武器としての脱力

以前にピアノにおける脱力について何度か書いたことがある。脱力はしようとしてできるものではなく、脱力できる弾き方を見つけて初めて可能となったのだった。

だが、その後、一気に上達したかというとそうは問屋が卸さなかった。脱力しても弾けない所がいくらでも出てきたのだ。脱力だけではダメなのか。思わずため息が出た。だが、しばらくしてそうではないことに気がついた。脱力をしても弾けないのではない。そうした箇所では脱力できていないのである。つまり僕が見つけた弾き方は易しいところでは通用したが、少し難しくなると途端に力が入ってしまっていたのである。

ピアノ本来の魅力を生かすためには脱力は必須だ。従って作曲家はピアノの機能を徹底的に研究した上で、脱力して弾ける曲を作っている。いくら難しいところでも、正しい弾き方をすれば必ず脱力して弾けるはずなのだ。だが、どうやれば脱力できるかまでは譜面には書かれていない。あれこれ試して見つけていくしかないのだ。

そこで、これまで力づくで突破しようとしていた難しい箇所でも脱力できる弾き方を必ず見つけ出すという信念で臨むことにした。すると最初は絶望的に感じたところでも徐々に力が抜けるものだ。音色も表現力も目に見えて変わり、ピアノ本来の理にかなった弾き方が徐々に身につき始めていると実感している。また、こうして身につけた弾き方は簡単には忘れず、別の曲でも生かされていく。やっと長年の夢だった実力がつく練習になってきたのだ。

こうした脱力の重要性はスポーツや楽器演奏の世界では常識だろうが、 最近、全く別のことで効果を発揮した。僕には学生の頃から考え続けている物理学におけるある問題があり、今でも専門家の友人と定期的に議論を行っている。ところがいくら集中して考えても堂々巡りするばかりで最近は行き詰まりを感じていた。そこで、先日、ふと脱力を意識して考えてみようと思いついたのだ。

呼吸を整え自分の考えのどこに無理があるのか心の中を探ってみる。すると物理の世界では常識と思われているあることが実はあまり根拠がないことに気がついた。それに縛られていたのだ。そこで発想を変えてその常識を思い切って取り払ってみることにした。するとそれまで頭の中でもつれていた思考が整理され、霧が晴れるように前が見えてきたのである。それはまさにピアノでやっていることと同じだった。

ストレスで肩こりを感じる時などは誰もが脱力したいと思う。だが、脱力の効用はそれだけではない。脱力を目指して努力することで、理にかなったやり方に到達できるかもしれないのだ。しかもそれはピアノやスポーツだけの話ではない。俳句や文章のような精神的な表現においても強力な武器となりそうだ。

EASTEINの響

しばらく前から家内の実家で内輪のミニ音楽会(公開練習会)を始めたのだが、我が家から運んだ古い電子ピアノの音がひどく、かつ弾きにくいのが悩みの種だった。そこで、先日、思い切って中古のピアノを買うことにした。

諸事情あってあまりお金はかけられない。ネットで出物を探してみたが、なかなか意にかなったピアノは見つからなかった。だが、2週間ほど経った頃、あるオークションサイトで格安のピアノが出品されているのを見つけた。

早速、家内と一緒に畑に囲まれた出品者の家を訪ねた。そのN氏の本業はフリージャズドラマーで、副業で要らなくなったピアノを引き取り修理して格安で提供しているようだ。自身のドラムも木をくり抜いて自作したものだと言う。

まず10台ほどの未整備のピアノが所狭しと置かれた倉庫に案内された。そこにはオークションでも見かけたEASTEIN(イースタイン )もあった。

今では日本でピアノといえばヤマハかカワイ製だが、戦後しばらくは他にも多くのピアノメーカーがあった。現在ではそのほとんどが姿を消してしまったが、そうしたメーカーによって作られたピアノの中には今でも評判の名器が存在する。東京ピアノ工業のEASTEINもそうしたピアノの一つだった。

ピアノの音というのは個々でかなり違いがある。だが、我々が楽器店で触る機会のあるヤマハやカワイのアップライトピアノの音はなんとも面白みがない。今回は年代を経たさまざまなピアノに触れられる滅多にない機会だ。好みの音色のピアノに出会えないものかという密かな期待があった。

