4つの最寄り駅

 「うちって最寄り駅が4つもあるなんて、スゴクない?」。先日、長女がそう言うのを聞いて可笑しくなった。2年程前に、娘たちの通学に支障がないという条件で、以前のマンションから10分程度離れたこの場所に引っ越してきたのだが、それまでの最寄り駅だったJR小岩駅に加え、JR新小岩と京成の青砥、立石が利用可能になったのだ。もっとも、以前、徒歩8分だった小岩駅は徒歩20分の彼方に遠ざかり、他の駅もそれより遠い。何のことはない、どの駅からも遠い場所に来てしまったのである。駅に近いことを最大の売り物にする昨今のマンション事情からすれば、まさに時代に逆行している。毎日の通勤もあり、この距離が生活にどれほど影響するのか、当初は少なからず不安だった。

しかし、住まいの魅力は何も駅に近いことだけではない。この辺りは小岩の西のはずれに当たり、西側にはもはや視界をさえぎる物はない。我が家のある11階から見下ろすと、ところどころに畑が残る住宅地を中川が縫うように蛇行している。そして、荒川の土手の上を走る首都高の向こうには、北から南まで東京の都心が一望の下に展開している。その胸のすくような眺望の魅力は、駅までの不便を補って余りあるものだった。北の方から池袋のサンシャイン、新宿のビル群と続き、新宿と渋谷の間には、丹沢連峰を前衛にした富士山が流麗な姿を見せている。さらにこのところ高層ビルの密集地帯となった東京駅周辺、東京タワー、六本木ミッドタウン...。ずっと行くと、お台場の観覧車まで見渡せる。

都心を東側から眺めることになるのだが、街々は互いに重なり合っているため、当初はどこがどこだかわからなかった。しかし、地図とにらめっこをするうちに、次第に東京の鳥瞰図が浮かび上がってきた。その結果、浅草と秋葉原、渋谷が重なっており、ある日忽然と姿を消した六本木ヒルズは、錦糸町にできたオリナスに隠れてしまったことがわかった。東京の景色も刻々と変わっているのだ。

駅から離れた効用は景色だけではない。人間の心理として、駅と反対側にはあまり出かけないようで、以前は家と小岩駅の間を行き来するだけだったが、今では逆方向に出かける機会も増えた。生活圏が4つの駅に向かって放射状に広がり、これまで知らなかった店や施設を利用するようになった。単に利便性の問題だけではない。いくつもの街の暮らしぶりに触れることで、自分の心の中の街も一回り大きくなったのである。

 越してきて最初の年の大晦日、新年が近づくと、以前は聞いたことがなかった除夜の鐘が、あちこちでゴーンゴーンと鳴り始めた。近くの八剱神社に出かけてみると、かがり火が焚かれ、ちょうちんが明々と照らす参道には初詣の人たちが長蛇の列を作っている。お参りをした人には神主さんが一人一人お払いをしてくれ、その後、甘酒やお神酒が振舞われるのだ。駅から少し離れただけで、地元のこうした伝統が大切に守られている。帰り道、なんだか子供の頃に帰ったような、うきうきとした気分になった。

最寄り駅が4つ。思わず出た娘の言葉には、新たな住みかへの愛着が溢れていた。

100円ショップウォッチング

 最近の100円ショップの充実振りには目をみはるものがある。文房具や台所用品などはもとより、自転車関連やガーデニング用品、防災グッズなど、何でもある。先日は、カメのエサも見つけた。あまり買ったことはないが、地図や文庫本、CDや英語の教材、おもちゃなども着実に品揃えが増えている。

10年ほど前に100円ショップが登場した頃は、品揃えは主に景品でもらうアイデア商品のようなものばかりで、品質も粗悪だった。安いからといって買ってきても、結局は使えず、100円の限界を感じたものだ。しかし、最近はサイズもデザインも実用に耐えるものになった。5mの金属製メジャーや自転車用のLEDライトなども、よく100円で出来るものだと感心する。元来得意のアイデア商品も健在である。台所用のゴミ箱には、スーパーのレジ袋を引っ掛けられる爪がついているし、水拭きで何でも取れる新素材の雑巾なども、なかなかの優れ物である。

もちろん、必要なもの全てが100円ショップで揃うわけではない。特に、「良いものを永く」使う場合には不向きだ。ただ、普段の生活には、あれば便利なのだが、ないならないなりに済んでしまうものが以外にたくさんある。いちいち買い揃えると、結構、お金もかかるので、つい不便なまま過ごしている。そうしたものこそ、100円ショップの出番である。言ってみれば、生活をスムーズにするための潤滑油なのである。

ところで、100円という低価格を可能にしたのは、なんと言っても中国をはじめとする生産の海外シフトである。しかし、海外で作れば誰でも安くできるわけではない。100円ショップへの納品価格は35円程度であると言われている。その中には、製品本体だけでなく、包装コスト、現地の工場から日本の倉庫までの運賃、通関などの輸出入に伴う費用が含まれれる。そしてさらに、何よりも検品コストが必要となる。

