共同富裕

 去る7月1日に中国共産党は結党100周年を迎えた。そこで習近平国家主席が新たに打ち出したのが「共同富裕」の実現である。急速な発展に伴い拡大した格差を是正し人民が等しく豊かになることを目指すという。

 格差の拡大は今や世界的な問題である。アメリカでもGAFAなどの巨大IT企業による富の独占が問題となり、法的な規制や徴税の強化が検討されている。だが、中国のやり方は少し違う。莫大な富を蓄えた企業に対して直接寄付をさせ、それを貧しい人々に分配しようというのだ。その金額は莫大で、すでに巨大IT企業のテンセントは8500億円、アリババも1兆7000億円の拠出を発表している。

 改革は教育においても進められている。受験戦争による教育費の増加が教育の機会均等を妨げ、さらには少子化の一因となっていることに危機感を抱いた政府は、営利目的の学習塾の禁止に踏み切ったのだ。さらに、ネットゲームが子供に及ぼす悪影響を減らすために18歳未満の子供が週にできる時間を3時間以内と定めた。

 こうした政策は国民からは好感を持って迎えられている。先日、この9月から娘が小学校に通うことになった上海の知人に尋ねたところ、塾禁止は本当にありがたいと言う。あまりにも厳しい中国の受験事情は中国社会に重苦しい影を落としているのだ。また、大企業に対する寄付の要請に対しても賛成していた。貧しい人々の救済なくして将来の発展はないというのは中国における国民的なコンセンサスなのだ。

 一方、こうした政策に対して、日本では文化大革命時代の毛沢東を彷彿とさせると批判的している。毛沢東は貧しい国民の熱狂的な支持を味方につけることで自らへの批判を封じ政敵を葬り去った。習政権も汚職によって莫大な富を蓄えた政治家への国民の不満を背景に汚職撲滅を掲げ大物政治家を次々と粛清したことがある。

 中国に今の繁栄をもたらした巨大IT企業に巨額な寄付を課すことは成長の勢いをも削ぎかねない。それでもやるのは、金持ちを槍玉にあげ民衆の支持を得ることで権力強化を図るという共産党の永年の統治手法が今も根強く残っているからだろう。

 とはいえ、外からいくら批判しようと、中国は今後、共同富裕の実現を目指して着々と歩を進めていくに違いない。これは格差をはじめとする世界的な課題への挑戦であり、民主主義に対して社会主義の優位性を証明するための野心的な試みなのだ。

 アメリカはそうした中国に総合的な国力で圧倒されないよう、あらゆる対策を打っている。日本も安っぽい批判を繰り返すだけでなく、現状を冷静に分析し、共同富裕に勝る政策を示してほしいものだ。

米中対立の構図

 去る630日、香港において国家安全維持法が施行され、米中のみならず世界中で一気に緊張が高まった。だが、中国を一方的に悪者扱いするだけでは事態を見誤る。

 香港市民に対する強権的な対応が批判されているが、現在の中国は決して北朝鮮のような全体主義国家ではない。新疆やチベット、内モンゴルなどを除けば、中国国民には共産党に人権を侵害されているという意識は全くない。それどころか今の豊かな暮らしを達成できたのは現在の国家体制のおかげだと考えている。さらに今回、世界に先駆けコロナの封じ込めに成功した政府の対応により、これまで自国の体制に疑問を覚えていた人たちも改めて自信と誇りを感じるようになっている。

 中国国内で西欧諸国以上に豊かな生活を送る北京や上海の市民にしてみれば、同じ国に属する香港市民がそれほど頑なに抵抗する理由がピンとこないに違いない。中国人からすれば、このところのアメリカの中国叩きは中国の発展に対する焦りと妬みによるもので、香港暴動では背後でそうしたアメリカが糸を引いているに違いないと考えている。内政干渉だと感じているのは外務省の報道官だけではないのだ。

 かつて西側諸国は、将来中国が豊かになれば自然に民主化すると考えていた。だが、共産党政権のもとで大発展を遂げた現在、ほとんどの中国人が自国の体制を支持している。西側諸国は中国市場という甘い餌に目が眩み見通しを誤ったのだ。