EASTEINの象牙の鍵盤を押してみると、奇しくもその音色は僕好みだ。ただ、傷みがひどい。鍵盤蓋は何か高温の物が置かれたのか表面が溶けている。足は犬にでもかじられたのか大きく削れている。N氏は、修理には手間がかかり過ぎるため、あくまでも部品取り用で修理はしないと宣言していた。

やむなくすでに修理済みの他のピアノを見せてもらったが、なんとも先ほどのEASTEINが気に掛かる。N氏もこちらの熱意に圧されたか、最後には最低限の整備でよければということで修理を引き受けてくれることになった。

2ヶ月後、修理を終え見違えるようになった超重量級のEASTEINが家内の実家に運び込まれた。N氏の話では、外見はひどかったがアクションや弦など内部の状態は思いのほか良かったようだ。

2度の調律を経てEASTEINはついにその味のある音を響かせた。それは爽やかで、僕は背中を押されるように感じた、「さあ表現したまえ!」と。

ゆっくりの効果

最近、ゆっくりやることの効果に驚かされたある事件があった。それは例によってピアノの練習においてだった。

難しい箇所をゆっくり弾くというのは練習ではよくあることだ。普通のテンポでうまく弾けない所をなんとか弾けるところまでテンポを落とすわけだ。だが、ゆっくり弾くことの効用は単にそれだけではなかったのだ。

このところ取り組んでいるモーツァルトのK533のソナタでは、いたるところで対位法が駆使され、幾つものメロディー(声部)が同時に進行する。左手と右手でそれぞれのメロディーを弾く場合もあれば、左右で3つのメロディーを弾く場合もある。

そうした対位法音楽においては各メロディーをしっかりと自分の耳で聴きながら弾くことが大切だ。そんなことは当たり前だと思われるかもしれないが、指では複数のメロディーを同時に弾いているのに耳は1つのメロディーしか追っていない場合が多々あるのだ。

そうした場合、演奏が不自然になり先生からすぐに指摘される。だが、情けないことにそこでいくら注意しても一向に聴こえてこない。自分で弾いているのに聴こえないのだ。

こうしたことはこれまでにもしばしばあった。永年の課題なのだ。今回も諦めかけていたが、ふと思いついて極端にゆっくり弾いてみた。普段の5分の1ほどのテンポで一音ずつ確認しながら弾いてみたのだ。すると断線していた電線が急につながったかのように、聴こえなかったメロディーが突然耳に飛び込んできたのである。一旦、聴こえるようになればしめたもので、その後は徐々にテンポを上げても見失うことはない。

僕は唖然とし、同時に思った、これはピアノだけの問題ではないと。われわれは日頃から何をやるにも急いでいる。その中で気づかぬうちに多くの大切なものを見落としてきたのではないのか。

そこで、自分が不用意に急いでいないかどうか日頃からチェックしてみることにした。すると特に急ぐ必要がないのに急いでいることが多いのに気づかされた。

例えば、読書。本来、小説を読むのに急ぐ理由は何もないはずだ。だが、どうやらこれまでは無意識のうちにストーリーを追いかけ先を急いでいたようだ。気をつけてゆっくり読んでみると、一言一言に込められた作者の意図や工夫の跡がそれまでに比べよく見えるのだ。その結果、作者に対する印象さえもがらりと変わってくる。

ピアノでもそうだが、ゆっくりやることは意外と難しい。われわれは常に急ぐ癖がついていて、ゆっくりやると逆に調子が狂うのだ。だが、ゆっくりやることの効果を実感できるようになると生活の密度が濃くなって来る。同時に焦らなくなり気分も落ち着いて来る。

われわれは時間を節約するために急ぐ。だが、そのことで失うものが多ければ、時間を無駄に過ごしていることになりかねない。効率を追求することで、実は肝心の中身がなくなっているのだ。

「脱力」のすすめ2

以前、エッセイをまとめて本にした際、『「脱力」のすすめ』というエッセイにまず目を止める人が多かった。脱力を切望している人は意外に多そうなのだ。

そうした人たちは日頃から様々なことに精力的に取り組んでいる場合が多い。脱力したいと感じるのは、何かをする際、ついどこかで無駄な力が入っているという自覚があるのだろう。力を抜くべきところで抜けていない、それを何とかしたいと思っているのである。

