死と意識

 人が死んだらその意識はどうなるのであろうか。これは、昔から人々を悩ませてきた問題である。人であれ動物であれ、それまでいくら元気でも、死ねば動かなくなり、ただの物体になってしまう。そして死ぬと同時に意識も消えてしまうように見える。

 死ぬと意識は霊魂となって肉体から抜け出すのかもしれない。そんなことは科学的にありえないという人がいるだろうが、科学は客観的に計測できるものだけを扱い、計測できないものは相手にしない。この世界が計測できるものだけでできているかどうかまでは、科学では証明できない。もっとも、だからと言って、霊魂があることにはならないのだが。

他人のことはあくまでも想像になるので、自分が死ぬと意識はどうなるか考えてみよう。自分の意識が肉体に強く関わっていることは確かだ。体調が悪ければ気分も優れないし、腹が減れば血糖値が下がって元気が出ない。もし自分の肉体が死ぬようなことがあれば、タダでは済みそうにない。

では、意識と肉体は一心同体かというとそうでもない。肉体の日常的な活動はほとんど意識を必要としない。食べ物を消化吸収するのも、病原菌をやっつけるのも肉体が勝手にやってくれる。逆に、ガンになりたくない、年をとりたくないといくら意識が望んでも、肉体はいうことを聞いてくれない。肉体は意識の助けがなくとも十分自分だけでやっていけそうである。意識は肉体に間借りする居候のようなものだ。

ところで、意識という言葉を適当に使っているが、意識とは一体何かと聞かれたら、答えるのは容易ではない。意識に注意すれば、意識があると自覚できるが、何かに夢中になっている時は、意識などというものは忘れている。眠っている時の意識は起きているときとは異なる。そうした意識のさまざまな状態を理解しようとすれば、それはすでに過去のものとなったことを客観的に捉えようとしているに過ぎない。しかし、そもそも主体としての意識を客観的に捉えることなどできないのである。

「我思うゆえに我あり」とデカルトは言ったそうだが、その「我あり」と言っているところの「我」は意識の主体であって、肉体のことではない。しかも、彼がそういう言い方をしてまで「我」の存在を確かめようとしたのは、主体である「我」を客観的に認識することができないとデカルトはわかっていたからである。

話が難しくなったが、死ぬと意識がどうなるかを想像するのが難しいのは、意識自体につかみどころがないからである。デカルト流に考えれば、そもそも「意識」というものは想像してはならないのだ。しかも、「我思う」ことは、常に肉体が関係している。意識の問題は、デカルトが考えていた以上に難しそうである。

確かに言えそうなことは、死ぬと意識はどうなるか、などと頭を悩ませているうちは、けっして謎は解けないということだ。しかし、だからこそ死は深く示唆に富んでいるのかもしれない。

神経症的社会

かつて本と言えば文学作品を思い浮かべたものだが、最近、書店で目立つのはノウハウ本ばかりである。英会話や部下との付き合い方、頭の良い子どもの育て方から定年後の田舎暮らしまで、とにかく役に立つ本が目白押しである。

ノウハウ本を手に取る人は、一見、向上心の強い人たちに見える。だが、そうした本には、「簡単に身につく~」とか「15分で~」というようなフレーズがつきものである。読者は何とか楽をしてノウハウが身につかないかと期待しているのだ。競争社会にあってノウハウを身につけることで少しでも有利な立場に立ちたいという強迫観念と、しかし苦労はしたくないという気持ちの妥協点にノウハウ本は存在するのである。

一方で先日出版された村上春樹の新刊には書店で長い列ができた。村上氏の世界はノウハウとはまさに対極にある。主人公は、困難に直面してもそれに立ち向かうノウハウなど持たない。ただただ困難と向き合い、結末に至っても答はでない。ノウハウに従って生きることのつまらなさを村上氏はよく知っているのである。巷に溢れる過剰なノウハウにうんざりとした読者が、村上氏の世界に求めるのは、自分の心の鼓動を感じるための静寂だろうか。

