モーツァルトの魅力(4) ピアノ協奏曲23番

モーツアルトの音楽は、器楽から交響曲、オペラ、宗教音楽と多岐に渡っているが、中でも最も重要な分野の一つがピアノ協奏曲である。モーツァルトのピアノ協奏曲は全部で27曲あるが、特に20番以降の作品は、彼の全作品の中でも最高の水準を誇っている。

モーツァルトは生前、作曲家であると同時に当代随一のピアニストでもあった。ピアノ協奏曲は、その彼が自ら主催した演奏会において、自分自身で演奏するために作曲されたものなのである。そのことは明らかに作曲にも影響しており、彼の他の作品に比べても高揚感や即興性が特にリアルに伝わってくる。

一般的にピアノ協奏曲というのはピアノ対オーケストラ全体の対決構造になっている。しかしモーツァルトの作品では、オーケストラの各楽器があたかもオペラの登場人物のようにそれぞれ個性的な役割を与えられ、主人公であるピアノと絶妙の駆け引きを繰り広げる。一方、ピアノも弦のピチカートと絡んだり、クラリネットを引き立てるために裏に回ったりと縦横無尽に駆けまわる。自ら鍵盤の前に座るモーツァルトの細やかな気遣いが伝わってくる。こうしたオーケストラとピアノの関係は各ピアノ協奏曲によって異なり、全く違った世界を描き出しているのである。

そうしたピアノ協奏曲に中で、僕が特に好きなのが第23番K488だ。この曲はオーケストラの各楽器とピアノの絡み合いが特に絶妙だ。そのために彼は、通常のピアノ協奏曲ではオーケストラとは別に必ずピアノに与えられるはずの独立した主題を思い切ってなくしてしまっている。その結果、各楽器同士の心情的な関係がより深く緊密になっている。

楽器同士のメロディーのやり取りは、ときには粋なハーモーニーを歌い上げたかと思えば、ときには敬意を持って相手を称える。そしてまたあるときには励ますように友人の背中を押すのである。

そうしたやり取りは決してその場だけの思いつきではない。一つ一つの表現は曲全体の構造をしっかりと担っている。1楽章と3楽章の主題の緊密な相関が示すように、この曲では、曲全体の統一感が際立っているのだ。通常モーツアルトの作品ではほとんど見られない綿密なスケッチがこの作品では残されていることからも、当時、ウィーンで人気の絶頂にあったモーツァルトのこの曲にかける自信と意気込みが伝わってくる。

僕はこの23番の中でも第3楽章が最も好きだ。この第3楽章のために1、2楽章が周到に準備されていると言っても過言ではない。かつて学生の頃、僕はこの第3楽章を聴くたびに、ああ、自分はこれから一生生きて行っても、これ以上の幸福感に出会うことはないだろうと感じた。今もそれは変わらない。だが、それがどういう気持ちなのか、未だにうまく言葉にできない。幸福感というのは正確ではない。あえて言うなら愛に満ちているとでもいうのだろうが、愛という言葉から想像されるよりずっと多様で、屈託のない、しかもわくわくさせられるような歓びに満ちた世界がそこにはあるのだ。

モーツァルトの魅力(3)『プラハ』

モーツァルトの交響曲は41曲あるが、その最後の3曲は3大交響曲と呼ばれ、モーツァルトの天才の証として永年讃えられてきた。僕自身にとってもモーツァルトの凄さを最初に思い知ることになった思い出深い名曲だ。しかし、実はこの3曲に引けを取らない、あるいはそれ以上の魅力を湛えた交響曲がある。第38番の『プラハ』である。

3大交響曲は確かに素晴らしいが、そこには何か博物館の作品のような距離感がある。それに比べ『プラハ』の魅力は、まるで女性の魅力のように直に伝わってくるのだ。

モーツァルトの交響曲の中でも『プラハ』は特に複雑な構造を持っている。それは、人間の心に潜む多様で微妙な感情を扱うために、さまざまな音楽的技術の融合が図られた結果である。