以前にも書いたが、僕自身、脱力においてはしばらく前に大きな進捗があった。永年練習してきたピアノにおいて、ある時、急に力の抜き方がわかったのだ。それはあくまでもピアノにおいてのことだが、そのインパクトは大きく、その後の人生観がかなり変わったように思う。「脱力には方法がある」とわかったことで、自分の人生の可能性が急に広がったように感じるのだ。

うまく弾けないので何とかしようとしている時に、先生から「力を抜いて」と注意されても簡単に力が抜けるわけがないと以前は思っていた。無駄な力を抜けと言われても何が無駄で何が必要なのかよくわからない。それでも必死に力を抜こうとすると、今度は別のところに力が入ってしまう。一体どうすれば良いのだ。

実は力を抜くためには力が抜ける弾き方をしなければならないのだ。S先生は生徒に手の力を抜かせるためにあるおもしろい指導をしている。鍵盤に指をくっつけたままで弾かせるのだ。これは慣れないと非常に弾きにくい。何しろ指に全然力が入らない。手応えがない。こんなやり方で本当に弾けるようになるのだろうか、と投げ出してしまってはダメである。

とにかく、まず指に力が入らないようにするところから始めるのだ。もちろんうまく弾けない。だが、あれこれやっているうちに、時々鍵盤にうまく力が伝わりいい音が出ることがある。どうやら指の力を補うために無意識のうちに手首を使っているようだ。こうして徐々に手首を使って弾く感覚が身につき、力を入れなくても弾けるようになって行くのである。

ここで大切なことは、何としても脱力するという強い意志だ。脱力を簡単に考えてはならない。ちょっとリラックスするくらいでは脱力はできないのだ。

本来、何であれ正しいやり方をすれば無駄な力は入らないはずだ。脱力できていないということは、何かやり方が間違っているのである。向上心が強いのも時には仇になる。上手くなろうとか結果を出そうするあまり力が入る。しかし、そんなやり方で無理やり何かを達成しても肝心なところは上達していないのだ。しかも、正しいやり方なら得られるはずの大きな喜びがない。僕は自分のピアノでそのことを思い知らされたのだ。

現代のように忙しい時代は、誰もが結果を急ぎすぎる。そういう癖がついてしまっているのだ。だが、それによってわれわれは人生の多くを無駄に使っているのかもしれない。何事に対しても一度立ち止まって、どうすれば脱力できるのか真剣に考えてみる必要がある。脱力できて初めて自分の生き方ができるのだ。

K331の衝撃

 1年ほど前、家内の実家に友人が集まり、公開練習会と銘打ってピアノやチェロの練習成果を披露する内輪の会を始めた。練習会だから、間違え、弾き直しは御免である。昨年の会が終わった時点で、今年はモーツァルトのK331の第一楽章を弾こうと決めていた。

 30年ほど前にワルター・クリーンの演奏でこのK331を聴いたと、以前、書いたことがある。演奏が始まる直前、このトルコ行進曲付きの有名なソナタを最初の演目に持ってきたのを、何か安直な選択のように感じていたのを覚えている。ところが静かにテーマが始まると、その思いはたちまち消し飛んだ。

 クリーンの繊細なタッチから生まれる音はガラスのように澄んでいた。そのあまりの美しさに思わず身震いしたが、それを味わっている暇はなかった。すぐに快感とも苦痛ともつかない衝撃が次から次へと襲ってきたのだ。まるで何か必死に痛みに耐えつつも、ついに耐えかねて叫び声をあげるように、僕の感性は波状攻撃を受けて次第に限界に近づいた。呼吸はままならず、失禁しそうになるのを必死にこらえなければならなかった。

 実際にはそれは苦痛ではなく、恐らくは強い幸福感だったに違いない。体の中から次から次へと湧きあがるのも喜びだったのだろう。ただ、それは親しみやすいK331の曲想からはとても想像できない激烈なものだったのだ。

