IT社会とストレス 

 今回のコロナ禍が社会にもたらした大きな変化の一つが在宅勤務の普及だ。本来ならばITが進歩した現代社会においては、技術的には出勤の必要はすでになくなっていたはずである。すでに40年前にはアルビン・トフラーが、パソコンの普及により「第三の波」が押し寄せ、在宅での仕事が当たり前になると予言していたのだ。だが、最近まで通勤がなくなることはなかった。

 今回、企業の多くはコロナを機に止むを得ない形で在宅勤務を始めたが、やってみれば心配したほど効率は低下せず、それどころかオフィス賃料や通勤交通費などの経費を大幅に削減するチャンスであることに気がついたのだ。

 働く側にとっても通勤がなくなればありがたい。ただ、かつてのトフラーの予言では、在宅勤務になれば人々が余暇などに使う時間が増え生活の質が格段に上がるということだったが、実際にもたらされたものは少々異なっているようだ。

 昨年の4月、知り合いの娘さんがある有名企業に入社したのだが、コロナの影響で入社早々在宅勤務となった。当初彼女は、せっかく憧れの会社に入社したのに、どうなってしまうのだろうかと心配していた。ところが、在宅勤務が1年程続いた頃、彼女は、このままずっと在宅でもいいと言い出した。今さら出社して複雑な人間関係に煩わされるのが不安だと言うのだ。多くのサラリーマンが在宅勤務を望むのは、通勤の煩わしさだけでなく人間関係に対するストレスから解放されたいからなのだ。

 ただ、現代社会では悪者扱いされるストレスだが、実は人が現実に適応するために不可欠なものだ。もちろん程度問題で健康に害を及ぼす程になれば別だが、人は人間関係に限らずさまざまなストレスを感じつつ、それを乗り越えていくことで環境に適応し成長していく。ストレスがなければ満足感も達成感も得られないのだ。

 特に人間関係におけるストレスとその克服という過程は重要で、それ自体が人生だと言っても過言ではない。考えてみれば、会社や学校、サークルなどの様々な組織は、人間関係の中で責任やプレッシャーなどのストレスを感じつつ自己を形成していくために人間が考え出した場、仕組みなのではないだろうか。

 その人間関係がネットの普及で劇的に変わった。従来は人目というストレスにより抑制されていた中傷やヘイトスピーチが、匿名性という隠蓑を得て噴出している。

 「言論の自由」はあくまでも従来の人間関係が前提となっている。ITがもたらすさまざまな社会問題を考える際には、人と人が直に会うことにより生じていたストレスが持っていたプラスの効果についても十分考慮する必要がある。

物理 de ネット

10年ほど前から友人のKと物理の議論を続けている。つくばに住む彼は、東京の大学に非常勤講師として物理を教えに来ていた。その帰りに月に1度程度、どこかで会って物理の議論をするのが習慣になっていた。もっとも半分は飲み会である。

まず、喫茶店でコーヒーを飲みながら1時間ほど真面目に物理の話をする。その後、クラフトビールや日本酒のうまい店に移り、食事をしながら物理の話を続ける。次第に酔いが回り、自然と話は物理以外にも広がっていく。仕上げにバーでウイスキーを飲むころにはかなり酔っているが、突然、質問し忘れていたことを思い出したりして、そこでまた難しい物理の話に戻ったりする。

そんな楽しくも充実した会も新型コロナウイルスの関係で開けなくなった。Kも東京に出てくることはめったにない。

一方、家にいる機会が増えたため、腰を据えて物理の本を読でんみようと思い立った。運よく面白い本が見つかったが、読み進むにしたがってKに聞きたいことがどんどん出てくる。何とかしなければというわけで、巷で流行っているネット飲みを試してみることにした。「物理 de ネット」だ。

ネットにおいても最初はしらふだが、途中から飲み会に移行する前提であらかじめ酒やつまみは用意しておく。最初の1時間くらいは、事前に用意しておいた質問事項について議論するのだが、それが一段落する頃にはお互いに無性に喉の渇きを感じ始める。どちらともなくビールの缶を開けると第2ステージの始まりだ。

Kは議論の途中で、「ちょっと待って」というとパッと姿を消し、戻ってくると手にした本を広げ、「ここに杉山が言っていることが書いてある」などと言いながら説明を始めることがよくある。Kの豊富な蔵書が手元にあるのはネット飲みの大きなメリットなのだ。

また、Kがゼミで使う黒板代わりにタッチパッドを用意してくれ、画面上で数式や図を描きながら議論できるようになった。飲み屋でナプキンを広げ万年筆で数式を書き下していたのも味があったが、はるかに便利でわかりやすい。

神田あたりでやるのもいいが、Kとしても酔った足でつくばまで戻るのはちょっとつらい。ネットなら終電の心配もなく飲みすぎて失敗することもない。少々高級な酒やつまみを用意しても費用は格安だ。物理を肴に飲むにはもってこいの仕組みだ。

行きつけのバーのマスターの顔も懐かしいが、何分止むを得ない。しばらくは「物理deネット」の充実を図るべく工夫を凝らしていくことになりそうだ