モーツアルトの魅力(7) 無垢な心

 モーツァルトの第25番のピアノコンチェルトは彼の円熟期に書かれた傑作である。明るさと暗さが微妙に交錯する様はオペラを彷彿とさせ、その終楽章はまさにモーツアルトの創造力の爆発だ。僕にとってはこの曲は人生で与えられた最高のプレゼントの一つだ。

 ところが、先日、久しぶりにこの曲を聴いてみて愕然とした。以前、聴いたときに比べて物足りなく感じられたのだ。安直にミニコンポで聴いたのが良くなかったのか。いや、ひょっとしたら若い頃に比べ感受性が落ちているのではないか。あの小林秀雄も「モオツァルト」のなかで、今の自分はト短調のシンフォニーを20年前より良く理解しているだろうかと、自問している。彼の音楽は人生を重ねれば理解が深まるというものではない。

 数日後、MacBook AirにAKGの高級ヘッドフォンを刺して再度聴いてみた。もちろんリベンジを期して。25番の終楽章は明るくさりげない調子で始まり、時折短調と長調が絡みながらも穏やかに進行して行く。だが、しばらくするとモーツァルト特有の即興的な展開から曲は急に走り出し一気に緊張感が高まる。その瞬間、その何かに取り憑かれたかのように無心に前に進む音楽に、僕は大袈裟ではなく神を感じていた。

 モーツァルトの音楽は聴き方によって実にさまざまな顔を持つ。BGMとして聞き流しても、その軽やかな音楽は上質の雰囲気を醸し出してくれるだろう。本気で向き合えば、その絶妙な音色、独特の即興的な展開、調和のとれた構造美に心を奪われるに違いない。さらに細部に耳を澄ませれば、何のてらいもない単純な音が繊細で深い表情を生み出していることに気づくだろう。

 だが、彼の音楽にはそうした客観的な鑑賞を超えたものがある。彼の音楽はわれわれの心に普段想像したこともない崇高な感情を呼び起こすのだ。それは自分のなかに元々あったものだろうが、なぜそれが呼び起こされたのか皆目わからない。

 モーツァルトの音楽の核心は無垢な心にある。だが、それはアイネ・クライネ・ナハトムジークのメロディーが子供のように純真だ、というような意味ではない。無垢とは、現実をありのままに受け入れ、それに心が自然に反応をすることだ。幸福な時間はいつまでも続いて欲しい。だが、それは不可能だと悟れば、躊躇なく次の一歩を踏み出す。傷つくときは傷つき、喜ぶときは喜ぶ。モーツァルトの音楽はその繰り返しだ。だが、その間合いを彼が音で表した時、われわれは信じられないほど感情を揺さぶられることになるのだ。

 モーツァルトという芸術家は、あらゆる芸術家のなかで最も自分をさらけ出した芸術家、自分をさらけ出すことをそのまま芸術に昇華することができた唯一の芸術家ではなかろうか。だが、彼の美しいメロディーが裸の心を表していることにはなかなか気づかない。それに気づくためには、われわれが心にまとっている鎧を脱ぎ捨てなければならない。

 モーツァルトの音楽は聴くものの心の自由度をはかる試金石だ。彼の無垢な心に共鳴できた時、われわれの心は一歩成長し、あらたな幸福を発見することになるだろう。

自分の意識と他人の意識

 子供の頃、腑に落ちないことがあった。脳があるから意識があるというが、それではなぜ自分の意識は自分の脳に宿り、友人のF君の脳には宿らないのだろうか。

 我々は各自自分の意識を持っているが、他人に自分と同様の意識があるかどうかは実は確かめようがない。他人にも意識があるというのは我々の勝手な想像なのだ。科学的な立場からすれば、他人の行動を理解するためには必ずしも意識などというものを持ち出す必要はなく、単に脳の発達した生物としての客観的な振る舞いを解析すればよい。