モーツァルトの時代にはソナタ形式に代表される和声音楽が全盛だったが、バッハ以前に遡ると、複数の旋律を同時進行させる対位法音楽が主流だった。モーツァルトは、和声音楽にこの対位法を取り込もうとずっと腐心していた。3大交響曲の最後を飾る『ジュピター』の終楽章は特に有名だが、他にもK387の弦楽四重奏曲や後期の2曲のピアノソナタなどさまざまなところで和声と対位法の融合を試みている。だが、それらの作品には実験的な試みとしての特殊さが残っている。また、それが魅力でもあったのだ。

しかし『プラハ』では、対位法は和声の中にすっかり溶け込んでいる。複数のメロディーがそれぞれ自らの主張を奏でたかと思えば、たちまち一体化し絶妙なハーモニーを響かせる。そうした対位法と和声の融合により新たな音楽的な構造が生み出され、命を吹き込まれて自律的に動き出す。『プラハ』ではその様子が手に取るように伝わってくる。

さらに、短調と長調が複雑に絡み合い、曲全体が襞のある感情表現に覆われているのも『プラハ』の大きな特徴だ。長調は明るく短調は暗いというような単純な世界はもはや通用しない。明るい中にも陰りがあり、深刻さのなかにも歓びはある。しかも、常にこうした微妙で深い心理を追求しているにもかかわらず、けっして難解ではない。表現は極めて的確で説得力がある。

当時、モーツァルトはオペラ『フィガロの結婚』を成功させ、次の『ドン・ジョバンニ』の構想を練っていた時期だ。そもそも『プラハ』という名前は、『フィガロ』のプラハ初演の際に演奏されたことに由来している。ストーリーとセリフがあるオペラでは交響曲に比べて感情表現はより生々しくなり、舞台での掛け合いではさまざまな音楽的な表現がぶつかり絡み合う。オペラはモーツァルトにより高いレベルの音楽を要求し、モーツァルトはそれに応えるために一段と成長する必要があった。

形式的な構造美を追求する交響曲という音楽に、さらにオペラにも優る人間の多様な感情を吹き込むことも、またモーツァルトらしい夢だった。そのために当時のあらゆる音楽技術を注ぎ込んだ傑作、それが『プラハ』なのである。

モーツァルトの魅力(2) 小林秀雄の「モオツァルト」

 30年ほど前にアメリカを1ヶ月ほど旅したことがある。その時、最初に訪れたニューヨークで、ある若い指揮者に1週間ほどお世話になった。アメリカという競争社会で日本人指揮者が生き抜いていくのは並大抵のことではない。ニューヨークの聴衆の関心を引き止め続けるのがいかに難しいか、思わず彼の口を突いて出ることも珍しくなかった。

そんなある時、彼は1冊の本を手にして、「やっぱりこれが一番だ」と言う。僕は目を疑った。それは当時、自分の特別な愛読書だった小林秀雄の「モオツァルト」だったのだ。演奏に際して日夜膨大な資料を研究しているが、モーツァルトへの新鮮な思いを蘇らせてくれるのはこの本だけだという。音楽の専門家である彼の口から、しかも初めて来た外国の地でそのような話を聞くとは思いもよらず、僕は何か運命的なものを感じていた。

ニューヨーク滞在の最後の夜、その指揮者に誘われてカーネギー・ホールのコンサートに出かけた。前半の演奏が終わり、休憩時間にその日の演奏について彼が饒舌に語っていると、奥さんが遅れて駆けつけてきた。そして、「小林秀雄さん、亡くなったね」とボソリと伝えたのだ。小林秀雄は最後に僕に何かを伝えようとしてくれたのだろうか。後半の演奏を聴きながら、様々な思いが頭のなかをグルグル回り続けた。

小林秀雄の「モオツァルト」は、芸術批評の本質に関わるものであり、モーツァルトだけの話に終わらない。しかし、少なくとも全編にわたり彼の心に響く豊かなモーツァルトの音楽が垣間見える。それが僕自身のモーツァルト遍歴の道標となってきた所以なのだ。

「ト短調のシンフォニーの有名なテーマが突如として頭の中で鳴った」というくだりは非常に有名だが、重要なのはその後に、「今の自分は(20年前の)その頃よりもこの曲をよく理解しているだろうか」と自問していることである。歳を重ね知識が増えるにつれ、頭による音楽の理解は進む。しかし、自分の心がモーツァルトの音楽に本当に共鳴しているかということになると疑わしい。彼にとって信じられるのは自らの感性だけなのだ。こちらも歳をとったせいか、今読むと身につまされる思いがする。