ところで、かつてスポーツの世界では今よりはるかに根性が重んじられていた。しかし、さまざまな科学的トレーニングが導入されるにつれて、根性と言う言葉はすっかりすたれてしまい、むしろ非科学的で無茶な練習を連想させるというネガティヴな印象すら持たれるようになった。苦労して根性を鍛えるより、すぐれたトレーニング方法を身につけるほうが上達が速いとなれば、どうしてもそちらに逃げようとする。しかし、スポーツの目的は上達することだけではない。スポーツを通して人間的に成長することが何よりも大切なのだ。もしそれがなければ、たとえオリンピックで金メダルを取ったところで何の価値があろうか。だが、実際にはドーピングしてまでも勝とうとする選手がいる。いつから勝つことが自己の成長より優先してしまったのだろう。根性の軽視と無関係とは思えないのだ。

科学技術の進歩で、人々は次第に精神的にも肉体的にも苦労することなく生活できるようになった。特に最近では、それまでさして不便だと感じていなかったところにも無理やり不便さを見出し、新たな便利さを押し付けてくる。かつては、苦しんだ分だけ強くなるといわれたスポーツの世界でさえ、困難に立ち向かう姿勢は変わろうとしているのだ。だが、必要以上の便利さは、かえって人間の成長を蝕むのではないだろうか。人類はどこかで、越えてはならない一線を越えてしまったのである。

人間的な成長がなければ感動や喜びも小さく、わずかな困難にも大きなストレスを感じるようになる。今や社会全体がそうした神経症に苛まれ、さまざまな社会問題が噴出しているのだ。だが、対策は常に小手先の症療法ばかりである。しかし、本当に必要なのは、利便性への誘惑を絶ち、自らの生命力を鍛え直すことではないだろうか。

日本の持ち味

 サッカーワールドカップにおける日本チームの活躍が久しぶりに日本中を沸かせた。世界との差がまだまだ大きい中であれほどの活躍ができたのは、日本の持ち味を最大限に発揮できたからに他ならない。弱みを最小限に抑え、強みを最大限に生かせば、世界を驚かすパフォーマンスも夢ではないことを証明したのだ。実戦でみごとに結果を出した岡田ジャパンは、サッカーに限らず日本が世界とどう戦っていくべきか、その術を示してくれたような気がする。

最近の日本は、かつて世界を席巻した工業力に陰りが見え始め、焦りと自信喪失に浮き足立っているように見える。もともと日本の工業製品には日本人の気質が強く反映されてきた。その競争力の源は、絶え間なき改善とユーザーの立場に立った徹底的な気配りであり、それが自動車をはじめ日本の工業製品を世界一のレベルにまで高めたのである。工業製品はまさに日本の持ち味の結晶だったのだ。

しかし、バブル崩壊後、多くの日本企業はコストダウンのために生産拠点を海外に移し、部品も世界中から調達するようになった。その結果、愚直な品質改善に取って代わり、いかに効率的にコストダウンするかが課題となった。グローバル化の名の下に行われたそうした方向転換は、日本人本来の持ち味を発揮する場を次第に奪って行った。コストダウンばかりを追及するうちに、魅力あるサービスや製品を生み出す力は衰え、製造業は底なしのデフレスパイラルに落ち込んでしまったのである。

日本の環境技術は世界をリードしているとか、マンガは日本発のグローバルスタンダードだという声を、最近、よく耳にする。何とか自信を取り戻そうと、自分を鼓舞しているのだろう。確かに、早くから環境に対する厳しい規制を自らに課してきたことにより日本の環境技術は進歩してきた。マンガには日本人独特の感性が凝縮しており、世界中に大きな影響を与えている。工業だけでなく、さまざまなところに日本の持ち味は発揮されているのである。しかし、工業はだめでも環境やマンガがある、と言うわけには行かない。環境分野には永年のアドバンテージがあるものの、そんなものはすぐに追いつかれてしまう。工業がダメなら、結局、環境もダメだろう。マンガはそもそも産業として工業の代わりになるようなものではない。環境技術もマンガも、日本人の持ち味を改めて見直すには良い例だかもしれないが、過去の遺産に頼っていても未来は開けない。

サッカーに限らず、持ち味を発揮することは簡単ではない。結局のところ、常に自分の持ち味を意識し、それをどのように生かすか悩み続ける以外に方法はない。そして、一人一人が自分の持ち味を出し切った時、勝利とともに何ものにも換えがたい充実感を手にすることができるのではないだろうか。