 人間にせよ猫にせよ、あるいはミミズにせよ同じ多細胞生物だ。脳が発達するほど、その行動は複雑になり、どこかの段階であたかも意識を持っているかのような行動をするようになる。脳がどうやってそんな複雑な行動を可能にしているのかは未だに神秘に包まれているが、800億個もある脳細胞から突き出した軸索が複雑に絡み合いことで膨大なネットワークが形成され、それが外部からの刺激に反応することで肉体にさまざまな指示を出す。それによる行動が、他者から見ればあたかも意識があるかのように見えるのだ。

 他人の行動に意識を感じるのは我々の想像に過ぎないが、自分の意識については事情が全く異なる。自分には明確に意識がある。自分の脳とはいえ脳はあくまで客体である。客体である脳が、一体どうやって主体としての自分の意識を生むのだろうか。

 気分が鬱のときは脳の状態はこうだというように、自分の意識と脳の状態の間に密接な関係がある。将来は脳の状態を調べることにより、あなたの満足度は何%、あなたの怒りは何ポイントというように自分の意識の状態を数値化できるようになるかもしれない。

 だが、いくらそんなことをしても自分の意識がどうやって生まれるのかを説明することは出来ない。自分の感覚、自分の感情といったものは客観的に表した途端、この自分が感じている感覚とは全く別物になってしまう。主体を客観的に取り扱うことは本質的に不可能なのだ。

 客観的に扱えない以上、物理的な対象にはなり得ない。つまり、自分の意識は物理的には存在しないと言わざるを得ない。だが、自己として意識は確かに存在する。この矛盾を解決するためには、自己意識は物理的世界とは別の世界に存在すると考えるべきではないだろうか。別の世界とは言っても、それはむしろ我々が勝手に物理的世界だけを世界だと考えているからであって、客観的に取り扱えるものだけでこの世界を理解しようとすることにそもそも無理があるのだ。

 生まれた時から今の自分のような意識があるわけではない。意識は次第に言葉を身につけ、豊かな感情を育み、さまざまな思考を巡らすようになるが、これらは人との関わりのなかで形成されて行くものだ。自分の肉体を介して物理的世界とつながり、さらに多くの人との交流を通して次第に成長する。一言で自己意識と言っても、非常に複雑で曖昧な関係性の上に成り立っているのだ。

「意識」は何のためにあるのか

 生物は進化によって脳を発達させてきた。脳の発達とともに、そこに生まれた「意識」も高度になり、おかげで人類は芸術を生み、科学を発展させ文明を築いてきた。こうした知的な進歩も自然淘汰の結果なのか。あるいは「意識」が絡む別のプロセスなのだろうか。

 近年、脳の研究が進み、脳のどの部分が感情や知覚に関わっているかというようなことは急速にわかってきた。だが、脳がどのように「意識」を生み出すのかという肝心のところは全くわかっていない。記憶についても永年研究されて来たが、未だに脳内に記憶の痕跡は見つかっていない。物理的観点に立てば、脳内に存在するものは物質か電気信号しかない。脳はそれらを使って「意識」を生み出しているのだろうか。

 人間のような多細胞生物は、何十兆個もの細胞がそれぞれ自分の役割を果たしながら互いに連携して個体を形成しているスーパーシステムだ。何か食べれば胃や腸で勝手に消化吸収され、その栄養は全身の細胞にくまなく運ばれる。その仕組みは気が遠くなるほど複雑で巧妙だが、我々は何も指示する必要はない。体が全て勝手にやってくれるのだ。そもそも体のなかで「意識」がコントロールできるのは、せいぜい一部の筋肉くらいのもので、細胞一つ一つはおろか、内蔵も思うようにはならない。もともとスーパーシステムは「意識」などなくても十分やっていけるのだ。

 むしろ発達した「意識」は、肉体にとってかなり厄介なしろものだ。ダイエットを「意識」する女性は体に必要な栄養を十分取ってくれない。酒好きは飲み過ぎて肝臓を痛める。「意識」がやることは、肉体にとってはマイナスである場合が多い。

