コスト競争の落とし穴

先日、かつて勤めていたハイテクメーカーS社で展示会を行ったが、全体的に元気がない。かつては日本の強さの象徴だった彼らも、今では韓国や中国のメーカーに追い上げられ、口を開けばコストの話ばかりである。ハイテクに限らず、現在、世界の市場は供給過剰であると言われている。メーカーは消費者が必要とする何倍もの製品を生産し、それを無理やり売ろうとしている。当然、価格は下落し、メーカーは一層のコストダウンを強いられる。こうしたコスト競争は、一見、消費者にとってありがたいことのように見えるが、実は逆に消費者離れを促進する原因となっているように思える。

電気製品の急激なコストダウンが始まったのは、バブルの崩壊期と重なる。景気の低迷で購買力が低下しはじめた1990年代のはじめ、各電機メーカーは、コスト低減のために競って生産の海外シフトを図った。その際、どこで誰が作っても同じものができるように、部品の共通化、一体化を推し進めた。当時始まったデジタル化による技術革新がそれを後押しした。AV機器の心臓部は共通化され、安いものでも十分なクオリティーが得らようになっていった。そして今や、メーカーや価格帯によらず、蓋を開ければ中身はほとんど同じである。こうして先端技術を投入し、ひたすら画一化によりコストダウンを図ってきた各メーカーが、今、他社と差別化できずに苦しんでいるのである。

現在、市場では、低価格品と高級ブランド品との両極化が進んでいる。低価格品では、必要最小限の機能のみを残し、コストを極限まで抑える。しかし、そうした安物にすべての消費者が満足するわけではない。そこでコストは二の次にし、消費者の満足度を第一に考えた製品の市場、つまり高級ブランド市場ができる。ブランド品というと、それを所有するステイタスばかりが強調されがちだが、真のブランド品とは、低価格品では決してかけられないコストを十分にかけ、低価格品では決して得られない満足を与えることができる製品を言うのである。

かつてハイテクという言葉は、技術の先進性をブランド化した言葉であった。他人より優れた性能を所有することは喜びであり、それによる価格の上昇は、むしろ所有する者に一種のステイタスをもたらした。しかし今やハイテクは、すっかりブランド性を失い、むしろ画一化の同義語になりつつある。

コストダウンに反対する人はいない。それはあたかも錦の御旗のようだ。しかし、その結果、企業は製品に魅力を吹き込む術を忘れしまった。消費者から見放された企業を待つのは、さらに厳しいコスト競争だけである。

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