 すでに中国の国力はアメリカに迫り、近い将来追い越すのは確実だ。そこでアメリカはデカップリングを進め中国を孤立させ、なんとか発展のペースを遅らせようとしている。まず、中国が最も嫌がる香港・台湾問題に介入して民主主義の危機を煽り、他の西側諸国を中国から引き離す。同時にファーウエイやTIC-TOCKなどの中国発の先端技術を西側諸国からの締め出すのだ。

 これに対して中国も一歩も譲らない。半導体を始めこれまで海外に依存していたハイテク技術を全て自国で賄おうとしている。世界に先駆けコロナを封じ込め、経済を発展軌道に戻した自信から、現体制の効率と強みをとことん追求していく構えだ。

 先日、アメリカは安全保障も考慮して半導体産業に2.6兆円の補助金を投じると報じられた。これはまさに中国のやり方ではないか。中国の強さを徹底的に分析し、必要ならばその強みを自らも取り入れようするアメリカの必死さが伝わってくる。

 冷戦時代と異なり現在の中国市民の生活意識はアメリカや日本のそれと大差ない。違うのは政治体制なのだ。とはいえ米中が追求する豊かさはこれまた似通っている。となれば、互いの体制の摺り合わせを粘り強く行い共存の道を探るしかない。

現地で感じた米中貿易戦争

 この8月に1年ぶりに中国を訪れた。行くたびにその発展の速さに驚かされる中国だが、今年はいつもとは少し事情が違う。このところ急速にエスカレートした米中貿易戦争は、中国にどのような影響を及ぼしているのだろうか。

 福建省から上海に移動したが、いずれも街は大いに賑わっており貿易戦争の影は全く感じられない。ただ、話を聞いてみると、貿易額急減の煽りを受け、輸送関連の会社などではすでに倒産するところも出てきているらしい。

 米中貿易戦争について今回特に印象的だったのは、「中国政府は絶対に妥協しないだろう」と誰もが口を揃えていたことだ。同時に彼らはアメリカも絶対に折れないだろうと見ている。

 アメリカは、自分たちが取った措置は中国の不公正な貿易と違法な情報収拾に対する制裁であると主張している。だが、実際は経済的に強くなった中国がアメリカの覇権を脅かすと一方的に危機感を募らせているのであって、アメリカの主張は言いがかりに過ぎないと中国人は思っている。

 かつて日本が貿易戦争でアメリカに叩かれた時、多くの日本人は良いものを安く売って何が悪いと感じた。今の中国人が抱いている感情もそれに似ている。自分たちは努力を積み重ねてきた。その結果、中国の力がアメリカを凌ぐほどになったからと言って、何故、理不尽なバッシングにあわなければならないのか。

 もっとも、今の中国はかつての日本に比べてはるかに強大だ。アメリカが脅威を感じるのも無理はない。だから、アメリカも決して妥協しないだろうと彼らは思っているのだ。

 では、この経済戦争は、今後、どのように展開していくのだろうか。米中いずれかが勝利し、どちらかが衰退するのだろうか。あるいは互いに別々の道を歩み世界は二分されていくのだろうか。それについては誰もが口をつぐんだ。だが、中国が負けるとは誰も思っていない。  

 中国滞在中、香港のデモもテレビを賑わしていた。当然、放送は中国寄りで、デモ隊の暴力で負傷した警官をクローズアップし、暴力は許せないと訴えていた。また、デモのアメリカ陰謀説もまことしやかに報じられていた。

 だが、香港のデモに対しては理解を示す人も少なくない。中国への返還後、50年間は高度な自治を認めたはずなのに、なぜ中国政府は約束を違えて自治権を脅かす政策を次々と押し付けるのか。そこには中国国内に対しても強権的な態度を強めつつあるこのところの習近平政権に対する反感が見え隠れしていた。

米中貿易戦争の行方

 先日のG20でアメリカは中国製品に対する追加関税措置の実施を延期した。だが、これで米中貿易戦争が収束に向かうと考える人は誰もいない。

 アメリカの中国に対する要求の中には、国営企業優遇の廃止など国家体制に関わるようなものが含まれている。中国がこれを受け入れないことはアメリカも十分承知しており、その上で無理難題を押し付けているのだ。 