 もちろん「意識」は肉体を無視して勝手に振る舞えるわけではない。体が栄養の供給をもとめれば空腹感を覚えるし、病気になれば苦しみに耐えなければならない。肉体から「意識」へのフィードバックだ。「意識」は肉体に対して指示を出すが、同時に肉体の状態を常に「意識」させられてもいるのだ。「意識」が自らの欲望を満たそうと肉体を最大限利用するためには、自分の棲む宿主が滅びないように自重する必要があるわけだ。

 「意識」は目や耳をつかって知覚し、さらに脳を使って思考し、判断し、手足を動かして行動する。一方、肉体はそうした「意識」を牽制しつつ、自らは生命システムの管理下で淡々と生きている。こうした「意識」と肉体のやり取りは、脳を含む神経系により媒介されている。おかげで両者は互いに異なる目的を持ちつつも共存しているのだ。

 肉体は老化とともに衰え、やがて死ぬ。だが、それは生命システムに最初からプログラムされた予定通りの成り行きだ。生物は子孫を残せばひとまず目的を達成したといえる。

 一方、「意識」は肉体が衰えた後も、それをも糧としてさらに成長を続けようとする。それは、次の世代に出来るだけ多くのものを伝えようとするためだろうか。あるいは、肉体の死後、「意識」は肉体から離れざるを得なくなるため、それまでに出来るだけ肉体を利用して自らを高めようとしているのだろうか。

生き方さがし その後

 大学3年の頃、教授に大学院の進路について相談する機会があった。そこで自分の希望を話すと、教授はしばらく考え込んだ末、「君がやりたいことをやれるところはないね」と答えた。僕がやりたいことは、物理ではなく哲学だと言うのだ。

 確かに大学院の受験が迫ってくると、どの分野を目指すか迷った。物理は好きなのに、分野をどれか一つに絞るとなると何か似て非なるものに思えてくる。進学するにはしたが、教授の予言通り大学院では僕が望んだ物理はやれなかった。

 なんとか学位は取ったものの、卒業後、大学に残ることはためらわれた。結局、企業の研究所に進んだが、自分のやりたい物理からはますます遠ざかるばかりだった。

 こんな話をすると、好きなことをやって食って行こうなどと虫が良すぎると叱られそうだ。そんなことができるのは限られた天才だけだと。いや、才能があっても簡単ではない。あのイチローですら、今では高校の頃のように野球を楽しむことはできないと言っているのだ。

 だが、もちろんそんなことは百も承知だった。しかし、それでもあきられないのがつらいところだ。その後、とうとう会社も辞め、物理も捨て、自分の生き方を求めて暗中模索を続けたが、何をやっても手応えは得られなかった。

 ところが、最近、ふと自分がそうした焦りをほとんど感じていないことに気がついた。それには、5年ほど前から物理学者の同級生と物理について定期的に議論するようになったことが大きい。以前は、専門から離れて物理を考えるのには抵抗があった。趣味で物理をやりたくなかった。しかし、このまま物理を忘れてしまっては、後々必ず後悔する。そこで思い切って友人のところに押し掛け、議論を吹っかけたのだ。当初はなかなか話が噛み合なかったが、次第にお互いの理解が深まり始めた。かつて哲学と揶揄された僕の考えは、どうやら物理の問題として考察する意味がありそうだった。

 ただ、最近の意識の変化は、この物理の復活だけによるものではない。10年前にエッセイを書き始めていて以来、自分らしさを強く意識するようになった。自分なりに納得のいくものを書こうと思えば、自ずと自分らしさを表現する必要がある。そこにさらに自分らしい発想が生まれてこそ良いエッセイになる。恐らく、エッセイを書く作業を繰り返すことにより、自分らしさをどうすれば発揮できるのか次第にわかってきたのではないだろうか。それは物理やエッセイに限らない。他のさまざまなことに対して、徐々に自分らしい取り組み方ができるようになって来ているように思うのだ。

