ストレスを避けるスマホ社会

 先日、NHKのある番組で道徳教育の問題を取り上げていた。ネットの影響による最近の子供の常識のなさを観ていると何らかの対策が必要だと感じるが、国家主導の道徳教育でそれが何とかなるとは思えない。とはいえ、家庭だけで解決できるレベルでもなくなってきている。番組を見ているうちにこちらも頭が痛くなってきたが、ふと、問題の所在は全く別のところにあるのではないかと思い至った。

 そもそも道徳などというものは、社会との交流なしに身に付くはずがない。周りを気遣うことの大切さを実感するには、実際に町に出て経験することが必要で、学校で美談ばかり聞かせても意味がない。子供たちの道徳観の欠如の根底には、子供同士、あるいは社会と子供が直に交流する機会の不足があるのではないか。

 今の子供たちは、実社会との交流よりもネット社会に慣れている。子供同士の人間関係も希薄だ。友達同士で集まっても、各自が勝手にゲームに没頭しているようでは人間関係とは言えない。

 僕が子供の頃は、好きな友達もちょっと嫌な奴も一緒に遊んでいた。だからいつも人間関係は微妙だった。いじめる奴がいれば、いじめられている奴の味方になる者もいた。親しい仲間同士でもしょっちゅう衝突があった。今思えば、かなりストレスのある環境だが、当時はそれが当たり前で、それでも十分楽しかった。

 誰もがこうした環境のなかでさまざまな体験をすることにより成長した。問題児も次第に広い社会に出るにつれて人間関係の中で揉まれ、自然に常識をわきまえるようになった。そこにはいつもストレスがあったはずだが、それを乗り越えることで一人前になったのだ。だが、最近は子供に限らずおとなもそうしたストレスを避ける傾向にある。

 その背景には、スマホに象徴されるIT技術の進歩がある。もともとスマホは情報の伝達を助けるための技術である。確かにネットに接続すればどこにいても世界中の情報が得られるし、LINEを使えば誰にでもいつでも要件を伝えられる。SNSの発達は、アラブの春に象徴されるような大きな社会的ムーブメントをも可能にした。一見、コミュニケーションは高度化したかに見える。

 しかし、そうした派手さの裏で人と人の直接の交流は明らかに減って来ている。スマホによる交流の方がストレスが少ないからだ。LINEやFacebookの急速な普及は、単に便利さだけによるものではなく、そこではストレスなく自己主張できるからなのだ。

 自動車の普及で人類は歩かなくなり、運動不足からさまざまな健康上のトラブルに悩まされることになった。一方、スマホの普及は人間同士の直接の交流を減らし精神的な成長を阻害している。その結果、ストレスに脆く粘りのない不安定な社会が形成されつつある。このところ運動不足を補うためにはジムに通う人が増えたが、スマホによって失われた精神的な強さを補うためのリハビリが求められる日も近いうちにやって来るのだろうか。

魔法の時間

 最近では元旦から開いているスーパーもあり、正月もすっかり慌ただしくなってしまったが、それでもその数日間には普段とは異なる特別な時間が流れている。

 歳を取ると時間が貴重になる。毎年、この時期、これまでできなかったことを今年こそはやろうと思うものだが、その切実さが年々増しているように思う。年末から、来年はどういう年にしようかと漠然と思い描いているのだが、年が明け新年を迎えると、いよいよだと身が引き締まる思いがする。正月は静かな中にも独特の緊張感が漂っているのだ。

 正月にはこの1年の政治や経済などを占うTV番組がいろいろ組まれているが、最近はあまり興味が湧かない。この貴重な時間はそんな外的な問題に振り回されず、もっと内なることに集中したい気分なのだ。

 今年はやることを絞り、自分が人生でどうしてもやりたいと思っていることにできるだけ集中したいという思いが強い。やりたいことをやるのは決して楽ではない。なぜなら、本当にやりたいこと、やらねばならないことというのは、大抵は暗中模索だからだ。それに比べれば、目の前にある仕事をこなしたり知識を身につけることはずっと楽だ。だから、そうした結果の出やすいことについ逃げてしまいがちだ。そこをぐっと我慢して暗中模索の中に何かをつかみ取ることが重要なのだ。自分をごまかしている時間はもうない。

