ソニーが本当に失ったもの

かつてソニーというブランドには独特の響きがあった。価格は高かったが、けっして期待を裏切られることはなかった。ソニー製品を選ぶということは、違いがわかることの証であり、特別のステイタスをもたらしてくれたのである。

 巷では、そうしたソニーに対して、日本を代表するグローバル企業であり、そこに働く人たちは垢抜けて颯爽としているかのようなイメージがある。だが、入社してみると、大きなギャップがあった。実際には泥臭く、人間臭い会社だったのである。皆、不思議なほど親切で、家族のような暖かさがあった。ある意味で典型的な日本的な企業だったのだ。だが、今にして思えば、そうした環境こそが、日本人の持ち味が存分に生かし、世界を席巻するパワーを生み出していたのではないだろうか。

ソニーを支える主力製品の各部門には、必ずと言っていいほど個性豊かな大物がいた。彼らも決して垢抜けたエリートタイプなどではなかったが、だからと言って町工場の職人さんとも違っていた。独特の創造力に溢れ、自らの技術が世界のソニーを支えているという確固たる自負を持っていた。だが、その一方で、ソニーブランド自体が彼らの自信を裏付けていたのも事実だった。会社と社員は、互いに媚びることなく、互いの力を高め合っていたのだ。

それにしても入社当時は、社内のいい加減さに驚かされた。意味の良くわからない企画が予算会議ですんなりと通ってしまう。あいつなら何かやるだろうと言うのだ。必ず儲かると企画書で説得できなければ、決して予算の降りない昨今では考えられない話だ。しかし、このアバウトさこそ、言いたいことを言い、やりたいことにチャレンジできる土壌をつくっていた。そして誰も思いつかないアイデアを生み出す源となっていたのである。

 しかし、こうしたソニーの文化は、ある時期から急速に損なわれていった。いつしか、何かにつけて「成果」とか「利益」いう言葉が振り回されるようになり、誰もが常識的なことしか言わなくなった。前CEOの出井伸之さんが社長に就任した1995年頃には、すでにこの症状はかなり進んでいた。

出井さんはしばしばソニー凋落の戦犯のように言われることがあるが、僕はそうは思っていない。時代は当時、アナログからデジタルに、そしてソニーが従来得意としていたビデオやオーディオなどのパッケージメディアからインターネットの時代へと急速に移りつつあった。ソニーはかつての強みを発揮できない状況に追い詰められていたのである。そうした危機を、VAIOやプレイステーションの立ち上げで何とか乗り切ろうとした出井さんの作戦は理にかなっていたと思う。

だが、残念なことに、ソニー文化の崩壊は、まるでそれが会社の方針であるかのように容赦なく進んで行った。個々のメンバーの能力が発揮されなければ、いくら経営に腕を振るったところで何も出てこないのは自明のことだ。ソニーが本当に失ったものは、社員が存分に創造性を発揮できる環境そのものなのである。はたして経営陣はそのことに気がついているのだろうか。

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