価値観の地殻変動

先日、TVで「ドール」のお店を取材した番組があった。ドールとは関節が動く着せ替え人形の一種で、いわゆる「オタク」系の人たちをターゲットにした製品だ。

フィギュアに似ているがフィギュアがアニメなどに登場するキャラクターであるのに対してドールはあくまでも名もない人間の人形だ。その特徴は「かわいさ」を徹底的に追及した容姿にあり、いずれも美少女、美少年ばかりだ。

愛好者は世代や男女を問わずに幅広い層にわたっている。秋葉原のその店に足を運んでいたのも、地方から出張で東京に来た50過ぎの男性や初任給で買って以来はまってしまった若者、アイドルから乗り換えたという若い女性、さらにはドールを通じてSNSでつながった熟年カップルなどさまざまだ。身長が70cm程度のものだと価格も一体8万円程するが、40体以上持っているという愛好者もいた。

その愛情はペットに対するものに似ているが、生き物ではないのでロスの心配がない。アニメなどの2次元のアイドルに比べれば、手元において髪をといだり自分の好きなポーズ取らせるなどより親密な関係を築くことができる。ドールがいたおかげで何とか厳しい現実に耐え抜き生きてこられたと語る女性もいた。

購入する際にはドールを「買う」と言うのは禁句で「お迎えする」と言わなければならない。まさにオタクならではリスペクトだが、容姿の好みを極限まで追及したドールの美しさは怪しくも洗練され、その魅力は愛好者でなくとも理解できる。

もともと人間関係に苦手意識があり、お互いに干渉を避けて「オタク」と呼び合ったのがオタクの語源だが、当時、彼らがハマっていたのがマンガやアイドルなどのサブカルチャーだった。そして、それらがテーマにしていたのが子供が成長してオトナになる際に捨てなければならない価値観だった。オタクたちは周りから白い目で見られながらもそうした価値観をオトナになっても持ち続けたのである。

人類は政治的には自由を求めて民主主義を築いてきたが、文化的には従来の価値観が根強く残り、それに反するものを抑圧し続けた。だが、インターネットやSNSの普及により、それまで特殊な、時には異常だとされてきた嗜好や性癖が実は世代や地域を超え共通する人類の根本的な一面であると認識されるようになってきた。

世の中は長年、社会的地位とかステイタスといわれるような固定的な価値観に支配されてきた。だが、それらは一部の人の都合によって作られてきたもので、決して普遍的なものではない。今やそうした固定観念は壊れつつある。オタクが先鞭をつけた価値観の地殻変動が時代を大きく変えようとしているのだ。

多様化する才能

世の中には抜きんでた才能の持ち主がいる。彼らは普通の人が困難なことを苦も無くやってしまうように見える。それを才能という一言で片づけているわけだが、実際にはそこには様々な能力が含まれており単純ではない。

サッカーでは天才と呼ばれる選手が大勢いるが、その才能にはキックの精度や強さ、身のこなし、スピードなどの身体能力、さらには状況判断力や創造性といった頭脳面の要素も含まれている。

また、才能というと努力しなくてもできるという意味に捉えられがちだが、それが通用するのはレベルが低いうちだけだ。才能あふれる選手は例外なく血のにじむような努力をしている。努力も才能の一つなのだ。

そうしたスポーツ選手のずば抜けた才能は世界中の人々を楽しませてくれる。ただ背後には彼らに活躍の場を与えている巨大なスポーツビジネスがある。そちらの側から見れば、選手の才能は金を生む商品なのだ。

スポーツ業界に限らず企業や政府なども優れた才能を求めている。そのため才能を発掘する仕組みが必要となる。受験はその一つで、学力という才能で国民をランク付けして各大学に振り分け、その後、就職の際の採否の基準として用いている。

こうして多くの場合、世の中で才能を生かせるかどうかは、それを求める側の眼鏡にかなうかどうかにかかっている。たとえ優れた才能を持っていても、社会にニーズにマッチしなければそれが生かされることはない。限られた才能で勝負するしかなく、そこで勝ち残れなければドロップアウトの烙印を押されてしまうのだ。