グローバル化とは世界の後追いをすることではない。日本が自分の持ち味を生かせるようになったとき、初めてグローバル化したと言えるのである。

ゼノンの矢

ゼノンは今から2500年ほど前、ギリシャの植民地であった南イタリアのエレアで活躍した哲学者である。彼はいくつかのパラドックスを考え出し、若きソクラテスをはじめ当時の人々を大いに混乱させた。

いくつかあるゼノンのパラドックスの一つに、「飛ぶ矢は動けない」というものがある。空中を飛ぶ矢は、どの瞬間にも一つの場所に静止している。従って矢は動くことができないというものだ。矢は実際に飛んでいるのだから、何をバカなことを言っているのだと思う人も多いだろう。しかし、このパラドックスは永年に渡って多くの人を悩ませ、現代物理学に対しても時間と空間の本質について問いを投げかける難問なのである。

 物理になじみのある人なら、時間を変数として位置が決まる関数によって矢の運動が記述できることを知っている。時間を連続的に変化させていけば、矢の描く軌道を得ることができる。さらに、ある時刻で矢の位置を時間で微分すれば速度が求められる。ニュートンの考えたこのモデルによって運動の問題は完全に解けたと思われた。

ゼノンの矢はある瞬間に静止していたが、このモデルでは速度を持っている。では矢は動けるようになったのだろうか。瞬間の速度というのは、動いた距離を時間で割り、その時間を無限にゼロに近づける操作で得られたものである。つまりそもそも矢が連続的に動くイメージが前提となっている。このモデルは、あくまでも動く矢を数学的に説明するために考え出されたものであって、矢が動くことを証明するものではないのだ。

飛ぶ矢を物理的に観測する場合、矢が「いつ」「どこに」あるかを測定する必要がある。だが、一瞬の切れ目もなく連続的に測定することは不可能である。測定は常に不連続なのだ。人類は連続的な運動を捉えたことなど一度もないのである。にもかかわらず、一旦、ニュートンが連続的な関数で矢の運動を表すと、いつしか誰もそれを疑わなくなった。客観的な観測に基づいているはずの物理学も、知らぬ間に主観が忍び込んでいるのだ。

ニュートンから200年あまり経ち、原子レベルのミクロの世界では彼のモデルは破綻する。代わりに唱えられた量子力学では、連続的な軌道というものを想像してはならないということになった。原子レベルのミクロな矢は、軌道を描くことが許されないのだ。では矢はどのように動くのだろうか。ある量子状態から別の量子状態に突如ジャンプするのだろうか。一体、どうやって...。ゼノンが聞いたら、とても納得するとは思えない。

かつて哲学者は、自然の中に法則性を見出せば、その本質、その意味についてどこまでも考えようとした。しかし、客観的な事実を重視する科学は、法則の意味については踏み込まないよう注意した。確かにそうした科学の方法論は画期的で、人類の飛躍的な進歩をもたらした。しかしその成功は、次第に人類から本質を追及する力を奪い、気がつけば、現代のような結果オーライの薄っぺらな社会をつくり上げてしまったのではないか。

空中に静止するゼノンの矢を目にしても、今や気に留める人は誰もいない。

生き方さがし

 最近テレビで、世界に飛び出して活躍する日本人や何か手に職をつけた人を特集した番組が目につく。仏像の番組も多いし、書店には宗教本のコーナーも目立つ。どうやら、世代によらず、多くの人が生き方を求めてさまよっているようだ。

現代は科学の進歩により経済が飛躍的に発展した時代だ。かつて人々に大きな影響力を持っていた宗教や道徳といったものは力を失い、世界中が経済を中心に動くようになった。確かにこうした経済的な発展はかつての貧困や病気の恐怖から人類を開放し、人々の暮らしを豊かにしたかもしれない。しかし、経済が発展すればするほど、その代償を払わなければならない。競争だ。そして競争を勝ち抜くためには、より経済に力を入れざるを得ない。こうして気がつけば人類は経済に支配されてしまったのである。