 中国国民は政府に対して豊かさは期待するが、政府から干渉されることは決して快く思っていない。共産党に従うにはそれを上回る経済的な豊かさを求めているのだ。この30年間、共産党はその声を叶えるべく中国を発展させてきたのである。

 その間、世界はグローバル化し、インターネットを通じて世界中の情報が入ってくるようになった。中国では表向きはGoogleYouTubeInstagramなどは禁止されているが、お金を払ってアプリをダウンロードすれば見ることができる。さらに、人々は自由に世界中を旅するようになり、今や中国人は世界の様子を最も肌で感じている国民と言っても良い。中国国内ではグローバル化した国民と旧来の共産党一党支配体制が共存しているのだ。

 これまで習近平体制はこの現状を成功と捉えてきた。国家指導の元、経済は世界のどの国よりも発展し、豊かになった国民はグローバル化しつつも現体制を受け入れている。これはまさに現共産党が描く理想像ではないか。

 だが、世界は中国だけで成り立っているわけではない。中国の繁栄は世界各国との関係のなかで成り立っているのだ。資本主義はとりもなおさず競争社会だ。誰が中国の一人勝ちを黙って見過ごすだろうか。アメリカが牙をむくのは時間の問題だったのである。

 アメリカが最も脅威と感じているのは国家資本主義の想像以上のパワーだ。だが、それをやめろと言っても中国が従うわけがない。そこでアメリカはまず関税によって貿易に打撃を与え中国経済の発展を鈍らせて共産党の支配体制に揺さぶりをかけようとしているのだ。

 中国ではあまりにも急激な発展によりその裏で様々な問題が生じている。豊かになるに従い大卒人口は急増したが、それに見合った就職先が十分にない。永年の一人っ子政策は人口構成を歪にし高齢化が急速に進行している。高級車が道路を埋め尽くし豪華なマンションが林立する一方で、社会の歪みは増大し至るところで国民の不満が蓄積しているのだ。

 それをこれまで生活レベルの向上と将来への期待によって抑え込んできたのだが、もし経済に陰りが見え、国民が将来不安にかられるようなことになれば、共産党への不満は一気に高まるに違いない。また党内の習政権批判が高まり権力抗争に火が付くかもしれない。

 事態はすでに単なる貿易戦争ではなく体制間の衝突になっている。中国は自国のAI技術の優位性などを誇示し一歩も引かない姿勢を見せているが、これまでの成長戦略は大幅な見直しを迫られるだろう。その結果、国家資本主義の勢いが弱まり、西側との共存路線に緩やかに移行していくことをアメリカは狙っているのだろうが、その行方は全く見通せない。

 何事も一見順調に見えるときほど、隠れたところで問題が蓄積されているものだ。

 史上稀に見る急速な発展を成し遂げてきた中国だが、そこにはいくつかの理由がある。1978年、当時の国家主席、鄧小平の号令のもと改革開放政策が始まった。しかし、政治体制の違いやインフラの不備などにより当初は海外からの投資はなかなか進まなかった。だが、WTOに加盟した2000年頃から投資は加速し海外の技術を急速に吸収し始める。これにより中国は技術開発の時間を大幅に短縮し短期間に発展できたのである。

 さらに共産党一党支配の下ではインフラ整備が非常に効率的だ。市民がごねると立ち退きが滞り道路建設がストップしてしまう他の資本主義国家に比べ、国家が描くデザインに従いインフラ整備が速やかに進む中国では同じ予算を投じても効率が桁違いに良いのだ。

 企業の発展においても国家の指導のもとに無駄な競争を避け、効率の悪い企業は容赦無く潰して来た。その結果、瞬く間に世界有数の企業が多数育ってきたのだ。 

 習近平が国家主席になった2013年にはGDPはすでに日本を抜き世界第2位となっていた。その後も中国の勢いは止まらず、習主席が2期目を迎えた2018年にはアメリカに迫る大国に成長していた。経済規模だけでなく技術的にも多くの分野で世界のトップレベルに達し、生活文化も先進国と遜色なくなった。もはや世界一の覇権国家になる日も遠くはないという雰囲気にあふれていた。

 一方で習主席は就任以来、腐敗撲滅の旗印のもと政敵を次々と粛清し、自らの政治基盤の強化に努めてきた。国民もかつての貧しい中国を世界トップレベルまで引き上げてくれた政府を評価していた。共産党の管理に息苦しさも感じるが、もっと豊かになれるならやむを得ないと考えていた。