 どの分野で成功している人たちも、必ず行き詰まったり悩んだりしている。だが、良い仕事をしている人たちは、壁に当たる度に自分のやり方で乗り越えているのだ。そこには自分らしさ、自分の才能によって克服していると言う強い自負があるに違いない。

 やりたいことは、どこかに転がっているわけではない。やりたいことをやるというのは、実は困難を乗り越えるための自分流のやり方を身につけることなのかもしれない。

自治体消滅

 先日、日本創世会議が公表した「消滅可能性市町村リスト」が話題になった。日本の人口減少に伴い地方の過疎化が加速し2040年までに約半数の自治体が消滅するという衝撃の予想だ。この数字自体には異論もあるようだが、地方の職の減少が若者の都市への流出を加速し地方の人口減少に拍車が掛かっているのは紛れもない事実だ。

 かつて登山などで田舎に行くといつも疑問に思うことがあった。この辺りの人たちは一体どうやって生計を立てているのだろうか。工場があるわけでもなく、山間の土地は農業にも向かない。観光客目的の飲食店や土産物屋の客もまばらだ。にもかかわらず、道路はきれいに整備され、目を見張るような立派なトンネルが通っている。何十億もかかるそうした土木工事がいったいどれほどの観光収入につながるのだろうか。だが、ある時、それは観光目的などではなく、地元の雇用創出のためなのだと気づき目から鱗が落ちた。

 公共事業と並んでもう一つ田舎の経済を支えているのが年金である。田舎では高齢化が進み年金受給者の比率が大きい。年金は生活費として消費されるため、それを目当てとしてスーパーなどが進出する。繁盛しているのであたかも経済が回っているかのような錯覚に陥るが、ひたすら年金を消費しているだけで何かを生み出しているわけではない。

 現代の日本社会は、都会の生産活動で得られた利潤を税金や社会福祉費として吸い上げ、公共事業と年金を通じて地方に回す構造となっている。こうした仕組みが出来上がった裏には政治家の票稼ぎがある。時の政権は選挙対策として公共事業予算をばらまき、地方もそうした予算を当てにしてきた。だが、永年のそうした体質が地方から自力で何かを生み出す力をすっかり奪ってしまったのである。

 こうした構造は、日本の国際競争力と言う点からも大きなマイナスである。日本の国民一人当たりのGDPは世界第24位(2013年)と主要先進国の中ではもっとも低い水準だ。票稼ぎに奔走してきた政治家達の永年の方策が、日本を非常に生産効率の悪い国にしてしまったのである。大都市への産業や人口の集中は、ある意味ではこうした低い生産性を是正しようとする流れとも言える。国際競争が日本の弱者を振るい落とそうとしているのだ。

 消滅から逃れるために多くの自治体は定住を促し人口の流出を抑えるのに必死だ。住人に対するさまざまな優遇策を打ち、またそのための予算を獲得するために血眼になっている。しかし、国全体の予算状況が厳しい中、予算頼みの方策には限界がある。

 それよりも、都会にはない地方独自の魅力に目を向けるべきではないだろうか。海外の観光客から見れば、豊かな自然や伝統的な食に恵まれた日本の田舎は宝の山だ。地方が自立するためには、そうした自らの貴重な資源を最大限に生かす知恵と工夫が大切だ。

 自治体消滅は地方だけの問題ではない。自治体が消滅すれば地方から都市への人材供給がストップし、次は都市を労働人口不足が襲う。ばらまき体質と決別し、国を挙げて地方の資源を生かす対策に本気で取り組まなければ日本の明日はない。

