1955年、後に20世紀を代表するピアニストの一人となる無名の22歳の青年がレコードデビューを果たした。曲目はバッハのゴールドベルク変奏曲。当時、チェンバロで弾くのが常識だったこの曲をピアノで弾くことにレコード会社は猛反対したが、それを押し切っての録音だった。しかし、発売されるやいなやそのレコードは世界的なセンセーションを巻き起こし、グレン・グールドの名は一躍世界にとどろくことになったのである。
この演奏は、チェンバロによる従来の演奏に比べてテンポが異常に早い。そもそも、難曲とされるこの曲をこのようなテンポで弾こうとする無謀なピアニストは、それまで誰もいなかった。リピートもすべて省き、息もつかせぬ速さで疾走していく。これがもし一回限りの生演奏だったら、単にそのテクニックに唖然とするだけで終わってしまうであろう。だが、幸いなことにレコードは繰り返し聴くことができる。グールド自身、それを前提としていたに違いない。繰り返し聴くうちに、この演奏の凄さがわかってくるからである。非常に早いテンポにもかかわらず、全くテクニックの乱れは見られない。対位法の各声部は完全な独立性を保ち、しかも互いに精神的に深く絡み合っている。何度聴いても、常に彼の理想はさらにその先を行き、バッハへの深い理解と確信を思い知らされるのである。
グールドは、30代になって、何の前触れもなく、突然、演奏会から完全に身を引いてしまった。自らの世界の追求を妨げるさまざまな雑音を遠ざけ、スタジオに篭り、録音によってのみ、その音楽を世に問うことにしたのだ。スタジオでの演奏風景を見ると、その集中力には思わず戦慄を覚えるほどで、孤高の天才が目指した高みは計り知れない。だが、そうした極度の集中は、次第にグールドの肉体を蝕んで行ったのである。
1981年、26年ぶりにグールドはゴールドベルク変奏曲を再録音することになった。この変奏曲は、最初と最後のアリアと、それらに挟まれた30の変奏からなるが、新録音ではこのアリアのテンポが極端に遅くなっている。「以前の録音はテンポが速すぎて、聴く人に安らぎを与えることができていない」という反省から、それを聴き手に表明する意図があったと思われる。グールドにとって再録音は非常に珍しい。彼は、「前回の録音では、30の変奏それぞれがばらばらに振舞っていて、元になっているバスの動きについて思い思いにコメントしている」と、以前の録音に対する不満が再録音の理由だったとしている。
この再録音を記録した映像からは、彼はすでに曲を解釈したり表現したりするという次元を超え、曲と一体化しているように見える。そして、あたかも神に問いかけるかのように、自らが生涯最も愛してきた曲に穏やかに問いかけ、応えを聞き、心ゆくまで語り合っているかのようである。
この録音について、音楽評論家の吉田秀和氏は、「生涯にわたって猛烈な憧れをもって探してきたものがどうしても見つからない。そこで彼は、もう一度出発点に帰ろうとしたのではないか」と述べている。録音の翌年、グールドは脳卒中で亡くなった。天才音楽家は、その生涯をかけて探し求めたものを、最後にこのアリアと30の変奏に託したのである。