 その日の演目はオールモーツァルトだったが、そのあと演奏された他の曲ではそのようなことは起きなかった。また、後日、この曲を他のピアニストで何度か聴いたが、そんな経験をしたことはない。たまたまクリーンの傑出した技術が、K331を通じてモーツァルトの秘密の扉を開けたのだろうか。

 公開練習会に向けて、僕は1年かけてこの曲を練習してきた。譜づらは簡単そうに見える。だが、個々の音は常に他の音との相関の中にありモーツァルトの多義的な要求に応えるのは容易ではない。一見滑らかで平易なメロディーも、実は不協和音が大胆に使われ、破綻と調和が繰り返している。いたるところにインスピレーションが溢れ、遊び心にも満ちているが、同時に凛とした格調に貫かれ、弾くものは天才の確信を思い知らされるのだ。

 練習の参考にネットでいろいろな演奏を聞いてみた。その中でバレンボイムの演奏に何か胸騒ぎのようなものを覚えた。その弾き方はクリーンとは異なり、やや無骨とも言えるものだが、そこにはかつての衝撃を彷彿とさせるものがあった。

 モーツァルトの音楽には、「純粋」「無垢」といった枕詞がつきものだ。だが、それはしばしば誤解されている。無垢さは汚れを知る前の未熟さではない。あらゆる苦悩を受け入れ許すことができる自由で強靭な心だ。

 バレンボイムの演奏から僕はその無垢な心の一端を感じたのだろう。それに気づくと、クリーンの演奏から受けた衝撃の謎が解けたような気がした。それは、K331という傑作を通じて音楽の神様の無垢な心に僕の心が直接触れ共鳴した瞬間だったのである。

理にかなったやり方

 しばらく前に自分のピアノの弾き方において大きな進歩があったと書いたが、その後もピアノの練習は充実している。最近は以前やったモーツァルトのソナタを引っ張り出してきて再挑戦している。もちろん、急にすらすら弾けるようになるというわけではないが、かつて力が入って凝り固まっていた演奏が徐々に矯正されていくのを感じる。今ではピアノに向かうことは、まるで心身をリラックスさせるためにヨガを始めるときの気分に近い。

 もっとも今でも困難な箇所に来ると、無意識のうちに何とか指をコントロールしようとし勝ちだ。そこをぐっと思い留まり、手首だけでなく腕から肩、そして全身の使い方を工夫することで次第にほぐれるように弾けるようになっていく。僕のピアノの練習は、力で克服しようとするかつてのやりかたから、正しい弾き方を我慢強く見つけ出す作業に180度転換したのである。

 正しい弾き方を探る試行錯誤は、同時に曲のその部分にふさわしい表現を探す作業でもある。無理な力が入っていた頃は、譜面をさらうのが精一杯で表現は二の次だった。先生に指示されても、なぜそう表現するのかピント来なかった。だが、力が抜け音の表情が豊かになると、不思議なことにそこをどう弾けば良いのかが自然にわかってくるのである。

 さらに、表現が豊かになると作曲者が意図していたものが見えてくる。モーツァルトのさりげない表現がいかに繊細で豊かな感情を含んでいたのか肌で感じ取れるようになるのだ。ピアノを弾くことは作曲者との対話であり、作曲者が答えてくれることに耳を澄ませる作業でもあるのだ。

 それにしても、今回の体験で感じる充実感は何だろう。確かに以前にくらべて上達は速くなった。何かがみるみる身に付いていくときの充実感は格別だ。音楽に対する理解も深まっている。しかし、ピアノはあくまでも趣味ではないか。これによって生活が楽になるわけでもないし名声が得られるわけでもない。単なる自己満足だ。だが、何か人生が変わったという実感があるのだ。

 人は努力してもそうそう進歩するものではない。それを何とかしようと頑張るのだが、逆に体や心に無理が掛かり、下手をすれば心身を損なうことになる。しかも、誰もが次第に歳を取る。力は確実に衰えていくのだ。恐らく僕は力に頼ったやり方に大分前から限界を感じていたに違いない。

