レディオヘッド

 8月21日、幕張で行われたサマーソニック2016に行ってきた。最大のお目当ては、スタジアム会場でトリを務めるUKが誇るオルタナティブロックの雄、レディオヘッドだ。

 高校の頃に出会ったビートルズ以来、さまざまなロックを聴いてきたが、90年代以降はあまり聴かなくなっていた。だが、10年ほど前に組まれたロック誕生50年の特集番組で90年代はオルタナティブロックと呼ばれる分野が台頭した時期だと知った。オルタナティブロックというのは、80年代ロック界を席巻していたヘビーメタルに対抗する形で出てきた音楽で、商業主義に背を向け内面的な精神性を追求しているのが特徴だった。

 早速、有名どころのバンドを幾つか聴いてみたが、自らの世界への共感を求めるようなメロディーが鼻につきなかなか受け入れられなかった。だが、そんな中でレディオヘッドは他のバンドとは一線を画していた。彼らの音楽はセンチメンタリズムを廃し、聴衆に媚びるところが一切なかった。当初は、あまりにも抽象的で乾いた音楽に戸惑わされが、そのクオリティーは間違いなく一級だった。繰り返し聴くうちに次第にその音楽世界に引き込まれ、気がつけばこれこそが自分が求めていた音楽だと感じるほどになったのである。

 バンドの中心は作詞作曲を一手に担うボーカルのトム・ヨークだ。彼の傑出した詩心とブレない精神がレディオヘッドを永く音楽シーンの最前線に立たせてきたことは間違いない。だが、他の4人のメンバーの卓越した技術と創造性がなければ彼らの音楽はありえなかった。メンバー全員の才能が結集して初めてレディオヘッドという意思を持った有機体となっているのだ。その結果、かつてのプログレッシブロックを薄っぺらく感じさせるほど密度が高く奥行きの深い音楽を生み出すことができるのである。

 とはいえ、彼らの音楽はノリのいいリズムやメロディーで観客を盛り上げるタイプの音楽ではない。ロマンティックなラブソングもない。一人で向き合って聴くにはいいが、果たしてライブ会場の聴衆は盛り上がるのだろうか。一体どのようなパフォーマンスを見せてくれるのか想像がつかなかった。

 幕が開くと、まず5月に発売されたばかりの新アルバムから立て続けに5曲が演奏された。いきなり彼らの「今」をぶつけられ多くのファンは少し戸惑い気味だ。それを見透かすように名曲AIR BAGが始まる。聴衆は一気にヒートアップし、腹の底から揺さぶられるような迫力に会場全体が揺さぶられる。たが、それは決して名曲が誘う郷愁によるものではない。過去を足場にして、レディオヘッドがすでに新たな堅牢な世界を構築していることを聴衆が理解した結果なのだ。計算された展開に思わず唸らされる。

 緊張感の中に繊細なメロディーを奏で、次の瞬間には容赦のない大音響が怒涛のように押し寄せる。彼らは自らの音楽を正面から示し、溢れんばかりの創造力で観客を圧倒する。それはとてもCDで伝えられるものではない。彼らの音楽はこれほど豊かなものだったのだ。これこそ彼らのライブであり、これこそがレディオヘッドの音楽なのである。

二人が写真に求めたもの

 先日開いた写真展で、かつてモデルをお願いしたMさんとトークライブを行った。二人の関係は17年前、原宿で声をかけて写真を撮らせてもらったときに遡る。その写真を送る際、改めてモデルになってくれないかと依頼したところ引き受けてくれたのである。

 彼女は当時、プロのファッションモデルに憧れ仙台から上京したばかりだった。僕はといえば、写真についても人生についても暗中模索の状態だった。

 二人は六本木や新宿の薄汚れた路地を歩きながら気に入った場所を見つけると荷物を置いて撮影した。レトロな街並と洗練されたファッションのミスマッチが狙いだったが、衣装や髪型を次々と変えポーズを取る彼女をいかに撮るか、かなりのプレッシャーだった。

 撮影は2年余り10回ほど続いたが、原宿で撮ったのが最後になった。次第に当初の緊張感が薄れ、良い写真が撮れなくなっていた。それから2-3年して「仙台に帰ることにした」という電話をもらったのを覚えているが、その後、連絡を取り合うことはなかった。

