ビートルズ

 いつ終わるともないバンガロー・ビルのけだるいエンディング。口笛が聞こえ拍手がパラパラと起こる。突然、ジョンが大声で何か叫ぶと、間髪を入れず、ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープスの断固としたギターのイントロが始まった。僕は不意をつかれ全身を雷に打たれたような衝撃が貫く。ビートルズのホワイトアルバムの一節だ。

この9月にビートルズのCDが音質を格段に向上させて再発売されると、凝ったジャケットや解説に所有欲をそそられ、16枚組みのBOXセットを買ってしまった。すでに伝説的な存在となったビートルズだが、久しぶりに真剣に耳を傾けると、どこを切っても創造力が砂のようにあふれ出てくる彼らの音楽には改めて圧倒されるばかりだ。

僕がビートルズに出会ったのは高校1年の時だ。その3年前にすでに彼らは解散していたが、人気はまったく衰えていなかった。クラスの熱狂的なファンに強引に勧められ、それまでクラシック一辺倒だった僕はロック入門を果たしたわけだ。当時の印象的な記憶がある。それはビートルズ入門後、他のバンドを聴いてみようとしたときの独特の違和感だ。一言で言えば、他のバンドはただのロックバンドだったのである。全く物足りないのだ。今にして思えば、それはまさにビートルズのビートルズたるゆえんだったのだ。

解散後、ソロ活動に移ったビートルズの各メンバー達でさえ、結局、ただのロックミュージシャンになるしかなかった。確かにジョンのイマジンは名曲だし、ポールは現在に至るまでトップスターとして活躍してきた。しかし、彼ら自身にとっても時を経るごとにビートルズの存在はますます巨大な壁として立ちはだかったに違いない。解散後のメンバーの人生には常にビートルズの影が亡霊のようにつきまとうのである。

では、一体、ビートルズとは何者だったのだろうか。ジョンは自らの曲「ヘルプ」について、「当時は完全に自分を見失いどうしたら良いのかわからなくなっていた。ヘルプは自らの叫びだった」言っている。20歳そこそこの青年はビートルズという巨大ビジネスに飲み込まれそうになっていたのだ。一つ間違えば、ニルヴァーナのカート・コバーンのように自ら命を絶ったかもしれない。あるいはポリスのようにあっさり解散を選んだかもしれない。ギリギリのところまで追い込まれながらも踏みとどまり、その苦悩を創造のエネルギーに変換し続けたことがビートルズをビートルズたらしめた。そして、それを可能としたのは、4つの全く異なる稀有な個性の奇跡的な出会いであったと言うしかない。

彼らが当時最高の録音技術を駆使し、苦労の末作り上げた音は、現代のデジタル技術では難なく再現できるかもしれない。しかし、ゴッホの油絵がコンピューターグラフィックの前で色褪せることがないように、細部まで手の込んだ作業は現代では決して実現できない厚みと迫力がある。むしろアナログ独特の生々しさは、彼らの荒い息遣い、飛び散る汗をリアルに伝えてくる。

4人の青年は子供のように夢中に歌い、時に火花を散らして衝突し、いつしか魅力的なおとなに成長していった。ビートルズとはそのまぎれもない記録なのである。

上海人の隠れ家

 北京をはじめとする中国の有名な都市が1000年を越す歴史を持つのに比べ上海の歴史は全く浅い。アヘン戦争後の1842年、南京条約により開港されたのがその始まりである。その後すぐにイギリスとアメリカ、そしてフランスによって租界が築かれ外国人居留区が形成されると、海外の金融機関が次々と進出し、独特のエキゾティックな文化が開花していった。こうして1920年代には、上海はアジア最大の金融都市に成長していたのである。

しかし、日中戦争に続き、1949年に共産主義革命が起こると、海外資本は一斉に香港に拠点を移し、上海は一旦、国際金融都市の座を失う。再び流れが変わったのは1978年に始まった改革・開放以降だ。香港は当時まだイギリスの植民地であり、政府にとっては香港だけを頼りに近代化を進めるのはリスクが高かった。なんとか香港に対抗できる経済拠点を国内に築く必要があったのである。こうして上海は再び脚光を浴び、鄧小平の掲げる先富論を実現すべく中国の急速な発展を牽引してゆくのである。

