歩道に面した軒先で、肉まんや野菜まんを蒸かすセイロから美味そうに湯気が立ち上る様は、上海の街中で毎朝見られる光景である。そうした点心の類は、いずれも手抜きのない本場の味だが、一個およそ0.7元(=約10円)。一方、市内のいたるところで見かけるスターバックスコーヒーは、一杯20元(約300円)以上。実に肉まん30個分である。
上海で働く人たちの平均月収は4-5万円だといわれている。しかし、外資系の企業に勤める部長クラスのサラリーマンでは、年収4-500万円(夫婦合わせればその2倍)の人も珍しくない。彼らは、150㎡以上の高層マンション(3-4000万円)に住み、大型のプラズマディスプレーでサッカーを楽しみ、大抵は外車を2台は保有している。もちろん家事は家政婦任せである。こうした人々は、店先の肉まんを食べることなどめったにない。
そうした富裕層は、近年の中国経済の急成長の賜物だが、その急激な成長を支えているのは、低所得層の安い労働力である。上海あたりでも、地方の農村からの出稼ぎの人などは、月に1万円以下で生活していることも珍しくない。上海のような大都会で、なぜそんなに安い賃金で生活が成り立つのだろうか。日本と根本的に異なるのは、中国では田舎に行くほど物価も賃金も急速に安くなるということである。大都市には、そうした田舎から、安い食材や衣料品などがいくらでも入ってくる。だからジューシーな肉まんが、わずか0.7元で食べられるのである。住居に関しては、社会主義の中国では最低限の補償がある。贅沢さえ言わなければ、大都会でも1万円で十分生活していけるのである。
こうした都会の人々の生活を支える田舎の人たちの収入はさらに低い。しかし彼らも、自分達と同等以下の収入の人たちが生産したもので生活している限り、十分豊かに暮らせる。確かにスターバックスコーヒーや海外ブランド品には縁がないかもしれないが、彼らはそもそもそんなものには関心がない。こうして遡っていくと、最後に、自然の恵みによって農耕し、家畜を養って生活する人々に行き着く。果たして彼らは貧しいのであろうか。それは彼ら自身に聞いてみないとわからないが、「中国経済は一部の富裕層を支えるために、多くの貧乏な人が犠牲になっている」と簡単に決め付けることはできないのである。
現在の中国の経済発展は、確かに安い労働力なしでは成り立たない。従って、13億の国民すべてが、アメリカ人並みの生活レベルになることは、当面はあり得ない。しかし、そもそもそれは必要なことだろうか。現在の富裕層と呼ばれる人たちが、その賃金格差と同じだけ幸福な暮らしをしているかどうかは疑問である。豊かさは必ずしも資本主義的な尺度だけで計ることはできない。社会主義を保ちつつ、急速に資本主義を発展させる中国は、本質的な豊かさを目指して、壮大な実験を進めているのであろうか。