ところが日本のような先進国は、中国やインドなどの新興国の台頭により、このところ競争力の低下が著しい。経済成長に陰りが見え始めたとき、それまでの競争に対して疑問が芽生えた。だが、それに代わる確固とした価値観もない。経済が全てではないと口では言ってきたが、まじめには考えていなかった。多くの人が生き方を見失い、さまよい始めたのにはそうした背景がある。

経済的な状況が引き金となっているとはいえ、経済的な弱者だけが生き方に悩んでいるわけではない。かつてのオウム真理教事件では、その異様さ、不気味さが世間を戸惑わせ、犯人たちは厳しく糾弾された。しかし、オウムに入信した人たちは、自らの生き方を求めて行動を起した人たちであり、何もしない人に比べれば生きることに真剣だったとも言えるのである。しかし、彼らは社会から一方的に拒絶され、単なるカルトの脅威として片付けられてしまった。だが、今日の状況を見るにつけ、こうした対応は実は社会の未熟さの表れではなかったか。今、多くの人が生き方を見失うことになった本質的な問題は、経済的な発展に比べて未成熟なこの社会に隠されているように思えるのである。

 もちろん、生き方に対して悩むのは今に始まったことではない。生きる意味についてはあらゆる宗教家も哲学者も昔から悩んできた。それは人間にとって根源的な悩みなのだ。しかし、今、生き方に悩んでいる人々の状況は少し異なっている。かつての宗教や哲学は、少なくとも人々に自らと向き合い生き方を見つめる「場」を与えてくれたが、今の人たちにはそれがないのだ。人々はどうしてよいかわからぬまま、漠然とした不安に苛まれているのである。

考えようによっては、生き方に悩むなどということは人間だけに与えられた特権である。経済成長に陰りが見えるにせよ、食べるものもない貧しい時代も、悩む間もなく働き続けた高度成長時代も終わり、生きる意味について悩むことができる時代がやって来たのである。生き方を見つけるために生きている、そう自覚できれば、また悩み方も見えてくるのではないだろうか。

村上春樹の世界

ベッドに横になり、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を読んでいるとき、「これは作り話なんだ」と言い聞かせつつ、同時に「だが、人はいつかは死ぬ」と呟いている自分に気がついた。村上春樹の世界は、一見、非現実的見えるが、「死」を連想してみるとそのリアルさが浮かび上がってくる。死は誰にでも訪れる現実なのだ。

世の中、わかりやすい話が通りやすい。犯罪者を善悪だけで判断するのもその典型だ。殺人者がいかに悪い人間であるかを暴き立てれば、世間はすぐに受け入れる。しかし、人の心はそう単純ではない。そうした態度は、人間の本質を隠してしまう。しかし、へたに口を開けば誤解されかねない。わかりやすい話を恐れる村上氏にとって、多くの紙面を費やせる小説は、自らを表現するための唯一の手段なのだ。

村上氏の小説の主人公は共通して何か悩みを抱えている。うまく行っていると思っていた妻が突然家を出て行く。誠実に生きてきたつもりなのに、知らぬ間に人を傷つけ、遠ざけてしまう。自分には何かが欠けていると自覚しているが、それが何なのかわからない。しかし、彼は自分を変えるつもりはない。これまで自分に正直に生きてきたのに、それを変える理由がないのだ。

こうした主人公は皆、共通したライフスタイルを持っている。きれいに片付けられた部屋。きちんとアイロンのかかったシャツ。ビールやウイスキーには有り合わせの材料で手早くつまみを用意する。音楽の趣味は非常に広く、常にプールやジムで体の鍛錬を怠らない。しかし、これらは何も作者が自らの趣味を自慢しようとしているわけではない。こうした生活は、来るべき試練にそなえて、主人公が意識を研ぎ澄ませ自己を確認するために必要不可欠なものなのだ。

戦闘準備を整えて彼はじっと待つ。だが、彼には策は何もない。彼にできるのは偶然に身をまかせることだけなのだ。解決策は見えぬまま、さまざまな出来事が彼を翻弄し追い詰める。だが、結末に至っても、結局、明確な答は出てこない。彼の苦労は徒労に終わったのであろうか。そうではない。何かが変わった。彼は確かに何かを乗り越えたのである。

