この8月に上海に行った際、上海人の友人と2人で夕食を取った。上海に行けば彼には必ず会うのだが、いつも大勢で会うので、たまには2人でじっくり話したかったのだ。
その友人とは英語で話せるので自然に親しくなったのだが、2人は年齢もほぼ同じで同じ歳の娘もいる。さらに2人ともカメラや時計に目がなく、僕が新たな時計を見せれば、彼は矯めつ眇めつ眺めた末、次に会う時には、その後手に入れた自分の自慢の時計をおもむろに披露するといった具合なのだ。その彼がもうすぐ定年を迎えるらしい。中国人の彼に取ってこれまでの人生はどんなものだったのか、この節目に是非聞いておきたかったのだ。
われわれは衡山路(上海ではハンサンルーと発音)に面した衡山坊というレストラン街で待ち合わせた。衡山路は旧フランス租界の中心部で、かつての異国情緒溢れた上海の面影を残す静かで落ち着いた通りだ。上海では、以前の洋館や倉庫などを移設して改装し、おしゃれな街に仕立て上げたエリアが随所にある。衡山坊もそうした一角のひとつだ。
日中の再雇用制度や年金の違い、彼の娘の転職の話などで盛り上がり、クラフトビールの酔いも大分回って来たころ、彼は急に僕の顔を覗き込み意味ありげに尋ねた、「今、中国人が最も望んでいることは何だかわかるか」と。突然の問いかけに意図を図りかねていると、「それは、今のままの状態がずっと続くことだ」と答えた。予想外の答えに一瞬戸惑ったが、すぐに飲み込めた。中国はこの30年で急速に発展した。かつて貧しかった頃には、こんな豊かな時代が来ようとは想像すらできなかったのだ。
中国では清朝末期以降、最近まで国民が安定して豊かさを謳歌できた期間はほとんどない。時代の荒波が次々と襲いかかり、その都度、国民は右往左往し生命すら危ぶまれてきた。その間、彼らは後進国のレッテルを貼られ、貧しい生活レベルに甘んじてきたのだ。何とかそこから這い上がりたい。それは全ての中国人の永年の悲願だったのである。
今やその願いは叶った。だが、これまでさまざまな辛酸を舐めてきた人々は決して楽観していない。「中国の発展は決して中国人の力だけで成し遂げられたものではない」と彼は言う。海外の投資がなければとても無理だったのである。まだ、自力で発展を支えていく力はないのではないか。いつ何時、この勢いに陰りが出ないとも限らない。
「確かに今の政府に対しては不満はある」と彼は続ける。中国の政治体制に対する海外からの批判はよく承知している。中国では国が決めたことには有無を言わさず従わされる。他の先進国のように自由に政府批判をすることも許されない。だが、今の政府が海外の投資を呼び込み、これだけの繁栄を国民にもたらしてくれたことも事実なのだ。不満はあるが、政府にはとにかく今の豊かさを維持してほしい。それが彼らの本音なのだ。
とはいえ、中国の勢いは当面衰える気配はない。今や世界中からあらゆる分野の最先端が集まり、むしろこれからが本当の中国の時代なのではないのか。だが、とどまることを知らない発展の陰に潜む危うさを国民は敏感に感じ取っているのかもしれない。