銭湯の思い出

 風呂に入っている時に良いアイデアが浮かんだという話はよく聞く。入浴中、われわれの精神は何か独特の状態になるのだ。そして、もしそこが銭湯ならば、立ち込める湯気と反響するざわめき、何ともいえない気だるさが、さらに心地よい世界にいざなってくれる。

 子供の頃、毎日のように通っていたのは近所の米野湯だった。今はもう取り壊されてしまったが、廃業後もテレビロケに使われたこともある風情のある銭湯だった。

 脱衣所から浴場への入り口には石と盆栽で作られた小さな庭があり、浴場に入ると真ん中に大浴槽、奥の壁沿いにぬる目の湯、電気風呂、薬湯の3つの浴槽があった。

 子供はまず自然を模した石組のあるぬる目の湯から浸かると決まっていた。最初から熱めの大浴槽に入れるようになれば、それはもう大人の仲間入りをしたということだった。

 電気風呂には左右に木製の枠に覆われた電極があり、そこに手を近づけると痺れて動かせなくなるほど強力な電圧がかかっていた。壁には心臓の悪い人は入浴を控えるようにと物々しい注意書きがあったが、なぜか効能については全く記憶がない。

 米のとぎ汁のように白濁した薬湯は米野湯の名物だと母から聞いていた。その「薬」はしばらくすると底に沈んでしまうので、入る前には浴槽の傍らにおかれた重い木製の器具で攪拌しなければならなかった。その際、舞い上がる香りが今でも忘れられない。

 銭湯は体を洗ったりお湯に浸かったりするだけの場所ではない。休日ともなれば一番風呂に行って水中眼鏡をつけて潜ったり、自作の戦艦のプラモデルを浮かべたりとやりたい放題だった。ある休日、まだ明るい時間だったが、友達が大勢来ていた。そこで僕は、以前から温めていたある実験を実行に移すことにしたのだ。

 まず、僕が電気風呂に入り、強烈な痺れに耐えながら電極に体をくっつける。その状態で手を伸ばして浴槽の外の友達の手を掴むと友達も痺れる。こうしてどんどん列を伸ばし、どこまで電気が届くのか調べたのだ。途中、友達だけでは足りず他のお客さんも動員して列を伸ばして行ったが、とうとう先頭が番台の横の出口のところまで達しても、まだ「痺れてる!」と叫んでいる。電気風呂恐るべし!想像以上の結果に僕が大満足だったことは言うまでもない。

 銭湯といえば、湯上りに飲む冷たい牛乳が格別だった。コーヒー牛乳、フルーツ牛乳も捨てがたいが、僕の一押しは何と言ってもカスタード牛乳だった。卵、牛乳、バニラが渾然一体となった甘みとコクは比類がなく、多少高くても納得だった。先日気になり、ネットで調べてみたが見つからなかった。今あればヒット間違いなしだと思うのだが。

 銭湯は帰り道も楽しかった。風呂桶を抱えたまま洋品店を覗いたり、夏場には裸電球の下で店開きする金魚すくいに興じた。横ではかき氷も売られ、さながら夜祭だった。

 銭湯には日常とはまた別の独自の時間が流れていた。そこで毎日過ごした体験は僕の心に他ではけっして得られない特別の思い出を残してくれたのである。

 何事も一見順調に見えるときほど、隠れたところで問題が蓄積されているものだ。

 史上稀に見る急速な発展を成し遂げてきた中国だが、そこにはいくつかの理由がある。1978年、当時の国家主席、鄧小平の号令のもと改革開放政策が始まった。しかし、政治体制の違いやインフラの不備などにより当初は海外からの投資はなかなか進まなかった。だが、WTOに加盟した2000年頃から投資は加速し海外の技術を急速に吸収し始める。これにより中国は技術開発の時間を大幅に短縮し短期間に発展できたのである。

 さらに共産党一党支配の下ではインフラ整備が非常に効率的だ。市民がごねると立ち退きが滞り道路建設がストップしてしまう他の資本主義国家に比べ、国家が描くデザインに従いインフラ整備が速やかに進む中国では同じ予算を投じても効率が桁違いに良いのだ。