バルテュスの衝撃

 2ヶ月ほど前にJRの秋葉原駅でバルテュス展の巨大なポスターを見かけた。そこに用いられていた作品は彼の代表作の一つ、「夢見るテレーズ」だった。少女が椅子に座って片膝をたて、パンツ丸見えの格好で横を向いて目を瞑っている。何か悩みでもあるのか、その表情は硬い。足下では猫が皿の水をなめている。強烈な印象の反面、一目見ただけではその意図は図りかねる。「称賛と誤解だらけの、20世紀最後の巨匠」というコピーは、その複雑な印象を巧く言い当てているように思えた。

 それからひと月ほどして、NHKの「バルテュスと彼女たちの関係」という番組が偶然目に飛び込んできた。俳優の豊川悦司さんが美術調査員に扮し、バルテュスが関わった女性たちとの関係を追いながら画家の本質に迫って行くと言うミステリー仕立ての番組だ。

 バルテュスは、少女が大人になる瞬間に取り憑かれた画家だった。それゆえ彼は一部の人からロリコン画家のレッテルを貼られてきたのだ。確かに彼は生涯、何人かの少女に心を奪われ、時には田舎の城館に隠棲したこともある。だが、彼がそうした少女に見出したものは、何か我々の想像を超えたもので、そこには天才の鋭い直感と洞察が感じられた。ただ、この番組からだけでは、彼の真の狙い、彼が追い求めた物が何であったのかを実感することは不可能だった。それを確かめるためには、この目で直に観てみるしかない。

 東京都美術館のバルテュス展では、誤解だらけの画家の作品を一目見ようと押し掛けた大勢の老若男女たちがバルテュスの強烈な個性に胸を射抜かれ、普段の展覧会では感じたことのないような熱気に包まれていた。バルテュスの絵には圧倒的な存在感があった。

 まず舌を巻いたのはその技術の高さだった。テーマの特殊性にばかり目が行き勝ちだが、その先入観は見事に裏切られた。彼は誇りを持って自らを職人と称していたが、この確かな技術的な裏付けなしでは、彼が追求する世界を描くことは到底不可能だったのだ。

 片胸はだけた少女が髪をとぎながら鏡に向かう姿を描いた「鏡の中のアリス」では、荒々しい筆のタッチが限りなく柔らかい胸の曲線を描き出しているのに驚かされる。髪はソフトだが、鏡を見る目は真っ白でまるで何かに取り憑かれているかのようだ。一方、足は人形のように無表情だ。これらが一体となることで、まるで汗のにおいが嗅ぎ取れるような濃厚なエロティシズムを発散すると同時に、何か超人的な生命力が描き出されている。

 バルテュスの考え抜かれた大胆な構図は瞬時にこちらの心を捉え、ある種の調和に満ちた安心感をもたらす。だが、同時に得体の知れないエネルギーが磁場のように伝わってきて、画家がそこに込めた世界が容易に見通せるものではないと思い知らされるのだ。

 生涯にわたって画家に強いインスピレーションを与え続けた少女たちに、彼は常に畏敬の念を持ってきたと言う。その思いは作品として結実すると同時に、彼の世界をさらに深めて行った。彼の絵が多くの人を惹きつけて止まないのは、そうした創作を貫くことで次第に純化されて行ったバルテュス自身がそこに現れているからに違いない。

大国の憂鬱

 今年2月、ロシアのソチでは悲願だった冬期オリンピックの開催を宣言するプーチン大統領の満足そうな姿があった。だが、その大会の最中、目と鼻の先のウクライナで親ロシア派のヤヌコービッチ大統領に対する抗議デモが起き、大統領は国外に逃亡した。この事件を機にロシア系住民が多いクリミア自治区ではウクライナからの独立の機運が高まり、国民投票を経て瞬く間にロシアに編入されてしまった。

 一方、東アジアでは、このところ中国の海洋進出が目立ち、日本だけでなくベトナムやフィリピンとも領土問題で緊張状態が続いている。中国は国内でも新疆ウイグル自治区などでしばしば発生している民族問題を力で抑え込もうとしている。先日の天安門事件25周年においても、5年前の20周年のときに比べ政府のはるかに神経質な対応が目についた。