 ところが、2年程前にふとしたきっかけで彼女のことをfacebookで探してみるとあっさり見つかった。連絡してみると結婚して関西に住んでいた。しかも、今もファッションモデルの仕事を続けている言う。ホッとすると同時に心から拍手を送りたい気持ちだった。

 その後も再会の機会はなかったが、今回の対談の話が出ると、すぐさま彼女のことが浮かんだ。こんなチャンスは滅多にない。思い切って誘ってみると快く応じてくれたわけだ。

 再会するなり彼女の顔にかつての悪戯っぽい笑顔が弾けた。「変わらないね」と言うと、すかさず「前より綺麗になったと言って欲しかったな」という返事が返ってきた。それがまた彼女らしかった。

 トークライブでは、久しぶりに自分の写真に対面した感想を聞いてみた。すると彼女は迷うことなく「青い」と言った。実は当時から彼女は自分の写真に対して不満そうだった。もっとモードっぽい写真を期待しているんだろうと勝手に思っていた。だが、そうではなかったのだ。当時から彼女がこだわっていたのは、写真の中の自分がいかに洗練されているかということだったのである。彼女の不満は自分の未熟さに向けられたものだった。

 モデル写真と言えども表情やポーズを撮ることが目的ではない。その場にモデルが立つことで喚起されるイメージをどのような構図で捉えるかが勝負なのだ。だが、結果的にストイックに自分を追求する彼女のおかげでこちらのイメージが膨らんだのである。

 彼女にはもう一つ、なぜ、あれほど何度も撮影に付き合ってくれたのかと聞いてみたかった。撮影は楽ではなかったからだ。「楽しかったからじゃないですか。」少し考えてから彼女が答えた。意外な答えだった。僕は、救われたように感じた。同時に、もっと彼女に何かしてあげられたのではないかという後悔の念にも囚われていた。

 彼女との再会はあの2年間を蘇らせ、その意味を問い直す機会となった。素晴らしいことに、その時間は二人で撮った写真の中に凝縮されている。

イチロー

 先日、イチローが日米通算安打数でピート・ローズのメジャーリーグ記録を抜いた。永年、彼の成績に一喜一憂してきたファンの一人として、今回の記録達成には特別の感慨がある。

 日米通算ということについては様々な意見があり、ローズ自身は自らの記録と比較することは認めていない。だが、日本のほうが年間試合数が25-30試合も少なく、メジャーに移って以降、年間安打数は増えている。1年に同じヒット数を打つのはむしろ日本においての方が難しい。つまり、もし最初からメジャーでプレイしていればより多くのヒットを打った可能性が高いのである。

 もちろんそれは日本のレベルがメジャーより高いことを意味するものではない。イチローがメジャーで好調だった最初の10年間の打率を日本で首位打者だった7年間と比較すると3分ほど下がっている。渡米した他の日本人選手の成績も日本時代に比べて軒並み下がっている。もちろんだからこそメジャーに挑戦する意味があるのだ。

 2007年と2009年は終盤まで首位打者争いを繰り広げていた。だが、最後は振り切られる形で2位に終わった。その時、イチローが見せた無念そうな顔が忘れられない。絶好調の自分をさらに上回る選手がいるのである。それがメジャーなのだ。

 とはいえ彼がメジャーで残した10年連続3割200安打以上という記録は並大抵のものではない。その抜群の安定度は一流のメジャーリーガーを向こうに回しても抜きん出ている。当たり前のように好成績を残し、絶対に期待を裏切らない。それがイチローだった。

 2011年のシーズンも開幕から1ヶ月はいつものように3割をキープしていた。だが、打率は徐々に落ち始め、とうとうその年は2割7分2厘に終わった。信じがたいことだった。最も受け入れ難かったのはイチロー自身だろう。なぜ調子が上がらないのか。困惑する表情が痛々しい。それまでも記録への重圧に苦しんできたが、衰えに直面したのはその時が初めてだった。鋭い打球が減るにつれ、彼の表情から自信が消えていった。

 翌年以降も調子は戻らず、昨年はなんと2割2分9厘まで打率を落とした。もしローズの記録とメジャー3000本安打にあと僅かという状況でなければ引退していただろう。今年はそれらの記録に挑戦できるラストチャンスだと思われていた。ここまで来たらなんとかクリアして最後の花道を飾って欲しい。祈るような気持ちで開幕を迎えた。

