シンギュラリティーより怖いもの

AI(人工知能)が発達すると、いつかAI自身がAIを開発し進歩させるようになる。するとAIの進歩は飛躍的に加速し、ついには人間の知能を超え人間が太刀打ちできなくなる日、つまりシンギュラリティーが訪れると警告する専門家がいる。

SFやマンガでは、高度なAIを搭載して意思や感情を持つようになった人間そっくりなロボットが登場するが、今でもすでにAIは人間の問いかけに応えたり相槌を打ったりする。将来、AIが発達すれば本当に人間と話しているのと変わらないレベルで受け答えができるようになるだろう。人間同士の会話よりAIとの会話の方が話がはずむ日が来るのも遠くはないかもしれない。

とはいえ、AIは決して人間の言葉を理解して会話をしているわけではない。人間の言葉の中のキーワードを選択し、そうした言葉が出る場合にはどのような答を相手が望んでいるかを推論して答えているだけなのである。つまり、AIが「意思」を持っているわけではなく、あたかも意思を持っているかのごとく会話してくれるだけなのだ。実はAIは意味を理解することが非常に苦手なのである。

人間には簡単でもAIが苦手とすることは他にもいくらでもある。ディープラーニングの登場で画像認識能力が飛躍的に進歩したと言われているが、まだとても人間にかなうレベルではない。人間の感覚や感情などを理解することは、事実上AIにはまだ無理なのだ。

そもそもAIのベースとなっているニューラルネットワークは脳の神経細胞の働きを簡略化し、脳の働きの一部をコンピューターで計算できるようにモデル化したものに過ぎない。実際の人間の脳の仕組みははるかに複雑で、われわれ自身、そのほんの一部を理解しているに過ぎない。それを完璧にモデル化し人間と同じような「意思」を再現することなどとても不可能だ。従って今のAIの性能がいくら向上したところで人間の脳に近づくことはない。

とはいえ、目的によってはAIの能力は人間よりはるかに優れている。近い将来、車の運転を始め人間のやっている多くのことをAIが代行してくれるようになるだろう。問題は現代のような競争社会を勝ち抜くためにAIは強力な武器になるということだ。金融、マーケティング、軍事など、あらゆる分野でいかに優れたAIを開発するかが勝負の決め手になるだろう。その際、ヒトラーのような人物が最強のAIを手にするようなことも十分あり得るのだ。

AIが出す答を人間が理解できないのも問題である。AIは経験から学習していくので、その答に人間が考えるような理由はないのだ。だが、AIが間違える場合もある。AIに任せておいて気がついたら世界が取り返しのつかない事態に陥っていたということも十分起こり得る。

AIが人間の知能を超えるという意味でのシンギュラリティーは簡単には起きそうもない。だが、AIの性能向上が進めば、人間の欲望はそれを利用して極端な力の格差を生み出しかねない。はたしてそれにどう備えていくのか。われわれはすでにそうしたAI社会に一歩踏み出しているのである。

AIが変える仕事

 AI(人工知能)が進歩すると多くの仕事が奪われ失業者が続出するという話をよく耳にする。これまでも技術の進歩で多くの仕事が姿を消して来たが、AIによる影響はそれらと比較にならないほど大きなものになりそうだ。将来、われわれの仕事はどうなるのだろうか。

 仕事においてAIが代行するのは人間の頭脳労働である。従ってAIの導入は肉体的な作業を必要としない情報分野でまず進んだ。

 ネットの世界においては、グーグルなどは誰でもネットで簡単に必要な情報が得られるように早くからAIを利用して検索エンジンの改良を行なって来た。その他にもネット広告の効果を高めたり、通販で価格や在庫の最適化を行うなど、AIはすでに広く用いられている。

 お金をデータとして扱う金融分野においてもAIの活用はすでに不可欠となって来ている。株にしても債券にしてもAI同士が凌ぎを削る熾烈な競争が始まっており、AIを駆使する先端エンジニアの需要は高まるばかりだ。一方、従来の人間の経験や勘といったものは急速に廃れつつある。

 教育も一種の頭脳労働であり、AIによって大きく様変わりしそうな分野だ。AI教師は、各生徒の個性に合わせて細やかに対応し、生徒の質問にも丁寧に答えてくれるだろう。人間の教師の役割は大きく変わるに違いない。

 翻訳も頭脳労働だ。先日、久しぶりにスマホの翻訳機を使ってみて、その進歩に驚かされた。専用のヘッドフォンがあれば誰もが簡単に同時通訳を利用できる日は近そうだ。そうなれば言語の壁は格段に低くなる。外国人との相互理解は深まり、国という概念も変わっていくかもしれない。人間の翻訳家はより質の高い翻訳を求められるようになるだろう。

