レクイエム

去る1116日、ニコラウス・アーノンクール指揮、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの演奏で、モーツァルトのレクイエムを聴いた。周知の通り、レクイエムはモーツァルト最後の、そして未完の作品である。彼の死後、弟子のジェスマイヤーが補筆完成させたが、どこまでがモーツァルトの作であるか、永年議論の的となり、演奏者によっても、その解釈に大きな違いがある。かつて斬新な解釈により人々を驚かせたアーノンクールが、円熟期を迎えて、どのような演奏を聴かせてくれるかは、大きな関心を集めた。

レクイエムの冒頭の「入祭唱」と「キリエ」は、ほぼモーツァルト自身の手で完成されており、誰しも最も思い入れの強い部分だが、アーノンクールの演奏は意外にも淡々と抑え気味に始まった。しかし、続く「怒りの日」が激しい調子で始まると、音楽は一気に熱気を帯びる。クセが強いと言われるアーノンクールだが、手兵のコンツェントゥス・ムジクスによる贅肉をそぎ落とした演奏は、鮮やかにモーツァルトの意図を浮かび上がらせていく。その崇高な透明感に、次第に心を洗われるような感動が全身を貫いていった。ジェスマイヤーの補筆が増える後半部に入ると、多くの演奏が光を失うようにトーンダウンするのだが、アーノンクールの気合は全く衰えない。奉献唱の「主イエス・キリスト」の、沸き立つような生命力には、新鮮な驚きに打たれた。少なくとも演奏を聴く限り、アーノンクールはこの曲を完成された曲として弾き切っていた。

アーノンクールは、演奏に先立ち、次のように言っている。「モーツァルトにおいては、生活は音楽に何ら影響を与えなかった。10歳にして、人類に与えられたあらゆる感情を音楽で表現することができた彼は、たとえ母の死のような大きな不幸に直面したときでも、何事もなかったかのように作曲を続けた。しかしレクイエムにおいてだけは、彼は初めて自分の心を音楽に託したのではないか」、と。モーツァルトの生活における諸々の事件は、彼の心に感情を引き起こす前に、まず音楽の主題となって現れた。それはすぐに音楽的な必然性に突き動かされ、縦横無尽に展開された。そして、周りが悲しんでいるときに、彼の心はすでにフィナーレを駆け抜け、晴れやかな笑顔を見せられたのである。しかし、そんな彼にとっても、やはり自らの死は特別なものだったのだろうか。果たして彼は、この曲で自らの魂の安息を願ったのだろうか。

死に対して異常に敏感だったモーツァルトは、音楽的に人生の頂点にありながら、もはや避けられない自らの死を悟り、残る命のすべてを注ぎ込んだ。そんな曲を、死ぬ前に都合よく完成させられるはずはなかった。まさに未完であることこそが、このモーツァルト最後の作品の完成された姿なのである。

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