村上氏の作品を読んで行くうちに、日頃から「何とかしなければ」と思っていた無数の悩みから自分が少し開放されていることに気がついた。生きていれば判断に苦しむことが無数に起こる。生きるということは次々と葛藤を抱えていくことなのだ。そうした中ですばやく決断できる人が優秀だと称えられる。しかし、社会はそれを求めても、人間にとってそれが理にかなっているとは限らない。恐らく僕は、判断できないことは判断しなくてよいということに無意識のうちに気がついたのだ。

今や世界中で広く受け入れられている村上文学だが、これまで多くの誤解にさらされて来たに違いない。しかし、誤解を恐れず挑戦し続けたからこそ、今や同じ誤解に悩む多くの現代人が彼の世界に救われているのだ。村上氏の勇気を称えたい。

大邱市交響楽団

 去る34日、東京オペラシティーコンサートホールで開かれた、韓国第三の都市、大邱(デグ)市が誇る大邱市交響楽団のコンサートに出かけた。このところ、クラシック音楽界でも韓国勢の躍進が目覚しいと聞いていたので、どんな演奏を聞かせてくれるか楽しみだった。

 全員招待客のためかドレスアップした人が多く、華やかな雰囲気に包まれるなか、それに応えるようにグリンカの「ルスランとリュドミラ序曲」で幕を開けた。弦の細かい動きが多くアンサンブルの良し悪しが目立つ曲だが、演奏はよどみなく流れ、技術の高さを伺わせる。次のグリーグのピアノ協奏曲でも、表現が的確で無駄がない。ピアニストのハン・ドンイル氏のベテランらしいこなれた演奏とも息がぴったりと合っている。

だが圧巻は何と言っても最後のベートーヴェンの「運命」だった。この曲はあまりにも有名だが演奏は楽ではない。感情の起伏が激しくテンポの変化も大きい。何よりも冒頭のテーマからフィナーレまで高度な集中力が求められ、一瞬たりとも気の緩みは許されない。まさにオーケストラの実力が試される曲である。

しかし、出だしから音楽は確信に満ち、その躍動感に演奏する喜びが溢れている。2楽章で楽団員の気持ちの高まりがうねりとなって伝わって来ると、かつて自分がこの曲に心酔していたころの感動が永い時を隔てて蘇り胸が詰まる想いだった。終楽章は、まさに全員が渾身の力を込めた熱演だった。単なる技術を越えてメンバーの一人一人が細かいニュアンスを共有しており、それが力強い表現となって迫ってくる。しかも決して主観に流されることがない。指揮者のクァク・スン氏の高い手腕も伺われた。

曲が終わると、割れんばかりの拍手の渦となった。日本の聴衆が、演奏を理解し心から感銘を受けた様子は、この韓国のオーケストラのメンバーにも十分伝わっているようだった。僕も顔が紅潮し、あまり味わったことのない感動を覚えていた。オーケストラのメンバー全員がこれほど真剣に演奏するコンサートを聴いたことがこれまでにあっただろうか。もちろん、ずば抜けた才能を持つメンバーをそろえたヨーロッパの超一流オーケストラのインスピレーションに満ちた艶のある演奏も魅力的だが、音楽が本来持つ心の叫びを真正面から受け止め真摯に表現することこそ最大の魅力ではないか。今回の演奏は、クラシック音楽の原点を改めて思い出させてくれるものとなった。

こうした演奏は強い精神力と鍛え抜かれた技術があってこそ可能となる。現在、日本でこれほど実直に音楽に取り組んでいるオーケストラが果たしていくつあるだろうか。音楽の可能性を信じて、ひたすら高みを目指す意志の強さは並大抵のものではない。最近さまざまな分野で韓国勢の躍進が著しいが、恐らくその根底には、そうした彼らの純粋さと精神の強さがあるのではないだろうか。韓国文化の本質に触れたような思いがした。

数学の罠

 物理学者はこの宇宙の森羅万象は物理法則で決定されていると信じているが、物理学は数学抜きでは語れない。言わばなくてはならない商売道具なのだ。一方、数学者は物理学に用いられると考えて数学を作ったわけではない。彼らにとっては、幾何にしろ代数にしろ、矛盾のない論理体系を築き上げることが目的なのである。ピタゴラスやユーグリッドなどが活躍したギリシャ時代には、数学はすでに高度なレベルに達していたが、彼らにとっての関心事は数の世界に隠された真理の探究であって、数学を何かに役立てようという考えは全くなかった。物理学が誕生して数学が本格的に物理に応用され、科学の時代が花開くには、それから2000年以上待たねばならないのである。