 ところで正月には、帰省してかつての友人たちに会うのも大きな楽しみだ。15年ほど前から始めた高校のクラス会はこのところ毎年1月3日に開かれている。最近、かつてのクラスメイトたちとの話が急速に深まって来たので驚いている。

 その理由の一つは、毎年、回を重ねるうちに互いの壁が取り払われ、それまで触れたことのなかったような突っ込んだ話題も取り上げるようになったからだろう。昔からお互いに良く知っているつもりだったが、実は知らないことのほうが多かったのだ。しばしば相手の別の側面を見せられてハッとさせられるのである。

 また、お互いに人生を重ねて成長していることも大きい。仕事のこと、家族のこと、夫婦のこと、人生のこと。誰もがそれぞれに悩んできたのだ。そして、それらは確実に各人の成長を促してきた。もちろん人にもよるが、親しい友がそうした成長の跡を見せてくれると嬉しくなる。そして、また来年までの互いの成長を期して名残惜しさのうちに別れるのだ。決して懐かしさだけで付き合っているわけではない。

 今年もらった年賀状には、子供が巣立って再び夫婦2人の生活になったという便りが目立ったが、幸いまだ娘2人が居座っている我が家は、元旦、家族4人で原宿へ繰り出した。二十歳前後の娘たちと一緒になって原宿でショッピングを楽しめるのも正月ならではのことだ。彼女たちも、この時間を特別な思いで過ごしているようだった。我が娘たちがいつまで家にいるかわからないが、家族の距離を縮め、家族の絆を強めてくれる貴重な機会を与えてくれたのも、まさに正月という魔法の時間のなせる技だったのだ。

フリー社会

 ネット社会の大きな特徴の一つは、さまざまなサービスが無料(フリー)で受けられることだ。かつてGoogle Mapが登場した時、このような便利な地図サービスがなぜ無料で使えるのか誰もが不思議に思っただろう。おかげで当時何万円もしていた多くの地図ソフトはたちまち姿を消してしまった。

 普段ネットを観る時、われわれは当たり前のようにGoogleやYahooの検索システムを用いている。もはやそうした検索システムが無料であることに疑問を感じる人はいない。しかし、検索システムなしではネットの利用はほとんど不可能だ。ある日、Googleがそのシステムを、突如、有料化したとしたら、ユーザーはお金を払わざるを得ないだろう。しかも、こうしたサービスの提供にGoogleは莫大な費用を投じている。なにゆえGoogleはそうしたサービスを無料にしているのだろうか。

 もちろん、Googleは何らかの形で収益を上げている。メインはネット広告だ。Googleはユーザーが検索した全ての履歴を記録している。その人が何を探し何を買ったのか、スポーツに興味があるのか政治に興味があるのか、どのアイドルに興味を持っているのか、全ての情報は蓄積され分析される。そうした膨大な情報に基づき、その人が今まさに求めている情報を広告としてパソコンやスマホに表示するのである。こうしたシステムは日夜洗練されており、将来的にはその人の性格や行動パターン、人間関係から人生観に至るまでユーザー当人以上にGoogleが知っているという時代がくるだろう。Googleにとっては、検索システムを無料化しても、それを補って余りある見返りがあるというわけだ。

 しかし、無料化の理由はそれだけではない。ネット業界ではネット上のサービスを無料化し、別のところでその分を回収するというビジネスモデルが徹底的に研究されている。広告の場合には、広告を出す企業がお金を出す。ネット上のサービス自体が物品の販売促進になる場合は、もちろんそれを買った一部の人が負担することになる。かつてはサービス自体に課金するケースもあったが、無料サービスが急増し、無料だけで十分足りるようになると、特別な場合を除き有料サービスは見向きもされなくなってしまったのだ。

 もちろん、無料化がいつもうまく行くとは限らない。無料で提供する分をどこかで取り返さなければ、そのサービスは破綻する。多くのサービスがそのギリギリの線で運用されている。その代表例がFacebookだ。いまやSNSの雄となったFacebookだが、広告収入を増やそうとすればFacebookというブランドの価値が下がってしまうというジレンマがあり、永年にわたって収入より出費の方が多い状況に苦しんできた。投資家は将来、Facebookという無料サービスが莫大な利益をもたらす方法が見つかることを期待しているが、今でもそれは未知数なのである。