 しかし、今回、力の抜くことで新たな道が開けた。しかも、力の入らないやり方を自分で見出すことが出来たのだ。

 ピアノ以外でも無理なやり方をして困難を感じていることは僕の身の回りにはいくらでもありそうだ。それらに対しても理にかなったやり方を見出せば、余計な力が抜け壁を越えることが出来るのではなかろうか。努力の積み重ねが少しずつではあるが確実に自分を向上させてくれるやり方、それこそが理にかなったやり方なのだ。

ブレイクスルー

 ピアノを習い始めて17年。当初は上達が速いと自惚れてもいたが、いつの頃からか大きな壁にぶち当たってしまった。練習すれば確かにその曲は徐々に弾けるようにはなる。だが、実力がついたという手応えがない。自分の練習には明らかに何か問題があるのだ。

 これまで指導を受けた先生方からは、いずれも手首を使う重要性について指摘されてきた。だが、それは僕の手首があまりにも固まっているので、もっと柔らかくして弾くべきだというアドバイスだと捉えてきた。あくまでも主役は指で、手首の役割は補助的なものだと考えてきたのである。

 最近のバッハでも、S先生から手首の使い方について何度も指示を受けた。しかし、手首を意識すると逆に動きがぎこちなくなってしまい、なかなか手首を使う意味が理解できない。普段ならそろそろ諦めて次の曲に移る時期だった。だが、ここが踏んばり所ではないのかという思いが、ふと頭をよぎった。とにかくこのままでは駄目だ。そこで、たとえこの小曲に1年かけようとも感覚がつかめるまでは決して止めない、と腹をくくった。

 その決意は先生にも伝わったようで、納得するまで遠慮なく駄目出ししてもらえるようになった。大人のピアノでは、楽しめれば良いという生徒が多く、先生としても技術的なことをあまりしつこく言うのは遠慮があるのだ。

 鍵盤から指が持ち上がっていないかどうかS先生の目が光る。弾きにくい所に来るとなんとか指を動かそうと無意識のうちに指が鍵盤から離れてしまうのだ。これは指に要らぬ力が入っている証拠だ。だが、いくら力を抜こうとしても指は持ち上がり、無理に抑えようして指はぴくぴく痙攣している。なんとも情けなくなる。

 だが、諦めずに試行錯誤を繰り返しているうちに、自然に力が抜けていることがあった。そうした時は、まるで手首より先が手袋になったような気分だ。手袋の指は動かないので自ずと手首を使わざるを得ない。一見、これでは指のコントロールなど出来そうもないように思える。だが、意外にも手首と指は本来あるべき位置を見つけたかのように安定し、無駄な力がすっかり抜け、音も見違えるように澄んでくる。

 無理に指の力を抜こうとするのではなく、指に力を入れずに弾ける弾き方があるのではないか。何かをつかみかけているという思いに胸が騒いだ。

 要は、腕の重みで指を自然に鍵盤に下ろせる位置に、手首を使って持って行ってやれば良いのだ。もちろん理屈はわかっても実際にやるのは大変だ。手首の使い方は音形によって無数にある。試行錯誤の連続だ。だが、気分は晴れやかだ。まるで目から鱗が落ちたように、理にかなった練習方法が見えてきたのだ。随分回り道したが、やっと重い扉が開き始めたのである。

 僕のピアノ人生にこんな展開が待っているとは思ってもみなかった。何事も納得するまでもがいてみれば、意外と道は開けて来るのかもしれない。

音符と音符の間にあるもの

永年ピアノを習っているが、モーツァルトが一番好きだという先生にめぐり合ったことがなかった。多くの先生にとって最も人気のあるピアニストはショパンではないだろうか。そしてショパンのピアノ曲はモーツァルトのものより勝っていると思い込んでいる。モーツァルトは物足りないと感じているから、自ずとモーツァルトを教える際の本気度は低くなる。モーツァルト好きの僕にとっては頭の痛い話だ。

確かにモーツァルトの時代にはピアノはまだ発明されたばかりの新しい楽器で、音量的にも鍵盤の戻りの速さなどのメカニカルな面でも現在のピアノに比べて劣っていた。モーツァルトも旅先で性能の高いピアノに巡り合うと有頂天になったようで、それがしばしば名曲を生み出す契機となっているほどだ。その後も作曲家の要求はピアノの進歩を促し、ピアノの表現力の進歩の原動力となった。そしてショパンやリストの時代になると、ようやく現代のピアノと遜色のない機能を備えたピアノが出来上がったのである。

