蘇ったのだ。

 そうした矢先、思わぬ方向から別の強烈なパンチが飛んできた。アメリカが仕掛けた貿易戦争だ。もちろん中国もそうした攻撃に対し永年備えてきた。だが、今や世界中の産業が中国に依存し、どの国であれ敵対すれば自分の首を絞めるだけだという楽観論が支配的だった。だが、中国の拡大に対する世界の警戒感は想像以上に高まっていたのだ。

 現在中国では、他国ではスタンダードとなっているGoogleYouTubeが国家によって規制され使えない。これまで中国の国家体制は奇跡の発展の原動力となって来た。だが、さらなる拡大の前には体制の違いという壁が立ちはだかる。それに対して果たして中国はどう動くのか。中国の発展、そして世界の行方は、今、大きな転機を迎えているのである。

トランプ最強のカード

先日、アメリカの中間選挙が行われ下院で民主党が過半数を取り戻した。この結果に最も神経を尖らせていたのが中国の習近平国家主席だろう。もし共和党が勝利すれば、トランプ大統領の対中強硬政策が過激さを増すのは間違いない。2年後のトランプの再選も有力となり、中国としては向こう6年間、トランプとの戦争を覚悟しなければならなくなるのだ。

9月にトランプが各国に対して高率の輸入関税の適用に踏み切った時、中間選挙を睨んだ人気取り政策に出たと思われていた。本気で経済戦争を仕掛ける気は無く、交渉を有利に進めるために最初に厳しい条件を突きつけて妥協点を探るディールなのだと。ところが、中国は一歩も妥協せず報復関税に打って出ると関税合戦はあっという間にエスカレートし、世界の株式市場は中国発の景気減退を懸念して急落することになったのである。

だが、あれから2ヶ月経った今、このトランプの政策はアメリカ国内である程度受け入れられているように見える。もっとも、それはトランプが当初から唱えていたような貿易赤字削減によりアメリカの雇用が回復するという理由からではない。むしろそれは建前で、本当の狙いは別のところにあるのだ。

今のアメリカにとって最大の脅威は中国だ。それは単に巨額な貿易赤字だけによるものではない。2000年には8.5倍あった中国とのGDPの差は、2017年には1.6倍にまで縮まっている。通常であれば、国が発展して人件費が上がると急速に競争力を失うはずだが、中国の場合、国家主導の資本主義が効率的に働き、なかなか成長が鈍化しない。AIや半導体と言った要素技術でも互角のレベルに達している。このままいけば抜かれるのは時間の問題だ。事実、中国は2030年代には経済規模でアメリカに追いつき、建国100年となる2049年には軍事を含めあらゆる分野で世界のトップレベルになるべく計画を着々と実行しているのだ。

それに対し強い危機感を抱きながらも、これまでアメリカは何もできなかった。資本主義の盟主を標榜する彼らとしては、あくまでも共通ルールのもとで経済発展を目指す立場であり、相手を潰すために経済戦争を仕掛けることなどしたくてもできなかったのだ。そこに現れたのがトランプである。当初、彼の保護主義的な政策に批判的だった人たちも、中国に対抗するためにはやむを得ないと考え始めているのだ。

トランプは敵を作ってそれに対する潜在的な不満を自分への支持につなげる手法に長けている。大統領選では旧来の政治勢力への不満を味方につけ当選した。その後も次々と新たな敵を作り出すことで岩盤支持層を広げ、今回の選挙ではとうとう共和党を手なずけてしまった。その扇動家としての手腕はもはや侮れず、ヒトラーすら思い起こさせる。

今後、トランプはますます中国への攻勢を強め、その結果を誇示して支持を広げようとするだろう。今回、下院で多数派となった民主党は元々中国に対して厳しい態度を取ってきた。中国の脅威と戦うトランプはその民主党をも呑み込んでいくかもしれない。

中国はアメリカの最大の敵であるがゆえにトランプにとっては最強のカードなのである。

不都合な真実

大きな危機が間近に迫っていても、人はそれに備えるよりむしろそこから目を背ける傾向がある。

バブルの頃、それが間もなくはじけると警告していた人はいた。株価や地価が永遠に上がり続けるわけがない。だが、多くのマスコミや専門家はさまざまな理由をつけて世間を煽り続け、国の対策も後手に回った。そして人々もまたそうした心地よい説に酔ったのだ。