「モオツァルト」は、小林自身を語ったものだとしばしば言われる。確かにそうとも言えるが、彼の内には非常に豊かなモーツァルトの世界が存在していたことは間違いない。僕が永年モーツァルトを聴き、またピアノで弾くことにより新たな発見をするたびに、実はそれはすでに小林が言っていたことだったと気がつくことが珍しくないからである。

モーツァルトの創造の秘密に迫るために、彼は当初から分析的なアプローチが不可能であると心得ていた。「人間どもをからかうために、悪魔が発明した音楽だ」という彼が引き合いに出したゲーテの言葉どおり、小林自身もからかわれて終わるのが落ちだ。しかし、モーツァルトの音楽との対峙は次第に彼自身のラプトゥス(熱狂)に火をつけた。それに身を任せ、自らの創作に没入することで、初めてモーツァルトを表現する術が見えた。自らを語ることによってのみ、モーツァルトの懐に飛び込むことができたのである。

モーツァルトの魅力(1) 「即興性」

先日、旧友と話をしている時、ふと「モーツァルトとの出会いは僕の人生にとって最大の事件だった」という話を始めた。普段はそんな話をしても誰も乗ってこないのだが、彼は関心は予想外に強かった。

中学の頃、僕は突如としてクラシック音楽を聴き始めたのだが、当時、その友人は僕がなぜそんなに夢中になっているのか不思議でたまらなかったらしい。さらにそういう僕に対して一種の羨望すら感じていたと言うのだ。そして、それから40年間、彼にとってクラシック音楽に情熱を燃やす僕の存在は大きな謎だったのである。

彼の疑問はシンプルだった。モーツァルトのどこがそれほど面白いのかということである。かつては自分の音楽の趣味について、誰かれかまわず熱く語ったものだが、そうしたことがなくなって久しい。その機会が思わぬ形で再び巡ってきたのである。彼との間に深い縁を感じつつ、同時に熱い情熱が蘇って来た。

これまでも、何度かモーツァルトについて書いたことがある。しかし、音楽の魅力を言葉で語ることは難しく、何かのエピソードを交えた解説のような文章になりがちだった。友人はそんな通り一遍の説明ではなく、僕自身の生の思いを聞きたがった。それならばと言うことで、無理を承知で独断と偏見に満ちたモーツァルト論に挑んでみることにした。

モーツァルト好きにとっては異論がないと思うが、彼の音楽の最大の特徴はその「即興性」にある。モーツァルトといえば淀みなく耳に心地良い音楽というイメージが強い。だが、実際には彼の音楽は飛躍に満ち、予想できない展開の連続なのだ。天気のいい日にピクニックにでも来ているようなうららかな主題で始まったかと思うと、なんの前触れもなく、突如、深刻なメロディーに変わっているといった具合だ。

だが、そうした飛躍が不自然な感じをいだかせることは決してない。聴く者の感情は確かにその突然の変化に反応しているのだが、それを当たり前のこととして受け入れている。急な変化があったことにすら気がつかない。気まぐれな展開がまるでマジックのように自然につながって行くのだ。恐らく人間の気持ちは本来気まぐれなものだと言うことだろう。モーツァルトはそうした人の心の本質を知っていた。正確に言うならば、彼は音楽によってなら人の心を自在に表現する術を知っていたのである。

気まぐれというのは、決してでたらめということではない。そこには感情を支配するある種の必然が貫いている。苦しみがあればそれを乗り越えようとする。喜びは周りの人への愛となることで成就する。また、不幸を受け入れることで人の心は澄わたっていく。その息もつかぬ変化の連続が、聴く者に鳥肌の立つような感動をもたらすのだ。

だが、彼の即興は即興では終わるわけではない。即興的な展開は次第に壮大なドラマに発展していく。そしてそれが堅牢で完璧な姿を現した時、われわれは初めてその即興の意味を知ることになるのである。