確かに中国では、一袋100本入ったボールペンが100円で手に入るかもしれないが、そのうち何割かは、すぐに書けなくなってしまう。日本の品質基準をクリアするためには、必ず厳しい検品が必要である。しかし、品質に対する考え方が全く違う現地の人たちに任せても、なかなか品質の向上は難しい。場合によっては、日本人自ら、検品の陣頭指揮を執らざるを得ないだろう。しかし、それではコストは抑えられない。100円という制約の下で品質をクリアすることは、並大抵のことではない。

今や中国人自身が100円ショップで買い物をして帰るという。中国製にもかかわらず、日本で買ったほうがコストパフォーマンスが高いのである。100円ショップの製品は、まさに日本人がこの10年間に海外と協力して達成したコストダウンの結晶なのである。

我善坊谷

 先日、友人のSさんとカメラ片手に都心散策に繰り出した。溜池山王駅で待ち合わせ、アークヒルズの辺りで六本木通りを左に分け、総ガラス張りの泉ガーデンの高層ビルをやり過ごすと、左に降りる階段があった。そこを下ると、340年前の古い民家が建ち並ぶ不思議な谷間に降り立った。目的地の我善坊谷である。

ここは、地下鉄六本木1丁目駅から神谷町に向う高台の西側に、入り江のように入り込んだ谷間である。民家の玄関には植え込みが茂り、麻布台という地名からは想像もできない下町的な情緒が漂う。古い土蔵があるかと思えば、門前に享保十六年と彫られた石仏が置かれている家もある。どうやらはるか昔からこの谷間には人が住みつづけてきたようだ。かつて人々が住み着いたときの雰囲気が、今でも感じられるような場所である。

この日は、あいにくの雨だったが、それにしても人通りがほとんどない。ひっそりと静まり返った家の玄関には、「森ビル管理」「立ち入り禁止」の札が貼られている。どうやらこの一帯のほとんどの民家は、すでに住人が立ち退いているようである。

六本木周辺は坂が多く、写真を撮るには面白い。谷間から高台に上がれば、思わぬ景色が開け、それを越えて向こう側に下りれば、また全く違う街並みが待っている。平坦な土地に比べ、高台と低地が入り組んだ場所では、住宅にも地形を生かす工夫が凝らされ、町並みにそこに暮らす人々の個性が表れている。

 しかし、近ごろ東京では、こうした町並みの魅力を無視した開発が後を絶たない。15-6年前になるだろうか、麻布十番から現在の六本木トンネルに向かう道沿いに、蔦の這った味のある洋館があった。まだトンネルの開通前で、車の往来のない道路に三脚を立て、洋館を背景に身重の家内と2人で年賀状写真を撮った。その年は暖かく、暮れ近くになっても銀杏の葉が鮮やかな黄色を保っていた。ところが数年後、そこを通って愕然とした。洋館が建っていた一帯の土地は無残に削り取られ、工事用のダンプカーがあわただしく出入りするゲートと化していた。六本木ヒルズの工事が始まったのだ。

 六本木ヒルズは、それまでの丘と谷間が織り成す奥行きのある町並みを根こそぎ切り崩し、そこら一帯を丸裸にしてしまった。代わりに現れたのは、知性も何もない薄っぺらな商業空間だ。その土地の味を生かすという点では、最近の大規模再開発の中でも、「ヒルズ」は最悪のケースではないのか?

そして今、新たな「ヒルズ」が我善坊谷にも押し寄せようとしている。何百年にも渡って、東京のこの地に暮らしてきた人の知恵は、またもや巨大資本の論理によって一方的に蹂躙されてしまうのであろうか。残念でならない

「N」でのひととき

「外、雨降ってました?」顔に掛けられたタオル越しに明るい声が響く。「結構、降ってましたよ。」「あーあ、困っちゃうな。梅雨時はいつも大変なんです。毎日、自転車で通ってるんで。」「どこから?」「代々木上原。」心地よく髪を流すシャワーに身を任せながら、雨にぬれた坂道を一生懸命自転車をこぐ彼女の姿をぼんやり思い浮かべる。「坂が多いでしょう。」「そうなんです。一度下って、上って、また下って上るんです。こっちにくるときですけど。お湯、熱くないですか?」

僕が通う美容室「N」は、表参道を少し入った静かなところにある。癒しとやすらぎをコンセプトにした店内は、ゆったりとしたスペースに、ぬいぐるみのようなワンちゃんが愛想を振りまく。いつもサーフィンで真っ黒に日焼けした笑顔で「今日はどうしますか?」と迎えてくれる店長のKさんは、若い店員からはすっかり長老として慕われている。カットの合間にいろいろ話すうちにすっかり意気投合してしまい、お互いの写真を持ち寄って見せ合うこともめずらしくない。