思えば第2時世界大戦に突入して行った日本にも同じことが言えるのではないか。アメリカと戦争すれば負けるに決まっていたはずだが、日本人は負けた時の悲惨さよりも軍部の威勢のいい不敗神話を信じたのだ。

厄介なのは、そうした危機が現実のものとなっても、その後、誰も責任を取らず何度でも同じことを繰り返すことだ。あれほど甚大な被害をもたらした福島原発の事故を経ても、かつて安全神話を作り上げた政府の考え方は本質的に変わったようには見えない。

そして今、また新たな悲劇の予兆が感じられる。

日本政府と地方の債務残高の合計は2017年度末時点で1000兆円以上に膨れがっている。これは先進国中最悪の状況だが、政府には特に危機感は感じられない。

2006年、政府は将来の財政破綻を回避するために、2011年に基礎的財政収支を黒字化する目標を立てていた。だが、これはリーマンショックを理由に2020年まで先送りされた。それがこの度、さらに5年間、あっさり先送りされたのだ。しかも、この新たな目標も達成はほぼ不可能だと考えられている。

政府は本気で借金を減らす気はないのだろうか。とはいえ、今後、少子高齢化が進み社会保障費は確実に増加し、放っておけば借金が膨らみ続けるのは間違いない。政府は無限に借金を増やしていけると考えているのだろうか。

まさか日銀がお金を刷って国債をどんどん買い上げれば政府はいくらでも借金できると考えているわけではあるまい。そんなことをすれば通貨の信用が保てなくなるからだ。その信用を示す指標の一つが長期金利の動向だ。長期金利は国債の利回りに直結し、政府が支払う利息を決める。利払いが増えると政府の財政は途端に苦しくなるので、現在日銀は金融政策を駆使して必死に長期金利をゼロに押さえ込もうとしている。

だが、そのために日銀が取っている金融政策にはかなり無理があり、次第にさまざまなところで弊害が現れてきている。もし何らかの要因で金利の制御が効かなくなれば、政府は財政破綻を回避するために、それこそ異次元の増税をするしかなくなってしまう。

最大の問題は、政府がそうしたリスクを国民にちゃんと説明しないことだ。借金を減らそうとすれば、社会保障費を減らすか増税するしかない。必ず痛みを伴うのだ。しかし政府は、そうした不都合な真実にはけっして触れようとはしない。

結局、国民は甘い言葉に騙され、歴史はまた繰り返されることになるのだろうか。

シンギュラリティーより怖いもの

AI(人工知能)が発達すると、いつかAI自身がAIを開発し進歩させるようになる。するとAIの進歩は飛躍的に加速し、ついには人間の知能を超え人間が太刀打ちできなくなる日、つまりシンギュラリティーが訪れると警告する専門家がいる。

SFやマンガでは、高度なAIを搭載して意思や感情を持つようになった人間そっくりなロボットが登場するが、今でもすでにAIは人間の問いかけに応えたり相槌を打ったりする。将来、AIが発達すれば本当に人間と話しているのと変わらないレベルで受け答えができるようになるだろう。人間同士の会話よりAIとの会話の方が話がはずむ日が来るのも遠くはないかもしれない。

とはいえ、AIは決して人間の言葉を理解して会話をしているわけではない。人間の言葉の中のキーワードを選択し、そうした言葉が出る場合にはどのような答を相手が望んでいるかを推論して答えているだけなのである。つまり、AIが「意思」を持っているわけではなく、あたかも意思を持っているかのごとく会話してくれるだけなのだ。実はAIは意味を理解することが非常に苦手なのである。

人間には簡単でもAIが苦手とすることは他にもいくらでもある。ディープラーニングの登場で画像認識能力が飛躍的に進歩したと言われているが、まだとても人間にかなうレベルではない。人間の感覚や感情などを理解することは、事実上AIにはまだ無理なのだ。

そもそもAIのベースとなっているニューラルネットワークは脳の神経細胞の働きを簡略化し、脳の働きの一部をコンピューターで計算できるようにモデル化したものに過ぎない。実際の人間の脳の仕組みははるかに複雑で、われわれ自身、そのほんの一部を理解しているに過ぎない。それを完璧にモデル化し人間と同じような「意思」を再現することなどとても不可能だ。従って今のAIの性能がいくら向上したところで人間の脳に近づくことはない。