 ところがシーズンが始まると、5年間の鬱憤を晴らすように彼は打ち始めた。42歳にして天才のバッティングが戻ってきたのだ。まさにそれまでの苦労に対して神様が報いてくれたとしか言いようがない。打率は3割を超え、早々にローズの記録を抜き去ったのだ。

 周りが何と言おうが、これが彼にとって最もこだわりのある記録だったことは間違いない。それに対して正当な評価がなされないことに彼の落胆は大きい。だがローズが認めないのは、裏を返せばそれだけイチローの記録の価値を知っているからに他ならない。細かい数字はともかく、イチローがローズに並ぶ選手であることは遠からず認められるに違いない。

欅の街で出会ったアートな優しさ

この6月から7月にかけて名古屋の書店のギャラリーで写真展を開くことになり、かつて原宿で撮った女性のポートレイトを引っ張り出してきてどれを展示するか選んでいた。

 不思議なことに、撮った頃に比べて出来の良し悪しがよく分かるようになっている。恐らく当時は思い入れが強過ぎてどの写真も捨てがたかったのだろう。そもそも何が撮りたいのか、必死で撮っていたときにはよくわからなかったのかもしれない。15年の歳月は、写真を見る目だけでなく自分自身も少しは成長させたようだ。

 展示用に引き伸ばした写真を娘に見せたら、「テーマは何なの?」と聞かれた。次々と今の自分と同年代の女性の写真を見せられ、いったい何のためにそんな写真を撮ったのだろうと訝ったのかもしれない。いずれにせよテーマなんてものは考えたこともなかった。それ以前に自分が撮りたい写真を見つけるために悪戦苦闘していたのだから。

 魅力的な人を撮れば魅力的な写真が撮れるわけではない。それどころか写真を撮るという行為自体が被写体に影響を与える。カメラを構えた瞬間、それまでの笑顔もたちまち消えてしまうのだ。それは写真を撮る際に誰もが直面するジレンマだ。

 しかし、考えてみれば、それは撮影という行為を相手がいかに強く意識しているかを物語っている。確かに最近のようにスマホで撮れば、相手はあまり気にしないかもしれないが、同時に何か肝心なものまでも抜け落ちてしまうのではないだろうか。

 かつて原宿の神宮橋の上にはコスプレ連中が大勢たむろしていた。彼女たちは頼めば大抵は撮らせてくれた。しかもこちらがカメラを構えても緊張して表情がこわばるようなことはない。だがその写真はつまらなかった。あらかじめ準備されたものを撮っているだけだからだ。そこには撮るときの緊張感もない代わりに、心に突き刺さってくるような感動もない。

 僕はあくまでも被写体との関わりの中で撮ることにこだわっていた。相手と正面向かって対峙し、しかも最高の表情を引き出すことに取り憑かれたようになっていた。

 写真を撮らせて欲しいと頼むのはアンケートを頼むのとはちょっと違う。それは同時に相手が魅力的だということを伝えているのだ。その上で、こちらの意欲に向き合い撮影という土俵に登ってくれるかどうかを問うているのだ。もちろん警戒されることもあるが、声をかけられたことを素直に喜んでくれることも少なくなかった。そして中には撮影というアートな体験に一肌脱いでみようとしてくれる女性たちもいたのである。それはもちろん、そこが原宿であることと無関係ではなかった。

 良い写真が撮れるときは以心伝心で気持ちが伝わりすぐに撮影に集中できた。相手はこちらの意図を汲み取り、自分の個性をストレートにぶつけて来る。短くも密度の濃い気持ちの良い時間だった。

 その出来事を彼女たちは今も覚えているだろうか。写真の中には彼女たちの魅力が色褪せることなく生き続けている。それに対し僕は深い感謝の念を覚えずにはいられない。

カフカの世界

 フランツ・カフカの作品は、代表作である「審判」や「城」をはじめ多くが未完である。にもかかわらず彼が20世紀最高の作家の一人とされるのは、彼の作品の魅力の核心がストーリー以外のところにあるからだろう。事実、彼の話はどこを切っても謎に満ちた創造性が溢れ出し、読者の心の奥に侵入して人生観を変えるような深い跡を残していくのだ。

