去る7月1日に中国共産党は結党100周年を迎えた。そこで習近平国家主席が新たに打ち出したのが「共同富裕」の実現である。急速な発展に伴い拡大した格差を是正し人民が等しく豊かになることを目指すという。
格差の拡大は今や世界的な問題である。アメリカでもGAFAなどの巨大IT企業による富の独占が問題となり、法的な規制や徴税の強化が検討されている。だが、中国のやり方は少し違う。莫大な富を蓄えた企業に対して直接寄付をさせ、それを貧しい人々に分配しようというのだ。その金額は莫大で、すでに巨大IT企業のテンセントは8500億円、アリババも1兆7000億円の拠出を発表している。
改革は教育においても進められている。受験戦争による教育費の増加が教育の機会均等を妨げ、さらには少子化の一因となっていることに危機感を抱いた政府は、営利目的の学習塾の禁止に踏み切ったのだ。さらに、ネットゲームが子供に及ぼす悪影響を減らすために18歳未満の子供が週にできる時間を3時間以内と定めた。
こうした政策は国民からは好感を持って迎えられている。先日、この9月から娘が小学校に通うことになった上海の知人に尋ねたところ、塾禁止は本当にありがたいと言う。あまりにも厳しい中国の受験事情は中国社会に重苦しい影を落としているのだ。また、大企業に対する寄付の要請に対しても賛成していた。貧しい人々の救済なくして将来の発展はないというのは中国における国民的なコンセンサスなのだ。
一方、こうした政策に対して、日本では文化大革命時代の毛沢東を彷彿とさせると批判的している。毛沢東は貧しい国民の熱狂的な支持を味方につけることで自らへの批判を封じ政敵を葬り去った。習政権も汚職によって莫大な富を蓄えた政治家への国民の不満を背景に汚職撲滅を掲げ大物政治家を次々と粛清したことがある。
中国に今の繁栄をもたらした巨大IT企業に巨額な寄付を課すことは成長の勢いをも削ぎかねない。それでもやるのは、金持ちを槍玉にあげ民衆の支持を得ることで権力強化を図るという共産党の永年の統治手法が今も根強く残っているからだろう。
とはいえ、外からいくら批判しようと、中国は今後、共同富裕の実現を目指して着々と歩を進めていくに違いない。これは格差をはじめとする世界的な課題への挑戦であり、民主主義に対して社会主義の優位性を証明するための野心的な試みなのだ。
アメリカはそうした中国に総合的な国力で圧倒されないよう、あらゆる対策を打っている。日本も安っぽい批判を繰り返すだけでなく、現状を冷静に分析し、共同富裕に勝る政策を示してほしいものだ。