 この第2の発展は、かつてのコロニアルな繁栄とは異なり、中国自身の巨大エネルギーが世界に向けて噴出した結果だった。そのあまりに急激な変化は、かつてのエキゾティックな上海を一気に飲み込もうとしているように見える。街の中心を流れる黄浦江沿いにかつての銀行などのレトロな建物が建ち並ぶ「外灘」は、永年、上海の顔だったが、今では対岸の浦東エリアに林立する摩天楼にその座を奪われてしまった観がある。庶民が暮らすエリアも、まるで早回しのビデオでも観ているかのように次々と高層マンション郡に取って代わられて行く。

 もはやかつての上海は消えてしまう運命なのだろうか。そうでもなさそうである。それどころか、上海の人々の心には、古き良き時代の遺産に対する確固たる想いが感じられる。改革・開放以降、かつての古い建築を買い上げ自ら住むなり、改造して店として使う人々が現れた。南京路や淮海路など、かつての租界の中心地で、現在も上海の一等地にあるこうした物件は、高級マンションに比べても桁違いに高価なのだ。

先日、かつての領事館を改装したレストラン、雍福会(ヨンフーホエ)に行ってみた。松や楓が生い茂る庭のあちこちには中国の古い工芸品が置かれ、カフェとしても利用されている。建物に足を踏み入れると、アール・デコ調のほの暗い明かりが落ち着いた気分を誘う。椅子もテーブルも全てがアンティークで隅々まで神経が行き届いている。あちこちに置かれた中国の調度は洋風の建築に溶け込み、みごとな中洋折衷の空間を作り上げている。料理はかつて中国の貴族によって楽しまれたレシピをベースにし、今日では使われなくなった素材も用いられている。その味には時を経て熟成された深みが感じられる。それらが高級フランス料理レストランに劣らぬ洗練されたサービスでもてなされるのだ。レストラン自らが評するように、まさに「都市の喧騒を逃れた内なる安らぎの空間」である。

1000年の歴史はなくとも、われわれには洗練された時間の凝縮がある。上海人の自信とプライドを垣間見たような気がしたのだった。

消費者の質と市場原理

先日、マクドナルドの新製品を手にした女子高生たちが、「コレ、チョーウマイ」と盛り上がっている様子を見て、このところずっしりと手ごたえのあるものに出会っていないと、ふと思った。どうも世の中そういう雰囲気ではなさそうだ。

メーカーより流通が強いといわれて久しい。家電メーカーの営業は家電量販店に出向いて頭を下げ、どういう液晶TVが売りやすいかお伺いを立てている。食品メーカーも、味やパッケージデザイン、さらには賞味期限までもスーパーやコンビニの意向に神経を尖らせる。売りやすさとはお客様のことを考えてのことだから、一見、消費者のニーズに応えているように見えるが、実はそうでもない。

いかに買う気にさせるかということは、昔も今も商売の基本であることに変わりはない。かつては良いものを作って消費者の心をつかむというのは当たりだった。そこには売る側と買う側の真剣勝負があった。しかし、最近では売る技術の高度化にともない、商品の質は買う気にさせるためにあまり大きなウエイトを占めなくなっているように思える。消費者が手を伸ばすかどうかは、むしろ販売促進のためのさまざまな工夫によるところが大きいのだ。

コンビニはその典型だろう。24時間営業、行きやすい立地、入りやすい雰囲気(これには立ち読み客が一役買っているが)。スイカやパスモはお金の出し入れの手間さえ省く。もちろん商品自体にも客の興味を誘う仕掛けが満載である。手ごたえのある商品などとは無縁のコンビニが現代の小売業界の雄なのだ。

売る技術の高度化は何も物品の売買に限らない。かつては玄人に限られた世界だった株取引も、今ではパソコンやケータイからのネット取引が当たり前になり、学生や主婦も気軽に参加できるようになった。ゲーム感覚だから損をしても実感が薄い。手軽さだけでなく損を重く感じさせないことも金を使わせるためのミソなのだ。