ところが、最近はSNSの発達で誰もが自分のやっていることを広く世界に向けて発信することができるようになった。インスタグラムなどで上げられる作品を見ていると、素晴らしい才能の持ち主が世界中にあふれていて驚かされる。中にはプロ顔負けのとてつもない才能に出合うこともある。

彼らの多くは別に金もうけのためにやっているわけではない。それが楽しくてやっているのだ。従来なら自己満足と言われたかもしれないが、今では世界中から共感の声が届く。才能を追求するために努力を惜しまないという点では彼らはプロと変わらない。忘れてはならないのはそれがその人を大きく成長させるということだ。

今や社会が個人の才能を評価するだけではなく、誰が才能を発揮してもそれを受け止めてくれる人がいる時代になりつつある。多様性にあふれた世界はまさにこうして築かれていくのではないだろうか。

残された時間

 人生100年時代と言われるが、その時間にもやはり限りがある。歳をとるに連れ自分に残された時間がどれだけあるのかは切実な問題として急速に迫ってくる。

 こんなことならもっと若いうちから真剣に考えておくべきだったと思うこともあるが、若くして人生のカウントダウンをするのもなんだかつまらない。残り時間を気にせず生きていけるのは若さの特権なのだ。逆に時間を切実に感じて生きていけるのは歳を取ったものの特権だ。人生にはその年齢によってやるべきことがある。

 そうした中、最近、中学の同級生のAさんがベートーヴェンの交響曲の全曲演奏を目指して自らオーケストラを立ち上げた。もともと2つの市民オーケストラでヴァイオリンを弾いていたが、このままでは自分の音楽ができないと感じ、思い切って何人かの同士とともに知り合いに声をかけメンバーを集めたのだ。

 1年ほど前、コロナ禍の真っ只中に最初の演奏会の案内を受け取った時には正直言って驚いた。もともとエネルギーの塊のような女性だが、オーケストラをやっていくのは並大抵のことではない。自分の演奏だけでも大変なのにオーケストラ全体の面倒を見なければならない。メンバー同士の人間関係の問題もあるだろう。

 さらにこのオーケストラには指揮者がいないと聞いて唖然とした。各パート間のつなぎはどうなるのだ。メンバー間の音楽の解釈の違いは?普通に考えれば無謀な話だ。だが、パート間の連携においては互いに意志の疎通を徹底的に図ることで克服し、音楽の解釈についてもスコアを深く読み込み皆で何度も話し合って合意を作り上げて行ったと言う。結果的に指揮者の不在が逆にメンバーの結束を固めたという。

 その効果は演奏にはっきり現れていた。先日開かれた第3回の演奏会では明らかにメンバーの有機的な結びつきが強まっていた。そして、オーケストラ全員から自分たちの音楽をやっているという自負と喜びが溢れ、それが感動の波となって押し寄せて来る。英雄交響曲のコーダを弾き終えた時の彼女の表情には、「やり切った」という達成感が溢れていた。これこそまさに彼女の目指したものだったのだ。

 その彼女の口から、「時間がない」という言葉が何度も聞かれた。今のパワーをいつまで維持できるか不安があるのだろう。だが、それは一方でもっと上達したい、そしてさらにベートヴェンの理想に近づきたいという強い思いがあるからなのだ。

 残りの人生で何をやりたいか。その問いはこれまで自分が何のために生きてきたかを改めて問いかける。その凝縮した時間をいかに過ごしどのような答えを出していけるのか。それは人生最後のそして最大の挑戦なのだ。

始動!セカンドハウスプロジェクト

 昨年2月に母が亡くなったが、その思いに耽る間もなく世界はコロナ禍に突入して行った。死という紛れもない現実とそれに続く何か非日常的な感染症の世界。僕は自分の中で次第に何かが動き始めるのを感じていた。