 カフカの作品には夢を想起させるシーンが数多く現れる。たとえば「審判」には主人公ヨーゼフ・Kが叔父の紹介で弁護士のところに行く次のような場面がある。

 突如として告訴されたKだが、当時すでに裁判の状況はかなり悪くなっていた。そこに田舎の叔父が助っ人として現れ、Kを知り合いの弁護士に引き合わせる。幸運にもその場には彼の裁判を牛耳れる事務局長が居合わせ、Kの裁判は一気に好転するかに見えた。

 だが、そこで隣の部屋で陶器の割れる音がする。するとKは様子を見てくると言ってその重要な会談の場を出て行ってしまう。隣の部屋では弁護士の情婦と思われる看護婦のレーニがKを待っていた。レーニが誘惑するとKはたちまち彼女とねんごろな関係になり、隣の3人のことはすっかり忘れてしまう。事を終えて名残惜しそうにレーニの所を後にした時には、すでに事務局長は気を悪くして帰ってしまった後で、激怒した叔父がKを叱責するのである。Kは千載一遇のチャンスを逃してしまったのだ。

 常識的に見ればKの行動は愚かで不謹慎ということになるだろう。だが、この場面全体がどこか非現実的である。

 そもそも、こうしたピンチに都合よく事務局長が現れるというのは話が出来すぎている。それを暗示するかのように、Kと叔父は最初、事務局長がいることに気がつかなかった。彼は弁護士の部屋の暗い片隅に幽霊のように潜んでいたのである。Kは事務局長のような助っ人の出現を渇望しつつも、一方でそんなうまい話はないと思っているのだ。

 また、たとえそうした実力者に助っ人を頼むことができるとしてもKには抵抗がある。私利私欲にまみれた裁判所の権力に対して屈することはKの自尊心が許さないのだ。本来ならば正々堂々と持論を展開して裁判所を打ち負かしたい。しかし、すでにそうしたKの挑戦は大きな力の前に行き詰まっており、自分が訴訟に負ける姿に次第に恐怖を覚え始めている。できれば1日でも早くこの煩わしい裁判から逃れたい。

 カフカは、Kのその願望をレーニに対する性的な欲望にすり変えた。読者はKの非常識さに反感を覚えるだろう。だが、それこそ作者の狙いで、深層心理的にはKの葛藤はよりリアルなものとなるのである。

 われわれは普段社会的な常識に従って生きている。しかし、そこに生きる人々の心情は決して理屈通りの単純なものではない。そのため我々は常に葛藤しながら生きているのだが、その葛藤でさえも社会的な常識の中で解釈されてしまう。だが、カフカの目には常識の裏側で人々の葛藤が生き物のようにうごめく様がありありと見えていたのではなかろうか。

人口知能

 先日、グーグル傘下のディープマインド社が開発した人工知能囲碁ソフト、アルファー碁が、世界最強囲碁棋士の一人であるイ・セドル9段との5番勝負に4勝1敗で勝利した。

 これにより、とうとう人工知能が人間の知能を凌駕する日が来たと嘆く声が聞かれる一方、すでに将棋ではプロ棋士に勝っている人工知能が囲碁で勝っても不思議はないという意見もあった。人工知能と一口に言ってもその意味は曖昧で、今回の結果をどのように評価すべきかは、一部の専門家を除けばよくわからないというのが正直なところではないだろうか。

 チェスにおいては20年ほど前にすでにコンピューターが世界チャンピオンに勝利しているが、その際、コンピューターはあらゆる手筋をしらみつぶしに計算した。しかし、囲碁や将棋においてはチェスに比べて指し手のパターンがはるかに多く、コンピューターといえども全てを読み切ることはとてもできない。そこで登場するのが人工知能の技術だ。先を読む計算に加えてコンピューターに過去の膨大な棋譜を記憶させ、それを参考にしての各局面を判断し最善と思われる手を打っているのである。

 こうした話をすると多くの人が、人工知能は自らの知識で状況を判断しているのだと思うだろう。だが、実はその判断基準を決めているのは人間なのである。あらかじめ様々な局面を想定し、打てそうな手を幾つか選び出し、一つ一つにどの程度有利な手か点数を付けておくのだ。その際の人間の判断が、事実上コンピューターの強さを決めているのである。

 当然、この作業は膨大で人間がやれる範囲には限りがある。そのため、将棋においてはこのところプロ棋士並みに強くなったが、さらに指し手のバリエーションが多い囲碁では、コンピューターは最近までプロ棋士には全く歯が立たなかったのである。