モーツァルト小論

指揮者のニコラス・アルノンクールが、モーツァルトは「10代にして音楽によって人間のあらゆる感情を表現できた」と語っている。だが、彼はモーツァルトが単に人間の感情を自由自在に表現できると言いたいわけではない。自ら指揮棒を振りその音楽を演奏するやいなや、そこには日常的には感じることのない純粋でデリケートな感情が次々と溢れ出ることに驚嘆し圧倒されたのである。人間の心は本来これほど自由で豊かな可能性を持っているのか。彼はモーツァルトから人間の感情の奥深さを教えられたのだ。

モーツァルトがもっともこだわった音楽はオペラである。オペラは当時の音楽芸術の最高峰で、オペラで成功することは最高の音楽家である証しだった。だが、理由はそれだけではない。主役にも脇役にもそれぞれの役割があり、それらを音楽によって思い切り表現することができるオペラという形式はモーツァルトにぴったりだったのである。

ピアノコンチェルトもまたモーツァルトにとってはオペラだった。各パートの楽器は、プリマドンナであるピアノを控えめに支えていたかと思えば、時にはするりと前に出てきて愛嬌ある台詞を発する。どの楽器も人格を備え個性を競っている。絶妙なタイミングで合いの手を入れたかと思えば、突如、全ての流れを断ち切り劇的な展開に導いていく。そこにはまさに、人が日常で感じる「あらゆる感情」をはるかに越えた多彩な世界がある。

昔から、モーツァルトは天才で何の苦もなく作曲できたと言われてきたが、そうした考えは多分に天才への憧れやヒーローへの期待から来ている。なかなか就職が決まらず焦りまくり、失恋で落ち込んで容易に立ち直れない姿にはもとより天才の面影はない。確かに彼には音楽を操る特別な才能があったが、だからと言ってその才能で人の感情を嘘なく表現することは楽ではない。極度の集中を必要とし、命を縮めるほどの過酷な作業であったに違いない。無論、何時もうまく行くとは限らない。彼の作品といえども相当の出来不出来があるし、多くの作品が途中で行き詰まり完成できずに終わっているのである。

宗教音楽で特に未完が多いのは、一つには娯楽音楽に比べて自らに高い完成度を課したためであろうが、そもそもオペラが得意なモーツァルトにとって宗教音楽は彼の表現力を特定の領域に閉じ込めてしまうものだった。モーツァルトにはやはり生を表現する音楽こそふさわしい。レクイエムが未完に終わった理由についてもいろいろ言われているが、結局、彼の手には余ったということではないだろうか。

小林秀雄に「モオツアルト」という傑作がある。僕自身、そこで展開される渾身のモーツァルト論に大きな影響を受けてきた。しかし、最近、自分でピアノを弾いていると、小林のモーツァルトには見られない魅力に出会うことが多くなった。聴き手を喜ばせようとするちょっとした工夫がいたるところにあり、それらがなんとも言えず絶妙なのだ。「天才」を描こうとして小林が見せたような力みは、そこには全く見られない。

音符と音符の間にあるもの

永年ピアノを習っているが、モーツァルトが一番好きだという先生にめぐり合ったことがなかった。多くの先生にとって最も人気のあるピアニストはショパンではないだろうか。そしてショパンのピアノ曲はモーツァルトのものより勝っていると思い込んでいる。モーツァルトは物足りないと感じているから、自ずとモーツァルトを教える際の本気度は低くなる。モーツァルト好きの僕にとっては頭の痛い話だ。

確かにモーツァルトの時代にはピアノはまだ発明されたばかりの新しい楽器で、音量的にも鍵盤の戻りの速さなどのメカニカルな面でも現在のピアノに比べて劣っていた。モーツァルトも旅先で性能の高いピアノに巡り合うと有頂天になったようで、それがしばしば名曲を生み出す契機となっているほどだ。その後も作曲家の要求はピアノの進歩を促し、ピアノの表現力の進歩の原動力となった。そしてショパンやリストの時代になると、ようやく現代のピアノと遜色のない機能を備えたピアノが出来上がったのである。

ショパンの時代にはモーツァルトがやりたくてもやれなかった技巧が可能になり、作曲家はそれを前提に作曲することができるようになった。その結果、ショパンの曲はモーツァルトの曲にはないきらびやかさを具え、高度な技巧を駆使した表現が次々と出てくるようになる。ピアニストにとっては弾き栄えがし、テクニックを誇示するには持ってこいの音楽になっているのだ。多くのピアニストがショパンを好む所以である。