ショパンの時代にはモーツァルトがやりたくてもやれなかった技巧が可能になり、作曲家はそれを前提に作曲することができるようになった。その結果、ショパンの曲はモーツァルトの曲にはないきらびやかさを具え、高度な技巧を駆使した表現が次々と出てくるようになる。ピアニストにとっては弾き栄えがし、テクニックを誇示するには持ってこいの音楽になっているのだ。多くのピアニストがショパンを好む所以である。

では、モーツァルトや更に昔のバッハの鍵盤曲はショパンのものより劣っているのだろうか。僕にはとてもそうは思えなかった。何度練習しても新鮮な感動を与えてくれるモーツァルトの音楽には何か計り知れない魅力を感じるからだ。モーツァルトに最も力を入れる世界的なピアニストが大勢いるのもそれを裏付けている。

そうした僕のピアノ人生にとうとう幸福が訪れた。モーツァルトの凄さを理解しているS先生に教えてもらうことになったのだ。先生はモーツァルトの音楽に対する評価は明快だった。確かに技巧的にはショパンの時代の音楽に比べて限られているかもしれないが、モーツァルトの音楽の質はそれを差し引いて余りある。むしろ技巧に頼る分だけショパンの音楽は表層的になりがちだ。当時のピアノの能力でモーツァルトが表現した世界は、後にショパンが表現したものと比べてもはるかに豊かなのだ。

譜面を見るだけだと、モーツァルトの曲はショパンに比べはるかに簡単に見える。しかし、その少ない音符と音符を繋いでいくためには演奏者の深い理解と高い技術が要求される。子供には簡単だが、一流ピアニストには難しいと言われる所以だ。現在、K322のソタナに取り組んでいるが、改めてモーツァルトの音楽の多様さに驚くと同時にその難しさを肌で実感している。

ショパンは確かにピアノによる多種多様な感情表現を編み出したかもしれないが、モーツァルトが目指したものはさらに高度な精神世界だったのだと感ぜずにはいられない。

天才のいたずら

 一年ほど前、ピアノを習い始めて10年目にして、モーツァルトのK331のイ長調のピアノソナタに挑むチャンスがめぐってきた。終楽章にトルコ行進曲が来るあの曲である。この曲は、数ある彼の作品の中でも最も有名な一曲だろうが、あまりに親しまれているため、子供向きの入門曲だと思っている人も多いだろう。この曲の真価は案外に知られていないように思われる。

20年ほど前、東京文化会館小ホールで開かれたワルター・クリーンのコンサートに行ったときのことである。その日の演目は、モーツァルトのソナタばかり3曲で構成されていた。その一曲目がK331であったが、ゆったりとした出だしが指慣らしに適当だからだろうと思っていた。だが演奏が始まるとすぐに、クリーンが最も得意とする曲を最初に持ってきたことを確信した。そして、その透き通った、あまりに透き通った響きが、僕の全身を金縛りにしてしまったのである。まるで目の前に、神か精霊がいきなり降りたち、ただ歓喜にむせぶしなかいような状態と言ったら良いであろうか。そんな音楽をピアノが発していること自体が信じられなかった。それは劇的な感動でも、情緒溢れる表現でもない。ただモーツァルトの純粋な心が、無邪気に歌っているだけなのだ。この曲の凄さは、いつも無邪気さと同居しているのである。

有名な曲であるにもかかわらず、この曲にはソナタ形式の楽章が一つもなく、ピアノソナタとしては変則的な作品である。現在、その第一楽章の変奏曲に取り組んでいるのだが、随所にこれまた変則的な指の動きがあって弾きにくい。しかもモーツァルトは、わざと弾きにくくして喜んでいる節がある。今、教えていただいているF先生も、「ちょっと遊びすぎですよね」とあきれるほどだ。