微分積分学をニュートンが考えたのは、運動する物体のある「瞬間」の速度を決めるためだった。移動した距離を時間で割ると平均の速度が出るが、ある瞬間の速度を求めるためには、時間を無限に短くしなければならない。しかし、その極限では時間も移動距離もゼロになり、ゼロでゼロを割ることになってしまう。これは数学ではご法度である。かつて、ギリシャの数学者はこの点に危うさを感じ、結局、運動の問題には手を出さなかったのである。しかし、ニュートンはゼロの代わりに、無限に小さいがゼロではない数、「無限小」で割ることにした。詭弁のような話だが、「えい、やー」とやってしまったのだ。彼は自身も偉大な数学者だったが、道具としての有用性を重視し、数学的な厳密さには目をつぶったのである。彼は数学者である以上に物理学者だった。

こうして、数学は本格的に物理学に用いられるようになり、その後の200年余りはニュートン力学の発展に力が注がれた。しかし、20世紀初頭にアインシュタインの相対性理論が登場すると、物理学は従来の数学の枠組みをはみ出し、直感的にわかりやすかったそれまでのニュートン的な宇宙は、奇妙なアインシュタインの時空へと変貌する。

さらに1925年に量子力学が発見されると、それまで目で追うことのできた物体の運動は、波動関数という直接には観測できない量に置き換えられた。この観測できない物理量は、物理学における数学的自由度を大きく拡げることになる。物理学は日常的な直感を離れ、数学によってのみ描かれる抽象的な世界に足を踏み入れていくのである。

すると物理学に必要な数学は、数学の世界にすでに用意されていたことがわかってきたのである。これは驚くべきことだった。宇宙を見る前から、人類はすでにその構造を頭の中だけで見出していたことになる。いつしか物理学者の仕事は、自らの理論を拡張のための答を過去の数学のなかに求めることになった。そして気がつけば、最先端の物理学は日常感覚とはかけ離れた抽象的な世界になってしまったのである。

 確かに数学的な美しさは人を魅了する。しかし、高度な数学を身につけたごく一部の物理学者にしか理解できないものが、自然を理解する方法として妥当だろうか。物理学はどこかで袋小路に迷い込んでしまったのではないだろうか。

中国に学ぶべきこと

 年明け早々、日本の景気の悪さを尻目に、中国からはやたらと景気のいい話ばかりが聞こえてくる。昨年の自動車販売台数はアメリカを大幅に上回り、今年はGDPで日本を追い抜きそうだ。上海では街は大賑わいで、レストランの予約を取るのも困難な様子だ。

こうした中国に対して日本の書店で目立つのが中国脅威論とバブル崩壊論だ。確かにいずれも根拠のない話ではないが、その多くが落ち目の日本のひがみと焦りから来た偏った見方で、今の中国の実像は見えてこない。

中国の最大の特長は、この先どういう国を造っていくかという確固としたビジョンがあることである。現在の中国の繁栄は、そのグランドビジョンに基づいて着実に計画を実行してきた結果なのである。しかも、その実績は国民から支持されている。一昨年の北京オリンピックの成功や今回の世界的な経済危機を真っ先に乗り切ったことにより、国民はさらに自信を深めただろう。現在の好況は、国家の将来に対する自信と期待の表れなのである。

 昨年の天安門事件20周年において目だった混乱が起きなかったことも、そうした中国国民の意識を反映している。確かに中国政府のコメントにはかつての事件に対する反省は一切見られなかったが、だからと言って天安門事件を肯定しているわけではない。時代が変わっているのである。この20年間の改革開放路線で中国は飛躍的に豊かになり、同時に国の考え方も大きく変わったのだ。むしろ、アメリカと一緒にイラクに戦争を仕掛けた国々から「民主化」についてとやかく言われる筋合いなどないというのが、多くの国民の思いだろう。

