アメリカの自動車メーカーGMが倒産した。原因についてはさまざまな分析がなされているが、日本の自動車メーカーとの競争に敗れたことが主因であることは間違いない。しかしながら、そのカイゼンにつぐカイゼンで効率化を図ってきたトヨタも、昨年は数千億円の赤字に転落し、なりふり構わぬ工場の閉鎖と大量の派遣切りを断行した。今後、世界戦略を見直し、いっそうの効率化を図るそうだが、下請け業者の悲鳴が聞こえてきそうだ。
今回の世界的な不況の引き金となったのが、昨年のリーマンブラザースの倒産である。あらゆる投機技術を駆使して世界中からお金を吸い上げてきたアメリカの投資銀行がこれほどあっけなく破綻するとは、しばらく前には誰が予想しただろうか。他の投資銀行も軒並み破綻し、アメリカの金融資本主義はあえなく終息した。彼らがサブプライムローンという禁断の果実に手を出したのも、投資銀行間のあまりにも熾烈な競争だった。
今日のように、世界中のあらゆる産業で競争が加速されたのは科学技術の進歩によるところが大きい。かつてCDが登場したとき、レコードはあっという間に姿を消した。最近ではデジカメの登場がフィルムカメラを市場から葬った。技術の進歩による競争力の差は恐ろしいものがある。競争に勝つためには、企業は少しでも速く新たな技術を取り入れなければならない。コンピューター、ロボット、IT...。それらは、製造業においては生産効率を飛躍的に向上させるが、もし遅れを取ればたちまち致命傷となる。金融においては、技術の進歩はさらに大きな差をもたらす。現代の巨大化したデリバティブ取引は、そろばんと札束では到底成り立たない。高度な金融理論を駆使すべく高速コンピューターと世界中を瞬時に移動できる電子マネーが不可欠なのである。
競争の激化は否応なく格差を拡大する。かつて食料品は商店街や近くの八百屋さんで買ったものだが、スーパーが出現して多くの店が姿を消してしまった。そうした大規模流通業を支えたのもテクノロジーの進歩である。スーパーはスーパーで同業者間の激しい競争がある。それに勝ち抜くために、彼らは納入業者にギリギリのコストダウンを要求してきた。昨年、しばしば話題となった食品偽装の問題は、もちろん悪質な業者もいるだろうが、納入先からの値下げ圧力と自らの存続の間で追い詰められた結果とも言えなくはない。法律の範囲内でギリギリまで値下げすれば褒められるが、一線をわずかでも超えればたちまち犯罪者である。値下げを拒めば取引中止だ。激しい競争は、強者が弱者をいじめる社会構造を作り出しているのである。
最近の世界を揺るがす企業の破綻劇を見るにつけ、自由競争が果たして人類に豊かさをもたらすものなのか疑問を禁じえない。社会の格差は拡大し、生き残ったものも消耗戦に疲れ果てている。現代の競争は、勝者なき戦いなのではないだろうか。