多様化する才能

世の中には抜きんでた才能の持ち主がいる。彼らは普通の人が困難なことを苦も無くやってしまうように見える。それを才能という一言で片づけているわけだが、実際にはそこには様々な能力が含まれており単純ではない。

サッカーでは天才と呼ばれる選手が大勢いるが、その才能にはキックの精度や強さ、身のこなし、スピードなどの身体能力、さらには状況判断力や創造性といった頭脳面の要素も含まれている。

また、才能というと努力しなくてもできるという意味に捉えられがちだが、それが通用するのはレベルが低いうちだけだ。才能あふれる選手は例外なく血のにじむような努力をしている。努力も才能の一つなのだ。

そうしたスポーツ選手のずば抜けた才能は世界中の人々を楽しませてくれる。ただ背後には彼らに活躍の場を与えている巨大なスポーツビジネスがある。そちらの側から見れば、選手の才能は金を生む商品なのだ。

スポーツ業界に限らず企業や政府なども優れた才能を求めている。そのため才能を発掘する仕組みが必要となる。受験はその一つで、学力という才能で国民をランク付けして各大学に振り分け、その後、就職の際の採否の基準として用いている。

こうして多くの場合、世の中で才能を生かせるかどうかは、それを求める側の眼鏡にかなうかどうかにかかっている。たとえ優れた才能を持っていても、社会にニーズにマッチしなければそれが生かされることはない。限られた才能で勝負するしかなく、そこで勝ち残れなければドロップアウトの烙印を押されてしまうのだ。

ところが、最近はSNSの発達で誰もが自分のやっていることを広く世界に向けて発信することができるようになった。インスタグラムなどで上げられる作品を見ていると、素晴らしい才能の持ち主が世界中にあふれていて驚かされる。中にはプロ顔負けのとてつもない才能に出合うこともある。

彼らの多くは別に金もうけのためにやっているわけではない。それが楽しくてやっているのだ。従来なら自己満足と言われたかもしれないが、今では世界中から共感の声が届く。才能を追求するために努力を惜しまないという点では彼らはプロと変わらない。忘れてはならないのはそれがその人を大きく成長させるということだ。

今や社会が個人の才能を評価するだけではなく、誰が才能を発揮してもそれを受け止めてくれる人がいる時代になりつつある。多様性にあふれた世界はまさにこうして築かれていくのではないだろうか。

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