 そうした状況に自信を深めたのか、習主席は2018年の3月、憲法改正に踏み切り、それまで2期10年だった国家主席の任期を撤廃してしまったのだ。だが、これに対して普段あまり政治に関心を示さない中国市民がSNSを通じて一斉に批判した。国家主席の任期はかつて毛沢東への権力集中が進み過ぎ文化大革命の悲劇を招いたことへの反省から定められたものだった。市民の頭にはかつての忌まわしい記憶が蘇ったのだ。

 そうした矢先、思わぬ方向から別の強烈なパンチが飛んできた。アメリカが仕掛けた貿易戦争だ。もちろん中国もそうした攻撃に対し永年備えてきた。だが、今や世界中の産業が中国に依存し、どの国であれ敵対すれば自分の首を絞めるだけだという楽観論が支配的だった。だが、中国の拡大に対する世界の警戒感は想像以上に高まっていたのだ。

 現在中国では、他国ではスタンダードとなっているGoogleYouTubeが国家によって規制され使えない。これまで中国の国家体制は奇跡の発展の原動力となって来た。だが、さらなる拡大の前には体制の違いという壁が立ちはだかる。それに対して果たして中国はどう動くのか。中国の発展、そして世界の行方は、今、大きな転機を迎えているのである。

トランプ最強のカード

先日、アメリカの中間選挙が行われ下院で民主党が過半数を取り戻した。この結果に最も神経を尖らせていたのが中国の習近平国家主席だろう。もし共和党が勝利すれば、トランプ大統領の対中強硬政策が過激さを増すのは間違いない。2年後のトランプの再選も有力となり、中国としては向こう6年間、トランプとの戦争を覚悟しなければならなくなるのだ。

9月にトランプが各国に対して高率の輸入関税の適用に踏み切った時、中間選挙を睨んだ人気取り政策に出たと思われていた。本気で経済戦争を仕掛ける気は無く、交渉を有利に進めるために最初に厳しい条件を突きつけて妥協点を探るディールなのだと。ところが、中国は一歩も妥協せず報復関税に打って出ると関税合戦はあっという間にエスカレートし、世界の株式市場は中国発の景気減退を懸念して急落することになったのである。

だが、あれから2ヶ月経った今、このトランプの政策はアメリカ国内である程度受け入れられているように見える。もっとも、それはトランプが当初から唱えていたような貿易赤字削減によりアメリカの雇用が回復するという理由からではない。むしろそれは建前で、本当の狙いは別のところにあるのだ。

今のアメリカにとって最大の脅威は中国だ。それは単に巨額な貿易赤字だけによるものではない。2000年には8.5倍あった中国とのGDPの差は、2017年には1.6倍にまで縮まっている。通常であれば、国が発展して人件費が上がると急速に競争力を失うはずだが、中国の場合、国家主導の資本主義が効率的に働き、なかなか成長が鈍化しない。AIや半導体と言った要素技術でも互角のレベルに達している。このままいけば抜かれるのは時間の問題だ。事実、中国は2030年代には経済規模でアメリカに追いつき、建国100年となる2049年には軍事を含めあらゆる分野で世界のトップレベルになるべく計画を着々と実行しているのだ。

それに対し強い危機感を抱きながらも、これまでアメリカは何もできなかった。資本主義の盟主を標榜する彼らとしては、あくまでも共通ルールのもとで経済発展を目指す立場であり、相手を潰すために経済戦争を仕掛けることなどしたくてもできなかったのだ。そこに現れたのがトランプである。当初、彼の保護主義的な政策に批判的だった人たちも、中国に対抗するためにはやむを得ないと考え始めているのだ。

トランプは敵を作ってそれに対する潜在的な不満を自分への支持につなげる手法に長けている。大統領選では旧来の政治勢力への不満を味方につけ当選した。その後も次々と新たな敵を作り出すことで岩盤支持層を広げ、今回の選挙ではとうとう共和党を手なずけてしまった。その扇動家としての手腕はもはや侮れず、ヒトラーすら思い起こさせる。