 企業の発展においても国家の指導のもとに無駄な競争を避け、効率の悪い企業は容赦無く潰して来た。その結果、瞬く間に世界有数の企業が多数育ってきたのだ。 

 習近平が国家主席になった2013年にはGDPはすでに日本を抜き世界第2位となっていた。その後も中国の勢いは止まらず、習主席が2期目を迎えた2018年にはアメリカに迫る大国に成長していた。経済規模だけでなく技術的にも多くの分野で世界のトップレベルに達し、生活文化も先進国と遜色なくなった。もはや世界一の覇権国家になる日も遠くはないという雰囲気にあふれていた。

 一方で習主席は就任以来、腐敗撲滅の旗印のもと政敵を次々と粛清し、自らの政治基盤の強化に努めてきた。国民もかつての貧しい中国を世界トップレベルまで引き上げてくれた政府を評価していた。共産党の管理に息苦しさも感じるが、もっと豊かになれるならやむを得ないと考えていた。

 そうした状況に自信を深めたのか、習主席は2018年の3月、憲法改正に踏み切り、それまで2期10年だった国家主席の任期を撤廃してしまったのだ。だが、これに対して普段あまり政治に関心を示さない中国市民がSNSを通じて一斉に批判した。国家主席の任期はかつて毛沢東への権力集中が進み過ぎ文化大革命の悲劇を招いたことへの反省から定められたものだった。市民の頭にはかつての忌まわしい記憶が蘇ったのだ。

 そうした矢先、思わぬ方向から別の強烈なパンチが飛んできた。アメリカが仕掛けた貿易戦争だ。もちろん中国もそうした攻撃に対し永年備えてきた。だが、今や世界中の産業が中国に依存し、どの国であれ敵対すれば自分の首を絞めるだけだという楽観論が支配的だった。だが、中国の拡大に対する世界の警戒感は想像以上に高まっていたのだ。

 現在中国では、他国ではスタンダードとなっているGoogleYouTubeが国家によって規制され使えない。これまで中国の国家体制は奇跡の発展の原動力となって来た。だが、さらなる拡大の前には体制の違いという壁が立ちはだかる。それに対して果たして中国はどう動くのか。中国の発展、そして世界の行方は、今、大きな転機を迎えているのである。

人間の時間、猫の時間

猫はいつものんびりしているように見える。だが、猫自身は特にのんびりしているつもりはないだろう。朝起きて会社に急ぐ必要もなく、夕飯の支度に追われることもない。気ままに生きる彼らをみてわれわれが羨ましがっているだけなのだ。

猫も夜になればどこかに出かけて行くし、道を渡るときには間合を測って身構える。彼らにもそれなりの時間感覚はありそうだ。では猫の時間と人間の時間は何が違うのだろうか。

猫には時計を見る習慣はない。いちいち今何時か気にしたりはしない。だが人間も常に時計を見て時間を確認しているわけではない。階段を降りる時、いつ足を前に出すかいちいち時計を見る人はいない。日頃の行動の多くは感覚的に行われ、猫とさほど変わらないのだ。

そもそも人間はいつから時計を気にするようになったのだろうか。人間にとって最初の時計は太陽だったと思われるが、当初は大まかな目安程度だったろう。明るくなったので活動し、日が傾けば危険を感じ家に帰る。この時点では猫とさして変わりはない。

しかし、あるとき人間は太陽の動きを正確な時間の目印、つまり時計として使おうと思いついたのだ。1日を時間の物差しにより分割し、いつ頃が狩りに適しているか、作業を終えるまでにどのくらいかかるかなど、生活の中に本格的に時間が入り込んできたのだ。

一方、太陽が毎日昇っては沈むうちに次第に季節が変わり、しばらくすればまた同じ季節が戻ってくることにも気がついただろう。そしてそれに合わせて冬に備え食料を蓄えることなども学習して行っただろう。それには1人の人間の力だけでは無理で、何代にもわたる経験の積み重ねが必要だったかもしれない。