 フリーは必ず誰かがそれを負担することが必要だ。だが、その一定の負担が無限のフリーサービスを生み出す。フリーは、従来の価値観を覆す現代の打ち出の小槌なのである。

霊的なものと科学

 毎年夏になると、お盆にちなんで死者の霊に関連したテレビ番組を目にする。先日、NHKで放映された「シリーズ東日本大震災 亡き人との”再会”」でも、震災で突然大切な人を失った人たちの亡き人への強い思いが引き起こすさまざまな不思議な体験が紹介された。

 幼い息子を亡くした母は、時が経っても悲嘆にくれる毎日から抜け出せずにいた。ところが、震災から2年を経たある日、息子が使っていたオートバイ型の三輪車の警笛が傍らで突如鳴り響いた。彼女は即座にそれが息子が自分に送った「近くにいるから心配しないで良いよ」というサインだとわかった。それをきっかけに彼女は息子の存在を身近に感じられるようになり、久しぶりに晴れやかな笑顔が戻ったのである。

 現代ではこうした体験は心理的なものだと片付けられるのが普通だ。あまりにも強く息子との再会を求める母の気持ちが、偶然起きたアクシデントを息子の霊と結びつけ、自らの心理に変化を引き起こしたのだ、と。だが、そうした考え方は果たして正しいのだろうか。

 現代は科学の時代だ。もともと科学は迷信などの弊害から逃れるために発達してきた。各人の思い込みを排し客観的な事実のみを信じることにより、人々を理不尽な迷信から解放し、同時に人類にかつてない繁栄をもたらしてきたのだ。その結果、霊のようなものは非科学的とされ、次第に表舞台から消え、今では公に口にするのもはばかられるようになった。たとえ今のところ科学で説明できないことがあっても、それらはいつかは説明されるはずであって、下手に霊の話など持ち出せば見識が疑われかねない。

 しかし、本質的に科学では答えられない問題もある。例えば、死と意識の問題だ。死ぬと自分の意識はどうなるのか。死ぬと意識も消えるというが、そもそも自分に意識がない状態というのはどういうものなのか。脳科学は人の意識と脳の働きを対応づけられるかもしれないが、死ぬと自分の意識がどうなるかという疑問には、結局、答えられない。「我思う故に我あり」というのは科学的な答ではないのだ。

 客観的な現象についても科学で全て説明できるわけではない。生命現象を始め科学で説明できないことはいくらでもある。にもかかわらず、すべてが科学で説明できるはずだと考えることは、言わば「科学原理主義」で、現代人はそこから抜け出せなくなっている。それは実は科学的ですらない。

 もし、死者の霊に静かに耳を傾ければ何か聞こえるかもしれない。そしてそれが自分を慰めてくれるかもしれない。死者だけではない。耳を澄ませば、神も何かありがたい啓示を与えてくれるかもしれない。科学ではないから再現性は期待できない。他人に何か証拠を見せることもできないだろう。だが、そうしたことを抜きにして果たして現代人は真の安らぎが得られるのだろうか。死と正面から向き合うことができるだろうか。

 科学的でないものにどのような態度で臨むかということは、科学の時代だからこそ真剣に向き合うべきテーマではないだろうか。

モーツァルトの魅力(2) 小林秀雄の「モオツァルト」

 30年ほど前にアメリカを1ヶ月ほど旅したことがある。その時、最初に訪れたニューヨークで、ある若い指揮者に1週間ほどお世話になった。アメリカという競争社会で日本人指揮者が生き抜いていくのは並大抵のことではない。ニューヨークの聴衆の関心を引き止め続けるのがいかに難しいか、思わず彼の口を突いて出ることも珍しくなかった。

そんなある時、彼は1冊の本を手にして、「やっぱりこれが一番だ」と言う。僕は目を疑った。それは当時、自分の特別な愛読書だった小林秀雄の「モオツァルト」だったのだ。演奏に際して日夜膨大な資料を研究しているが、モーツァルトへの新鮮な思いを蘇らせてくれるのはこの本だけだという。音楽の専門家である彼の口から、しかも初めて来た外国の地でそのような話を聞くとは思いもよらず、僕は何か運命的なものを感じていた。