では、モーツァルトや更に昔のバッハの鍵盤曲はショパンのものより劣っているのだろうか。僕にはとてもそうは思えなかった。何度練習しても新鮮な感動を与えてくれるモーツァルトの音楽には何か計り知れない魅力を感じるからだ。モーツァルトに最も力を入れる世界的なピアニストが大勢いるのもそれを裏付けている。

そうした僕のピアノ人生にとうとう幸福が訪れた。モーツァルトの凄さを理解しているS先生に教えてもらうことになったのだ。先生はモーツァルトの音楽に対する評価は明快だった。確かに技巧的にはショパンの時代の音楽に比べて限られているかもしれないが、モーツァルトの音楽の質はそれを差し引いて余りある。むしろ技巧に頼る分だけショパンの音楽は表層的になりがちだ。当時のピアノの能力でモーツァルトが表現した世界は、後にショパンが表現したものと比べてもはるかに豊かなのだ。

譜面を見るだけだと、モーツァルトの曲はショパンに比べはるかに簡単に見える。しかし、その少ない音符と音符を繋いでいくためには演奏者の深い理解と高い技術が要求される。子供には簡単だが、一流ピアニストには難しいと言われる所以だ。現在、K322のソタナに取り組んでいるが、改めてモーツァルトの音楽の多様さに驚くと同時にその難しさを肌で実感している。

ショパンは確かにピアノによる多種多様な感情表現を編み出したかもしれないが、モーツァルトが目指したものはさらに高度な精神世界だったのだと感ぜずにはいられない。

大邱市交響楽団

 去る34日、東京オペラシティーコンサートホールで開かれた、韓国第三の都市、大邱(デグ)市が誇る大邱市交響楽団のコンサートに出かけた。このところ、クラシック音楽界でも韓国勢の躍進が目覚しいと聞いていたので、どんな演奏を聞かせてくれるか楽しみだった。

 全員招待客のためかドレスアップした人が多く、華やかな雰囲気に包まれるなか、それに応えるようにグリンカの「ルスランとリュドミラ序曲」で幕を開けた。弦の細かい動きが多くアンサンブルの良し悪しが目立つ曲だが、演奏はよどみなく流れ、技術の高さを伺わせる。次のグリーグのピアノ協奏曲でも、表現が的確で無駄がない。ピアニストのハン・ドンイル氏のベテランらしいこなれた演奏とも息がぴったりと合っている。

だが圧巻は何と言っても最後のベートーヴェンの「運命」だった。この曲はあまりにも有名だが演奏は楽ではない。感情の起伏が激しくテンポの変化も大きい。何よりも冒頭のテーマからフィナーレまで高度な集中力が求められ、一瞬たりとも気の緩みは許されない。まさにオーケストラの実力が試される曲である。

しかし、出だしから音楽は確信に満ち、その躍動感に演奏する喜びが溢れている。2楽章で楽団員の気持ちの高まりがうねりとなって伝わって来ると、かつて自分がこの曲に心酔していたころの感動が永い時を隔てて蘇り胸が詰まる想いだった。終楽章は、まさに全員が渾身の力を込めた熱演だった。単なる技術を越えてメンバーの一人一人が細かいニュアンスを共有しており、それが力強い表現となって迫ってくる。しかも決して主観に流されることがない。指揮者のクァク・スン氏の高い手腕も伺われた。

曲が終わると、割れんばかりの拍手の渦となった。日本の聴衆が、演奏を理解し心から感銘を受けた様子は、この韓国のオーケストラのメンバーにも十分伝わっているようだった。僕も顔が紅潮し、あまり味わったことのない感動を覚えていた。オーケストラのメンバー全員がこれほど真剣に演奏するコンサートを聴いたことがこれまでにあっただろうか。もちろん、ずば抜けた才能を持つメンバーをそろえたヨーロッパの超一流オーケストラのインスピレーションに満ちた艶のある演奏も魅力的だが、音楽が本来持つ心の叫びを真正面から受け止め真摯に表現することこそ最大の魅力ではないか。今回の演奏は、クラシック音楽の原点を改めて思い出させてくれるものとなった。