 かつての冷戦時代に東側を代表したこの2大国は、今になってなぜこうした強権的な行動に出ているのだろうか。

 25年前に冷戦が終結すると、ロシアも中国も資本主義経済に舵を切った。90年代のロシアは経済危機に見舞われたが、プーチンが大統領に就任した頃から天然資源の価格が高騰し経済は急速に回復した。一方、中国では改革開放政策による外資の呼び込みに成功し、2000年代に入ると驚異的な経済成長を遂げた。もはやイデオロギーの時代は終わり、いつかはこの両国も資本主義経済の枠組みに取り込まれ、世界は一元化していくのではないかと期待された。だが、両国の発展の裏ではさまざまな矛盾が生じていたのである。

 ロシアでは、欧米的な近代化を推し進めるために製造業を立ち上げようとしたが、産業を牽引する中間層が育たず、結局、国家が管理する天然資源に頼る体質に逆戻りしてしまった。その一方で、グルジアやウクライナなどかつてソ連に属した国々が次第にヨーロッパとの関係を強め、ロシアが描く地域秩序と安全保障を脅かすようになった。

 中国では人件費の高騰による国際競争力の低下により経済が減速し始め、国民はかつてのように明るい未来を描くことができなくなってきた。貧富の格差が広がり環境問題も深刻さを増す中で、下手をすれば不満の矛先は一気に共産党政権に向きかねない状況にある。

 こうした現状を打開するために、かつての冷戦時代の統治手法が復活しつつあるのだ。両国に共通するのは、資本主義経済に移行後も自分たちの価値観を西側に合わせるつもりはないという点である。未だに民主主義は育たないし、育てようとする気も見られない。独裁的な権力の下で国家主導の発展を目指し、国民もそれを支持する体質は、かつての冷戦時代、ひいてはそれ以前の帝政時代と本質的に変わっていない。

 だが、冷戦時代とは決定的に異なる点がある。それは彼らが経済的に世界中と深く結びついていることである。身勝手なやり方は、すぐに我が身に跳ね返ってくるのだ。

 強引な態度はむしろ彼らの弱みの裏返しだろう。日本を含め各国は、挑発に乗らず事態の正確な分析と冷静な対応が望まれる。

ストレスを避けるスマホ社会

 先日、NHKのある番組で道徳教育の問題を取り上げていた。ネットの影響による最近の子供の常識のなさを観ていると何らかの対策が必要だと感じるが、国家主導の道徳教育でそれが何とかなるとは思えない。とはいえ、家庭だけで解決できるレベルでもなくなってきている。番組を見ているうちにこちらも頭が痛くなってきたが、ふと、問題の所在は全く別のところにあるのではないかと思い至った。

 そもそも道徳などというものは、社会との交流なしに身に付くはずがない。周りを気遣うことの大切さを実感するには、実際に町に出て経験することが必要で、学校で美談ばかり聞かせても意味がない。子供たちの道徳観の欠如の根底には、子供同士、あるいは社会と子供が直に交流する機会の不足があるのではないか。

 今の子供たちは、実社会との交流よりもネット社会に慣れている。子供同士の人間関係も希薄だ。友達同士で集まっても、各自が勝手にゲームに没頭しているようでは人間関係とは言えない。

 僕が子供の頃は、好きな友達もちょっと嫌な奴も一緒に遊んでいた。だからいつも人間関係は微妙だった。いじめる奴がいれば、いじめられている奴の味方になる者もいた。親しい仲間同士でもしょっちゅう衝突があった。今思えば、かなりストレスのある環境だが、当時はそれが当たり前で、それでも十分楽しかった。

 誰もがこうした環境のなかでさまざまな体験をすることにより成長した。問題児も次第に広い社会に出るにつれて人間関係の中で揉まれ、自然に常識をわきまえるようになった。そこにはいつもストレスがあったはずだが、それを乗り越えることで一人前になったのだ。だが、最近は子供に限らずおとなもそうしたストレスを避ける傾向にある。

