現実逃避

かつて学生だった頃は、今に比べて日本人も謙虚で、「欧米人に比べると日本人は堂々と意見を述べることができず、相手を説得することが苦手だ」というような言葉をしばしば耳にした。ところが最近では逆に日本人の良いところを誇示するような報道が目立つようになった。そうした日本礼賛において必ず引き合いに出されるのが中国である。
この15年ほど仕事で中国に関わってきたが、だからと言ってことさら中国の肩を持つつもりはない。当局の一方的な主張には、時にはムッとくることもある。しかし、それにしても日本のマスコミのあまりにも偏った無責任な報道には違和感を覚えるだけでなく腹が立つ。なぜなら、そうした報道によって損をするのは結局我々日本人だからだ。
20年ほど前には中国に脅威を感じる日本人などほとんどいなかった。当時、日本の経済力は中国の5倍もあり、それを背景に政府も自信を持って中国に対応して。しかし、その後の中国の急拡大と日本経済の長期にわたる停滞により、今では中国のGDPは日本の3倍ほどになった。立場がすっかり逆転してしまったのである。
政府としてはこうした自国の体たらくを国民にさらけ出したくはない。国民としても、かつて上から目線で見ていた中国に対して現実を受け入れるのには抵抗がある。そんな空気を読んでマスコミは反中意識を煽り、国民の自尊心をくすぐるような報道に力を入れるようになったのではないか。だが、自ら反省することなく他人のアラばかり探すのは現実逃避に他ならない。そのツケは必ず自分たちに返ってくることになる。
中国は国土も広く政治体制も日本とは異なる。そこには日本人が想像できないような多様な価値観が存在する。それを「尖閣」「爆買い」「シャドーバンク」などのわずかな、しかも負の側面からばかり見たキーワードで理解することは到底不可能だ。
日本のテレビなどで中国の不動産バブルや理財商品で大損をした人たちが紹介されると、中国人は強欲で愚かな人々であるかのような印象を受けるだろう。確かに中国人はお金に対して日本人より関心が高い。常にお金を増やすことを考えている。しかし、だからと言って彼らはいわゆる金の亡者ではない。お金に対する執着心はむしろ日本人のほうが高いのではないか。ある意味、彼らはお金を冷めた目で見ている。だが、マスコミは決してそうした価値観の違いを伝えようとはしない。
一方で、中国の若者の多くは漫画やアニメを通して日本の文化を吸収し、日本人の微妙な心の機微にも通じている。日本文化に憧れ日本のことが大好きな人も少なくない。「だから日本は優れているのだ」と自己満足に浸る日本人も多いが、相手を知るという点では日本は中国に完全に遅れをとっていることを認識すべきだろう。
日本に好感を持ち日本語も解する中国人が、日本のマスコミの報道を見てはたしてどう思うだろうか。相手の良いところを語れなければ、相手を批判する権利はない。もう少し大人になって現実を見据えてみてはどうだろうか。

レディオヘッド

 8月21日、幕張で行われたサマーソニック2016に行ってきた。最大のお目当ては、スタジアム会場でトリを務めるUKが誇るオルタナティブロックの雄、レディオヘッドだ。

 高校の頃に出会ったビートルズ以来、さまざまなロックを聴いてきたが、90年代以降はあまり聴かなくなっていた。だが、10年ほど前に組まれたロック誕生50年の特集番組で90年代はオルタナティブロックと呼ばれる分野が台頭した時期だと知った。オルタナティブロックというのは、80年代ロック界を席巻していたヘビーメタルに対抗する形で出てきた音楽で、商業主義に背を向け内面的な精神性を追求しているのが特徴だった。

 早速、有名どころのバンドを幾つか聴いてみたが、自らの世界への共感を求めるようなメロディーが鼻につきなかなか受け入れられなかった。だが、そんな中でレディオヘッドは他のバンドとは一線を画していた。彼らの音楽はセンチメンタリズムを廃し、聴衆に媚びるところが一切なかった。当初は、あまりにも抽象的で乾いた音楽に戸惑わされが、そのクオリティーは間違いなく一級だった。繰り返し聴くうちに次第にその音楽世界に引き込まれ、気がつけばこれこそが自分が求めていた音楽だと感じるほどになったのである。

 バンドの中心は作詞作曲を一手に担うボーカルのトム・ヨークだ。彼の傑出した詩心とブレない精神がレディオヘッドを永く音楽シーンの最前線に立たせてきたことは間違いない。だが、他の4人のメンバーの卓越した技術と創造性がなければ彼らの音楽はありえなかった。メンバー全員の才能が結集して初めてレディオヘッドという意思を持った有機体となっているのだ。その結果、かつてのプログレッシブロックを薄っぺらく感じさせるほど密度が高く奥行きの深い音楽を生み出すことができるのである。

 とはいえ、彼らの音楽はノリのいいリズムやメロディーで観客を盛り上げるタイプの音楽ではない。ロマンティックなラブソングもない。一人で向き合って聴くにはいいが、果たしてライブ会場の聴衆は盛り上がるのだろうか。一体どのようなパフォーマンスを見せてくれるのか想像がつかなかった。