 人間に頼らず人工知能が自ら局面の特徴を判断し最善手を見つけ出すことはできないものだろうか。実は囲碁や将棋に限らず画像や言語などの認識においても、人工知能が自ら特徴を見つけ出し学習していくことは苦手なのである。たとえば、人は一度コアラを見ればすぐにその特徴をつかみ、次にコアラを見れば一目でコアラだとわかる。しかし、人工知能ではあらかじめコアラの特徴を人間がインプットしてやらなければならないのだ。この特徴を学習する能力の低さは人工知能の最大の弱点であり、人工知能の利用範囲を著しく狭めてきたのである。

 ところが、2012年にその状況を一変させる事件が起きた。「ディープラーニング」の登場である。トロント大学のJ・ヒルトン教授が開発したこの方法により、人工知能が自ら特徴を見つけて学習する能力が飛躍的に高められた。その効果は絶大で、囲碁ソフトは専門家も驚くほど急速に強くなったのである。

 ディープラーニングは、現在、人工知能に革命を起こしつつある。それは囲碁に限らず、自動車運転の自動化のような劇的な変化を日常生活に引き起こすと考えられている。われわれは、今、人類史上稀に見る変革の時を迎えつつあるのかもしれない。

老いを生きる

 かつて世界的名指揮者、ヘルベルト・フォン・カラヤン氏はその高い音楽性と颯爽とした指揮振りで世界中を魅了した。同時に70歳を過ぎても自家用ジェット機を自ら操縦し、スカイダイビングやスキーにおいてもプロ顔負けの腕前を誇っていた。

 しかし、その彼も指揮者の職業病とも言える脊椎の病気に悩まされ、死の10年ほど前には脳梗塞にも見舞われた。晩年は歩行も困難になり、指揮台の上でも特製の椅子にもたれかからなければならなくなった。端正なギリシャ系の顔立ちもすっかり生気を失い、拍手に応えるために力を振り絞り体を震わせながら観客の方を振り向く姿がなんとも痛ましかった。

 スピードと優美さでその「カラヤン美学」を追求してきた完全主義者のマエストロが、自らの老いをどのように受け止めていたのだろうか。今となっては知る由もないが、老いをさらけ出しても指揮台に立ち続けたのには彼なりの哲学と覚悟があったに違いない。

 彼ほどの人間でもいつかは衰えるのだと、当時、かなりショックを受けたのを覚えている。だが、最近、自分の老いに対する考え方は少しずつ変わり始めている。それは母の衰えと無関係ではない。

 僕は昔から母が歳をとるのが辛かった。それは自分が歳を取ることより受け入れがたかった。夜、ふと目が覚め、いつかは母も衰えるのだろうかと思うと眠れなくなった。だが、いざ母に介護が必要な状況になると、逆に不安は消えた。とにかく目の前で次々と発生する問題に対処しなければならないのだ。

 母は現在83歳だが、しばらく前まで店頭に立って仕事を続けていた。2年前に引退を決めた際もその後の人生に思いを馳せていた。しかし、その期待はあっさり裏切られた。うっかり転んで手首を骨折すると嵩にかかったように老いの波が押し寄せてきたのである。

 以前は簡単にできたことができなくなり、次第に他人の助けが必要となった。本人も何とか衰えを防ごうと必死で、デイサービスでは積極的に筋肉トレーニングに励み、新たに囲碁にも挑戦した。だが、不調な時間が次第に長くなっていく。当初は仕事を急に辞めたせいで鬱状態になったかとも思ったが、どうもそれだけではなさそうだ。こんなはずではないという思いが余計に本人を苦しめる。

 母はこれまで人生や死についてどのように考えてきたのだろうか。思えば母とそんな突っ込んだ話をしたことはない。だが、老人だからと言って個性を無視したような扱いをされるのは耐えられない。本人の意志はできる限り大切にしてやりたい。

 老いは自然の摂理だ。他人の世話になるのも恥じることはない。そして、誰にでも死に至るまでの生を精一杯生きる権利はある。それは、もはや誰のためでもない。自分だけのために残された最後の貴重な時間なのだ。老いてこそ見えて来ることもあるに違いない。

