化石燃料の功罪

18世紀、蒸気機関の発明は石炭の利用の道を開いた。さらに19世紀に出現した内燃機関は石油の時代を切り開いた。こうした化石燃料の利用は、それまでの人類の歴史をすっかり変えてしまった。農耕社会から工業化社会への移行が急速に進み、そうした工業化がさらに化石燃料の使用量を増加させるというサイクルが回り始めたのだ。そしてそれ以降、人類は、化石燃料の使用量を増加させ続けてきたのである。

工業化の結果、人類は物質的に急速に豊かになった。飢えや寒さ、病気と言った、それまで人類を苦しめてきた様々な困苦を次々と克服し、人口は増加し寿命も延びた。過酷な労働からも解放され、自由な時間を享受することができるようになった。さらに、科学技術の飛躍的な進歩は、コンピューターやインターネットを産み出し、かつては誰も想像すらできなかったような便利で快適な生活が可能となったのである。

しかし一方で、工業化の急速な進展は、経済的な競争の激化を招いた。19世紀の帝国主義は、やがて20世紀前半の世界大戦へとつながっていくが、これを支えたのは、化石燃料による軍事力の飛躍的な拡大である。大戦が終わっても、経済戦争は終わることはない。かつての帝国主義が、天然資源を争うものであったのに代わり、貿易や資本投下という形で、工業生産のための安い労働力をいかに確保するかに焦点が移る。さらに20世紀後半になると、金融が経済戦争の最前線に躍り出る。われわれは化石燃料により、物質的に豊かな生活を手に入れた反面、熾烈な競争社会に身を置かざるを得なくなったのである。

しかしながら、現在、次の2つの観点から、人類は大きな転換点を迎えているのではなかろうか。まず、地球温暖化に代表される環境破壊の問題である。化石燃料が環境に及ぼす影響を無視して経済性を優先させてきた結果、いよいよそのツケが回ってきたのである。もうひとつは、経済戦争の激化により引き起こされた、資本主義の機能不全の問題だ。サブプライムローン問題に象徴されるように、最先端の金融工学を駆使し、あまりにも効率を追求した結果、市場原理がうまく働かなくなってきているのである。

これら2つの問題は、いずれもこの200年あまりに急速に拡大した化石燃料依存型社会の限界を示している。くしくもそうした中で、石油価格が急激に上昇を始めた。化石燃料に頼りすぎている現代社会の危うさを、市場が敏感に感じ始めたのである。

化石燃料を使い始める以前も、人類は永年にわたって幸福を追求してきたはずである。簡単に豊かさが得られる現代と異なり、当時の人たちはもっと深く幸福について考え、多くのことを知っていたに違いない。現代では、ダ・ヴィンチやモーツァルトのような天才が現れなくなったのも、物質的な豊かさに振り回され、本来持っていたパワーを現代人が失ってしまったからではないのか。

今、世界は技術の進歩で、快適さを維持したまま環境に良い暮らしを目指そうとしている。一方で、競争社会におけるリスク管理に躍起になっている。しかし、それらはいずれも対症療法ではないのか。化石燃料がなかった時代に人々がどう考えどう生きていたかを、原点に帰って見つめ直してみることこそ、今、本当に求められているのではないだろうか。

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