こうした演奏は強い精神力と鍛え抜かれた技術があってこそ可能となる。現在、日本でこれほど実直に音楽に取り組んでいるオーケストラが果たしていくつあるだろうか。音楽の可能性を信じて、ひたすら高みを目指す意志の強さは並大抵のものではない。最近さまざまな分野で韓国勢の躍進が著しいが、恐らくその根底には、そうした彼らの純粋さと精神の強さがあるのではないだろうか。韓国文化の本質に触れたような思いがした。

ビートルズ

 いつ終わるともないバンガロー・ビルのけだるいエンディング。口笛が聞こえ拍手がパラパラと起こる。突然、ジョンが大声で何か叫ぶと、間髪を入れず、ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープスの断固としたギターのイントロが始まった。僕は不意をつかれ全身を雷に打たれたような衝撃が貫く。ビートルズのホワイトアルバムの一節だ。

この9月にビートルズのCDが音質を格段に向上させて再発売されると、凝ったジャケットや解説に所有欲をそそられ、16枚組みのBOXセットを買ってしまった。すでに伝説的な存在となったビートルズだが、久しぶりに真剣に耳を傾けると、どこを切っても創造力が砂のようにあふれ出てくる彼らの音楽には改めて圧倒されるばかりだ。

僕がビートルズに出会ったのは高校1年の時だ。その3年前にすでに彼らは解散していたが、人気はまったく衰えていなかった。クラスの熱狂的なファンに強引に勧められ、それまでクラシック一辺倒だった僕はロック入門を果たしたわけだ。当時の印象的な記憶がある。それはビートルズ入門後、他のバンドを聴いてみようとしたときの独特の違和感だ。一言で言えば、他のバンドはただのロックバンドだったのである。全く物足りないのだ。今にして思えば、それはまさにビートルズのビートルズたるゆえんだったのだ。

解散後、ソロ活動に移ったビートルズの各メンバー達でさえ、結局、ただのロックミュージシャンになるしかなかった。確かにジョンのイマジンは名曲だし、ポールは現在に至るまでトップスターとして活躍してきた。しかし、彼ら自身にとっても時を経るごとにビートルズの存在はますます巨大な壁として立ちはだかったに違いない。解散後のメンバーの人生には常にビートルズの影が亡霊のようにつきまとうのである。

では、一体、ビートルズとは何者だったのだろうか。ジョンは自らの曲「ヘルプ」について、「当時は完全に自分を見失いどうしたら良いのかわからなくなっていた。ヘルプは自らの叫びだった」言っている。20歳そこそこの青年はビートルズという巨大ビジネスに飲み込まれそうになっていたのだ。一つ間違えば、ニルヴァーナのカート・コバーンのように自ら命を絶ったかもしれない。あるいはポリスのようにあっさり解散を選んだかもしれない。ギリギリのところまで追い込まれながらも踏みとどまり、その苦悩を創造のエネルギーに変換し続けたことがビートルズをビートルズたらしめた。そして、それを可能としたのは、4つの全く異なる稀有な個性の奇跡的な出会いであったと言うしかない。

彼らが当時最高の録音技術を駆使し、苦労の末作り上げた音は、現代のデジタル技術では難なく再現できるかもしれない。しかし、ゴッホの油絵がコンピューターグラフィックの前で色褪せることがないように、細部まで手の込んだ作業は現代では決して実現できない厚みと迫力がある。むしろアナログ独特の生々しさは、彼らの荒い息遣い、飛び散る汗をリアルに伝えてくる。

4人の青年は子供のように夢中に歌い、時に火花を散らして衝突し、いつしか魅力的なおとなに成長していった。ビートルズとはそのまぎれもない記録なのである。

天才のいたずら

 一年ほど前、ピアノを習い始めて10年目にして、モーツァルトのK331のイ長調のピアノソナタに挑むチャンスがめぐってきた。終楽章にトルコ行進曲が来るあの曲である。この曲は、数ある彼の作品の中でも最も有名な一曲だろうが、あまりに親しまれているため、子供向きの入門曲だと思っている人も多いだろう。この曲の真価は案外に知られていないように思われる。

