人口知能

 先日、グーグル傘下のディープマインド社が開発した人工知能囲碁ソフト、アルファー碁が、世界最強囲碁棋士の一人であるイ・セドル9段との5番勝負に4勝1敗で勝利した。

 これにより、とうとう人工知能が人間の知能を凌駕する日が来たと嘆く声が聞かれる一方、すでに将棋ではプロ棋士に勝っている人工知能が囲碁で勝っても不思議はないという意見もあった。人工知能と一口に言ってもその意味は曖昧で、今回の結果をどのように評価すべきかは、一部の専門家を除けばよくわからないというのが正直なところではないだろうか。

 チェスにおいては20年ほど前にすでにコンピューターが世界チャンピオンに勝利しているが、その際、コンピューターはあらゆる手筋をしらみつぶしに計算した。しかし、囲碁や将棋においてはチェスに比べて指し手のパターンがはるかに多く、コンピューターといえども全てを読み切ることはとてもできない。そこで登場するのが人工知能の技術だ。先を読む計算に加えてコンピューターに過去の膨大な棋譜を記憶させ、それを参考にしての各局面を判断し最善と思われる手を打っているのである。

 こうした話をすると多くの人が、人工知能は自らの知識で状況を判断しているのだと思うだろう。だが、実はその判断基準を決めているのは人間なのである。あらかじめ様々な局面を想定し、打てそうな手を幾つか選び出し、一つ一つにどの程度有利な手か点数を付けておくのだ。その際の人間の判断が、事実上コンピューターの強さを決めているのである。

 当然、この作業は膨大で人間がやれる範囲には限りがある。そのため、将棋においてはこのところプロ棋士並みに強くなったが、さらに指し手のバリエーションが多い囲碁では、コンピューターは最近までプロ棋士には全く歯が立たなかったのである。

 人間に頼らず人工知能が自ら局面の特徴を判断し最善手を見つけ出すことはできないものだろうか。実は囲碁や将棋に限らず画像や言語などの認識においても、人工知能が自ら特徴を見つけ出し学習していくことは苦手なのである。たとえば、人は一度コアラを見ればすぐにその特徴をつかみ、次にコアラを見れば一目でコアラだとわかる。しかし、人工知能ではあらかじめコアラの特徴を人間がインプットしてやらなければならないのだ。この特徴を学習する能力の低さは人工知能の最大の弱点であり、人工知能の利用範囲を著しく狭めてきたのである。

 ところが、2012年にその状況を一変させる事件が起きた。「ディープラーニング」の登場である。トロント大学のJ・ヒルトン教授が開発したこの方法により、人工知能が自ら特徴を見つけて学習する能力が飛躍的に高められた。その効果は絶大で、囲碁ソフトは専門家も驚くほど急速に強くなったのである。

 ディープラーニングは、現在、人工知能に革命を起こしつつある。それは囲碁に限らず、自動車運転の自動化のような劇的な変化を日常生活に引き起こすと考えられている。われわれは、今、人類史上稀に見る変革の時を迎えつつあるのかもしれない。

コンピューター将棋

1996年、世界最強のチェスのチャンピョンがIBMのコンピューター「ディープブルー」に敗れ衝撃が走った。しかし、相手から取った駒を打つことができ、敵陣では「成る」こともできる将棋においては、展開ははるかに複雑で、その後10年間、コンピューターは人間に全く歯が立たなかった。ところが、昨年、将棋には全くの素人のコンピューター科学者、保木邦仁氏が作った将棋ソフト「ボナンザ」が彗星のように現れ、世界コンピューター将棋選手権を制すると、その腕前はプロにも迫ると評判になった。

そのボナンザが、先日、棋界のエース、渡辺竜王に挑戦した。当初の予想では、さすがに竜王の楽勝であろうと思われていた。しかし対局が始まると、この対戦に向けて改良を加えてきたボナンザは想像以上に強く、勝敗の行方は予断を許さないものとなった。観戦するプロの棋士達からも、「これほど強いとは...」と一様に驚きの声が上がった。結果的に、辛くも竜王が勝利したが、あと一歩のところまで追い詰められたきわどい勝負だった。

ボナンザは、差し手を何手か先までしらみつぶしに計算する全幅探索という手法を取っており、1秒間に400万局面を読むことができる。さらに、過去の有名棋士の対局を50万局以上記憶しているという。この膨大な数字を聞くと、むしろ人間が勝てるのが不思議な気がしてくる。将棋は通常、百数十手程度で勝負がつくが、もし最後まで読み切れるとすれば、勝負をする前にコンピューターの勝ちとなってしまう。しかし、1手ごとに駒の動かし方は何通りもあり、さらに取った駒をどこに打つか、敵陣に入った駒が成るか成らないかなどということまで考えると相当な数になる。10手先ではその10乗通りになり、たちまち気の遠くなるような天文学的数字になってしまう。コンピューターといえども、とても最後まで読みきるものではない。となると、何手か先まで読んだところで全ての局面を比較し、最も有利な手を選択しなければならなくなる。そこでボナンザは、駒の損得などを評価基準とし、さらに自ら記憶した50万局のデータを考慮して最善手を決定するようプログラミングされている。

しかし、実はそこに将棋ソフトの最大の弱点がある。過去の名人達のデータに照らし合わせて判断するとはいえ、コンピューターはあくまでも定められた基準に基づき比較するだけである。それに比べ、棋士はいわゆる「大局観」に基づき判断し、時に瞬間的に思わぬ手筋がひらめく。その思考の仕組みは未だに謎であり、コンピューターでの再現は全く不可能である。全ての局面を読むことはできなくても、集中した竜王の頭脳は、ボナンザがカバーする領域を超えて、さらに有利な手を見つけ出すことができたのである。

近い将来、コンピューターに人間が勝てなくなる日が来るかもしれない。しかし、将棋の面白さは勝敗だけではない。人間の鍛え抜かれた頭脳が見せる思考の妙にあるのである。コンピューターの力技がいくら進化したとしても、天才棋士の繰り出す絶妙の一手が魅力を失うことはなさそうである。