モーツァルトの交響曲は41曲あるが、その最後の3曲は3大交響曲と呼ばれ、モーツァルトの天才の証として永年讃えられてきた。僕自身にとってもモーツァルトの凄さを最初に思い知ることになった思い出深い名曲だ。しかし、実はこの3曲に引けを取らない、あるいはそれ以上の魅力を湛えた交響曲がある。第38番の『プラハ』である。
3大交響曲は確かに素晴らしいが、そこには何か博物館の作品のような距離感がある。それに比べ『プラハ』の魅力は、まるで女性の魅力のように直に伝わってくるのだ。
モーツァルトの交響曲の中でも『プラハ』は特に複雑な構造を持っている。それは、人間の心に潜む多様で微妙な感情を扱うために、さまざまな音楽的技術の融合が図られた結果である。
モーツァルトの時代にはソナタ形式に代表される和声音楽が全盛だったが、バッハ以前に遡ると、複数の旋律を同時進行させる対位法音楽が主流だった。モーツァルトは、和声音楽にこの対位法を取り込もうとずっと腐心していた。3大交響曲の最後を飾る『ジュピター』の終楽章は特に有名だが、他にもK387の弦楽四重奏曲や後期の2曲のピアノソナタなどさまざまなところで和声と対位法の融合を試みている。だが、それらの作品には実験的な試みとしての特殊さが残っている。また、それが魅力でもあったのだ。
しかし『プラハ』では、対位法は和声の中にすっかり溶け込んでいる。複数のメロディーがそれぞれ自らの主張を奏でたかと思えば、たちまち一体化し絶妙なハーモニーを響かせる。そうした対位法と和声の融合により新たな音楽的な構造が生み出され、命を吹き込まれて自律的に動き出す。『プラハ』ではその様子が手に取るように伝わってくる。
さらに、短調と長調が複雑に絡み合い、曲全体が襞のある感情表現に覆われているのも『プラハ』の大きな特徴だ。長調は明るく短調は暗いというような単純な世界はもはや通用しない。明るい中にも陰りがあり、深刻さのなかにも歓びはある。しかも、常にこうした微妙で深い心理を追求しているにもかかわらず、けっして難解ではない。表現は極めて的確で説得力がある。
当時、モーツァルトはオペラ『フィガロの結婚』を成功させ、次の『ドン・ジョバンニ』の構想を練っていた時期だ。そもそも『プラハ』という名前は、『フィガロ』のプラハ初演の際に演奏されたことに由来している。ストーリーとセリフがあるオペラでは交響曲に比べて感情表現はより生々しくなり、舞台での掛け合いではさまざまな音楽的な表現がぶつかり絡み合う。オペラはモーツァルトにより高いレベルの音楽を要求し、モーツァルトはそれに応えるために一段と成長する必要があった。
形式的な構造美を追求する交響曲という音楽に、さらにオペラにも優る人間の多様な感情を吹き込むことも、またモーツァルトらしい夢だった。そのために当時のあらゆる音楽技術を注ぎ込んだ傑作、それが『プラハ』なのである。