市場原理とは本来、安くて良いものが勝ち残り、その結果、生活が豊かになる仕組みだったはずだ。つまり、売る側と買う側のバランスの上に市場原理は成り立つのである。だが、売る技術の進歩により、消費者はニーズもないのに購買意欲を喚起されるようになった。逆に商品の質は落ち、消費者の満足度は落ちる。メーカーは商品の寿命が短くなったと嘆くが、自らそうした結果を招いていることに気がつかない。金融資本主義ばかりが槍玉に挙げられているが、今回の世界的不況は、売る技術の過剰な発達によって市場経済のバランスが崩れ機能不全に陥ったことが根幹にあるのではなかろうか。

重要なのは、これは売る側だけの責任ではないということである。自らの思考を停止し、売る側に依存し切った消費者に実は問題があるのだ。最近の消費者には、本物をじっくり味わう余裕も忍耐も感じられない。市場を健全な状態に戻すために問われているのは、何よりもまずそうした消費者の質なのではないだろうか。

伊藤大介先生の思い出

 大学の頃、物理学教室の教官の一人に伊藤大介先生がいらっしゃった。先生は朝永振一郎先生の弟子で、彼のノーベル賞受賞に大きな貢献をされ、1925年にハイゼンベルクらによって発見された量子力学のその後の発展を身を持って体験してこられた方だった。

伊藤先生は、当時、すでに六十を越えておられたが、その思考パワーは衰えておらず、計算に没頭すると知らぬ間に朝になっていたなどと言うことは日常茶飯事だった。温厚な人柄で、われわれ学部生にも全く偉ぶるところがなく、クラスの忘年会などではスケールの大きい痛快な話をお聞きするのが楽しみだった。

大学3年の頃、僕は量子力学に対してある疑問を抱いていた。なぜ、古典物理学を修正する形で量子力学を構築しなければならないのだろうか。古典物理学を知らないで量子力学を創ったとすれば、(それは物理学の教科書を書きかえることになるだろうが)いったいどういうものになるのだろうか。僕はその考えについて伊藤先生と議論してみたく、ある日、先生の居室に向かった。先生に質問するのはめずらしくはなかったが、その時、教科書を小脇にかかえていた僕の手は震えていた。先生は驚いてくれるだろうか。あるいは、「そんなことはとっくに誰それが考えているよ」と言われてしまうのだろうか。

 ドアをノックすると運よく先生はご在室で、笑顔で僕を招き入れてくれた。ところが、話し始めると普段と勝手が違う。僕の質問に対して、先生は良く知られた量子力学誕生のいきさつを繰り返し説明してくれるばかりなのだ。いつもは質問の急所をたちどころに見抜き、的確なアドバイスをしてくれるのだが、その日に限って全く話が噛み合わない。なぜ、肝心なことに答えてくれないのだ。僕の声は次第に大きくなって行った。

気がつくと窓の外はすでに暗くなっている。しかも、先生の声はかすれ、疲労困憊のご様子である。時計を見ると、すでに3時間近く経っている。多忙な先生が一人の学部生にこれほど長い時間を割くなどと言うのは異例のことだった。僕は、割り切れぬ思いをグッと飲み込み、真っ赤になって部屋を飛び出したのである。

その後、級友にも話してみたが、「杉山がまた変なことにこだわっている」と思われただけで、誰も本気で相手になろうとはしなかった。結局、この問題は僕の胸の奥にしまわれ、時が流れた。ところが、人生思わぬ展開があるものである。

先日、現在も筑波にある高エネルギー加速器研究機構で物理学の最前線に身を置く大学の級友、Kに会った。このところ僕も物理について考える機会が増えていたが、少し離れたところから見てみると、最近の物理学には気に喰わない点が目に付いた。それをKに問い正してみたかったのである。僕は満を持して、「現在、最も興味があることは何か」と聞いてみた。Kは少し考えてから口を開いた。「物理学の教科書を書きかえることかな」。僕の頭のなかで時計の針が大きな音を立てて傾くような気がした。彼の話は30年前に僕が伊藤先生にぶつけたあの問題そのものだったのである。