ニューヨーク滞在の最後の夜、その指揮者に誘われてカーネギー・ホールのコンサートに出かけた。前半の演奏が終わり、休憩時間にその日の演奏について彼が饒舌に語っていると、奥さんが遅れて駆けつけてきた。そして、「小林秀雄さん、亡くなったね」とボソリと伝えたのだ。小林秀雄は最後に僕に何かを伝えようとしてくれたのだろうか。後半の演奏を聴きながら、様々な思いが頭のなかをグルグル回り続けた。

小林秀雄の「モオツァルト」は、芸術批評の本質に関わるものであり、モーツァルトだけの話に終わらない。しかし、少なくとも全編にわたり彼の心に響く豊かなモーツァルトの音楽が垣間見える。それが僕自身のモーツァルト遍歴の道標となってきた所以なのだ。

「ト短調のシンフォニーの有名なテーマが突如として頭の中で鳴った」というくだりは非常に有名だが、重要なのはその後に、「今の自分は(20年前の)その頃よりもこの曲をよく理解しているだろうか」と自問していることである。歳を重ね知識が増えるにつれ、頭による音楽の理解は進む。しかし、自分の心がモーツァルトの音楽に本当に共鳴しているかということになると疑わしい。彼にとって信じられるのは自らの感性だけなのだ。こちらも歳をとったせいか、今読むと身につまされる思いがする。

「モオツァルト」は、小林自身を語ったものだとしばしば言われる。確かにそうとも言えるが、彼の内には非常に豊かなモーツァルトの世界が存在していたことは間違いない。僕が永年モーツァルトを聴き、またピアノで弾くことにより新たな発見をするたびに、実はそれはすでに小林が言っていたことだったと気がつくことが珍しくないからである。

モーツァルトの創造の秘密に迫るために、彼は当初から分析的なアプローチが不可能であると心得ていた。「人間どもをからかうために、悪魔が発明した音楽だ」という彼が引き合いに出したゲーテの言葉どおり、小林自身もからかわれて終わるのが落ちだ。しかし、モーツァルトの音楽との対峙は次第に彼自身のラプトゥス(熱狂)に火をつけた。それに身を任せ、自らの創作に没入することで、初めてモーツァルトを表現する術が見えた。自らを語ることによってのみ、モーツァルトの懐に飛び込むことができたのである。

モーツァルトの魅力(1) 「即興性」

先日、旧友と話をしている時、ふと「モーツァルトとの出会いは僕の人生にとって最大の事件だった」という話を始めた。普段はそんな話をしても誰も乗ってこないのだが、彼は関心は予想外に強かった。

中学の頃、僕は突如としてクラシック音楽を聴き始めたのだが、当時、その友人は僕がなぜそんなに夢中になっているのか不思議でたまらなかったらしい。さらにそういう僕に対して一種の羨望すら感じていたと言うのだ。そして、それから40年間、彼にとってクラシック音楽に情熱を燃やす僕の存在は大きな謎だったのである。

彼の疑問はシンプルだった。モーツァルトのどこがそれほど面白いのかということである。かつては自分の音楽の趣味について、誰かれかまわず熱く語ったものだが、そうしたことがなくなって久しい。その機会が思わぬ形で再び巡ってきたのである。彼との間に深い縁を感じつつ、同時に熱い情熱が蘇って来た。

これまでも、何度かモーツァルトについて書いたことがある。しかし、音楽の魅力を言葉で語ることは難しく、何かのエピソードを交えた解説のような文章になりがちだった。友人はそんな通り一遍の説明ではなく、僕自身の生の思いを聞きたがった。それならばと言うことで、無理を承知で独断と偏見に満ちたモーツァルト論に挑んでみることにした。

モーツァルト好きにとっては異論がないと思うが、彼の音楽の最大の特徴はその「即興性」にある。モーツァルトといえば淀みなく耳に心地良い音楽というイメージが強い。だが、実際には彼の音楽は飛躍に満ち、予想できない展開の連続なのだ。天気のいい日にピクニックにでも来ているようなうららかな主題で始まったかと思うと、なんの前触れもなく、突如、深刻なメロディーに変わっているといった具合だ。

