私的「椎名林檎」論

今年の2月、椎名林檎のニューアルバム「平成風俗」がリリースされた。このアルバムでは、猫顔の天才ヴァイオリン奏者、斎藤ネコ氏が、自らのマタタビオーケストラを率い、全面的にアレンジを担当していることでも話題を呼んだ。時を同じくして、NHKで深夜、「椎名林檎お宝ショウ@NHK」という番組が放映された。実はこの番組で、僕は椎名林檎がどういう顔をしているのか初めて知った。なにしろCDジャケットなどで見かける彼女は、いつもコスプレがきつく、その都度、全く別人のようで、たとえ目の前に座ったとしても、彼女であることには気がつきそうもなかったのである。しかし、テレビで初めて椎名林檎が話すのを目の当たりにした僕は、改めて確信した、やはり彼女はオカシイ、と。

「しかし、なーぜに、こんなぁにも目ぇーが乾く、気ーがするーのかしらねぇー」。セカンドアルバム、「勝訴ストリップ」の最初の曲、「虚言症」の、なんともけだるい出だしが流れ始めると、たちまち僕は全身に鳥肌が立ち、同時に郷愁に満ちた陶酔感に包まれた。奇妙な歌詞、独特の節回し、そしてなんとも不思議なメロディーが、麻薬のように僕の脳の奥にしみこんで行く。冷たい水が渇いた身体を癒すように、体じゅうの毛細血管の隅々まで染み渡って行く。それは、ずばり、僕が永い間、求めて続けてきた音楽だった。あまりにも自分の体質に合っているので、初めて聴いている気がしない。それは、なぜかこの21世紀に、突如として僕の目の前に現れたのだ。

彼女の音楽が僕の心に湧き興す胸騒ぎのような感動は、かつて20代の頃、僕が夢中になっていたアングラ劇に覚えたものと似ている。彼女の芝居がかった音楽世界が、僕の眠っていた記憶を呼び覚ましたのだ。だが、アングラ劇は、結局、僕の求めていたものを与えてはくれなかった。それを、彼女は何の苦もなく手品のように僕の前に出して見せたのである。「日常よりリアルな理想」だとか「現実より真実な嘘」といった厄介なものを。

「椎名林檎お宝ショウ@NHK」のなかで、「デビュー以来、ずっとズレていた」と彼女は語る。デビュー当時、高校の頃作った曲を数年を経て歌うことに、すでに大きなズレを感じていたようだ。さらに、自分の狙いとは別のところでもてはやされる。理解する人は少ないのに、なぜか支持者は多い。しかし彼女は、そうした周囲とのズレを、すべて受け入れる。「女だから」と彼女は言う。誰よりもおとななのに、いつも周りを煙に巻かずにはいられない彼女にとって、どうやらズレは自作自演のようである。

カラオケで歌える3-4分ほどの曲を作っている自分が、クリエイターと呼ばれるのはおこがましいと、彼女は言う。が、それは彼女独特のこだわりだ。クリエイターという称号すら受け入れ不可能なのが椎名林檎なのだ。しかし、だからこそ、彼女の胸のすくような完璧な音楽がある。永遠に朽ち果てることのない、椎名林檎の粋な世界があるのである。