こうして人間は太陽の運行を元に時間という物差しを作り、その物差しを日頃から意識して暮らすようになった。猫とは一線を画すようになったのだ。

さらに村のような社会ができると村の人たちが同じ時間を共有する必要が出てくる。さもなければ待ち合わせもままならないからだ。太陽の位置は見る場所によって変わるので日時計が作られ、そこから得た時間情報を村全体で共有するために定期的に狼煙を上げたり鐘を鳴らすような工夫もしただろう。複雑な社会の構築には時間は不可欠だったのである。

一旦時間が共有されると、今度はそれに合わせて生活しなければならなくなる。店はいつでも開いているわけでもないし、会議に遅れることは許されない。社会的な利便性のために作り出した時間に今度は人間が逆に支配されることになったのだ。

過去や未来という概念も時間の物差しを持つようになって初めて生まれたものだ。自分の記憶と過ぎた去った時間を組み合わせることで過去が生まれ、来たるべき時間に何が起こるかを想像することにより未来が生まれる。従って、猫には過去や未来もありそうもない。

現代人は富を生み出すために時間をいかに効率よく使うかを日夜追求している。一方、時間があるからこそわれわれは未来を案じ過去を懐かしむことができる。富への欲望も情緒豊かな文化も実は時間により生み出されたものなのだ。

ゆっくりの効果

最近、ゆっくりやることの効果に驚かされたある事件があった。それは例によってピアノの練習においてだった。

難しい箇所をゆっくり弾くというのは練習ではよくあることだ。普通のテンポでうまく弾けない所をなんとか弾けるところまでテンポを落とすわけだ。だが、ゆっくり弾くことの効用は単にそれだけではなかったのだ。

このところ取り組んでいるモーツァルトのK533のソナタでは、いたるところで対位法が駆使され、幾つものメロディー(声部)が同時に進行する。左手と右手でそれぞれのメロディーを弾く場合もあれば、左右で3つのメロディーを弾く場合もある。

そうした対位法音楽においては各メロディーをしっかりと自分の耳で聴きながら弾くことが大切だ。そんなことは当たり前だと思われるかもしれないが、指では複数のメロディーを同時に弾いているのに耳は1つのメロディーしか追っていない場合が多々あるのだ。

そうした場合、演奏が不自然になり先生からすぐに指摘される。だが、情けないことにそこでいくら注意しても一向に聴こえてこない。自分で弾いているのに聴こえないのだ。

こうしたことはこれまでにもしばしばあった。永年の課題なのだ。今回も諦めかけていたが、ふと思いついて極端にゆっくり弾いてみた。普段の5分の1ほどのテンポで一音ずつ確認しながら弾いてみたのだ。すると断線していた電線が急につながったかのように、聴こえなかったメロディーが突然耳に飛び込んできたのである。一旦、聴こえるようになればしめたもので、その後は徐々にテンポを上げても見失うことはない。

僕は唖然とし、同時に思った、これはピアノだけの問題ではないと。われわれは日頃から何をやるにも急いでいる。その中で気づかぬうちに多くの大切なものを見落としてきたのではないのか。

そこで、自分が不用意に急いでいないかどうか日頃からチェックしてみることにした。すると特に急ぐ必要がないのに急いでいることが多いのに気づかされた。

例えば、読書。本来、小説を読むのに急ぐ理由は何もないはずだ。だが、どうやらこれまでは無意識のうちにストーリーを追いかけ先を急いでいたようだ。気をつけてゆっくり読んでみると、一言一言に込められた作者の意図や工夫の跡がそれまでに比べよく見えるのだ。その結果、作者に対する印象さえもがらりと変わってくる。

ピアノでもそうだが、ゆっくりやることは意外と難しい。われわれは常に急ぐ癖がついていて、ゆっくりやると逆に調子が狂うのだ。だが、ゆっくりやることの効果を実感できるようになると生活の密度が濃くなって来る。同時に焦らなくなり気分も落ち着いて来る。

われわれは時間を節約するために急ぐ。だが、そのことで失うものが多ければ、時間を無駄に過ごしていることになりかねない。効率を追求することで、実は肝心の中身がなくなっているのだ。

