おじさんのラーメン

まだ、僕が名古屋で中学生だった頃、夜も11時を過ぎたあたりに、家の近くでチャルメラを鳴らす屋台のラーメン屋さんがあった。当時からラーメン好きだった僕は、それを聞くたびに悶々としていたが、ある日、遂に我慢できず、弟と2人で寝静まった町に繰り出すと、闇の中に明るいガス灯に照らされ、白い湯気を立ち昇らせる屋台があった。

澄んだ醤油味のスープの中に、沸騰する大鍋で茹で上げた麺をさっと滑り込ませ、半割りの卵とチャーシュー、鳴門とメンマ、そして海苔を手早くのせ、湯気越しに、「どうぞ」と木製のカウンターに差し出すおじさんの仕草は、何の気取りもなく淡々としていた。しかし、その麺を一口すすって唖然とした。それは、最近のラーメンに良くある、「しばらくするとまた食べたくなる」というような曖昧な味ではない。はっきりとした主張がしっかり詰まっていた。複雑で深く、かつ完成された味だった。いったいどうすればこんな味が出せるのか。屋台の周りに漂う、腰が抜けるような濃厚で複雑なスープの匂いに、その秘密の一端が隠されていることは間違いなかった。

「こんな仕事してますがね、私、法政出なんですよ。」無口なおじさんが、他の客相手にふと口を開いたことがある。「大学出た後、親が出してくれた元手で事業を始めたけど失敗してね。それでも、サラリーマンにはなりたくなくて、小さくても一国一城の主にこだわって屋台を始めたんですよ。」おじさんを尊敬するわれわれには、おじさんのラーメンにかける自負がひしひしと伝わってきたものだった。

ある夜、すでに灯を消して足早に家路を急いでいたおじさんの屋台に、弟と2人で息を切らして追いつき、スープだけ飲ませてくれと頼んだことがある。おじさんは屋台を止め、再び店を広げると、丼にスープを注ぎ、いつもよりたっぷりネギを浮かせてくれた。そして、それを一滴も残さずに飲むわれわれを静かに見守っていた。値段を尋ねると、「また今度食べてくれればいいから」と言い残し、再び闇の町に消えて行った。

それから、12-3年ほど時が流れた。当時、すでに東京に住んでいた僕が帰省した折、かつての自宅の近くで、弟と2人でおじさんの屋台を待ち伏せたことがある。運良くその日、おじさんはかつてのように屋台を曳いて現れた。事情を告げると、「君達があのときの兄弟なのか!」と実に感慨深げに目を輝かせた。まさに夢のような再会だった。

その後、20年余り、うまいといわれるラーメン屋があると、まめに行ってみた。しかし、かつてのあの味に比較できるラーメンに出会ったことは一度もない。おじさんはまだ健在だろうか。そして、今でもわれわれ兄弟のことを覚えていてくれるだろうか。