しかし、こんな逸話がある。モーツァルトは旅の途中、あるお宅で世話になったが、その旅立ちの日、家族はおおいに別れを惜しんだ。そこで彼はふと思い立ち、玄関ですばやく紙切れに短い曲を書くと、その紙切れを真ん中で半分に破って見送る家族に手渡し、曲の最初からと最後から同時に歌うよう頼んだ。すると、それが物悲しくもなんともおかしい別れの2重唱になったと言う。

K331において、左手のアルペジオが小節の半ばで反転するような動きをするにつけ、僕はこの逸話を思い出さずにはいられない。それらは、彼のいたずらなのだ。しかし、練習を重ねるにつれ、それが面白くなってくるから不思議である。そして、いたずらは彼の創造の源であり、いたずらにこそ彼の天才の秘密があると感じられるようになってくるのである。

この曲は、1楽章だけをやるつもりだったが、以前、指導を受けていたN先生から、「1楽章から通して弾くと、(終楽章の)トルコ行進曲の面白さに改めて気付くのではないでしょうか」という年賀状が届いた。どうやらモーツァルトの仕組んだいたずらが本領を発揮するのは、まだこれからのようである。

グールドのゴールドベルク

 1955年、後に20世紀を代表するピアニストの一人となる無名の22歳の青年がレコードデビューを果たした。曲目はバッハのゴールドベルク変奏曲。当時、チェンバロで弾くのが常識だったこの曲をピアノで弾くことにレコード会社は猛反対したが、それを押し切っての録音だった。しかし、発売されるやいなやそのレコードは世界的なセンセーションを巻き起こし、グレン・グールドの名は一躍世界にとどろくことになったのである。

この演奏は、チェンバロによる従来の演奏に比べてテンポが異常に早い。そもそも、難曲とされるこの曲をこのようなテンポで弾こうとする無謀なピアニストは、それまで誰もいなかった。リピートもすべて省き、息もつかせぬ速さで疾走していく。これがもし一回限りの生演奏だったら、単にそのテクニックに唖然とするだけで終わってしまうであろう。だが、幸いなことにレコードは繰り返し聴くことができる。グールド自身、それを前提としていたに違いない。繰り返し聴くうちに、この演奏の凄さがわかってくるからである。非常に早いテンポにもかかわらず、全くテクニックの乱れは見られない。対位法の各声部は完全な独立性を保ち、しかも互いに精神的に深く絡み合っている。何度聴いても、常に彼の理想はさらにその先を行き、バッハへの深い理解と確信を思い知らされるのである。

 グールドは、30代になって、何の前触れもなく、突然、演奏会から完全に身を引いてしまった。自らの世界の追求を妨げるさまざまな雑音を遠ざけ、スタジオに篭り、録音によってのみ、その音楽を世に問うことにしたのだ。スタジオでの演奏風景を見ると、その集中力には思わず戦慄を覚えるほどで、孤高の天才が目指した高みは計り知れない。だが、そうした極度の集中は、次第にグールドの肉体を蝕んで行ったのである。

1981年、26年ぶりにグールドはゴールドベルク変奏曲を再録音することになった。この変奏曲は、最初と最後のアリアと、それらに挟まれた30の変奏からなるが、新録音ではこのアリアのテンポが極端に遅くなっている。「以前の録音はテンポが速すぎて、聴く人に安らぎを与えることができていない」という反省から、それを聴き手に表明する意図があったと思われる。グールドにとって再録音は非常に珍しい。彼は、「前回の録音では、30の変奏それぞれがばらばらに振舞っていて、元になっているバスの動きについて思い思いにコメントしている」と、以前の録音に対する不満が再録音の理由だったとしている。

この再録音を記録した映像からは、彼はすでに曲を解釈したり表現したりするという次元を超え、曲と一体化しているように見える。そして、あたかも神に問いかけるかのように、自らが生涯最も愛してきた曲に穏やかに問いかけ、応えを聞き、心ゆくまで語り合っているかのようである。

この録音について、音楽評論家の吉田秀和氏は、「生涯にわたって猛烈な憧れをもって探してきたものがどうしても見つからない。そこで彼は、もう一度出発点に帰ろうとしたのではないか」と述べている。録音の翌年、グールドは脳卒中で亡くなった。天才音楽家は、その生涯をかけて探し求めたものを、最後にこのアリアと30の変奏に託したのである。