 しばらく前から予兆はあった。母の衰えや娘たちの成長により自分の残りの人生をどのように生きるか考える機会が増していた。写真の撮影に改めて本腰を入れ始めたのもそのせいだろう。ただ、それらは従来やってきたことの見直しの域を出なかった。何かを大きく変えるより、あくまでもこれまで取り組んできたことの質を高めるべきだという思いが強かった。

 ところが、母の死により否が応でも自分に残された時間を意識させられた。何か始めるなら今しかない。動けば何か見えてくるに違いない。こうしてたどり着いたのがセカンドハウスプロジェクトだった。

 背景には長女が3年前から建築設計の仕事を始めたことがある。僕自身も昔から建築には興味があった。彼女に設計を依頼すれば、建築を通じて互いの理解も深まり、普通では思いつかない面白い発想が浮かぶかも知れない。

 なにしろ、今の葛飾のマンションは狭くて人も呼べない。セカンドハウスができれば、友人を招き得意の料理を振舞うこともできるだろう。ギャラリーを設けて自分の写真だけでなく知り合いの画家の絵も展示してはどうか。ピアノを置いて内輪の音楽会も開ける。物書きに集中できる空間も作ろう。妄想はどんどん膨らんで行った。

 ただ、子供も独立した今、それほど費用はかけられない。では、新築ではなく千葉の里山の古民家でも格安で手に入れてリノベーションしてはどうだろうか。自然溢れる生活は長年の夢でもあった。そう思って探し始めたが、すぐに壁にぶつかった。そこでやりたいことを冷静に考えてみるとアクセスが悪すぎるのだ。結局、松戸や市川など自宅から自転車でも行ける範囲に絞られ、里山は諦めざるを得なかった。

 だが、ネットで情報を集めその辺りを自転車で回り始めると嬉しい発見があった。住宅街に接して広大な農地が広がり、樹々が生茂る緑地が点在している。今住んでいる葛飾から江戸川1本挟んだだけで、実はこれほど豊かな自然があったのである。

 間取りや立地、価格がリノベーションに向いた物件を見つけるのは容易ではない。だが、娘と一緒に現地に足を運び、あれこれ検討するのは勉強にもなり実に面白い。さらに、自分がそこで何をやるのか、何ができるのか、これからの人生何がやりたいのか繰り返し問い直す。すでにプロジェクトは始まっているのだ。

資本主義は限界か

 毎年、年末年始には娯楽番組に混じって経済の特集番組が組まれる。特に最近は、資本主義の限界についての議論が盛んだ。

 20世紀の半ばまで、経済は生活に必要な「もの」中心に動いていた。毎日の食材、生活の利便性を高める家電や車などだ。しかし、20世紀後半になると世の中に生活必需品が一通り行き渡り、「もの」を売るのは次第に難しくなって行った。

 そこで1970年代になると、「もの」以外の新たな商品として金融商品が生み出された。ちょうどコンピューターの普及時期と重なり、金融は急速に発展していく。

 さらに20世期末にはインターネットが登場する。富を生み出す主役は情報などの無形資産に移り、GAFAのような巨大IT企業が世界の経済を支配するようになる。

 ただ、無形資産だけでは人は生きていけない。生活には様々な製品やサービスが必要だ。だが、次第に無形資産が圧倒的な利益をもたらし、「もの」の経済を凌ぐようになった。そうした状況においてはたして資本主義は豊かな社会を実現してくれるだろうか。近年、急速に拡大する貧富の格差は資本主義の限界を示しているのではないか。そう考える経済学者も少なくない。

 国家が巨大IT企業になんらかの規制をかけ、その利益を広く国民に分配するべきだという主張もある。だが、巨大IT企業と言えども常に厳しい国際競争にさらされ、彼らの競争力は今や国家の競争力に直結している。

 そして、忘れてはならないのが中国の存在だ。中国はITにおいても世界の先端を走っている。中国の独走を許すわけにはいかない西側諸国は、自国のIT産業の競争力を削ぐような手は打ちにくい。資本主義を追い詰め世界中で格差を拡大させている最大の要因の一つは、間違いなく巨大化する中国の存在なのだ。