 幕が開くと、まず5月に発売されたばかりの新アルバムから立て続けに5曲が演奏された。いきなり彼らの「今」をぶつけられ多くのファンは少し戸惑い気味だ。それを見透かすように名曲AIR BAGが始まる。聴衆は一気にヒートアップし、腹の底から揺さぶられるような迫力に会場全体が揺さぶられる。たが、それは決して名曲が誘う郷愁によるものではない。過去を足場にして、レディオヘッドがすでに新たな堅牢な世界を構築していることを聴衆が理解した結果なのだ。計算された展開に思わず唸らされる。

 緊張感の中に繊細なメロディーを奏で、次の瞬間には容赦のない大音響が怒涛のように押し寄せる。彼らは自らの音楽を正面から示し、溢れんばかりの創造力で観客を圧倒する。それはとてもCDで伝えられるものではない。彼らの音楽はこれほど豊かなものだったのだ。これこそ彼らのライブであり、これこそがレディオヘッドの音楽なのである。

二人が写真に求めたもの

 先日開いた写真展で、かつてモデルをお願いしたMさんとトークライブを行った。二人の関係は17年前、原宿で声をかけて写真を撮らせてもらったときに遡る。その写真を送る際、改めてモデルになってくれないかと依頼したところ引き受けてくれたのである。 

 彼女は当時、プロのファッションモデルに憧れ仙台から上京したばかりだった。僕はといえば、写真についても人生についても暗中模索の状態だった。

 二人は六本木や新宿の薄汚れた路地を歩きながら気に入った場所を見つけると荷物を置いて撮影した。レトロな街並と洗練されたファッションのミスマッチが狙いだったが、衣装や髪型を次々と変えポーズを取る彼女をいかに撮るか、かなりのプレッシャーだった。

 撮影は2年余り10回ほど続いたが、原宿で撮ったのが最後になった。次第に当初の緊張感が薄れ、良い写真が撮れなくなっていた。それから23年して「仙台に帰ることにした」という電話をもらったのを覚えているが、その後、連絡を取り合うことはなかった。

 ところが、2年程前にふとしたきっかけで彼女のことをfacebookで探してみるとあっさり見つかった。連絡してみると結婚して関西に住んでいた。しかも、今もファッションモデルの仕事を続けている言う。ホッとすると同時に心から拍手を送りたい気持ちだった。

 その後も再会の機会はなかったが、今回の対談の話が出ると、すぐさま彼女のことが浮かんだ。こんなチャンスは滅多にない。思い切って誘ってみると快く応じてくれたわけだ。

 再会するなり彼女の顔にかつての悪戯っぽい笑顔が弾けた。「変わらないね」と言うと、すかさず「前より綺麗になったと言って欲しかったな」という返事が返ってきた。それがまた彼女らしかった。

 トークライブでは、久しぶりに自分の写真に対面した感想を聞いてみた。すると彼女は迷うことなく「青い」と言った。実は当時から彼女は自分の写真に対して不満そうだった。もっとモードっぽい写真を期待しているんだろうと勝手に思っていた。だが、そうではなかったのだ。当時から彼女がこだわっていたのは、写真の中の自分がいかに洗練されているかということだったのである。彼女の不満は自分の未熟さに向けられたものだった。

 モデル写真と言えども表情やポーズを撮ることが目的ではない。その場にモデルが立つことで喚起されるイメージをどのような構図で捉えるかが勝負なのだ。だが、結果的にストイックに自分を追求する彼女のおかげでこちらのイメージが膨らんだのである。

 彼女にはもう一つ、なぜ、あれほど何度も撮影に付き合ってくれたのかと聞いてみたかった。撮影は楽ではなかったからだ。「楽しかったからじゃないですか。」少し考えてから彼女が答えた。意外な答えだった。僕は、救われたように感じた。同時に、もっと彼女に何かしてあげられたのではないかという後悔の念にも囚われていた。