とはいえ、目的によってはAIの能力は人間よりはるかに優れている。近い将来、車の運転を始め人間のやっている多くのことをAIが代行してくれるようになるだろう。問題は現代のような競争社会を勝ち抜くためにAIは強力な武器になるということだ。金融、マーケティング、軍事など、あらゆる分野でいかに優れたAIを開発するかが勝負の決め手になるだろう。その際、ヒトラーのような人物が最強のAIを手にするようなことも十分あり得るのだ。

AIが出す答を人間が理解できないのも問題である。AIは経験から学習していくので、その答に人間が考えるような理由はないのだ。だが、AIが間違える場合もある。AIに任せておいて気がついたら世界が取り返しのつかない事態に陥っていたということも十分起こり得る。

AIが人間の知能を超えるという意味でのシンギュラリティーは簡単には起きそうもない。だが、AIの性能向上が進めば、人間の欲望はそれを利用して極端な力の格差を生み出しかねない。はたしてそれにどう備えていくのか。われわれはすでにそうしたAI社会に一歩踏み出しているのである。

AIが変える仕事

 AI(人工知能)が進歩すると多くの仕事が奪われ失業者が続出するという話をよく耳にする。これまでも技術の進歩で多くの仕事が姿を消して来たが、AIによる影響はそれらと比較にならないほど大きなものになりそうだ。将来、われわれの仕事はどうなるのだろうか。

 仕事においてAIが代行するのは人間の頭脳労働である。従ってAIの導入は肉体的な作業を必要としない情報分野でまず進んだ。

 ネットの世界においては、グーグルなどは誰でもネットで簡単に必要な情報が得られるように早くからAIを利用して検索エンジンの改良を行なって来た。その他にもネット広告の効果を高めたり、通販で価格や在庫の最適化を行うなど、AIはすでに広く用いられている。

 お金をデータとして扱う金融分野においてもAIの活用はすでに不可欠となって来ている。株にしても債券にしてもAI同士が凌ぎを削る熾烈な競争が始まっており、AIを駆使する先端エンジニアの需要は高まるばかりだ。一方、従来の人間の経験や勘といったものは急速に廃れつつある。

 教育も一種の頭脳労働であり、AIによって大きく様変わりしそうな分野だ。AI教師は、各生徒の個性に合わせて細やかに対応し、生徒の質問にも丁寧に答えてくれるだろう。人間の教師の役割は大きく変わるに違いない。

 翻訳も頭脳労働だ。先日、久しぶりにスマホの翻訳機を使ってみて、その進歩に驚かされた。専用のヘッドフォンがあれば誰もが簡単に同時通訳を利用できる日は近そうだ。そうなれば言語の壁は格段に低くなる。外国人との相互理解は深まり、国という概念も変わっていくかもしれない。人間の翻訳家はより質の高い翻訳を求められるようになるだろう。

 ところで、自動車の自動運転の実用化が目前に迫って来ている。運転は肉体労働のように思われがちだが、本質的には頭脳労働だ。ハンドルやブレーキを操作する前に、行き先までの道順を考えたり周りの安全を確認するなど常に頭を使っている。AIが代行するのは、まさにそうした情報処理と状況判断なのだ。

 自動運転は、機械を操作する人間の作業をAIが代行する例の一つだが、運転以外でも機械、あるいは工場全体を操作するような仕事は、今後AIによって自動化が進むだろう。

 一方で職人技を伴う仕事をAIで代行するのは簡単ではない。例えば美容師の仕事を考えてみよう。カットやブローなどを行うAIロボットを開発することは原理的には可能かもしれない。だが、そうした仕事においては、AI以前の問題として職人の微妙な手加減を再現できるロボットをゼロから作らなければならない。それには莫大な費用がかかる。

 永年、肉体労働は頭脳労働より下に見られて来たが、その頭脳労働もAIに取って代わられるとなると、大きな顔はしていられなくなる。AI社会を生き延びていくのは、頭脳と肉体両者を同時にこなす仕事、つまり自分の頭で考え、発想し、判断しながら自分の肉体を微妙にコントロールすることが求められるような仕事なのかもしれない。

再生可能エネルギー

 東日本大震災にともなう福島原発の事故の直後、原発に対する不信感が増し、日本各地で反原発運動が起こった。それに対して日本経済新聞は毎日のように原発の必要性を訴えていた。もし原発をやめば、日本のエネルギーコストは増大し、海外からの投資は控えられ、日本経済は衰退すると脅しまがいの主張を繰り返したのだ。一方で再生可能エネルギーの推進に対しては、現実を見ない夢物語扱いをしていた。だが、その日経も最近では日本の再生エネルギー開発の立ち遅れを嘆く記事が目立つようになって来た。