 最近では西側諸国も自国の競争力をなんとか維持するために格差を容認しているように見える。一部の富裕層が国内の弱者層から搾取するまさに国内植民地主義ともいえる状態だ。世界のいたる所で資本主義は機能不全に陥っているのである。

 こうした状況において、単に格差解消を叫ぶだけでは効果は期待できない。格差をなくすことで競争力が高まる仕組みが必要だ。実は格差が広がり低賃金労働者が増えれば、国家は彼らが持っているポテンシャルを生かすことができない。本来、国民全員が多様な能力を発揮する社会のほうが競争力が高まるはずなのだ。

 まずは資本主義の限界を論じるよりも、経営効率ばかり考えている企業がもっと社員の能力を引き出す方向に発想を転換すべきではないだろうか。

再始動

 今年の5月に名古屋の平田温泉という銭湯で1ヶ月間写真展を開いた。

 前回の写真展から3年が経っており、今回は新作を展示するつもりだったが、なかなか撮ることができず、結局、昔の写真を使うことになった。かつて苦労して撮った写真が日の目を見るのは嬉しいが、新作を発表できないのはなんとももどかしかった。

 最近、写真を撮っていないのにはいくつか理由があった。僕の写真の撮り方は、主に街で出会った人に頼んで撮らせてもらうか、街行く人をそのままをスナップするかのいずれかだ。だが、どちらの場合も昨今うるさい個人情報が気に掛かる。

 技術的な問題もあった。かつてはマニュアルカメラに単焦点(35mm)レンズ、モノクロフィルムというのが僕のスタイルだったが、時代はデジタルに変わった。デジカメは便利だが、その安直さになんとも言えない違和感があった。

 だが、そんなことも言っていられない。なんとか写真展に新作を加えようと、一念奮起して機材を買い揃え、デジカメ片手に再び街に繰り出したのだ。

 レンズは1635mmの超広角ズームを選んだ。超広角では被写体が小さくなるので、ぐっと近寄る必要がある。撮影後、近づいてくる相手にぶつかるくらいでないと迫力ある写真は撮れない。

 当初は慣れないデジカメに手こずったが、次第にかつての撮影時の感触が戻ってきた。デジカメならではの高度な機能も慣れるにつれそのありがたみを実感するようになった。

 個人情報に関しては、もちろんうるさい輩はいるが、最近は所構わずスマホで写真を撮るのが当たり前になっているためか、むしろ以前よりも撮られることに慣れているように感じられた。

 こうしてなんとか写真展に新作を3点追加することができた。同時に自らの写真ライフを再びスタートさせることができたのである。

 さらに、これを機にインスタグラムへの投稿を始めた。当初は仲間内でインスタ映えを競う自己満足の場かと思っていたのだが、始めてみてみて驚いた。そこはプロ、アマを問わず世界の写真家がクオリティーを競い合う夢のギャラリーだったのである。

 投稿写真は膨大な数だが、気に入った写真家をフォローすることにより、その写真家がアップすると同時に自分に送られてくるようになる。つまり次第に自分の好きな写真が自分のところに集まる仕組みになっているのだ。逆に自分の写真も自分をフォローしてくれる人(フォロワー)が常にチェックしており、下手な写真はアップできない。

 従来、プロの写真はレベルが高く、アマチュア写真とは一線を画していると信じられてきた。しかし、インスタグラムにはプロには撮れそうもない質が高く個性溢れた膨大な写真が、日々、投稿されており、プロの写真の権威は急速に陳腐化しそうだ。今まさに写真の可能性が大きく拡がろうとしているのだ。    (Instagram ID:ebiman_stasta)

銭湯の思い出

 風呂に入っている時に良いアイデアが浮かんだという話はよく聞く。入浴中、われわれの精神は何か独特の状態になるのだ。そして、もしそこが銭湯ならば、立ち込める湯気と反響するざわめき、何ともいえない気だるさが、さらに心地よい世界にいざなってくれる。

