北京をはじめとする中国の有名な都市が1000年を越す歴史を持つのに比べ上海の歴史は全く浅い。アヘン戦争後の1842年、南京条約により開港されたのがその始まりである。その後すぐにイギリスとアメリカ、そしてフランスによって租界が築かれ外国人居留区が形成されると、海外の金融機関が次々と進出し、独特のエキゾティックな文化が開花していった。こうして1920年代には、上海はアジア最大の金融都市に成長していたのである。
しかし、日中戦争に続き、1949年に共産主義革命が起こると、海外資本は一斉に香港に拠点を移し、上海は一旦、国際金融都市の座を失う。再び流れが変わったのは1978年に始まった改革・開放以降だ。香港は当時まだイギリスの植民地であり、政府にとっては香港だけを頼りに近代化を進めるのはリスクが高かった。なんとか香港に対抗できる経済拠点を国内に築く必要があったのである。こうして上海は再び脚光を浴び、鄧小平の掲げる先富論を実現すべく中国の急速な発展を牽引してゆくのである。
この第2の発展は、かつてのコロニアルな繁栄とは異なり、中国自身の巨大エネルギーが世界に向けて噴出した結果だった。そのあまりに急激な変化は、かつてのエキゾティックな上海を一気に飲み込もうとしているように見える。街の中心を流れる黄浦江沿いにかつての銀行などのレトロな建物が建ち並ぶ「外灘」は、永年、上海の顔だったが、今では対岸の浦東エリアに林立する摩天楼にその座を奪われてしまった観がある。庶民が暮らすエリアも、まるで早回しのビデオでも観ているかのように次々と高層マンション郡に取って代わられて行く。
もはやかつての上海は消えてしまう運命なのだろうか。そうでもなさそうである。それどころか、上海の人々の心には、古き良き時代の遺産に対する確固たる想いが感じられる。改革・開放以降、かつての古い建築を買い上げ自ら住むなり、改造して店として使う人々が現れた。南京路や淮海路など、かつての租界の中心地で、現在も上海の一等地にあるこうした物件は、高級マンションに比べても桁違いに高価なのだ。
先日、かつての領事館を改装したレストラン、雍福会(ヨンフーホエ)に行ってみた。松や楓が生い茂る庭のあちこちには中国の古い工芸品が置かれ、カフェとしても利用されている。建物に足を踏み入れると、アール・デコ調のほの暗い明かりが落ち着いた気分を誘う。椅子もテーブルも全てがアンティークで隅々まで神経が行き届いている。あちこちに置かれた中国の調度は洋風の建築に溶け込み、みごとな中洋折衷の空間を作り上げている。料理はかつて中国の貴族によって楽しまれたレシピをベースにし、今日では使われなくなった素材も用いられている。その味には時を経て熟成された深みが感じられる。それらが高級フランス料理レストランに劣らぬ洗練されたサービスでもてなされるのだ。レストラン自らが評するように、まさに「都市の喧騒を逃れた内なる安らぎの空間」である。
1000年の歴史はなくとも、われわれには洗練された時間の凝縮がある。上海人の自信とプライドを垣間見たような気がしたのだった。