ライカCLの愉しみ

 先日、中古でライカCLを買った。カメラはすでに20台以上あるが、それでもまた欲しくなるのは、撮る際の感性がカメラによってかなり変わってくるからだ。

 ライカは、カメラ業界のベンツともいえるドイツの高級カメラブランドである。かつてのカメラは、一枚撮るごとにガラス乾板フィルムをセットし直さなければならず、大型で機動性も悪かった。ライカ社の技術者オスカー・バルナックは、当時、映画で使われていた35mm幅のロールフィルムを利用することにより、一度の装填で連続撮影ができ、かつ、簡単に持ち歩ける画期的な小型カメラを発明したのである。1925年のことだ。

その後、そのバルナック型ライカは改良を加えられて行くが、次第に設計上の欠点が目立つようになった。その永年の問題を一挙に解決すべく、設計を刷新して1953年に登場したのが、カメラ史上に残る名機、ライカM3である。そのファインダーは非常にクリアで、写真家の創作意欲を一気に駆り立てた。ピントの精度も高かく、ワンタッチでレンズ交換が行えるバヨネット式マウントを備えていた。高いレンズ性能と相まって、ライカは最高級カメラの地位を不動のものとしたのである。M3はその後、M2M4M5と改良を加え、M型ライカと総称されるようになった。1973年発売のライカCLはそのM5の廉価版だ。

 M型ライカは、いわゆる一眼レフカメラではなく、コンパクトカメラと同様のレンジファインダーカメラである。一眼レフでは、レンズから入ってきた光をフィルムの手前でミラーで反射してファインダーに持って来る。従って、ファインダーからはレンズを通した画像を直接見ることができ、ボケ具合も確認できる。シャッターを切るとミラーが跳ね上がり、光はフィルムのほうに行く。ファインダーから見ていた画像が、そのままフィルムに焼き付けられるのである。一方、レンジファインダーでは、ファインダーに来る光とレンズに入る光は別であり、ファインダーから見た画像と実際に写る画像では構図的にも画質的にもどうしてもズレが生じる。

 それが原因で、ライカは次第に日本製一眼レフカメラに圧され、市場の主流から消えていくことになる。僕自身もM型ライカを持ってはいたが、後にライカが出した一眼レフカメラ、R型ライカに乗り換え、そちらをメインに使うようになった。

 しかし、M型ライカで撮った写真とR型で撮った写真とでは、なんともいえない雰囲気の違いがある。一眼レフでは見たとおりが写るので、構図決めは厳格だ。無駄なものは排除し、狙った絵を逃さず捕えるのである。しかしレンジファインダーでは被写体との間に独特の距離がある。むしろ被写体を圧迫せず、その時の雰囲気をさりげなく切り取っていく感覚なのだ。他のM型に比べて一回り小さいCLでは圧迫感はさらに少ない。

早速、ライカCLを首からぶら下げ街に繰り出してみると、空気をも写すと言われるライカレンズ独特の透明感に包まれ肩の力の抜けたスナップは、何ともいい感じなのである。

勝者なき戦い

 アメリカの自動車メーカーGMが倒産した。原因についてはさまざまな分析がなされているが、日本の自動車メーカーとの競争に敗れたことが主因であることは間違いない。しかしながら、そのカイゼンにつぐカイゼンで効率化を図ってきたトヨタも、昨年は数千億円の赤字に転落し、なりふり構わぬ工場の閉鎖と大量の派遣切りを断行した。今後、世界戦略を見直し、いっそうの効率化を図るそうだが、下請け業者の悲鳴が聞こえてきそうだ。

 今回の世界的な不況の引き金となったのが、昨年のリーマンブラザースの倒産である。あらゆる投機技術を駆使して世界中からお金を吸い上げてきたアメリカの投資銀行がこれほどあっけなく破綻するとは、しばらく前には誰が予想しただろうか。他の投資銀行も軒並み破綻し、アメリカの金融資本主義はあえなく終息した。彼らがサブプライムローンという禁断の果実に手を出したのも、投資銀行間のあまりにも熾烈な競争だった。

 今日のように、世界中のあらゆる産業で競争が加速されたのは科学技術の進歩によるところが大きい。かつてCDが登場したとき、レコードはあっという間に姿を消した。最近ではデジカメの登場がフィルムカメラを市場から葬った。技術の進歩による競争力の差は恐ろしいものがある。競争に勝つためには、企業は少しでも速く新たな技術を取り入れなければならない。コンピューター、ロボット、IT...。それらは、製造業においては生産効率を飛躍的に向上させるが、もし遅れを取ればたちまち致命傷となる。金融においては、技術の進歩はさらに大きな差をもたらす。現代の巨大化したデリバティブ取引は、そろばんと札束では到底成り立たない。高度な金融理論を駆使すべく高速コンピューターと世界中を瞬時に移動できる電子マネーが不可欠なのである。