中国はどのような国家を目指しているのだろうか。昨年暮れにコペンハーゲンで開かれたCOP25における中国の身勝手な主張に頭に来た人も多いだろう。しかし、彼らの言動は始めから批判覚悟の外交戦略だ。もちろんそこには、不況脱出のためには中国経済に頼らざるを得ない先進各国の足元を見透かしたしたたかな計算がある。だが、中国が環境を軽視しているわけではない。環境問題の解決なくして彼らの理想国家建設の計画は完結しないだろう。しかし、国内にさまざまな問題を抱える中国にとって、当面、成長を最優先せざるを得ない事情がある。だが、その成長の先には、世界一の環境先進国になる青写真もしっかりと描かれているに違いない。中国とはそういう国なのだ。

何も経済を優先しろとか中国をまねろと言っているのではない。中国にも弱みはあるし、誤算もあるだろう。しかし、国を挙げて理想を着実に実現していく姿勢からは学ぶべき点が多くある。未来に対して道が示されていれば、相当の困難でも耐えられるものだ。日本に一番欠けているのは、将来に向けた明確なビジョンなのだ。偏見にとらわれている場合ではない。この隣国に学びすぐれた点を吸収することにより、われわれが歩むべき道を見出すときが来ているのである。

父のテープ

 先日、荷物を整理していたら、父の声が録音されたカセットテープが出て来た。僕が高校3年の秋、当時46歳だった父が担任の先生との進路面談に臨んだときのものだ。

 録音された直後、冒頭の数分間だけ聞いてやめたのを覚えている。通して聞いたのは今回が初めてだ。しかし、すでに34年の歳月が流れているにもかかわらず、改めて極度の絶望感に捉えられ、1週間ほど抜け出すことができなかった。

 当時の僕は父に対して全く拒絶状態で、まともな会話は成り立たなかった。そんな父が担任の先生と勝手な話をし、それを元に説教されるのは想像するだけでも耐えられなかった。当時の成績では良い話が出るはずもなかった。この録音は、そうした状況で僕から父に頼んだものだった。

 話題の中心は成績と進路のことである。冒頭から、出来の悪い息子の成績について、担任からいかに深刻な状況であるかと切り出され、ひたすら恐縮する父の姿に、こちらも思わず赤面し額に汗がにじんでくる。父には、多少成績が悪くとも受験校でもあるし、何とかなるのではないかという期待があったのだとおもう。しかし、そんな楽観はたちまち吹き飛ばされてしまったのだ。しかも、勉強をやらないというならまだしも、「本人はまじめにやっているようなのに、なぜこんな成績なんですかね」と、先生も半ばあきらめを諭すような口調なのだ。

 この面談を待つまでもなく、僕には自分が置かれている状況が良くわかっていたし、その原因、つまり自分の成績がなぜ上がらないのかもある程度はわかっていたのである。しかし、それを解決する手段となると自信がなかった。当時、僕が望んでいたのは、そうした自分の状況を冷静に判断し、的確な助言を与えてくれることだった。しかし、面談は出口がないまま、僕からすれば全く的外れな議論に終始した。何とか体勢を立て直すヒントを期待していた僕の期待は完全に裏切られたのである。当時、このテープを最後まで聞くことなど到底不可能だったのだ。

 その後、僕は浪人し、自分のやり方でゼロから勉強しなおした。もちろん思い通りに行ったわけではない。しかし、自分だけの力でやるだけやったことが何よりも大切だった。それは確かにその後の人生で大きな自信となったのだ。

それにしても、今回改めてテープを聴いて感じたあの絶望感は何なのだろうか。大学以降も確かに僕の人生は平穏ではなかった。しかし、自分で撒いた種は自分で刈り取ってきたつもりだった。にもかかわらず僕の心には未だに強烈なコンプレックスが染み付いているのである。恐らく僕の生き方には何かまだ肝心なものが欠けているのだ。

 この録音の後、父は5年を待たずにこの世を去り、僕が父に対して心を開く機会はとうとうなかった。しかし、今や同じく高校生の親となった僕には、このテープから息子への愛情とそれゆえに翻弄される父親の気持ちを汲み取ることができる。父に対するコンプレックスからは少しずつ開放されつつあるようだ。