コンピューター将棋

1996年、世界最強のチェスのチャンピョンがIBMのコンピューター「ディープブルー」に敗れ衝撃が走った。しかし、相手から取った駒を打つことができ、敵陣では「成る」こともできる将棋においては、展開ははるかに複雑で、その後10年間、コンピューターは人間に全く歯が立たなかった。ところが、昨年、将棋には全くの素人のコンピューター科学者、保木邦仁氏が作った将棋ソフト「ボナンザ」が彗星のように現れ、世界コンピューター将棋選手権を制すると、その腕前はプロにも迫ると評判になった。

そのボナンザが、先日、棋界のエース、渡辺竜王に挑戦した。当初の予想では、さすがに竜王の楽勝であろうと思われていた。しかし対局が始まると、この対戦に向けて改良を加えてきたボナンザは想像以上に強く、勝敗の行方は予断を許さないものとなった。観戦するプロの棋士達からも、「これほど強いとは...」と一様に驚きの声が上がった。結果的に、辛くも竜王が勝利したが、あと一歩のところまで追い詰められたきわどい勝負だった。

ボナンザは、差し手を何手か先までしらみつぶしに計算する全幅探索という手法を取っており、1秒間に400万局面を読むことができる。さらに、過去の有名棋士の対局を50万局以上記憶しているという。この膨大な数字を聞くと、むしろ人間が勝てるのが不思議な気がしてくる。将棋は通常、百数十手程度で勝負がつくが、もし最後まで読み切れるとすれば、勝負をする前にコンピューターの勝ちとなってしまう。しかし、1手ごとに駒の動かし方は何通りもあり、さらに取った駒をどこに打つか、敵陣に入った駒が成るか成らないかなどということまで考えると相当な数になる。10手先ではその10乗通りになり、たちまち気の遠くなるような天文学的数字になってしまう。コンピューターといえども、とても最後まで読みきるものではない。となると、何手か先まで読んだところで全ての局面を比較し、最も有利な手を選択しなければならなくなる。そこでボナンザは、駒の損得などを評価基準とし、さらに自ら記憶した50万局のデータを考慮して最善手を決定するようプログラミングされている。

しかし、実はそこに将棋ソフトの最大の弱点がある。過去の名人達のデータに照らし合わせて判断するとはいえ、コンピューターはあくまでも定められた基準に基づき比較するだけである。それに比べ、棋士はいわゆる「大局観」に基づき判断し、時に瞬間的に思わぬ手筋がひらめく。その思考の仕組みは未だに謎であり、コンピューターでの再現は全く不可能である。全ての局面を読むことはできなくても、集中した竜王の頭脳は、ボナンザがカバーする領域を超えて、さらに有利な手を見つけ出すことができたのである。

近い将来、コンピューターに人間が勝てなくなる日が来るかもしれない。しかし、将棋の面白さは勝敗だけではない。人間の鍛え抜かれた頭脳が見せる思考の妙にあるのである。コンピューターの力技がいくら進化したとしても、天才棋士の繰り出す絶妙の一手が魅力を失うことはなさそうである。

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