 その背景には、スマホに象徴されるIT技術の進歩がある。もともとスマホは情報の伝達を助けるための技術である。確かにネットに接続すればどこにいても世界中の情報が得られるし、LINEを使えば誰にでもいつでも要件を伝えられる。SNSの発達は、アラブの春に象徴されるような大きな社会的ムーブメントをも可能にした。一見、コミュニケーションは高度化したかに見える。

 しかし、そうした派手さの裏で人と人の直接の交流は明らかに減って来ている。スマホによる交流の方がストレスが少ないからだ。LINEやFacebookの急速な普及は、単に便利さだけによるものではなく、そこではストレスなく自己主張できるからなのだ。

 自動車の普及で人類は歩かなくなり、運動不足からさまざまな健康上のトラブルに悩まされることになった。一方、スマホの普及は人間同士の直接の交流を減らし精神的な成長を阻害している。その結果、ストレスに脆く粘りのない不安定な社会が形成されつつある。このところ運動不足を補うためにはジムに通う人が増えたが、スマホによって失われた精神的な強さを補うためのリハビリが求められる日も近いうちにやって来るのだろうか。

米野の風景

 かつて僕が住んでいたのは、名古屋駅から近鉄で一駅目の米野という所だった。しばらく前にGoogle Mapの航空写真でこの辺りを見ていると何やら奇妙な建造物が見つかった。米野駅のすぐ脇を起点とし、近鉄や関西本線の線路を一気に跨ぐ橋が架けられていたのだ。全長はゆうに100m以上ある。歩道橋だと思われるが、それにしては巨大だった。

 この辺りは戦時中の空襲を逃れたエリアで、いまでも古い平屋が所々密集し、自転車も通りづらい狭い路地が入り組んでいる。かつては活気のあった商店も名古屋駅周辺の巨大商圏に圧されて立ち行かなくなって久しい。だが、地元地権者の利害が絡み合って再開発もままならずエアポケットのように取り残されてしまっている。このところ名古屋駅周辺に高層ビルがいくつもでき、その落差はさらに拡大した。そこに突如現れた巨大歩道橋。何かこの辺りにも変化の兆しがあるのだろうか。この目で確かめたくなり、帰省した折に訪ねてみた。

 歩道橋の登り口に着くと自転車が何台も乗れるような大きなエレベーターがあった。驚いたことに、そこは子供のころ親しんだ白山神社があった所だった。神社は道を隔てた狭い場所にひっそりと移設されていた。エレベーターに隣接するその一帯は工事用の白いフェンスですっかり囲まれている。ショッピングモールでもできるのだろうか。

 歩道橋に登ると名古屋駅方面と我が米野の町の対照的な風景が一望できた。両サイドを透明なプラスティックで覆われたその橋は、何か未来へのトンネルを思わせた。橋の向こう側に着くと、そこには真新しい鉄道の駅があった。《あおなみ線 ささしまライブ駅》。いつの間にこんな鉄道ができたのだろうか。橋の向こう側はかつて貨物線の名古屋駅があった所だ。今は更地となった広大な跡地では、すでに何やら大規模な工事が始まっていた。

 橋を引き返し再び米野に戻ると、ちょうど母から電話があった。「米野におるんだったら、秋田さんのおじさんに挨拶してったりゃー」と言う。秋田さんというのは、子供の頃通っていた秋田理容店のことだ。だが、行ってみると店は日曜なのに閉まっていた。しばらく写真を撮っていると近所からおばさんが出てきた。「秋田さん、やめちゃったんですか」と尋ねると、「やっとるよ。そこに住んどるがね」と向かい側の家を指さす。振り返ると、2階から女の人達ががこちらを覗いていた。「杉山です」と挨拶すると、奥さんが窓から身を乗り出して、「写真屋さんの子か。弟さん?」「長男です」「ああ、やっちゃんか」と頷いている。「『あんまりうちの店が汚いんで写真撮っとるんだわ』と言っとったとこだが」などと話していると、玄関のドアを開けてひょっこりおじさんが出てきた。