今後、トランプはますます中国への攻勢を強め、その結果を誇示して支持を広げようとするだろう。今回、下院で多数派となった民主党は元々中国に対して厳しい態度を取ってきた。中国の脅威と戦うトランプはその民主党をも呑み込んでいくかもしれない。

中国はアメリカの最大の敵であるがゆえにトランプにとっては最強のカードなのである。

中国で見る格差の実際

「中国人が豊かになった」と言うと、日本ではまだ、それは一部の富裕層だけの話だろうと考える人が多い。だが、今や世界中に中国人旅行者が溢れている。豊かさの波は確実に裾野に広がりつつあるのだ。

この8月の中国出張では、福建省の廈門(アモイ)と泉州、浙江省の温州と杭州を経て上海に至った。高速鉄道で移動していくと、途中、次々と姿を表す夥しい数の高層マンション群に驚かされる。この数年、地方の様子はすっかり様変わりしているのだ。

マンションの価格はその町の経済レベルのバロメーターだ。中国有数の靴の生産地である泉州のマンション価格は1㎡あたり6000元程度。中国のマンションの面積は共用スペース込みで表され、泉州のような地方では200㎡が普通だ。つまり120万元(約2000万円)ということになるが、中国では内装は別途なのでトータルでは3000万円程度になるはずだ。日本と比べても安くはない。

この泉州の人々の暮らしは中国全体から見て一体どの程度のレベルなのだろうか。工場の担当者に聞いて見ると、平均より少し上くらいではないかという答えが返ってきた。

次に向かった温州は商才に長けた金持ちが多いと言われる町だ。そのマンション価格は1㎡2万5000元から3万5000元。内装費込みで1億円~1億3000万円程度だ。もっとも、温州の金持ちはほとんどが上海などの大都市に住んでいるという。

その上海のマンション価格は1㎡10万元を越え、150㎡でも3億円程度になる。ざっと泉州の10倍だ。確かに上海での暮らしぶりは垢抜けており泉州とは比較にならない。だが、マンション価格からわかるように泉州が貧しいわけではなく、上海の方が異常なのだ。

中国ではこうした都市と地方の差だけでなく、都市は都市、田舎は田舎に住む人の間で大きなレベルの差がある。上海で高価なマンションに住めるのはあくまでも上海市民に限られ、地方の農村からの出稼ぎ労働者にはとても無理だ。だが、そうした人たちが苦しい生活をしているかと思えば、彼らも高度に発達した中国のスマホライフを謳歌しているのだ。

15年ほど前、上海の街中では10円も出せば美味しい中華まんじゅうが食べられたが、今でもほとんど値上がりしていない。一方、かつては1人2000円も出せば豪華な食事ができたが、今ではちょっと洒落た店に入ればすぐに1万円くらいは取られてしまう。

つまり高価なものはどんどんグレードアップして欧米を追い越すほどになったが、今でも安いものが残っているのだ。収入に大きな差がある一方、物価にも大きな幅があるため、ブランド品や外国製品にこだわらなければ相当安価な生活が可能なのである。

こうした傾向は地方都市でも同じだ。泉州でも金持ちは高級車を乗り回していが、収入が低い人々の暮らしもそれほど悪くない。平等と言われる日本では、何かのきっかけで誰もが厳しい貧困に転落しかねない過酷な格差社会になりつつある。一方、中国では様々なレベルの人が共存できる社会構造があり、さらにその底辺は急速に底上げされつつあるのだ。

工業化と国家の盛衰

 かつてトルコを旅行していた時、あれほどの隆盛を誇ったオスマン帝国はなぜ衰退してしまったのだろうかという疑問が頭を離れなかった。

 オスマン帝国の強みは騎馬民族ならではの機動力だった。情報伝達と流通のスピードがアラブからヨーロッパに至る広大な領土の支配を可能にしたのだ。彼らにとって1000年間の永きにわたり停滞する当時の中世ヨーロッパは如何にも時代遅れと映っただろう。

 オスマン帝国によるコンスタンチノープル征服は、眠っていたヨーロッパを刺激し、その後のルネサンスや大航海時代、ひいては産業革命へとつながる発展の引き金となる。そして、皮肉にも産業革命がヨーロッパにもたらした工業化の波は、オスマン帝国の強みであった騎馬による機動力を次第に無力化し時代遅れにして行くのである。オスマン帝国の衰退にはさまざまな要因があろうが、工業化の立ち遅れが主因であることは間違いない。