 競争の激化は否応なく格差を拡大する。かつて食料品は商店街や近くの八百屋さんで買ったものだが、スーパーが出現して多くの店が姿を消してしまった。そうした大規模流通業を支えたのもテクノロジーの進歩である。スーパーはスーパーで同業者間の激しい競争がある。それに勝ち抜くために、彼らは納入業者にギリギリのコストダウンを要求してきた。昨年、しばしば話題となった食品偽装の問題は、もちろん悪質な業者もいるだろうが、納入先からの値下げ圧力と自らの存続の間で追い詰められた結果とも言えなくはない。法律の範囲内でギリギリまで値下げすれば褒められるが、一線をわずかでも超えればたちまち犯罪者である。値下げを拒めば取引中止だ。激しい競争は、強者が弱者をいじめる社会構造を作り出しているのである。

最近の世界を揺るがす企業の破綻劇を見るにつけ、自由競争が果たして人類に豊かさをもたらすものなのか疑問を禁じえない。社会の格差は拡大し、生き残ったものも消耗戦に疲れ果てている。現代の競争は、勝者なき戦いなのではないだろうか。

エントロピーと時間

 ニュートンは、時間は宇宙のどこでも均一に過去から未来へ流れていると仮定したが、彼が発見した運動方程式は時間に対して対称になっている。つまり、運動方程式から導かれる現象が過去から未来へ向かっているのか、あるいはその逆なのか区別できないのである。この事情は相対性理論や量子力学に至っても変わらない。一方、日常を映したビデオを逆回しにすれば、われわれはすぐにそれに気がつく。過去と未来は対称ではないのだ。この時間の矢の問題は、物理学における永年の謎となっている。

一方で物理学の一分野で気体のような膨大な分子の集合体を扱う熱物理学においては、時間の向きを定める指標がある。エントロピーである。エントロピーとは平たく言えば乱雑さの度合いである。例えば水にインクを入れてかき混ぜると、水とインクが分離している状態よりも混ざり合った状態のほうが、より乱雑な状態といえるだろう。そして、一旦混ざってしまった水とインクが、再度分離することはない。つまり、自然界の現象は乱雑さが増す方向、つまり、エントロピーが増す方向に進む傾向があるのである。

 覆水盆に帰らずというが、一旦起きたらもとに戻らない現象は日常に溢れている。それらを注意深く観察してみると、必ずエントロピーが増大していることがわかる。われわれは日常において、エントロピーが増大するような現象、すなわち乱雑さが増す現象を自然だと感じるようになっている。つまり、エントロピーが増大する方向こそが時間が流れる方向だとわれわれは感じているのである。

しかしながら、何ゆえエントロピーは増加するのであろうか。水とインクを混ぜるということは、インクの分子と水の分子が容器の中である配置を取るということである。この配置にはものすごい種類の組み合わせがあるだろうが、全組み合わせの中でインクと水が整然と分離している場合は相当特殊だろう。こうした状態が起きる確率は、均等に混じる場合の確率に比べて極めて小さい。これは計算によって確かめることができる。つまり、エントロピーが高い状態は、確率的により安定な状態なのである。

しかし、もともと運動方程式で時間の向きが決まらないのに、どうしてエントロピーはそれを決めることができるのだろうか。それは、運動方程式では粒子の運動を一意的に決めてしまい確率の入る余地がないのに対して、一方の熱物理学では、確率的に起こりやすいことが起こるという前提に立っているためである。両者の間には論理的な飛躍がある。

実はこの問題はさらに深い謎をはらんでいる。もし運動方程式からエントロピーの増大が説明できたとすれば、エントロピーもまた時間に対して対称な物理量になってしまい、時間の進む方向については何も言えなくなってしまうだろう。物理学にとっても、時間は相当厄介な問題なのである。