 子供の頃、毎日のように通っていたのは近所の米野湯だった。今はもう取り壊されてしまったが、廃業後もテレビロケに使われたこともある風情のある銭湯だった。

 脱衣所から浴場への入り口には石と盆栽で作られた小さな庭があり、浴場に入ると真ん中に大浴槽、奥の壁沿いにぬる目の湯、電気風呂、薬湯の3つの浴槽があった。

 子供はまず自然を模した石組のあるぬる目の湯から浸かると決まっていた。最初から熱めの大浴槽に入れるようになれば、それはもう大人の仲間入りをしたということだった。

 電気風呂には左右に木製の枠に覆われた電極があり、そこに手を近づけると痺れて動かせなくなるほど強力な電圧がかかっていた。壁には心臓の悪い人は入浴を控えるようにと物々しい注意書きがあったが、なぜか効能については全く記憶がない。

 米のとぎ汁のように白濁した薬湯は米野湯の名物だと母から聞いていた。その「薬」はしばらくすると底に沈んでしまうので、入る前には浴槽の傍らにおかれた重い木製の器具で攪拌しなければならなかった。その際、舞い上がる香りが今でも忘れられない。

 銭湯は体を洗ったりお湯に浸かったりするだけの場所ではない。休日ともなれば一番風呂に行って水中眼鏡をつけて潜ったり、自作の戦艦のプラモデルを浮かべたりとやりたい放題だった。ある休日、まだ明るい時間だったが、友達が大勢来ていた。そこで僕は、以前から温めていたある実験を実行に移すことにしたのだ。

 まず、僕が電気風呂に入り、強烈な痺れに耐えながら電極に体をくっつける。その状態で手を伸ばして浴槽の外の友達の手を掴むと友達も痺れる。こうしてどんどん列を伸ばし、どこまで電気が届くのか調べたのだ。途中、友達だけでは足りず他のお客さんも動員して列を伸ばして行ったが、とうとう先頭が番台の横の出口のところまで達しても、まだ「痺れてる!」と叫んでいる。電気風呂恐るべし!想像以上の結果に僕が大満足だったことは言うまでもない。

 銭湯といえば、湯上りに飲む冷たい牛乳が格別だった。コーヒー牛乳、フルーツ牛乳も捨てがたいが、僕の一押しは何と言ってもカスタード牛乳だった。卵、牛乳、バニラが渾然一体となった甘みとコクは比類がなく、多少高くても納得だった。先日気になり、ネットで調べてみたが見つからなかった。今あればヒット間違いなしだと思うのだが。

 銭湯は帰り道も楽しかった。風呂桶を抱えたまま洋品店を覗いたり、夏場には裸電球の下で店開きする金魚すくいに興じた。横ではかき氷も売られ、さながら夜祭だった。

 銭湯には日常とはまた別の独自の時間が流れていた。そこで毎日過ごした体験は僕の心に他ではけっして得られない特別の思い出を残してくれたのである。

ゆっくりの効果

最近、ゆっくりやることの効果に驚かされたある事件があった。それは例によってピアノの練習においてだった。

難しい箇所をゆっくり弾くというのは練習ではよくあることだ。普通のテンポでうまく弾けない所をなんとか弾けるところまでテンポを落とすわけだ。だが、ゆっくり弾くことの効用は単にそれだけではなかったのだ。

このところ取り組んでいるモーツァルトのK533のソナタでは、いたるところで対位法が駆使され、幾つものメロディー(声部)が同時に進行する。左手と右手でそれぞれのメロディーを弾く場合もあれば、左右で3つのメロディーを弾く場合もある。

そうした対位法音楽においては各メロディーをしっかりと自分の耳で聴きながら弾くことが大切だ。そんなことは当たり前だと思われるかもしれないが、指では複数のメロディーを同時に弾いているのに耳は1つのメロディーしか追っていない場合が多々あるのだ。

