ビートルズ

 いつ終わるともないバンガロー・ビルのけだるいエンディング。口笛が聞こえ拍手がパラパラと起こる。突然、ジョンが大声で何か叫ぶと、間髪を入れず、ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープスの断固としたギターのイントロが始まった。僕は不意をつかれ全身を雷に打たれたような衝撃が貫く。ビートルズのホワイトアルバムの一節だ。

この9月にビートルズのCDが音質を格段に向上させて再発売されると、凝ったジャケットや解説に所有欲をそそられ、16枚組みのBOXセットを買ってしまった。すでに伝説的な存在となったビートルズだが、久しぶりに真剣に耳を傾けると、どこを切っても創造力が砂のようにあふれ出てくる彼らの音楽には改めて圧倒されるばかりだ。

僕がビートルズに出会ったのは高校1年の時だ。その3年前にすでに彼らは解散していたが、人気はまったく衰えていなかった。クラスの熱狂的なファンに強引に勧められ、それまでクラシック一辺倒だった僕はロック入門を果たしたわけだ。当時の印象的な記憶がある。それはビートルズ入門後、他のバンドを聴いてみようとしたときの独特の違和感だ。一言で言えば、他のバンドはただのロックバンドだったのである。全く物足りないのだ。今にして思えば、それはまさにビートルズのビートルズたるゆえんだったのだ。

解散後、ソロ活動に移ったビートルズの各メンバー達でさえ、結局、ただのロックミュージシャンになるしかなかった。確かにジョンのイマジンは名曲だし、ポールは現在に至るまでトップスターとして活躍してきた。しかし、彼ら自身にとっても時を経るごとにビートルズの存在はますます巨大な壁として立ちはだかったに違いない。解散後のメンバーの人生には常にビートルズの影が亡霊のようにつきまとうのである。

では、一体、ビートルズとは何者だったのだろうか。ジョンは自らの曲「ヘルプ」について、「当時は完全に自分を見失いどうしたら良いのかわからなくなっていた。ヘルプは自らの叫びだった」言っている。20歳そこそこの青年はビートルズという巨大ビジネスに飲み込まれそうになっていたのだ。一つ間違えば、ニルヴァーナのカート・コバーンのように自ら命を絶ったかもしれない。あるいはポリスのようにあっさり解散を選んだかもしれない。ギリギリのところまで追い込まれながらも踏みとどまり、その苦悩を創造のエネルギーに変換し続けたことがビートルズをビートルズたらしめた。そして、それを可能としたのは、4つの全く異なる稀有な個性の奇跡的な出会いであったと言うしかない。

彼らが当時最高の録音技術を駆使し、苦労の末作り上げた音は、現代のデジタル技術では難なく再現できるかもしれない。しかし、ゴッホの油絵がコンピューターグラフィックの前で色褪せることがないように、細部まで手の込んだ作業は現代では決して実現できない厚みと迫力がある。むしろアナログ独特の生々しさは、彼らの荒い息遣い、飛び散る汗をリアルに伝えてくる。

4人の青年は子供のように夢中に歌い、時に火花を散らして衝突し、いつしか魅力的なおとなに成長していった。ビートルズとはそのまぎれもない記録なのである。

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