モノクロの世界

今年の年賀状写真は名古屋城公園で撮影した。家族が写真を撮るために集まれる機会は年々少なくなってきており、昨年末はたまたま家族が名古屋の実家に集合したその日しか撮影のチャンスがなかったのである。

暖冬のためか12月初頭の公園内の木々の紅葉はまだ鮮やかで、足元に敷き詰められた落ち葉を踏みしめながらの撮影は気持ち良かった。幸いそこで撮った写真はまずまず狙い通りの仕上がりになった。年賀状の撮影が一度でうまく撮れることはなかなかない。慣れない場所で短時間に撮ったにしては上出来だった。

だが、僕の気持ちは少し複雑だった。昨年、本格的に撮影活動を再開して以来、改めてモノクロ写真の良さを実感するようになっていた。そこで、今年の年賀状はモノクロで行こうと密かに決めていたのだ。だが、せっかくの紅葉の雰囲気がモノクロでは全く伝わらない。家族の意見を尊重し、結局、カラーにせざるを得なかった。

そもそも僕はなぜそれほどモノクロにこだわってきたのだろうか。人は肉眼ではカラーで見ている。そこから何故色という大切な情報を除く必要があるのだろうか。写真展の折にもしばしば質問を受けたが、なかなか説得力のある答ができなかった。

フィルムの時代は、モノクロには自分で現像ができるという大きなメリットがあった。現像の仕方で写真はガラリと変わってしまうのだ。しかし、デジカメになってカラーでもパソコンで簡単にデジタル画像処理が可能となった。

そもそも撮影時の生データはカラーで、モノクロにするためには後処理であえて色情報を取り除かなければならない。それは写真で最も強力な武器である色彩をみすみす捨て去る行為で僕自身も当初は抵抗があった。だが、この1年、自分の撮ったカラー写真をモノクロ化する作業を何度も繰り返すうちに、はっきりとモノクロの魅力が見えて来たのである。

ブロンズ像に色を塗ることを想像してみよう。像は果たしてより魅力的になるだろうか。色は像が本来持つ陰影の魅力を損なってしまうに違いない。写真においても同様だ。色はその下にある陰影の世界を知らぬ間に覆い隠してしまっているのだ。

それだけではない。もとより写真は何気なく見ている情景から一瞬を切り取る。それは、普段、気がつかないものを浮かび上がらせる力がある。モノクロはそこからさらに色という日常性のベールを剥がす。そして、その一瞬の持つ意味により鋭く切り込むことができるようになるのだ。

思い切って色の誘惑を断ち切ってみよう。そこには想像もしなかった別世界が広がっているのだ。

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