先日、国立新美術館で開かれている「セザンヌ-パリとプロヴァンス」展に行った。セザンヌといえばまず思い浮かぶのが、サント・ヴィクトワール山の風景画だろう。しかし、かつては構図的にも色彩的にも僕には何が面白いのかさっぱりわからなかった。ところがいつからかこの絵に何か胸騒ぎのようなものを感じるようになったのである。だが、何が自分の心を揺さぶるのか良くわからなかった。今回の展覧会へは、なんとかその正体を突き止めたいという永年の思いを胸に臨んだのだった。
こちらの思いが通じたのか、セザンヌの風景画は1点1点がまるで僕の疑問に答えるかのように優しく迎えてくれた。そして、彼の風景画の秘密も包み隠さず教えてくれるようだった。ゼザンヌにとって最も大切なことは自然を観察することなのだ。セザンヌの色彩は決して計算によって出てきたものではない。セザンヌは自然を見て、そこに彼独特の色彩を「発見」する。それは頭の中だけで想像するのとは根本的に異なる。「発見」自体にセザンヌの創造力が凝縮されているのだ。それがわかった途端、筆のタッチの一つ一つが生き生きと動き始めた。僕は彼の絵の誕生の瞬間に立ち会うことができたように感じた。サント・ヴィクトワール山を繰り返し描いたのは、そこに彼の理想の色彩を「発見」するためだったのである。
今回の展覧会では、風景画だけでなく、身体、肖像、静物とカテゴリー分けして展示されており、改めてセザンヌの多様な世界を知ることとなった。
例えば、彼の人物画には風景画とは全く別の魅力がある。これまで、セザンヌは色彩の魔術師であり、人物といえども色彩のためのモチーフに過ぎないと思っていた。しかし、彼の肖像画には、実は描かれたモデルと作者の関係が濃厚に表れている。絵を描くという行為によって、描かれる人物と画家との関係が、普通の人間関係では考えられないような緊密さに達している。その結果、被写体の人間性が見る者に強烈に伝わってくるのである。
セザンヌは決して感性だけの画家ではない。彼の絵には彼が人間に感じる喜びが注ぎ込まれているのである。
セザンヌがピカソなどの20世紀の絵画に大きな影響を与えたことは有名な話だが、その先進性が最も端的に現れているのが静物画だろう。だが、僕はこれまでに彼の静物画を理解できたと実感したことがなかった。今回の展覧会では、彼の最高傑作の一つ、「りんごとオレンジ」が出品されていた。その気品を湛えた迫力ある静物画の前に、だから僕は特別に意気込んで立っていた。しかし、さまざまな角度から見た対象が同一平面に配される独特の構図はやはり簡単には理解できない。作者のさまざまな意図と工夫を感じることはできても、その高度な絵画的世界を解き明かすことは、結局、今回もかなわなかった。
「りんごでパリ中を驚かせてやる」と言い放ったセザンヌが到達した境地は、当分、僕を惹きつけて止みそうもない。