「脱力」のすすめ2

以前、エッセイをまとめて本にした際、『「脱力」のすすめ』というエッセイにまず目を止める人が多かった。脱力を切望している人は意外に多そうなのだ。

そうした人たちは日頃から様々なことに精力的に取り組んでいる場合が多い。脱力したいと感じるのは、何かをする際、ついどこかで無駄な力が入っているという自覚があるのだろう。力を抜くべきところで抜けていない、それを何とかしたいと思っているのである。

以前にも書いたが、僕自身、脱力においてはしばらく前に大きな進捗があった。永年練習してきたピアノにおいて、ある時、急に力の抜き方がわかったのだ。それはあくまでもピアノにおいてのことだが、そのインパクトは大きく、その後の人生観がかなり変わったように思う。「脱力には方法がある」とわかったことで、自分の人生の可能性が急に広がったように感じるのだ。

うまく弾けないので何とかしようとしている時に、先生から「力を抜いて」と注意されても簡単に力が抜けるわけがないと以前は思っていた。無駄な力を抜けと言われても何が無駄で何が必要なのかよくわからない。それでも必死に力を抜こうとすると、今度は別のところに力が入ってしまう。一体どうすれば良いのだ。

実は力を抜くためには力が抜ける弾き方をしなければならないのだ。S先生は生徒に手の力を抜かせるためにあるおもしろい指導をしている。鍵盤に指をくっつけたままで弾かせるのだ。これは慣れないと非常に弾きにくい。何しろ指に全然力が入らない。手応えがない。こんなやり方で本当に弾けるようになるのだろうか、と投げ出してしまってはダメである。

とにかく、まず指に力が入らないようにするところから始めるのだ。もちろんうまく弾けない。だが、あれこれやっているうちに、時々鍵盤にうまく力が伝わりいい音が出ることがある。どうやら指の力を補うために無意識のうちに手首を使っているようだ。こうして徐々に手首を使って弾く感覚が身につき、力を入れなくても弾けるようになって行くのである。

ここで大切なことは、何としても脱力するという強い意志だ。脱力を簡単に考えてはならない。ちょっとリラックスするくらいでは脱力はできないのだ。

本来、何であれ正しいやり方をすれば無駄な力は入らないはずだ。脱力できていないということは、何かやり方が間違っているのである。向上心が強いのも時には仇になる。上手くなろうとか結果を出そうするあまり力が入る。しかし、そんなやり方で無理やり何かを達成しても肝心なところは上達していないのだ。しかも、正しいやり方なら得られるはずの大きな喜びがない。僕は自分のピアノでそのことを思い知らされたのだ。

現代のように忙しい時代は、誰もが結果を急ぎすぎる。そういう癖がついてしまっているのだ。だが、それによってわれわれは人生の多くを無駄に使っているのかもしれない。何事に対しても一度立ち止まって、どうすれば脱力できるのか真剣に考えてみる必要がある。脱力できて初めて自分の生き方ができるのだ。

トランプ最強のカード

先日、アメリカの中間選挙が行われ下院で民主党が過半数を取り戻した。この結果に最も神経を尖らせていたのが中国の習近平国家主席だろう。もし共和党が勝利すれば、トランプ大統領の対中強硬政策が過激さを増すのは間違いない。2年後のトランプの再選も有力となり、中国としては向こう6年間、トランプとの戦争を覚悟しなければならなくなるのだ。

9月にトランプが各国に対して高率の輸入関税の適用に踏み切った時、中間選挙を睨んだ人気取り政策に出たと思われていた。本気で経済戦争を仕掛ける気は無く、交渉を有利に進めるために最初に厳しい条件を突きつけて妥協点を探るディールなのだと。ところが、中国は一歩も妥協せず報復関税に打って出ると関税合戦はあっという間にエスカレートし、世界の株式市場は中国発の景気減退を懸念して急落することになったのである。