だが、そうした飛躍が不自然な感じをいだかせることは決してない。聴く者の感情は確かにその突然の変化に反応しているのだが、それを当たり前のこととして受け入れている。急な変化があったことにすら気がつかない。気まぐれな展開がまるでマジックのように自然につながって行くのだ。恐らく人間の気持ちは本来気まぐれなものだと言うことだろう。モーツァルトはそうした人の心の本質を知っていた。正確に言うならば、彼は音楽によってなら人の心を自在に表現する術を知っていたのである。

気まぐれというのは、決してでたらめということではない。そこには感情を支配するある種の必然が貫いている。苦しみがあればそれを乗り越えようとする。喜びは周りの人への愛となることで成就する。また、不幸を受け入れることで人の心は澄わたっていく。その息もつかぬ変化の連続が、聴く者に鳥肌の立つような感動をもたらすのだ。

だが、彼の即興は即興では終わるわけではない。即興的な展開は次第に壮大なドラマに発展していく。そしてそれが堅牢で完璧な姿を現した時、われわれは初めてその即興の意味を知ることになるのである。

時の流れの速さ

 このところ新年を迎えるたびに、時の流れの速さにため息をつく。以前はそれほどでもなかったのに何かが変わったのだろうか。

 昨年あったことを11つ思い出してみると、例年に比べてもなかなか面白いことが多い年だった。特に昔の友との再会は驚くほど実りあるもので、人生観が変わったといっても大袈裟ではない。昨年、大学に入った我が娘たちの成長も、自分の人生観に少なからぬ影響を与えた。こうしてみるとまんざらでもない。むしろそうしたことをじっくり味わう余裕のなさが、時の流れを速く感じさせるのかもしれない。

寿命が永遠に続くなら1年が長かろうが短かろうがそれほど問題ではない。限りある人生だからこそ、時間は出来るだけゆっくり過ぎて欲しいのだ。だが、その貴重な時間をいくら費やしても、それに勝るようなすばらしい体験というのはある。それは困難なことを成し遂げた瞬間かもしれないし何か大切なことを理解できたときかもしれない。あるいはすばらしい出会いに恵まれたときかもしれない。自分が生きてきたのはこれを体験するためなのだと納得できれば、その換わりにいくら時間が過ぎたとしても惜しくはない。そんな充実した体験に満ちた1年であれば短かいと感じることもないに違いない。

それにしても最近の日本では、そんな時間も忘れるような体験をする機会は少なくなってきている。かつての上り坂の経済に慣れてしまった日本人にとって、このところの退潮はことのほか応えている。かつて世界に敵なしだった日本のハイテク企業の落日はまさに悪夢のようだ。国のやることも、年金問題にせよ財政問題にせよ解決できるとはとても思えない。将来のビジョンが見えない中、この数年、日本中が漠然とした不安にすっぽりと覆われてしまった。

不安な社会では誰もがまず安心を求める。大学を卒業してもろくな就職先がないのでは、将来の夢を語るどころではない。不安が人々を萎縮させ、不安から逃れるために目先のことばかりに注意が行く。社会的不安の増大は1年を短く感じさせる一因に違いない。

そんな不安な社会にあって、人々はいつもスマートフォンを覗き込み、ネットやSNSに余念がない。これらは確かに便利だ。昔だったら絶対にありえなかった交流がいとも簡単に実現するようになっている。しかし、とかく便利なものは不便だからこそ得られていた大切なものを失わせるものだ。メールに慣れれば電話をかけるのが億劫になり、声を聞くことで感じられた相手の心をシャットアウトしてしまう。便利さとは裏を返せば何も意識せずに済むということだ。その結果、時間が過ぎたことにも気がつかない。そして気がつけば1年経っているのだ。

1年が短く感じられ原因はいくつかあるようだが、いずれにせよ地に足の着いた生き方ができていないからだ。1年後、充実した1年だったと感じられるよう、今年は濃い時間の過ごしかたを心がけてみようと思う。

少年パワー

故郷を離れて何十年も経つと、かつての小学校の友人に久しぶりに会ってもすぐに打ち解けるのは難しい。高校や大学の友人とはすぐに馴染めるが、それはそのころすでにある程度大人だったからだ。かつて一緒に遊んだとはいえ子供の興味はまちまちで、ある場面のことを興奮して話しかけられてもこちらは全く身に覚えがない。結局、最近の話題になってしまう。そんなわけでかつては参加していた同窓会もこのところ足が遠のいていた。