先日も、個性が香る住宅の一室で撮影した雑誌の仕事を見せてくれた。自然光のみのライティングが作る透明な空気に、彼の即興的なヘアメイクが動きをつくり、へたな写真集よりはるかにアートな空間が広がっていた。

そんな彼を突然のアクシデントが襲ったのは、結婚式を2ヵ月後に控えたある日のこと。朝、自宅で目覚めると右腕が麻痺して全く動かない。あわてて医者に駆け込むと、右腕の神経細胞が死んでしまっているという。前日、酒を飲んで家に帰った彼は、そのままベッドに倒れこみ、朝まで昏々と眠り続けた。これはいつものことだが、その日はたまたま右腕の血管に体重がかかり続け、血行不良で神経が壊死してしまったのだ。

翌日、お店の椅子に座って、「このまま戻らなかったら、どうやって食っていこうか」と、ボーっと考えたそうだが、結婚を間近に控えた身で、「飲みすぎ」が原因で失職しかけている彼の冴えない表情を思い浮かべると、思わず噴出してしまった。

幸い、一ヶ月ほどで神経は再生し、軽やかなハサミ裁きも復活したのだった。

カットを終え、顔見知りのお兄ちゃんに髪を流してもらいながら、「今度みんなで沖縄へ行くんだって?」と尋ねた。「N」では、年に1度、研修と称して沖縄に社員旅行に行くのだ。「そうなんです。めちゃくちゃ楽しみですよぉ!」と底抜けに明るい反応。「みんなヒサロ(日焼けサロン)で下地焼きしてるんです。いきなりだと、皮むけちゃうから。」とても社員旅行とは思えぬ乗りだ。「みんな、着ぐるみ着て来たり、迷彩服にマシンガン構えて空港に降り立つ奴もいるから目立つんですよ、俺たち!」

やっぱり、ここの連中は普通じゃない。

最近の「原宿」事情

カメラを片手によく原宿に出かける。この街の空気の独自の肌触りに魅せられてもう何年になるだろうか。駅前に立ち、いつものように妙な安らぎを覚えると、たちまち海辺の亀のように雑踏の波にさらわれ、心地よい緊張感に包まれながらこの街をさまよい始める。

かつて原宿はといえば、遊歩道に多くのパフォーマーが押し寄せ、歩道の並木の下では、画家の卵が似顔絵を描いて修行を積み、その横では地面に座り込んだ若者達が自作のアクセサリーの店を広げていた。そうした場所には、必ず能天気で暇そうな連中がたむろしているのだが、彼らの多くはモデルやミュージシャン、デザイナーなど、それぞれの分野で成功を目指すアーティスト達で、分野を越えた出会いの場でもあった。演ずるものと観る者が熱気を帯びて渾然一体となる巨大な舞台、それが原宿だった。

この街に足を運ぶおしゃれな女性達もまた、自らの個性を街に向かって発信する者の一人だ。頬に開けたピアスひとつも、彼女らなりの表現なのだ。趣向を凝らしたファッショには、彼女達が思いを込めた感性がこぼれ出ている。「写真撮らせて」と声をかけるのは、そうした思いが僕の感性を振るわせた時。ぐっと迫ってピントを合わせ、大袈裟に肘を張って縦位置にカメラを構える。彼女達は一瞬戸惑いの中に嬉しさの混じった複雑な表情をみせるが、行きますよ!とかまわずシャッターを切るころには、撮らせてやるか、という優しささえも浮かべ、すでに一人のモデルとして可憐に自分を主張している。

しかし数年前、表参道の遊歩道が消えた頃から、こうしたどきどきする出会いの場は次第に失われつつある。原宿交差点のGAPの前では、以前にも増してファッション雑誌のカメラマンに声をかけられるのを心待ちにする男女でにぎわっているが、こうした連中は、かつて原宿にくる骨のある連中からは軽蔑されていた。彼らにとって商業主義に安っぽく使われるのはノーサンキューなのだ。ここ数年はかつては歩道を彩った露店も締め出され、代わりに高級海外ブランド店ばかり続々と進出している。原宿はもはや、個人が思い思いに個性を発揮できる街ではなくなってきている。そしてここに足を運ぶ者の意識も、以前とは変わってしまったのだ。かつての個性の街は、商業主義に飲み込まれ、巨大資本の金儲けに利用されるだけのつまらない空間となりつつある。

昨年の秋、永年に渡って原宿のシンボルだった同潤会アパートがとうとう取り壊された。跡地には日本の誇る世界的建築家、安藤忠雄氏がプロデュースする新たな施設ができるそうである。果たして彼は、かつて原宿で渦巻いていた個性の輝きを再びこの街に呼び戻すことができるのだろうか。それとも、もはやそれは古き良き過去となってしまったのだろうか。