 ところで、自動車の自動運転の実用化が目前に迫って来ている。運転は肉体労働のように思われがちだが、本質的には頭脳労働だ。ハンドルやブレーキを操作する前に、行き先までの道順を考えたり周りの安全を確認するなど常に頭を使っている。AIが代行するのは、まさにそうした情報処理と状況判断なのだ。

 自動運転は、機械を操作する人間の作業をAIが代行する例の一つだが、運転以外でも機械、あるいは工場全体を操作するような仕事は、今後AIによって自動化が進むだろう。

 一方で職人技を伴う仕事をAIで代行するのは簡単ではない。例えば美容師の仕事を考えてみよう。カットやブローなどを行うAIロボットを開発することは原理的には可能かもしれない。だが、そうした仕事においては、AI以前の問題として職人の微妙な手加減を再現できるロボットをゼロから作らなければならない。それには莫大な費用がかかる。

 永年、肉体労働は頭脳労働より下に見られて来たが、その頭脳労働もAIに取って代わられるとなると、大きな顔はしていられなくなる。AI社会を生き延びていくのは、頭脳と肉体両者を同時にこなす仕事、つまり自分の頭で考え、発想し、判断しながら自分の肉体を微妙にコントロールすることが求められるような仕事なのかもしれない。

AIが生み出す未来

 最近、I o Tという言葉をよく目にするようになった。身の回りの様々な製品が次々とインターネットにつながることで、われわれの生活が大きく変貌を遂げようとしている。

 I o Tは単に製品がネットにつながるだけの話ではない。自動車の自動運転は、自動車という従来の製品をネットを通じて制御することで実現するI o Tの代表的な例だが、ネットの向こうではコンピューターに搭載されたAI(人工知能)が運転中に得た情報を迅速に処理し、危険を回避するための指示を常に自動車にフィードバックし続けているのだ。

 街中で人型ロボット「ペッパー」が店頭に立ち接客をしている光景を目にすることがある。だが、人が彼に話しかけた言葉はペッパーに内蔵されたコンピューターで処理されるわけでない。ネットでつながれた先のAIが処理しているのである。つまり最近のI o Tの進歩はAIの急速な進化に支えられているのだ。

 ネット通販で何か買おうと検索すると、その後、画面に鬱陶しいほどその関連情報が表示される。われわれがパソコンやスマホでどのサイトを覗いたかは全てGoogleなどに情報として蓄積される。ネットの向こうのAIはそうした情報からその人が何に興味がありどのような生活をしているかを分析し、その人に必要な情報を広告として提供する。さらにその広告の効果を分析・学習することで、随時、より効果的な広告の打ち方を見出していくのだ。

 薬を検索すれば、その人が健康上何らかの問題を抱えているということがわかるが、それにあわせてサプリメントや運動器具を勧めるだけでなく、年齢や家族構成、他に何を検索しているかなどを総合的に分析し、ストレス解消が必要だと判断すれば、例えば薬とは一見関係のない旅行を勧める場合もありうる。

 さらにI o Tによってわれわれが日頃使ってきた製品がネットにつながるようになると、パソコンやスマホだけでなくその製品を通じてさまざまな情報がAIに吸い上げられる。健康管理を助けるI o T機器を使えば、われわれの体温、血圧、さらには睡眠中の寝返りの回数やいびきの大きさまで、日夜、AIに蓄積され分析される。自動運転車に乗れば、いつどこに行き何を買ったかも全て記録されるのだ。われわれの生活に関わる全てのデータがI o Tによって記録されAIによって分析・把握されサービスに反映される。さらに、そのサービスに対するわれわれの反応を分析・学習してサービスの質を限りなく改善し続けるのである。

 そうした情報収集・学習はまだ始まったばかりだが、そう遠くないうちに本人よりもAIの方が自分のことを詳しく知るようになりそうである。AIはわれわれの健康を管理し、人間関係の相談に乗り、注文しなくても必要なものを手元に届けてくれるようになるのだ。

 AIによって世の中がどう変わるのかは想像がつかない。ただ、生活の利便性が高まるだけには留まらないことは確かだろう。例えば、選挙の投票行動に影響を与えたり、株や為替相場などにも深く関わってくるかもしれない。どこかの国の大統領選やその後の金融相場の予想外の動きなどを見ると、すでにAIの影が忍び寄っているのかもしれない。