 彼女との再会はあの2年間を蘇らせ、その意味を問い直す機会となった。素晴らしいことに、その時間は二人で撮った写真の中に凝縮されている。

イチロー

先日、イチローが日米通算安打数でピート・ローズのメジャーリーグ記録を抜いた。永年、彼の成績に一喜一憂してきたファンの一人として、今回の記録達成には特別の感慨がある。
日米通算ということについては様々な意見があり、ローズ自身は自らの記録と比較することは認めていない。だが、日本のほうが年間試合数が25−30試合も少なく、メジャーに移って以降、年間安打数は増えている。1年に同じヒット数を打つのはむしろ日本においての方が難しい。つまり、もし最初からメジャーでプレイしていればより多くのヒットを打った可能性が高いのである。
もちろんそれは日本のレベルがメジャーより高いことを意味するものではない。イチローがメジャーで好調だった最初の10年間の打率を日本で首位打者だった7年間と比較すると3分ほど下がっている。渡米した他の日本人選手の成績も日本時代に比べて軒並み下がっている。もちろんだからこそメジャーに挑戦する意味があるのだ。
2007年と2009年は終盤まで首位打者争いを繰り広げていた。だが、最後は振り切られる形で2位に終わった。その時、イチローが見せた無念そうな顔が忘れられない。絶好調の自分をさらに上回る選手がいるのである。それがメジャーなのだ。
とはいえ彼がメジャーで残した10年連続3割200安打以上という記録は並大抵のものではない。その抜群の安定度は一流のメジャーリーガーを向こうに回しても抜きん出ている。当たり前のように好成績を残し、絶対に期待を裏切らない。それがイチローだった。
2011年のシーズンも開幕から1ヶ月はいつものように3割をキープしていた。だが、打率は徐々に落ち始め、とうとうその年は2割7分2厘に終わった。信じがたいことだった。最も受け入れ難かったのはイチロー自身だろう。なぜ調子が上がらないのか。困惑する表情が痛々しい。それまでも記録への重圧に苦しんできたが、衰えに直面したのはその時が初めてだった。鋭い打球が減るにつれ、彼の表情から自信が消えていった。
翌年以降も調子は戻らず、昨年はなんと2割2分9厘まで打率を落とした。もしローズの記録とメジャー3000本安打にあと僅かという状況でなければ引退していただろう。今年はそれらの記録に挑戦できるラストチャンスだと思われていた。ここまで来たらなんとかクリアして最後の花道を飾って欲しい。祈るような気持ちで開幕を迎えた。
ところがシーズンが始まると、5年間の鬱憤を晴らすように彼は打ち始めた。42歳にして天才のバッティングが戻ってきたのだ。まさにそれまでの苦労に対して神様が報いてくれたとしか言いようがない。打率は3割を超え、早々にローズの記録を抜き去ったのだ。
周りが何と言おうが、これが彼にとって最もこだわりのある記録だったことは間違いない。それに対して正当な評価がなされないことに彼の落胆は大きい。だがローズが認めないのは、裏を返せばそれだけイチローの記録の価値を知っているからに他ならない。細かい数字はともかく、イチローがローズに並ぶ選手であることは遠からず認められるに違いない。

欅の街で出会ったアートな優しさ

 この6月から7月にかけて名古屋の書店のギャラリーで写真展を開くことになり、かつて原宿で撮った女性のポートレイトを引っ張り出してきてどれを展示するか選んでいた。

 不思議なことに、撮った頃に比べて出来の良し悪しがよく分かるようになっている。恐らく当時は思い入れが強過ぎてどの写真も捨てがたかったのだろう。そもそも何が撮りたいのか、必死で撮っていたときにはよくわからなかったのかもしれない。15年の歳月は、写真を見る目だけでなく自分自身も少しは成長させたようだ。

 展示用に引き伸ばした写真を娘に見せたら、「テーマは何なの?」と聞かれた。次々と今の自分と同年代の女性の写真を見せられ、いったい何のためにそんな写真を撮ったのだろうと訝ったのかもしれない。いずれにせよテーマなんてものは考えたこともなかった。それ以前に自分が撮りたい写真を見つけるために悪戦苦闘していたのだから。

 魅力的な人を撮れば魅力的な写真が撮れるわけではない。それどころか写真を撮るという行為自体が被写体に影響を与える。カメラを構えた瞬間、それまでの笑顔もたちまち消えてしまうのだ。それは写真を撮る際に誰もが直面するジレンマだ。

 しかし、考えてみれば、それは撮影という行為を相手がいかに強く意識しているかを物語っている。確かに最近のようにスマホで撮れば、相手はあまり気にしないかもしれないが、同時に何か肝心なものまでも抜け落ちてしまうのではないだろうか。

 かつて原宿の神宮橋の上にはコスプレ連中が大勢たむろしていた。彼女たちは頼めば大抵は撮らせてくれた。しかもこちらがカメラを構えても緊張して表情がこわばるようなことはない。だがその写真はつまらなかった。あらかじめ準備されたものを撮っているだけだからだ。そこには撮るときの緊張感もない代わりに、心に突き刺さってくるような感動もない。

 僕はあくまでも被写体との関わりの中で撮ることにこだわっていた。相手と正面向かって対峙し、しかも最高の表情を引き出すことに取り憑かれたようになっていた。

 写真を撮らせて欲しいと頼むのはアンケートを頼むのとはちょっと違う。それは同時に相手が魅力的だということを伝えているのだ。その上で、こちらの意欲に向き合い撮影という土俵に登ってくれるかどうかを問うているのだ。もちろん警戒されることもあるが、声をかけられたことを素直に喜んでくれることも少なくなかった。そして中には撮影というアートな体験に一肌脱いでみようとしてくれる女性たちもいたのである。それはもちろん、そこが原宿であることと無関係ではなかった。

 良い写真が撮れるときは以心伝心で気持ちが伝わりすぐに撮影に集中できた。相手はこちらの意図を汲み取り、自分の個性をストレートにぶつけて来る。短くも密度の濃い気持ちの良い時間だった。

 その出来事を彼女たちは今も覚えているだろうか。写真の中には彼女たちの魅力が色褪せることなく生き続けている。それに対し僕は深い感謝の念を覚えずにはいられない。