だが、あれから2ヶ月経った今、このトランプの政策はアメリカ国内である程度受け入れられているように見える。もっとも、それはトランプが当初から唱えていたような貿易赤字削減によりアメリカの雇用が回復するという理由からではない。むしろそれは建前で、本当の狙いは別のところにあるのだ。

今のアメリカにとって最大の脅威は中国だ。それは単に巨額な貿易赤字だけによるものではない。2000年には8.5倍あった中国とのGDPの差は、2017年には1.6倍にまで縮まっている。通常であれば、国が発展して人件費が上がると急速に競争力を失うはずだが、中国の場合、国家主導の資本主義が効率的に働き、なかなか成長が鈍化しない。AIや半導体と言った要素技術でも互角のレベルに達している。このままいけば抜かれるのは時間の問題だ。事実、中国は2030年代には経済規模でアメリカに追いつき、建国100年となる2049年には軍事を含めあらゆる分野で世界のトップレベルになるべく計画を着々と実行しているのだ。

それに対し強い危機感を抱きながらも、これまでアメリカは何もできなかった。資本主義の盟主を標榜する彼らとしては、あくまでも共通ルールのもとで経済発展を目指す立場であり、相手を潰すために経済戦争を仕掛けることなどしたくてもできなかったのだ。そこに現れたのがトランプである。当初、彼の保護主義的な政策に批判的だった人たちも、中国に対抗するためにはやむを得ないと考え始めているのだ。

トランプは敵を作ってそれに対する潜在的な不満を自分への支持につなげる手法に長けている。大統領選では旧来の政治勢力への不満を味方につけ当選した。その後も次々と新たな敵を作り出すことで岩盤支持層を広げ、今回の選挙ではとうとう共和党を手なずけてしまった。その扇動家としての手腕はもはや侮れず、ヒトラーすら思い起こさせる。

今後、トランプはますます中国への攻勢を強め、その結果を誇示して支持を広げようとするだろう。今回、下院で多数派となった民主党は元々中国に対して厳しい態度を取ってきた。中国の脅威と戦うトランプはその民主党をも呑み込んでいくかもしれない。

中国はアメリカの最大の敵であるがゆえにトランプにとっては最強のカードなのである。

死に方というテーマ

先日、樹木希林さんがなくなった。全身に癌が転移している状態で淡々と生きる姿には、死を前にして研ぎ澄まされていく彼女の生を強く感じさせられた。

生前、希林さんは「死を覚悟したらスーッと楽になった」と言っていた。これはまさに釈迦の「執着するな」の実践ではないか。誰もが死から逃げようとする。だが、逃げればどうなるかを希林さんはよくわかっていたのだろう。

とはいえ、死を覚悟することは簡単なことではない。今自分が癌を宣告されたらどういう気分だろうかと考えてみれば容易に想像がつくが、再発と死への恐怖から癌患者のほとんどがうつ病になるという。ほとんどの人が死を受け入れる術を持たないのである。

希林さんは、死ぬ準備をする時間があるので癌も悪くないと言っていた。冗談にも聞こえるが、そうではないだろう。歳を取ると体力も頭脳も衰えてくる。その結果、体調は悪くなり時には耐えられない痛みと戦わなければならなくなる。それまで当たり前にできたことが一つまた一つとできなくなっていくのも大きな精神的苦痛だ。そうなる前に自分の意思で幕引きできることを希林さんは心からありがたいと思っていたに違いない。

今年3月に骨折した僕の母が、先日、「寝たきりになって何にもできんようになったら、死んだほうがましだな」とボソリと言った。思うように体が動かず、何をやってもすぐに疲れてしまう。横になっていても辛い。好きだった読書も全く頭に入らないようになった。今はまだ少しは回復に望みを持っているが、いよいよ寝たきりになったらそれも諦めるしかないと自分に言い聞かせているのかもしれない。

母の母は、死ぬ数年前から「私みたいなもんは、もう死なないかんのだわ」と口癖のように言うようになっていた。そして、ある日、食事も水も拒絶し自ら命を絶った。その祖母の覚悟は側で見守るわれわれに何とも言えない感動を残した。母は、時が来たら自分も祖母のように死のうと思っているのかもしれない。

