メダルを超えるもの

 先日行われたソチオリンピックでは2週間にわたり激戦が繰り広げられた。金メダルを目指して必死に戦う選手たちの姿はすばらしいが、勝者がいれば敗者もいる。メダルは時には輝き、時には残酷になる。そうした中で、フィギュアスケートの浅田真央選手は、死力を尽くした末に到達した勝敗を超えた世界を見せてくれたような気がする。

 バンクーバーの銀メダルから4年、浅田選手は悲願の達成を目指してソチにのぞんだ。それを見守る多くの人もなんとか金メダルを取らせてやりたいと願っていた。だが、その期待は初日のショートプログラムの段階で早くも打ち砕かれてしまった。普段は考えられないような失敗を犯し、フリーを待たずにメダルは絶望的となったのだ。

 経験したことのない異常な緊張で体が動かなくなったと本人はうなだれたが、もともと浅田選手には他の選手にはない大きなプレッシャーが掛かる特殊な事情があった。彼女は世界の女子選手の中で唯一トリプルアクセルを飛ぶことができる。しかしその難度に比べて得点は低く抑えられている。得点を上げても恩恵を被るのは浅田選手のみで、世界中の審査員はあえて自国の選手に不利になるような変更を望まなかったのだ。

 その結果、リスクを犯してトリプルアクセルに挑戦する選手は誰もいなくなってしまった。勝敗を分けるのは大技の成否ではなく、各技の出来映え点をどれだけ稼ぐかに移った。浅田選手自身もトリプルアクセルを回避し他の技に集中する選択肢もあったし、その方が点が伸びた可能性が高い。しかし、自分にしかできない大技への挑戦を避けるのは、スケーターとしての彼女の信条に反したに違いない。だが、不利を承知で組入れることにしたその決断が、悪魔が棲むと言われるオリンピックの舞台で想像をはるかに超えて重くのしかかった。

 絶望のどん底に突き落とされた彼女は、はたしてフリースケーティングまでに気持ちを立て直せるのだろうか。体はまともに動くのか。演技が始まっても浅田選手の表情は硬いままだ。だが、冒頭のトリプルアクセルを成功させると、その後も次々とジャンプを成功させ、後半に向かうにつれて動きが良くなって行った。最初からいつもの伸びやかさがあればさらに高得点が出たろうが、緊張の極限で奇跡とも言えるすばらしい滑りを見せたのである。会場は感動に包まれた。多くの人がその演技に金メダル以上のものを感じたに違いない。

 演技の直後、天を仰いだ浅田選手の目からは思わず涙が溢れた。それはくじけそうになった心を立て直すことができた自負心だったのだろうか。あるいは自らが目指してきた困難な挑戦をやり遂げた達成感だったのだろうか。それとも、それでもなおメダルには届かないという悔恨の念だったのだろうか。

 競技の後、自らもフィギュアスケートのレベルアップに挑み続けてきたプルシェンコ選手が、彼女の演技を心から讃えた。浅田選手には笑顔が戻っていた。そこにはメダルを逃した悔しさは消え、何か手応えをつかんだ晴れやかさがあった。それはキム・ヨナ選手でさえ感じることができなかったものではなかろうか。