 2007年から2016年までの10年間の世界の再生可能エネルギーの推移を見てみよう。すると風力発電は7倍の4億8,700万KWに、太陽光発電は48倍の2億9,100万キロワットになり、2016年時点で両者の合計は7億7,800万キロワットとなっている。これは、全世界の原子力発電量の約4億キロワットをすでに上回っている。

 では、世界のどの国が再生可能エネルギーに力を入れているのだろうか。2016年時点では、風力発電においては世界全体の35%を占める中国が1億6,900万KWで第1位である。ちなみに日本は1%にも満たない340万KWである。太陽光発電では、かつて世界をリードした日本が4200万KWと第2位につけているが、こちらも中国が7700万KWで1位となっている。しかも中国では年々導入が加速しており、太陽光発電では2016年1年間で日本のこれまでの累計導入量に匹敵する量を導入し、風力、太陽光いずれでも世界の増加量の半分近くを中国1国が達成しているのだ。

 この中国が2016年までに導入した風力と太陽光を合わせた累計は2億4,600万KWである。原発1基の発電量を約100万KWとすると、これは原発250基分、日本の全原発の発電能力の約5倍に相当することになる。

 福島原発の事故直後、再生可能エネルギーの将来性について調べたことがある。すると電力会社への接続(系統連系)の問題を考慮しても、原発の廃炉や使用済み核燃料の処理に比べれば、再生可能エネルギーのコストを原発より下げ、原発並みの発電量を達成するのは技術的に(もちろん安全の面からも)はるかに容易に思われた。しかも、それは日本が環境ビジネスで世界をリードするまたとないチャンスだったのである。

 だが、日本政府はその後も原発再稼働に固執した。一方、自国で福島原発並みの事故が起きた場合のリスクを直視した中国は、再生可能エネルギーに一気に舵を切ったのである。

 しばらく前にNHKのグローズアップ現代プラスで、日本の再生可能エネルギー事業が電力固定価格買取制度を狙った中国の業者に次々と買収されている状況が紹介されていた。原発の再稼働を最優先する日本では、再生可能エネルギー事業を立ち上げようにもさまざまな規制が立ちはだかり、多くの業者が経営に行き詰まっている。それをコストダウンに優れ豊富な資金力を背景にした中国企業に買い取ってもらっているのだ。政府に原発リスクを押し付けられた日本国民にとって、思わぬところから救世主が現れたということだろうか。

工業化と国家の盛衰

 かつてトルコを旅行していた時、あれほどの隆盛を誇ったオスマン帝国はなぜ衰退してしまったのだろうかという疑問が頭を離れなかった。

 オスマン帝国の強みは騎馬民族ならではの機動力だった。情報伝達と流通のスピードがアラブからヨーロッパに至る広大な領土の支配を可能にしたのだ。彼らにとって1000年間の永きにわたり停滞する当時の中世ヨーロッパは如何にも時代遅れと映っただろう。

 オスマン帝国によるコンスタンチノープル征服は、眠っていたヨーロッパを刺激し、その後のルネサンスや大航海時代、ひいては産業革命へとつながる発展の引き金となる。そして、皮肉にも産業革命がヨーロッパにもたらした工業化の波は、オスマン帝国の強みであった騎馬による機動力を次第に無力化し時代遅れにして行くのである。オスマン帝国の衰退にはさまざまな要因があろうが、工業化の立ち遅れが主因であることは間違いない。

 その後、今日に至る2世紀余りの欧米主導の世界はこの工業力によって支えられてきた。工業力の発達は経済、軍事双方を発展させ、工業力の差は国力の差を急拡大させた。その結果、いち早く工業化を達成した欧州列強の帝国主義により世界は分割されていくのである。

 工業化はまず18世紀の動力革命から始まった。それまでの人類にとって動力といえば人力と牛馬の力が主だったが、蒸気機関の発明で桁違いの馬力が得られるようになった。

 20世紀になると電気の時代が来る。電線を引っ張って来るだけでどこでもエネルギーが得られるようになり、工業化の利便性を飛躍的に高め、生活のすみずみまで工業化の恩恵を直接受けることができるようになる。