そうした場合、演奏が不自然になり先生からすぐに指摘される。だが、情けないことにそこでいくら注意しても一向に聴こえてこない。自分で弾いているのに聴こえないのだ。

こうしたことはこれまでにもしばしばあった。永年の課題なのだ。今回も諦めかけていたが、ふと思いついて極端にゆっくり弾いてみた。普段の5分の1ほどのテンポで一音ずつ確認しながら弾いてみたのだ。すると断線していた電線が急につながったかのように、聴こえなかったメロディーが突然耳に飛び込んできたのである。一旦、聴こえるようになればしめたもので、その後は徐々にテンポを上げても見失うことはない。

僕は唖然とし、同時に思った、これはピアノだけの問題ではないと。われわれは日頃から何をやるにも急いでいる。その中で気づかぬうちに多くの大切なものを見落としてきたのではないのか。

そこで、自分が不用意に急いでいないかどうか日頃からチェックしてみることにした。すると特に急ぐ必要がないのに急いでいることが多いのに気づかされた。

例えば、読書。本来、小説を読むのに急ぐ理由は何もないはずだ。だが、どうやらこれまでは無意識のうちにストーリーを追いかけ先を急いでいたようだ。気をつけてゆっくり読んでみると、一言一言に込められた作者の意図や工夫の跡がそれまでに比べよく見えるのだ。その結果、作者に対する印象さえもがらりと変わってくる。

ピアノでもそうだが、ゆっくりやることは意外と難しい。われわれは常に急ぐ癖がついていて、ゆっくりやると逆に調子が狂うのだ。だが、ゆっくりやることの効果を実感できるようになると生活の密度が濃くなって来る。同時に焦らなくなり気分も落ち着いて来る。

われわれは時間を節約するために急ぐ。だが、そのことで失うものが多ければ、時間を無駄に過ごしていることになりかねない。効率を追求することで、実は肝心の中身がなくなっているのだ。

「脱力」のすすめ2

以前、エッセイをまとめて本にした際、『「脱力」のすすめ』というエッセイにまず目を止める人が多かった。脱力を切望している人は意外に多そうなのだ。

そうした人たちは日頃から様々なことに精力的に取り組んでいる場合が多い。脱力したいと感じるのは、何かをする際、ついどこかで無駄な力が入っているという自覚があるのだろう。力を抜くべきところで抜けていない、それを何とかしたいと思っているのである。

以前にも書いたが、僕自身、脱力においてはしばらく前に大きな進捗があった。永年練習してきたピアノにおいて、ある時、急に力の抜き方がわかったのだ。それはあくまでもピアノにおいてのことだが、そのインパクトは大きく、その後の人生観がかなり変わったように思う。「脱力には方法がある」とわかったことで、自分の人生の可能性が急に広がったように感じるのだ。

うまく弾けないので何とかしようとしている時に、先生から「力を抜いて」と注意されても簡単に力が抜けるわけがないと以前は思っていた。無駄な力を抜けと言われても何が無駄で何が必要なのかよくわからない。それでも必死に力を抜こうとすると、今度は別のところに力が入ってしまう。一体どうすれば良いのだ。

実は力を抜くためには力が抜ける弾き方をしなければならないのだ。S先生は生徒に手の力を抜かせるためにあるおもしろい指導をしている。鍵盤に指をくっつけたままで弾かせるのだ。これは慣れないと非常に弾きにくい。何しろ指に全然力が入らない。手応えがない。こんなやり方で本当に弾けるようになるのだろうか、と投げ出してしまってはダメである。

とにかく、まず指に力が入らないようにするところから始めるのだ。もちろんうまく弾けない。だが、あれこれやっているうちに、時々鍵盤にうまく力が伝わりいい音が出ることがある。どうやら指の力を補うために無意識のうちに手首を使っているようだ。こうして徐々に手首を使って弾く感覚が身につき、力を入れなくても弾けるようになって行くのである。