 「おかあさん、元気かね。わたしはおんなじ81歳だが、まだ現役バリバリだで」と調子がいい。「店は一人でやっとるがね。馴染みのお客さんだけだが。今日は早めに閉めたんだわ。」昔、顔を剃ってもらったときのことなどを話すと、おじさんは嬉しそうに目を細めた。

 秋田さんと別れ、人気のない米野の町をぶらぶらしてみる。すると、かつて道端に机を出して将棋を打っていた頃の記憶が、鮮やかに蘇ってくる来るのだった。

メダルを超えるもの

 先日行われたソチオリンピックでは2週間にわたり激戦が繰り広げられた。金メダルを目指して必死に戦う選手たちの姿はすばらしいが、勝者がいれば敗者もいる。メダルは時には輝き、時には残酷になる。そうした中で、フィギュアスケートの浅田真央選手は、死力を尽くした末に到達した勝敗を超えた世界を見せてくれたような気がする。

 バンクーバーの銀メダルから4年、浅田選手は悲願の達成を目指してソチにのぞんだ。それを見守る多くの人もなんとか金メダルを取らせてやりたいと願っていた。だが、その期待は初日のショートプログラムの段階で早くも打ち砕かれてしまった。普段は考えられないような失敗を犯し、フリーを待たずにメダルは絶望的となったのだ。

 経験したことのない異常な緊張で体が動かなくなったと本人はうなだれたが、もともと浅田選手には他の選手にはない大きなプレッシャーが掛かる特殊な事情があった。彼女は世界の女子選手の中で唯一トリプルアクセルを飛ぶことができる。しかしその難度に比べて得点は低く抑えられている。得点を上げても恩恵を被るのは浅田選手のみで、世界中の審査員はあえて自国の選手に不利になるような変更を望まなかったのだ。

 その結果、リスクを犯してトリプルアクセルに挑戦する選手は誰もいなくなってしまった。勝敗を分けるのは大技の成否ではなく、各技の出来映え点をどれだけ稼ぐかに移った。浅田選手自身もトリプルアクセルを回避し他の技に集中する選択肢もあったし、その方が点が伸びた可能性が高い。しかし、自分にしかできない大技への挑戦を避けるのは、スケーターとしての彼女の信条に反したに違いない。だが、不利を承知で組入れることにしたその決断が、悪魔が棲むと言われるオリンピックの舞台で想像をはるかに超えて重くのしかかった。

 絶望のどん底に突き落とされた彼女は、はたしてフリースケーティングまでに気持ちを立て直せるのだろうか。体はまともに動くのか。演技が始まっても浅田選手の表情は硬いままだ。だが、冒頭のトリプルアクセルを成功させると、その後も次々とジャンプを成功させ、後半に向かうにつれて動きが良くなって行った。最初からいつもの伸びやかさがあればさらに高得点が出たろうが、緊張の極限で奇跡とも言えるすばらしい滑りを見せたのである。会場は感動に包まれた。多くの人がその演技に金メダル以上のものを感じたに違いない。

 演技の直後、天を仰いだ浅田選手の目からは思わず涙が溢れた。それはくじけそうになった心を立て直すことができた自負心だったのだろうか。あるいは自らが目指してきた困難な挑戦をやり遂げた達成感だったのだろうか。それとも、それでもなおメダルには届かないという悔恨の念だったのだろうか。

 競技の後、自らもフィギュアスケートのレベルアップに挑み続けてきたプルシェンコ選手が、彼女の演技を心から讃えた。浅田選手には笑顔が戻っていた。そこにはメダルを逃した悔しさは消え、何か手応えをつかんだ晴れやかさがあった。それはキム・ヨナ選手でさえ感じることができなかったものではなかろうか。