ところが、先日、ずっと会うことのなかった小学校の友人から、突然、メールが届いた。彼はかつて最も親しく、最もエキセントリックな友達だったが、高校が別々になったことで徐々に疎遠になってしまい、僕が大学でこちらに来てからは1度も会っていなかった。しかし、世間でしばしば使われる個性とか独創性とか言うことばを僕があまり信じないのは、かつて彼と夢中になってやった遊びに溢れていた創造性に比べると、大抵の場合、たいしたものではないからなのだ。彼はそれほど特別の友人だった。

それにしても彼と遊んでいたのは40年も前のことだ。話が噛み合うかどうか自信がなかった。だか、すぐにそれは杞憂だとわかった。お互いの記憶は驚くほど鮮明に当時の状況を再現して行った。とても何十年も経っているとは思えない。永い間、魔法の箱に封印されていた膨大な記憶が、突然、眠りから覚め溢れ出したのである。

他人が自分のことをどう思っているかということは意外にわからないもので、かつて彼の目に映っていた僕の姿が明らかになっていくのは実に新鮮だった。永年とてもかなわないと思っていた彼が、意外にもこちらに対して同じような思いを抱いていたこともはじめて知った。当時はお互いに突っ張っていたのだ。

友は自分を写す最高の鏡でもある。彼の心の中にかつての自分が何十年も生き続けていたことを知り、自分という人間が新たな価値を持ったように感じられた。だが一方で、今の自分はその鏡にどのように写るのだろうか。これまで自分は成長し続けてきたという自負があった。しかし、かつての自分は今よりずっと個性に溢れていたのではないか。

子供から大人になり社会に適合していく過程で、誰もが受験や就職、結婚と言ったさまざまなハードルを乗り越えていかなければならない。そうした試練を克服し、新たな自己を確立していくことが人生の目的だとも言える。しかし、そうしたハードルを越える過程で子供のころの個性は徐々に角を削り取られて行くのではないだろうか。社会に適合するとは、個性をも社会に合わせて仕立て直すことでもあるのだ。

僕は永年自分の個性を発揮しようと努力してきたつもりだった。しかし、結局は社会に媚びてきただけに過ぎないのではないのか。少年時代に帰ることに抵抗があるのは、当時が幼稚だからではなく、自分が知らぬ間に本来の自分を見失っているからなのだ。

友との再会は久々に少年パワーを思い出させてくれた。そろそろ原点に帰る冒険に出るべき時期に来ていたのかもしれない。

科学と欲望

現代人の生活は科学抜きでは考えられない。しかし、先般の原発事故では、われわれが日頃から恩恵を受け依存している科学技術が、実は十分にコントロールされているわけではないと知って衝撃を受けた。さらに、誰が聞いてもおかしい関係者の言い訳を聞くに及んで、人々は科学神話の裏に深刻な病巣が広がっていることに気づいたのである。

西洋の科学はもともとそれが現れる以前の様々な迷信めいたものから逃れたいという科学者の強い願望によって発展してきた。旧来の権威に対して、「地球は太陽の周りを回っている」と胸を張って言えないことに科学者達は苛立ちを募らせていたのだ。しかし、ニュートン物理学が登場するに至って、科学者は自然を語る権利を一気に自分の足元に引き寄せた。人々はこの世界が神の摂理ではなく自然法則によって成り立っているという考え方に目覚めた。かつては無関係な現象と考えられていたことがある法則によって統一的に説明されるのを目の当たりにして、人々は科学こそ真理だと考えるようになっていった。

やがて科学は技術と結びつき、19世紀には世界の工業化を加速する。だが、その結果、世界的な競争が激化することになる。科学は単なる思想的な革命から、人が富を得るための強力な武器となっていったのである。

科学技術が発展し高度化されるにつれて進んだのが細分化である。同じ科学者でも専門外のことは全く理解できなくなった。その結果、様々な専門技術が集結してできている現代の科学技術をひとりの科学者が理解することは全く不可能になってしまった。たとえば自動車は様々な技術の結晶だと言われるが、その全ての素材や素子を完全に理解している技術者は一人もいないだろう。そうした自動車にわれわれは命を預けている。現代社会を支える科学技術という土台は、実はかなり危ういものなのである。