ここで大切なことは、何としても脱力するという強い意志だ。脱力を簡単に考えてはならない。ちょっとリラックスするくらいでは脱力はできないのだ。

本来、何であれ正しいやり方をすれば無駄な力は入らないはずだ。脱力できていないということは、何かやり方が間違っているのである。向上心が強いのも時には仇になる。上手くなろうとか結果を出そうするあまり力が入る。しかし、そんなやり方で無理やり何かを達成しても肝心なところは上達していないのだ。しかも、正しいやり方なら得られるはずの大きな喜びがない。僕は自分のピアノでそのことを思い知らされたのだ。

現代のように忙しい時代は、誰もが結果を急ぎすぎる。そういう癖がついてしまっているのだ。だが、それによってわれわれは人生の多くを無駄に使っているのかもしれない。何事に対しても一度立ち止まって、どうすれば脱力できるのか真剣に考えてみる必要がある。脱力できて初めて自分の生き方ができるのだ。

K331の衝撃

 1年ほど前、家内の実家に友人が集まり、公開練習会と銘打ってピアノやチェロの練習成果を披露する内輪の会を始めた。練習会だから、間違え、弾き直しは御免である。昨年の会が終わった時点で、今年はモーツァルトのK331の第一楽章を弾こうと決めていた。

 30年ほど前にワルター・クリーンの演奏でこのK331を聴いたと、以前、書いたことがある。演奏が始まる直前、このトルコ行進曲付きの有名なソナタを最初の演目に持ってきたのを、何か安直な選択のように感じていたのを覚えている。ところが静かにテーマが始まると、その思いはたちまち消し飛んだ。

 クリーンの繊細なタッチから生まれる音はガラスのように澄んでいた。そのあまりの美しさに思わず身震いしたが、それを味わっている暇はなかった。すぐに快感とも苦痛ともつかない衝撃が次から次へと襲ってきたのだ。まるで何か必死に痛みに耐えつつも、ついに耐えかねて叫び声をあげるように、僕の感性は波状攻撃を受けて次第に限界に近づいた。呼吸はままならず、失禁しそうになるのを必死にこらえなければならなかった。

 実際にはそれは苦痛ではなく、恐らくは強い幸福感だったに違いない。体の中から次から次へと湧きあがるのも喜びだったのだろう。ただ、それは親しみやすいK331の曲想からはとても想像できない激烈なものだったのだ。

 その日の演目はオールモーツァルトだったが、そのあと演奏された他の曲ではそのようなことは起きなかった。また、後日、この曲を他のピアニストで何度か聴いたが、そんな経験をしたことはない。たまたまクリーンの傑出した技術が、K331を通じてモーツァルトの秘密の扉を開けたのだろうか。

 公開練習会に向けて、僕は1年かけてこの曲を練習してきた。譜づらは簡単そうに見える。だが、個々の音は常に他の音との相関の中にありモーツァルトの多義的な要求に応えるのは容易ではない。一見滑らかで平易なメロディーも、実は不協和音が大胆に使われ、破綻と調和が繰り返している。いたるところにインスピレーションが溢れ、遊び心にも満ちているが、同時に凛とした格調に貫かれ、弾くものは天才の確信を思い知らされるのだ。

 練習の参考にネットでいろいろな演奏を聞いてみた。その中でバレンボイムの演奏に何か胸騒ぎのようなものを覚えた。その弾き方はクリーンとは異なり、やや無骨とも言えるものだが、そこにはかつての衝撃を彷彿とさせるものがあった。

 モーツァルトの音楽には、「純粋」「無垢」といった枕詞がつきものだ。だが、それはしばしば誤解されている。無垢さは汚れを知る前の未熟さではない。あらゆる苦悩を受け入れ許すことができる自由で強靭な心だ。

 バレンボイムの演奏から僕はその無垢な心の一端を感じたのだろう。それに気づくと、クリーンの演奏から受けた衝撃の謎が解けたような気がした。それは、K331という傑作を通じて音楽の神様の無垢な心に僕の心が直接触れ共鳴した瞬間だったのである。