昔読んだ小林秀雄の文章に、「成功とは世間に成功させてもらうこと」という一節があった。成功した人の多くは自分の実力でそれを勝ち取ったと思っているが、実は世の中がそのタイミングで彼の才能を必要としていたからで、さもなければ成功はおぼつかない。人生、あまり成功に拘っていると道を誤りかねない。
世の中には成功を目指す人で溢れている。事業で成功し大金持ちになりたいと思っている人もいればオリンピックの金メダルを目指す人もいる。一方で世間も成功者をもてはやす。東大に合格した人には畏敬の念を抱き、ベンチャー企業の旗手はメディアも競って取り上げる。成功者はまさにヒーローなのだ。
ヒーローにサクセスストーリーはつきものだ。その歩みは必ずしも順風満帆ではない。子供の頃は他人と違うことでコンプレックスに悩むが、ある時、才能を生かすチャンスに巡り合いガムシャラに努力する。すると周りにはサポートする人も現れ彼は成功をつかんでいくのだ。だが、実際には同じような体験をしても成功する人はごくわずかだ。こうした美談は多分にメディアが作り上げた虚構なのである。
僕自身は、人生の早い段階で成功路線を諦めたような気がする。周りに優秀な人がたくさんいて、まともに勝負しても勝てそうもなかった。そして何より彼らとはやりたいことが違っていた。そこで、自分の中で才能を感じるものをできるだけ引き出ししてみようと発想を切り替えたのだ。
とはいえ、何らかの形で自分の存在を世間に示したいという想いはあった。だが、自分の生き方と世間の要望はなかなか相入れない。それをどう受け入れれば良いのかわからぬまま、自分の居場所を見つけよう悶々と彷徨い続けてきたのである。
ところが、最近、ふとそうした重苦しさから解放されていることに気がついた。歳のせいかもしれない。人生で残された貴重な時間を本当にやりたいことに使うべきだといういう想いが日に日に強くなっているのだ。
それにしてもメディアにしばしば登場する成功者に魅力を感じることはほとんどない。特に成功に舞い上がっている人ほどみっともないものはない。肝心なのは成功した人の人間的な魅力であって成功したことではないのだ。
結局のところ自分を高めるための努力を続けるしかない。そんなことは小林の言葉がとっくに教えてくれていたではないか。成功の軛から逃れるのにずいぶん遠回りをしてしまった。だが、今からでも遅くはない。少し肩が軽くなったところで、改めて自分の持てるものを活かすというテーマに正面から向き合ってみよう。