いくら素晴らしい人生でも最後に苦しい思いをしなければならないとはなんとも理不尽だ。生命が危険な状態になると生体は全力でそれを回避しようとし、それが苦しみをともなうのだろう。とはいえ、もし死が心地よいものなら人はすぐに自ら進んで死んでしまうに違いない。苦しみは生物が簡単に死なないために不可欠な仕組みなのだ。

そうした苦しみをへて、とうとう生命の維持が不可能になった時、人は死を迎える。だが、現代は医療が進歩し簡単には死ななくなっている。自力では生きられなくなってからも長い間生き続けることになる。将来、医療の進歩により、寝たきりで意識もない状態でも何十年も生きられるようになり、人口の大半をそうした人が占める世の中になるかもしれない。そうなっても、医療はけっして生命の維持を放棄するわけにはいかない。

われわれは、今、納得のいく死に方を見つけるべく模索を迫られているのではないだろうか。生き方だけでなく死に方も人生の大きなテーマになりつつある。

中国で見る格差の実際

「中国人が豊かになった」と言うと、日本ではまだ、それは一部の富裕層だけの話だろうと考える人が多い。だが、今や世界中に中国人旅行者が溢れている。豊かさの波は確実に裾野に広がりつつあるのだ。

この8月の中国出張では、福建省の廈門(アモイ)と泉州、浙江省の温州と杭州を経て上海に至った。高速鉄道で移動していくと、途中、次々と姿を表す夥しい数の高層マンション群に驚かされる。この数年、地方の様子はすっかり様変わりしているのだ。

マンションの価格はその町の経済レベルのバロメーターだ。中国有数の靴の生産地である泉州のマンション価格は1㎡あたり6000元程度。中国のマンションの面積は共用スペース込みで表され、泉州のような地方では200㎡が普通だ。つまり120万元(約2000万円)ということになるが、中国では内装は別途なのでトータルでは3000万円程度になるはずだ。日本と比べても安くはない。

この泉州の人々の暮らしは中国全体から見て一体どの程度のレベルなのだろうか。工場の担当者に聞いて見ると、平均より少し上くらいではないかという答えが返ってきた。

次に向かった温州は商才に長けた金持ちが多いと言われる町だ。そのマンション価格は1㎡2万5000元から3万5000元。内装費込みで1億円~1億3000万円程度だ。もっとも、温州の金持ちはほとんどが上海などの大都市に住んでいるという。

その上海のマンション価格は1㎡10万元を越え、150㎡でも3億円程度になる。ざっと泉州の10倍だ。確かに上海での暮らしぶりは垢抜けており泉州とは比較にならない。だが、マンション価格からわかるように泉州が貧しいわけではなく、上海の方が異常なのだ。

中国ではこうした都市と地方の差だけでなく、都市は都市、田舎は田舎に住む人の間で大きなレベルの差がある。上海で高価なマンションに住めるのはあくまでも上海市民に限られ、地方の農村からの出稼ぎ労働者にはとても無理だ。だが、そうした人たちが苦しい生活をしているかと思えば、彼らも高度に発達した中国のスマホライフを謳歌しているのだ。

15年ほど前、上海の街中では10円も出せば美味しい中華まんじゅうが食べられたが、今でもほとんど値上がりしていない。一方、かつては1人2000円も出せば豪華な食事ができたが、今ではちょっと洒落た店に入ればすぐに1万円くらいは取られてしまう。

つまり高価なものはどんどんグレードアップして欧米を追い越すほどになったが、今でも安いものが残っているのだ。収入に大きな差がある一方、物価にも大きな幅があるため、ブランド品や外国製品にこだわらなければ相当安価な生活が可能なのである。

こうした傾向は地方都市でも同じだ。泉州でも金持ちは高級車を乗り回していが、収入が低い人々の暮らしもそれほど悪くない。平等と言われる日本では、何かのきっかけで誰もが厳しい貧困に転落しかねない過酷な格差社会になりつつある。一方、中国では様々なレベルの人が共存できる社会構造があり、さらにその底辺は急速に底上げされつつあるのだ。