 その後、今日に至る2世紀余りの欧米主導の世界はこの工業力によって支えられてきた。工業力の発達は経済、軍事双方を発展させ、工業力の差は国力の差を急拡大させた。その結果、いち早く工業化を達成した欧州列強の帝国主義により世界は分割されていくのである。

 工業化はまず18世紀の動力革命から始まった。それまでの人類にとって動力といえば人力と牛馬の力が主だったが、蒸気機関の発明で桁違いの馬力が得られるようになった。

 20世紀になると電気の時代が来る。電線を引っ張って来るだけでどこでもエネルギーが得られるようになり、工業化の利便性を飛躍的に高め、生活のすみずみまで工業化の恩恵を直接受けることができるようになる。

 オスマン帝国も自国においてそうした工業化を必死に推し進めようとした。だが、国内のさまざまな要因が速やかな工業化を妨げた。スルタンを頂点とするイスラム帝国の社会構造は工業化に馴染まず、また工業化により自らの利権を失う勢力の抵抗も大きかった。

 一方、いち早く工業化が進んだイギリスでは、技術革新を起こし工業化を進めていく人材に恵まれ、またそうした人たちが活躍できる社会構造があった。その後、ヨーロッパ各国が追随するが、20世紀になるとアメリカが台頭し世界最大の工業国に躍り出る。

 20世紀後半になると工業化は新たな段階に入る。エレクトロニクスの時代の到来だ。ラジオやテレビにトランジスターが応用され、コンピューターが急速な進歩を遂げる。さらにIT技術が発達し、20世紀末にはインターネットが登場する。そして今日、AIとI o Tがキーワードとなり、工業化はさらに新たな段階を迎えようとしている。

 現在でもアメリカはさまざまなイノベーションを起こし工業化の最先端を走っている。それを独自の戦略で急速に追い上げているのが中国だ。工業化の進歩には、その国の社会構造や教育レベル、市場の有無、さらにはそれらを主導する国の指導力が関わって来る。一方、IT化などでもたらされた社会環境がその国の欠点を補い、それが工業化を急加速する場合もある。現在の中国ではそうした条件が非常に効率的に機能しているように見える。

上海の友人

 この8月に上海に行った際、上海人の友人と2人で夕食を取った。上海に行けば彼には必ず会うのだが、いつも大勢で会うので、たまには2人でじっくり話したかったのだ。

 その友人とは英語で話せるので自然に親しくなったのだが、2人は年齢もほぼ同じで同じ歳の娘もいる。さらに2人ともカメラや時計に目がなく、僕が新たな時計を見せれば、彼は矯めつ眇めつ眺めた末、次に会う時には、その後手に入れた自分の自慢の時計をおもむろに披露するといった具合なのだ。その彼がもうすぐ定年を迎えるらしい。中国人の彼に取ってこれまでの人生はどんなものだったのか、この節目に是非聞いておきたかったのだ。

 われわれは衡山路(上海ではハンサンルーと発音)に面した衡山坊というレストラン街で待ち合わせた。衡山路は旧フランス租界の中心部で、かつての異国情緒溢れた上海の面影を残す静かで落ち着いた通りだ。上海では、以前の洋館や倉庫などを移設して改装し、おしゃれな街に仕立て上げたエリアが随所にある。衡山坊もそうした一角のひとつだ。

 日中の再雇用制度や年金の違い、彼の娘の転職の話などで盛り上がり、クラフトビールの酔いも大分回って来たころ、彼は急に僕の顔を覗き込み意味ありげに尋ねた、「今、中国人が最も望んでいることは何だかわかるか」と。突然の問いかけに意図を図りかねていると、「それは、今のままの状態がずっと続くことだ」と答えた。予想外の答えに一瞬戸惑ったが、すぐに飲み込めた。中国はこの30年で急速に発展した。かつて貧しかった頃には、こんな豊かな時代が来ようとは想像すらできなかったのだ。

 中国では清朝末期以降、最近まで国民が安定して豊かさを謳歌できた期間はほとんどない。時代の荒波が次々と襲いかかり、その都度、国民は右往左往し生命すら危ぶまれてきた。その間、彼らは後進国のレッテルを貼られ、貧しい生活レベルに甘んじてきたのだ。何とかそこから這い上がりたい。それは全ての中国人の永年の悲願だったのである。