とはいえ、もし自動車の至上命題が安全性にあるなら、ほとんど事故を起こさない自動車を作ることは不可能ではないだろう。しかしながら、自動車メーカーは安全のために自動車を作っているのではない。利益を上げることが目的なのだ。ユーザーも安全性だけでは自動車を選ばない。科学技術のもたらす安全性は常に経済性とのトレードオフに晒されているのだ。

放射性物質が絡む原発の安全性を確保するためには、莫大な科学的な情報と技術力が必要である。しかし原発の場合、巨大事故の実例が非常に少ないため、必然的にデータが足りない。ほとんどの危機対応は机上の計算を元にしている。情報は全く不足しているはずである。しかも安全性を担っているのが、利益を上げることが目的である電力会社と来ては、安全が守られるはずがない。

こうした事情を隠蔽し人々を騙すためにも科学は用いられてきた。御用学者が理解不能な専門用語を羅列し、「科学的データに基づき」と称して説明するときは要注意である。

科学に対する社会の認識を改めるような議論が必要な時期に来ている。

巨大エネルギーの解放

プレートが蓄えた膨大なエネルギーの解放が3・11の巨大地震を引き起こしたが、日本を襲う巨大なエネルギーは地震だけではないようだ。

このところ世界中であまりいい話は聴かない。アメリカ発の経済危機から回復する間もなくヨーロッパではギリシャやポルトガルなどの財政危機問題に直面している。エジプトを始めアラブ諸国でも次々と革命により政権が交代し時代の転機を迎えている。これまで好調だった中国経済も、物価の高騰、格差の急拡大で先行きに陰りが見え始めている。こうした世界の動きは、一見ばらばらに見えるが、実は資本主義市場の巨大エネルギーの解放によって引き起こされているのだ。

そのきっかけとなったのは、22年前の東西冷戦構造の終結である。冷戦の終わりは新興国台頭の幕開けとなった。中国を例に取れば、改革開放が一気に進み、堰を切ったように外資が流入し、瞬く間に世界の工場に登りつめた。中国の安い人件費を求めて先進国が押し寄せたのである。冷戦によって堰きとめられていた資本主義の巨大エネルギーが一気に解き放たれたのだ。

その余震は未だに収まる気配を見せていない。資本主義のエネルギーは、富を求めて世界中の新興国に流入し続けているのだ。その勢いはあまりに強く、もはや国家の統制を越えている。グローバル化といえば聞こえはいいが、制御不能の暴走なのだ。

企業は1つの国に縛られる必要はない。市場、労働力、資金、いずれを得るにも世界中の最も適した場所を選べばよい。しかも、日産やソニーのようにトップが外国人になり、さらに将来、本社機能も海外に移転することになれば、もはやその企業の出身地がどこであるかは重要ではない。企業は多国籍化し、世界を舞台に最も利益が上がる体勢を模索するのみである。企業の世界地図と国家の世界地図ではすでに大きなズレが生じている。

国家は法によって国を治めようとするが、その運転の原資となる税金は企業が稼ぎ出した利益だ。その企業が海外にどんどんシフトして行けば、税収は減り国力は弱まっていく。この15年ほど日本のGDPが全く延びないのは、企業の海外シフトの顕著な表れだ。とはいえ、税収を増やすために増税すれば、海外流出はさらに加速する。社会保障を国債でまかなうしかない日本は、すでに国家としては機能不全に陥っている。

企業は企業で、グローバル化した経済の中でかつてない厳しい国際競争に晒されている。油断すればあっという間に倒産の憂き目にある。今後、事業の海外移転はますます加速していくだろう。国内でも正社員は姿を消し、派遣社員が急増するに違いない。

今回の震災は、奇しくも政府の弱体化を露呈し、企業の海外シフトを加速させている。だが、これは日本だけの問題ではない。新興国の成長が一段落し、競争力が落ちてくれば、厳しい競争も少しは和らぐだろうか。いずれにせよ、国や企業に頼った価値観だけでは、これからの世界を生き抜いていくことは難しそうだ。