子供に伝えたい登山の魅力

ゴールデンウイークに2泊3日で家族で清里に出かけた。清里といえばのんびりとリゾートのイメージだが、そこは我が家らしく、2日目に八ヶ岳に登った。白駒池から高見石に登り、中山を経てニューに周り、また白駒池に下りる、夏場ならハイキング程度のコースだが、この時期は全行程雪道で、小学生の娘2人を連れての山行はそれなりの注意がいる。1時間半ほどで最初のビューポイントである高見石に着いたが、猛烈な寒風が吹き荒れ、ガスで展望もほとんど得られない。この時点ですでにかなり時間をロスしており、先行きを案じた家族はすぐに引き返そうと主張したが、僕は先に進むことにこだわった。

 我が家の登山暦は、下の娘が2歳4ヶ月の夏、立山に登ったときに始まる。少し歩くとすぐに、「抱っこ!」という子供をなだめすかして、何とか頂上までたどり着いたが、途中で大雨になり、テントまで帰れず小屋に泊まる羽目になった。次の年、子供達は北アルプスの燕岳を9時間かけて自力で登りきった。まだ、疲れたという言葉を知らない時期で、とにかく夢中で登る姿は感動的ですらあった。その後、北アルプスや八ヶ岳など、毎年のように登ってきたが、子供の成長とともに、「疲れた」という言葉が目立つようになり、最近ではなかなか黙って付いてきてくれなくなった。

階段を数段登っただけで息が切れるほどの重い荷物を背負って、1日10時間以上も歩き続けると聞くと、山に行ったことのない人は顔をしかめるだろう。しかし、薄い酸素を少しでも多く取り込もうとあえぐうちに、自然の生気を吸収し、全身がリフレッシュしていく。その爽快感は何ものにも代えがたい。重い荷物も、急な坂も、少しでも多く体内に自然を取り込むための手段なのだ。そして、息を切らして汗だくになりながら、持続可能なぎりぎりのペース一歩一歩進むうちに、疲労とは別に全身にみなぎる力を感じることがある。自分の中で眠っていたパワーが目覚める時だ。

今回の登山でも、子供達のペースは後半に行くに従って上がった。次第に体が活性化していったのである。もし高見石で引き返していたら、そうした山モードに入ることなく終わってしまっただろう。白駒池に戻ってきたときの子供達の顔にはそれなりの晴れやかさがあった。しかし、「山はバスケットボールよりきつい」という彼らの言葉は、自分たちのなかに潜むパワーに、彼らがまだ気づいていないことを示している。自然と同化し、自然を全身で味わう喜びを覚えるには、まだしばらく一緒に汗をかく必要がありそうである。

写真に写るもの

安っぽい居酒屋を背にして、まだ大人になりきれない若いモデル志願の娘がこちらを見つめている。新宿のゴールデン街で昼間に撮った女性のポートレートだ。この写真は、出来上がった直後には、自分の狙ったイメージ通りに撮れておらず、がっかりしたのを覚えている。しかし、今見てみれば、構図には独特の情緒があり、表情も悪くない。自分の撮った写真をたまに引っ張り出して来て眺める楽しみは、写真を撮るものだけの特権なのだ。しかし、それはまた、写真の持つ謎に惑わされる危険な瞬間でもある。

カメラ越しにこちらを見つめるモデルの視線はいつも見慣れたもののはずである。むしろ、なかなかシャッターを切るタイミングが合わないその視線に、いつも苛立たされていたのではないか。しかしなぜか、写真のなかで一心にこちらを見つめる彼女の視線にふと目が留まると、それまで気づかなかった彼女の裸の心が感じられ、その視線から意識をそらすことができなくなってしまう。同時に、なんともいえない胸騒ぎに襲われている自分に気がつくのである。

川端康成の「名人」のなかで、筆者が本因坊秀哉名人の死顔の写真を撮る場面がある。かつて名人の引退碁の観戦記者を務めた筆者は、たまたま名人の死顔の写真を撮る巡りあわせとなり、「生きて眠っているように写って、しかも死の静けさが漂う」ように撮れたその写真で、名人の容貌を克明に描写していくのである。しかし同時に川端は、その写真によって不可解な感覚に取り付かれる。「いかにも(写真の)死顔に感情は現れているけれども、その死人はもう感情を持っていない。そう思うと、私にはこの写真が生でも死でもないように見えて来た。」死人の顔に感情が表れることはあるだろう。しかし、それが写真に写り、死者の人生の終着点をはっきり刻み、しかも「死顔そのものよりも、死顔の写真のほうが、明らかに細かく死顔の見られる」のがなんとも妙なのである。筆者はその写真を、「何か見てはならない秘密の象徴かとも思われた」と言っている。

写真は見たままを写す。しかし写された写真には、けっして見たままが写っているわけではない。写真は「瞬間」を切り取り、印画紙の上に焼き付け、「永遠」に閉じ込める。撮った者にも撮られた者にもはっきり意識できないほどの短い「瞬間」。写真はそれを細部に至るまで克明に描き出し永遠に記録する。そこには、撮られた本人自身も気がついていないその人の本質、その人の人生までもが写しだされてしまうことがあるのだ。それは確かに、「見てはならない秘密の象徴」かもしれない。

最近の「原宿」事情

カメラを片手によく原宿に出かける。この街の空気の独自の肌触りに魅せられてもう何年になるだろうか。駅前に立ち、いつものように妙な安らぎを覚えると、たちまち海辺の亀のように雑踏の波にさらわれ、心地よい緊張感に包まれながらこの街をさまよい始める。