 かつてカラヤン氏も自らの老いと一人向き合い、誰にも邪魔されることなく自らの最後の時を生きたのではないだろうか。

「経済最優先」の嘘

 先日、日銀がマイナス金利を導入した。銀行が日銀の当座預金にお金を預ける際に、利息を払う代わりに手数料を課すことにしたのである。

 これまで日銀は金融緩和政策により銀行から国債を買い上げ銀行に資金を供給してきた。その資金が企業への融資に回ると期待したからだ。ところが、肝心の企業の投資意欲は低く融資は拡大しない。やむなく銀行は日銀にその金を預け利息を取ってきたが、これでは金融緩和策の効果がない。そこで日銀は企業への融資にもっと力を入れるよう銀行にプレッシャーをかけたわけである。しかし、それで必要のない金を企業が果たして借りるだろうか。

 本来ならば企業の資金ニーズを増やすのが筋だ。そのためには新たな投資意欲を刺激するような政策が必要だ。しかし、今の日本では新規事業を立ち上げようとしてもすぐに規制の壁にぶち当たる。また、銀行は実績のない新参者にはけっして金を貸さない。今の銀行には将来有望な企業を発掘して育てていくという能力が決定的に欠如しており、金融緩和をしても融資が増えない一因となっている。

 日本経済を蝕むそうした問題に切り込まなければ、本格的な景気の回復は期待できない。だが、そんなことをすれば既得権者から反発が起き、政府に対する逆風も強まるだろう。なんとか痛みを伴わず見栄えのする景気対策はないものか。そこで熟慮の末考え出されたのが大規模な金融緩和政策だった。

 だが、ここに来てそうした安直な政策もメッキが剥がれてきたようである。マイナス金利の導入により、一旦は800円あまり上昇した株価は、その後、1週間足らずで元に戻ってしまった。政府は原油安や中国の景気悪化など外部にその理由を求めているが、市場はすでに金融緩和の限界を悟り、逆にそのリスクの回避に動き始めている。

 これまで安倍政権は「経済最優先」を高らかに掲げ、金融緩和によって円安に誘導し株価を吊り上げてきた。それによって得た高い支持率を背景に選挙に大勝し、その勢いを借りて強引に安保法制を可決させた。憲法違反などどこ吹く風である。原発の再稼動も開始した。国民の生命を脅かす使用済み核燃料のような頭の痛い問題はもちろん棚上げで、すっかり福島第1原発事故前に逆戻りしてしまった感がある。一方、最優先だった経済はどうか。実質賃金は4年連続低下で消費は低迷、GDPも2期連続の減少という惨憺たる結果だ。

 こうした経緯を振り返ると、安倍氏が心血を注いだのは自らの独善的な政策の実現だけで、「経済最優先」はそれらを遂行するための巧妙なカモフラージュに過ぎなかったと言わざるを得ない。少なくとも最優先で経済に取り組む覚悟があったとは思えないし、またその能力もなかったのだ。もっとも、安倍氏当人は金融緩和マジックで経済が立ち直ると本気で信じていた節もあるが。

 ここに来て次の選挙を睨んだ人気取り政策がまたぞろ繰り出されている。だが、いつまでも騙されているわけにはいかない。ツケを払わされるのは国民なのだ。

柔軟な発想への挑戦

 毎年、正月の休みが終わり、明日から仕事かと思うと気が重いものだが、今年はちょっと違っている。何かワクワクしている自分がいるのだ。

 昨年はピアノの弾き方で画期的な進展があった。今からちょうど1年ほど前、ずっと超えられなかった壁をひょっとしたら超えられるのではないかと直感的に思った。その直感を信じてあれこれ思い切った工夫をしてみるうちに急に世界が開けてきたのだ。

 そうしたことは他のことでも起きるかもしれない。永年、人生で難しさを感じてきたことは他にもいろいろある。それが次々と解決していけばこれほど痛快なことはない。

 もっとも自分では大発見だと興奮しているが、ある程度ピアノが弾ける人にとっては僕の「発見」など当たり前のことで、ことさら騒ぎたてるようなことではない。また、ピアノでは生徒の欠点をよく理解した先生の手厚い指導があったわけだが、他のことではそうはいかない。果たしてそんなうまい話が転がっているものだろうか。

 僕はもともとあまり理詰めで考えるタイプではない。バカや冗談を言っているうちに様々な考えが浮かんで来る方だ。ただ、一旦あることにこだわり始めるとそこから抜け出せなくなる傾向がある。妥協せずに考えを巡らし、何とか弁証法的な解決を見つけ出そうとする。良かれと思ってやっているので、そのこだわりを捨てるのには強い抵抗がある。だが、そのこだわりこそが自分から発想の柔軟性を奪ってきたことに、最近ようやく気がついたのだ。

