昨年2月に母が亡くなったが、その思いに耽る間もなく世界はコロナ禍に突入して行った。死という紛れもない現実とそれに続く何か非日常的な感染症の世界。僕は自分の中で次第に何かが動き始めるのを感じていた。
しばらく前から予兆はあった。母の衰えや娘たちの成長により自分の残りの人生をどのように生きるか考える機会が増していた。写真の撮影に改めて本腰を入れ始めたのもそのせいだろう。ただ、それらは従来やってきたことの見直しの域を出なかった。何かを大きく変えるより、あくまでもこれまで取り組んできたことの質を高めるべきだという思いが強かった。
ところが、母の死により否が応でも自分に残された時間を意識させられた。何か始めるなら今しかない。動けば何か見えてくるに違いない。こうしてたどり着いたのがセカンドハウスプロジェクトだった。
背景には長女が3年前から建築設計の仕事を始めたことがある。僕自身も昔から建築には興味があった。彼女に設計を依頼すれば、建築を通じて互いの理解も深まり、普通では思いつかない面白い発想が浮かぶかも知れない。
なにしろ、今の葛飾のマンションは狭くて人も呼べない。セカンドハウスができれば、友人を招き得意の料理を振舞うこともできるだろう。ギャラリーを設けて自分の写真だけでなく知り合いの画家の絵も展示してはどうか。ピアノを置いて内輪の音楽会も開ける。物書きに集中できる空間も作ろう。妄想はどんどん膨らんで行った。
ただ、子供も独立した今、それほど費用はかけられない。では、新築ではなく千葉の里山の古民家でも格安で手に入れてリノベーションしてはどうだろうか。自然溢れる生活は長年の夢でもあった。そう思って探し始めたが、すぐに壁にぶつかった。そこでやりたいことを冷静に考えてみるとアクセスが悪すぎるのだ。結局、松戸や市川など自宅から自転車でも行ける範囲に絞られ、里山は諦めざるを得なかった。
だが、ネットで情報を集めその辺りを自転車で回り始めると嬉しい発見があった。住宅街に接して広大な農地が広がり、樹々が生茂る緑地が点在している。今住んでいる葛飾から江戸川1本挟んだだけで、実はこれほど豊かな自然があったのである。
間取りや立地、価格がリノベーションに向いた物件を見つけるのは容易ではない。だが、娘と一緒に現地に足を運び、あれこれ検討するのは勉強にもなり実に面白い。さらに、自分がそこで何をやるのか、何ができるのか、これからの人生何がやりたいのか繰り返し問い直す。すでにプロジェクトは始まっているのだ。