時間感覚

「年々一年が短くなっているような気がする」と年賀状に書いてくる人がこのところ目立つようになった。我が友人たちも大分歳を取ったということだろうか。

現代では、時間はいつでもどこでも一定の速さで流れていると思われているが、こうした時間の概念を最初にはっきりと示したのはニュートンである。彼は宇宙のどこでも一様に時間が流れると仮定することによって、天体の運行と木から落ちるリンゴを同じ運動方程式から導いたのである。こうして創られたニュートン物理学は、その後の科学の飛躍的な発展をもたらした。一定の速さで流れる時間という概念は、科学の時代の象徴となったのである。

一方、日常生活における主観的な時間感覚においては、時間は決して一定の速さで流れているわけではない。だが、そう感じるのはあくまでも心理的なものであり、時間そのものは一定に流れているという立場を取っている。われわれの主観的な時間感覚は、物理的な時間を優先させながらも、適当な自由度を保っているのである。

普段、われわれは、常に時間が経過していると感じており、それこそが時間感覚であると思っている。では、われわれは五感のどれを使って時間の経過を感じているのだろうか。確かに五感はさまざまな変化を感じ取っている。しかし、もし五感を全て失ったとしても、なお時間感覚はあるのではないだろうか。われわれの時間感覚は、外からの刺激を感じ取るというよりは、われわれの意識にもともと内包されているものなのである。

そもそも時間感覚のない意識というものは想像しにくいが、木村敏著の「時間と自己」によれば、離人症という病気になると時間感覚がなくなるという。あと何分あるとか、あれから何分経ったということが、頭では明瞭に理解できても、実感として全く感じられなくなる。興味深いのは、「現在」を感じるのが時間感覚ではなく、実は現在に至る過去の時間と、現在から未来に至る時間を感じることが時間感覚の本質だということである。

しかも、「あと何分」という感覚は、単にあと何分という感覚ではない。つまり、「もう何分しかない」のか、あるいは「まだ何分ある」というように、その時間を短く感じて焦ったり、逆に長く感じて余裕があるなどと感じている。つまり時間感覚には、単に時間の長さだけでなく、その時間が自分に持つ意味も同時に含まれているのである。

さらに、われわれ現代人は、時計を見ることにより、一定に流れる物理的な時間も取り入れている。時計を見て「あと何分」と感じながら、われわれの時間感覚は常に物理的な時間と意識内の時間のずれを調整しているのである。

年賀状を書きながら、「年々一年が短くなっているように感じられる」のは、自分の中の一年と客観的な一年のずれを感じることであり、そういう意味では、正常な時間感覚が働いているのである。

天才のいたずら

 一年ほど前、ピアノを習い始めて10年目にして、モーツァルトのK331のイ長調のピアノソナタに挑むチャンスがめぐってきた。終楽章にトルコ行進曲が来るあの曲である。この曲は、数ある彼の作品の中でも最も有名な一曲だろうが、あまりに親しまれているため、子供向きの入門曲だと思っている人も多いだろう。この曲の真価は案外に知られていないように思われる。

20年ほど前、東京文化会館小ホールで開かれたワルター・クリーンのコンサートに行ったときのことである。その日の演目は、モーツァルトのソナタばかり3曲で構成されていた。その一曲目がK331であったが、ゆったりとした出だしが指慣らしに適当だからだろうと思っていた。だが演奏が始まるとすぐに、クリーンが最も得意とする曲を最初に持ってきたことを確信した。そして、その透き通った、あまりに透き通った響きが、僕の全身を金縛りにしてしまったのである。まるで目の前に、神か精霊がいきなり降りたち、ただ歓喜にむせぶしなかいような状態と言ったら良いであろうか。そんな音楽をピアノが発していること自体が信じられなかった。それは劇的な感動でも、情緒溢れる表現でもない。ただモーツァルトの純粋な心が、無邪気に歌っているだけなのだ。この曲の凄さは、いつも無邪気さと同居しているのである。

有名な曲であるにもかかわらず、この曲にはソナタ形式の楽章が一つもなく、ピアノソナタとしては変則的な作品である。現在、その第一楽章の変奏曲に取り組んでいるのだが、随所にこれまた変則的な指の動きがあって弾きにくい。しかもモーツァルトは、わざと弾きにくくして喜んでいる節がある。今、教えていただいているF先生も、「ちょっと遊びすぎですよね」とあきれるほどだ。