 「柔軟な発想」とはしばしば使われるフレイズだが、実際にそれを行うのは至難の技だ。「押してダメなら引いてみな」という程度で問題が解決すれば苦労しない。いくら発想を変えようとしても、所詮、小さなコップの中でぐるぐる回っているだけに終わる場合がほとんどなのだ。だが、ピアノの事件は僕の目から鱗を落とし、自分が陥っていた罠から抜け出すためのヒントを与えてくれた。柔軟な発想をする際に何が重要なのかを指し示してくれたような気がするのだ。

 まずは手始めに、これまで自分が書けなかったものが果たして書けるかどうか、昨年末からいろいろ試してみている。すると不思議なことに、突然、文体というものの重要性をはっきり感じるようになった。それまで文体というのは文章を書いた結果として表れるものだと思っていたが、実は文章を書く際に自分の中から発想を引き出してくる梃子のようなものであることに気がついたのだ。文章における文体は、まさにピアノを弾く際の手首の使い方なのである。

 新たなアプローチはまだ始まったばかりで、そこから何が出てくるかは未知数だ。だが、結果にはあまりこだわりたくない。結果にこだわることは、柔軟な発想の妨げにこそなれ助けにはならない。最近、そうした実感がある。

 やり方を変えれば、一時的にうまくいかなくなる場合もある。それはピアノで実証済みだ。だが、それを恐れる必要はない。今の僕に失うものは何もないのだから。

決めない力

 「職業としての小説家」の中で村上春樹氏は、小説を書く際には簡単に結論を出さないことが大切だと繰り返し述べている。理路整然とすばやく結論を導き出すのは小説の役割ではない。最終的には何か結論に達するにせよ、そこに至までの物語をいかに読ませるかが小説の醍醐味なのだ。ただ、村上氏にとって結論を出さないということはそれ以上の意味があるようである。

 彼の最初の長編小説、「羊を巡る冒険」のなかで、主人公の親友(の幽霊)が自分が死んだ理由を語る場面がある。彼は自分の弱さのために命を絶たざるを得なくなったと告白する。だが、読者はむしろそこに彼の強さを感じるのである。一見、弱さのように見えるものが実は強さでありその逆もある。村上氏が描くのは、そうした人間の心の微妙さなのだ。

 今の世の中はあまりにも早急に白黒つけたがるのではないか、と村上氏は言う。確かに犯罪報道などを見てみても、犯人を一方的に悪人に仕立て上げるようなケースが目に付く。また、われわれも自分の態度を決めなければならないような状況にしばしば直面する。世論調査にしろ何にしろアンケートでは限られた選択肢の中からどれかを選ばなければならならず、Facebookでは「いいね!」の選択を常に迫られている。

 だが、もともと人の心などというものはそう簡単に白黒つけられるものではない。それをあえて分類したがるのは、複雑な人間の心理を単純化することで情報として利用しやすくするためだろう。われわれはいつの間にか白と黒の中間が許されない社会に生きる羽目になっているのだ。

 すぐに結論を出す必要に迫られることは世の中にそれほど多くはないはずだ、と村上氏は言う。もちろん、日常の仕事を思い浮かべれば何事にも早急な判断を求められているように見える。だが、それはそういう仕組みに身を置いているからであって、一歩引いて考えてみれば、本当に大切な事なのかどうか確かにかなり疑わしいのである。

 村上氏の小説の主人公は何かを決めつけることがない。結論が一見明らかな場合でも明確な判断を避ける。そして曖昧な状態を抱えたまま辛抱強く期が熟すのを待つのである。結論を出すのは簡単だ。だが、その瞬間、ものごとの本質は覆い隠され、永遠に葬り去られてしまうかもしれないのだ。

 人間の心の深みを描くために、村上氏は自らの心の闇に降りて行く必要があると言う。そこから持ち帰ったものを養分にして小説を書いているのだ。そのため彼は身体の鍛錬を怠らない。自らの心の闇と対峙するのは強い精神力を必要とし、それを支えるためには強靭な肉体が必要だと強調する。

 村上氏の小説の読者の多くは、現代社会の中で無闇に決断を迫られることにより生じた心の歪みが、彼の描く決めない力によって次第に癒やされ恢復していくところに惹かれているのではないだろうか。