 オスマン帝国も自国においてそうした工業化を必死に推し進めようとした。だが、国内のさまざまな要因が速やかな工業化を妨げた。スルタンを頂点とするイスラム帝国の社会構造は工業化に馴染まず、また工業化により自らの利権を失う勢力の抵抗も大きかった。

 一方、いち早く工業化が進んだイギリスでは、技術革新を起こし工業化を進めていく人材に恵まれ、またそうした人たちが活躍できる社会構造があった。その後、ヨーロッパ各国が追随するが、20世紀になるとアメリカが台頭し世界最大の工業国に躍り出る。

 20世紀後半になると工業化は新たな段階に入る。エレクトロニクスの時代の到来だ。ラジオやテレビにトランジスターが応用され、コンピューターが急速な進歩を遂げる。さらにIT技術が発達し、20世紀末にはインターネットが登場する。そして今日、AIとI o Tがキーワードとなり、工業化はさらに新たな段階を迎えようとしている。

 現在でもアメリカはさまざまなイノベーションを起こし工業化の最先端を走っている。それを独自の戦略で急速に追い上げているのが中国だ。工業化の進歩には、その国の社会構造や教育レベル、市場の有無、さらにはそれらを主導する国の指導力が関わって来る。一方、IT化などでもたらされた社会環境がその国の欠点を補い、それが工業化を急加速する場合もある。現在の中国ではそうした条件が非常に効率的に機能しているように見える。

衰退する日本

 先日の衆議院の解散総選挙で、希望の党の小池百合子氏は、この20年余りの日本の競争力の低下を指摘し、何とかしなければ取り返しがつかなくなると訴えていたが、覚えている人はいるだろうか。小池氏の訴えは直後に勃発した野党再編のゴタゴタによってかき消されてしまったが、バブル崩壊以降、日本の国力が衰退の一途をたどっていることは事実だ。

 選挙後、11月1日の日経新聞の1面に「瀬戸際の技術立国」と題して、日本の技術開発力の低下を示すさまざまな指標が示されていた。それによれば、基礎研究力の目安となる科学技術の有力論文の数は中国の4分の1以下で、まもなく韓国にも抜かれる状況にある。応用開発力の指標となる国際特許出願数でも今年中にも中国に抜かれるようだ。

 多くの日本人は日本はまだ技術大国だと思い込んでいるが、中国の若い人に聞くと誰もそんな印象を持っていない。なにしろ今の中国で見かける日本ブランドは数えるほどしかない。かつて世界を席巻していた日本の家電も今ではソニーあたりがかろうじて残っているだけで、それもサムソンやアップルの前では存在感が薄い。自動車はそこそこ頑張っているが、ホンダ、トヨタ、日産の販売数を合わせてもフォルクスワーゲンに並ぶ程度だ。

 確かに日本製品は不良品が少ないと評判だ。しかし、それはズルをせず真面目に作っていることに対する評価であって技術の高さに対するものではない。今や日本と言えば漫画やアニメなどのオタク文化の中心であり、安全・清潔で興味深い国ではあるが、技術大国の看板はとっくに色あせているのである。

 昨今、東芝や神戸製鋼など、次々と日本企業の不祥事が相次ぐが、そこにも技術力の低下が影を落としている。海外との厳しい競争に晒された企業はじわじわと利益を出すのが難しくなり、随所で越えてはならない一線を越えざるを得なくなっているのだ。不正規雇用の増加や格差の拡大も、そうした企業の弱体化のしわ寄せの結果といえる。

 安倍政権は苦しい輸出企業を助けるために金融緩和により円安誘導を行なった。だが、そうした優遇策はカンフル剤のようなもので、一時的に企業を楽にするが、その間に企業が変われなければ元の木阿弥である。自動車業界は最も円安の恩恵に預かって来たはずだが、結局、世界的な電気自動車への転換に出遅れる結果となってしまった。自動車もダメとなると日本の衰退はいよいよ深刻なものとなってしまう。

 現在、ネット関連の技術は黎明期を経て新たなI o Tの段階に入りつつある。AIにおける革新はそれにさらに拍車をかけるだろう。そうした技術やサービスに対する投資の規模もかつてとは桁違いの大きさになっている。日本はそうしたダイナミックな動きに全くついていけてないように見える。

 こうした事態に陥ったのは、豊かさに安住しリスクを取った挑戦を避けるようになったからではないか。確かに小池氏の言う「日本のリセット」は喫緊の課題なのだ。もっともそれをどうやって実現して行くかは容易ではないのだが。