しかし、こんな逸話がある。モーツァルトは旅の途中、あるお宅で世話になったが、その旅立ちの日、家族はおおいに別れを惜しんだ。そこで彼はふと思い立ち、玄関ですばやく紙切れに短い曲を書くと、その紙切れを真ん中で半分に破って見送る家族に手渡し、曲の最初からと最後から同時に歌うよう頼んだ。すると、それが物悲しくもなんともおかしい別れの2重唱になったと言う。

K331において、左手のアルペジオが小節の半ばで反転するような動きをするにつけ、僕はこの逸話を思い出さずにはいられない。それらは、彼のいたずらなのだ。しかし、練習を重ねるにつれ、それが面白くなってくるから不思議である。そして、いたずらは彼の創造の源であり、いたずらにこそ彼の天才の秘密があると感じられるようになってくるのである。

この曲は、1楽章だけをやるつもりだったが、以前、指導を受けていたN先生から、「1楽章から通して弾くと、(終楽章の)トルコ行進曲の面白さに改めて気付くのではないでしょうか」という年賀状が届いた。どうやらモーツァルトの仕組んだいたずらが本領を発揮するのは、まだこれからのようである。

消費型社会の転換点

トヨタ自動車が本年度の決算で4000億円を超える赤字に転落すると言う。昨年度、2兆円以上の営業利益を上げた日本最強の企業がわずか1年でこのような事態に転落するとは誰が予想しただろうか。自動車メーカーは一斉に大幅な減産に入った。今後、売り上げのさらなる減少を見込んでいるためだ。

自動車の販売が急速に落ち込み始めたきっかけは、昨年のガソリン価格の高騰である。その後、ガソリン価格は下がったものの、販売の減少には歯止めがかからなかった。アメリカの金融危機が表面化し、消費者心理を冷やしたことも一因だが、ガソリンの高騰で消費者の自動車に対する考え方が、微妙に、しかし根本的に変わってしまったのではなかろうか。

買い物にも子供の送り迎えにも自動車はなくてはならない。金はかかるが自動車は必需品で、家計はその維持費を織り込み済みだった。ところがガソリン価格が急騰し始めると、スタンドに行くたびに想定外の出費を強いられる羽目になった。それまで疑問もなく乗っていた自動車が、急に重荷になり始めたのである。折りしも世界中で環境問題が取りざたされ、多量のCO2を排出する車はその元凶の一つとされた。健康診断で肺がんの疑いありと言われた途端、それまで何の気なしに吸っていたタバコが急に怖くなるというが、自動車も、ある日突然、当たり前のものではなくなってしまったのだ。一旦、そうした意識に目覚めると、消費者はすぐに車をやめないまでも、台数を減らしたり、買い替えを遅らせようとする。メーカーにとってはまさかの販売急減も、冷静に見れば当然の結果だったのだ。

こうした消費者意識の転換は、自動車に対してだけではない。家電にせよ何にせよ、そもそも巷に溢れる商品は、どれほどわれわれの生活を豊かにしてくれているだろうか。かつて自分が始めてステレオを買ったときを思い出してみると、当時はとにかく欲しくて欲しくてたまらず、毎日カタログにかじりついていたものだ。それが今ではどうだろう。店まで見に行くのも億劫で、ネットで買い物を済ませることも珍しくない。すでに巷に物は溢れているのだ。メーカーは、その程度の興味しかない消費者相手に、必死に購買意欲を喚起しようと涙ぐましい努力を続けているのである。

先進国ではすでに物やサービスが供給過剰になっている。サブプライムローンは、購買力のない低所得者層に無理やり住宅を売ろうとして破綻したが、最近の世界経済は、極論すれば、要らないものを無理やり売りつけることで成り立っているのである。伸びきった腰は、砕けるときはもろい。

現代の大量消費型社会が石油に支えられていることを忘れてはならない。物質的な豊かさを追い求める時代は、すでに終わっているのである。今回の不況は、資本主義社会に本質的な転換を迫っているのだ。にもかかわらず給付金をばら撒く程度の対策しか持ち合わせていないとなると、先行きは相当暗い。