 今やその願いは叶った。だが、これまでさまざまな辛酸を舐めてきた人々は決して楽観していない。「中国の発展は決して中国人の力だけで成し遂げられたものではない」と彼は言う。海外の投資がなければとても無理だったのである。まだ、自力で発展を支えていく力はないのではないか。いつ何時、この勢いに陰りが出ないとも限らない。

 「確かに今の政府に対しては不満はある」と彼は続ける。中国の政治体制に対する海外からの批判はよく承知している。中国では国が決めたことには有無を言わさず従わされる。他の先進国のように自由に政府批判をすることも許されない。だが、今の政府が海外の投資を呼び込み、これだけの繁栄を国民にもたらしてくれたことも事実なのだ。不満はあるが、政府にはとにかく今の豊かさを維持してほしい。それが彼らの本音なのだ。

 とはいえ、中国の勢いは当面衰える気配はない。今や世界中からあらゆる分野の最先端が集まり、むしろこれからが本当の中国の時代なのではないのか。だが、とどまることを知らない発展の陰に潜む危うさを国民は敏感に感じ取っているのかもしれない。

現実逃避

 かつて学生だった頃は、今に比べて日本人も謙虚で、「欧米人に比べると日本人は堂々と意見を述べることができず、相手を説得することが苦手だ」というような言葉をしばしば耳にした。ところが最近では逆に日本人の良いところを誇示するような報道が目立つようになった。そうした日本礼賛において必ず引き合いに出されるのが中国である。

 この15年ほど仕事で中国に関わってきたが、だからと言ってことさら中国の肩を持つつもりはない。当局の一方的な主張には、時にはムッとくることもある。しかし、それにしても日本のマスコミのあまりにも偏った無責任な報道には違和感を覚えるだけでなく腹が立つ。なぜなら、そうした報道によって損をするのは結局我々日本人だからだ。

 20年ほど前には中国に脅威を感じる日本人などほとんどいなかった。当時、日本の経済力は中国の5倍もあり、それを背景に政府も自信を持って中国に対応して。しかし、その後の中国の急拡大と日本経済の長期にわたる停滞により、今では中国のGDPは日本の3倍ほどになった。立場がすっかり逆転してしまったのである。

 政府としてはこうした自国の体たらくを国民にさらけ出したくはない。国民としても、かつて上から目線で見ていた中国に対して現実を受け入れるのには抵抗がある。そんな空気を読んでマスコミは反中意識を煽り、国民の自尊心をくすぐるような報道に力を入れるようになったのではないか。だが、自ら反省することなく他人のアラばかり探すのは現実逃避に他ならない。そのツケは必ず自分たちに返ってくることになる。

 中国は国土も広く政治体制も日本とは異なる。そこには日本人が想像できないような多様な価値観が存在する。それを「尖閣」「爆買い」「シャドーバンク」などのわずかな、しかも負の側面からばかり見たキーワードで理解することは到底不可能だ。

 日本のテレビなどで中国の不動産バブルや理財商品で大損をした人たちが紹介されると、中国人は強欲で愚かな人々であるかのような印象を受けるだろう。確かに中国人はお金に対して日本人より関心が高い。常にお金を増やすことを考えている。しかし、だからと言って彼らはいわゆる金の亡者ではない。お金に対する執着心はむしろ日本人のほうが高いのではないか。ある意味、彼らはお金を冷めた目で見ている。だが、マスコミは決してそうした価値観の違いを伝えようとはしない。

 一方で、中国の若者の多くは漫画やアニメを通して日本の文化を吸収し、日本人の微妙な心の機微にも通じている。日本文化に憧れ日本のことが大好きな人も少なくない。「だから日本は優れているのだ」と自己満足に浸る日本人も多いが、相手を知るという点では日本は中国に完全に遅れをとっていることを認識すべきだろう。

 日本に好感を持ち日本語も解する中国人が、日本のマスコミの報道を見てはたしてどう思うだろうか。相手の良いところを語れなければ、相手を批判する権利はない。もう少し大人になって現実を見据えてみてはどうだろうか。