かつて原宿はといえば、遊歩道に多くのパフォーマーが押し寄せ、歩道の並木の下では、画家の卵が似顔絵を描いて修行を積み、その横では地面に座り込んだ若者達が自作のアクセサリーの店を広げていた。そうした場所には、必ず能天気で暇そうな連中がたむろしているのだが、彼らの多くはモデルやミュージシャン、デザイナーなど、それぞれの分野で成功を目指すアーティスト達で、分野を越えた出会いの場でもあった。演ずるものと観る者が熱気を帯びて渾然一体となる巨大な舞台、それが原宿だった。

この街に足を運ぶおしゃれな女性達もまた、自らの個性を街に向かって発信する者の一人だ。頬に開けたピアスひとつも、彼女らなりの表現なのだ。趣向を凝らしたファッショには、彼女達が思いを込めた感性がこぼれ出ている。「写真撮らせて」と声をかけるのは、そうした思いが僕の感性を振るわせた時。ぐっと迫ってピントを合わせ、大袈裟に肘を張って縦位置にカメラを構える。彼女達は一瞬戸惑いの中に嬉しさの混じった複雑な表情をみせるが、行きますよ!とかまわずシャッターを切るころには、撮らせてやるか、という優しささえも浮かべ、すでに一人のモデルとして可憐に自分を主張している。

しかし数年前、表参道の遊歩道が消えた頃から、こうしたどきどきする出会いの場は次第に失われつつある。原宿交差点のGAPの前では、以前にも増してファッション雑誌のカメラマンに声をかけられるのを心待ちにする男女でにぎわっているが、こうした連中は、かつて原宿にくる骨のある連中からは軽蔑されていた。彼らにとって商業主義に安っぽく使われるのはノーサンキューなのだ。ここ数年はかつては歩道を彩った露店も締め出され、代わりに高級海外ブランド店ばかり続々と進出している。原宿はもはや、個人が思い思いに個性を発揮できる街ではなくなってきている。そしてここに足を運ぶ者の意識も、以前とは変わってしまったのだ。かつての個性の街は、商業主義に飲み込まれ、巨大資本の金儲けに利用されるだけのつまらない空間となりつつある。

昨年の秋、永年に渡って原宿のシンボルだった同潤会アパートがとうとう取り壊された。跡地には日本の誇る世界的建築家、安藤忠雄氏がプロデュースする新たな施設ができるそうである。果たして彼は、かつて原宿で渦巻いていた個性の輝きを再びこの街に呼び戻すことができるのだろうか。それとも、もはやそれは古き良き過去となってしまったのだろうか。

大人のピアノ

 昨年のクリスマスの夜、人前で初めてピアノを弾くことになった。曲目はモーツアルトのピアノ協奏曲第23番の第1楽章。もちろんオーケストラではなくピアノの伴奏だが、初めての演奏会にしてはなかなかの大曲だ。いや、私の力を知っているものは皆思ったであろう、無謀だ!と。なにしろ私がピアノを習い始めたのは40歳を過ぎてからなのだから。本番は緊張でがちがちで、とても人様に聴かせられるレベルではない。しかし、舞台に立った15分間は、実に多くのことを教えてくれたのである。

 演奏会のプレッシャーは大きく、毎日、駆り立てられるように練習した。年末で仕事も忙しく、夜中の1時過ぎまで弾くことも珍しくなかった。おかげで本番直前にとうとう指を痛めてしまい青くなったが、不思議と疲れていても練習は苦にならなかった。もっと気楽にやれば、と言う人もいたが、本人はいたって充実しているのだから仕方がない。

何がそんなにおもしろいのか。好きな曲ほど意欲が湧くのは、音楽の持つ魅力に引っ張られている証拠であろう。演奏すると、聴くだけではけっしてわからないバッハやモーツアルトの世界が見えてくる。彼らの崇高な世界に一歩近づくことができるのである。

だが、これだけ夢中になれるのは、どうもそれだけではなさそうだ。練習自体が面白いのである。自分なりにいろいろ工夫して、弾けないところが弾けるようになっていくのが楽しくて仕方がないのである。弾けば弾くほど引き込まれていく中毒状態で、まさか命を縮めることもないだろうが、少し怖くなることもある。

ところでピアノの練習は指を鍛えていると考えがちだが、実は脳の鍛錬である。もちろん成長途上の子供の筋肉や骨格は、永年の練習によってピアノに適したものになっていくのであろうが、毎日の練習レベルで弾けないところが弾けるようになるというのは脳の学習による。練習とは指を動かすプログラムを脳に書き込んでいく作業なのである。

ただし、このとき主役となるのは大脳ではなく小脳である。小脳は運動能力、技術といったものをつかさどる場所である。体が覚えている、という言い方は小脳の働きを特徴的に言い表したものである。そして言語を習得する能力と同様に、この小脳の働きも子供のほうが大人よりずっと優れている。悔しいが、わが娘を見ていると納得せざるを得ない。しかし、大人だからそこそこ弾ければいいではないか、と言われるのも悔しい。小脳はともかく、大脳の働きは経験豊かな大人のほうがずっと優れているはずだ。そもそも音楽的な表現は大脳の役割である。練習を工夫しさえすれば、働きの弱った小脳を補えるに違いない。

しかし演奏会では、結局、自らの小脳の弱さを痛感する結果となった。練習のとき間違えたことのないような箇所でつぎつぎとミスが出る。どうやら、緊張すると大脳はうまく働かないらしい。練習では小脳への不完全な書き込みを大脳がカバーしていたのだ。しかし、そう気がついたのは本番の真っ最中で、すでに手遅れだったのだ。