20年ほど前、東京文化会館小ホールで開かれたワルター・クリーンのコンサートに行ったときのことである。その日の演目は、モーツァルトのソナタばかり3曲で構成されていた。その一曲目がK331であったが、ゆったりとした出だしが指慣らしに適当だからだろうと思っていた。だが演奏が始まるとすぐに、クリーンが最も得意とする曲を最初に持ってきたことを確信した。そして、その透き通った、あまりに透き通った響きが、僕の全身を金縛りにしてしまったのである。まるで目の前に、神か精霊がいきなり降りたち、ただ歓喜にむせぶしなかいような状態と言ったら良いであろうか。そんな音楽をピアノが発していること自体が信じられなかった。それは劇的な感動でも、情緒溢れる表現でもない。ただモーツァルトの純粋な心が、無邪気に歌っているだけなのだ。この曲の凄さは、いつも無邪気さと同居しているのである。

有名な曲であるにもかかわらず、この曲にはソナタ形式の楽章が一つもなく、ピアノソナタとしては変則的な作品である。現在、その第一楽章の変奏曲に取り組んでいるのだが、随所にこれまた変則的な指の動きがあって弾きにくい。しかもモーツァルトは、わざと弾きにくくして喜んでいる節がある。今、教えていただいているF先生も、「ちょっと遊びすぎですよね」とあきれるほどだ。

しかし、こんな逸話がある。モーツァルトは旅の途中、あるお宅で世話になったが、その旅立ちの日、家族はおおいに別れを惜しんだ。そこで彼はふと思い立ち、玄関ですばやく紙切れに短い曲を書くと、その紙切れを真ん中で半分に破って見送る家族に手渡し、曲の最初からと最後から同時に歌うよう頼んだ。すると、それが物悲しくもなんともおかしい別れの2重唱になったと言う。

K331において、左手のアルペジオが小節の半ばで反転するような動きをするにつけ、僕はこの逸話を思い出さずにはいられない。それらは、彼のいたずらなのだ。しかし、練習を重ねるにつれ、それが面白くなってくるから不思議である。そして、いたずらは彼の創造の源であり、いたずらにこそ彼の天才の秘密があると感じられるようになってくるのである。

この曲は、1楽章だけをやるつもりだったが、以前、指導を受けていたN先生から、「1楽章から通して弾くと、(終楽章の)トルコ行進曲の面白さに改めて気付くのではないでしょうか」という年賀状が届いた。どうやらモーツァルトの仕組んだいたずらが本領を発揮するのは、まだこれからのようである。

グールドのゴールドベルク

 1955年、後に20世紀を代表するピアニストの一人となる無名の22歳の青年がレコードデビューを果たした。曲目はバッハのゴールドベルク変奏曲。当時、チェンバロで弾くのが常識だったこの曲をピアノで弾くことにレコード会社は猛反対したが、それを押し切っての録音だった。しかし、発売されるやいなやそのレコードは世界的なセンセーションを巻き起こし、グレン・グールドの名は一躍世界にとどろくことになったのである。

この演奏は、チェンバロによる従来の演奏に比べてテンポが異常に早い。そもそも、難曲とされるこの曲をこのようなテンポで弾こうとする無謀なピアニストは、それまで誰もいなかった。リピートもすべて省き、息もつかせぬ速さで疾走していく。これがもし一回限りの生演奏だったら、単にそのテクニックに唖然とするだけで終わってしまうであろう。だが、幸いなことにレコードは繰り返し聴くことができる。グールド自身、それを前提としていたに違いない。繰り返し聴くうちに、この演奏の凄さがわかってくるからである。非常に早いテンポにもかかわらず、全くテクニックの乱れは見られない。対位法の各声部は完全な独立性を保ち、しかも互いに精神的に深く絡み合っている。何度聴いても、常に彼の理想はさらにその先を行き、バッハへの深い理解と確信を思い知らされるのである。

 グールドは、30代になって、何の前触れもなく、突然、演奏会から完全に身を引いてしまった。自らの世界の追求を妨げるさまざまな雑音を遠ざけ、スタジオに篭り、録音によってのみ、その音楽を世に問うことにしたのだ。スタジオでの演奏風景を見ると、その集中力には思わず戦慄を覚えるほどで、孤高の天才が目指した高みは計り知れない。だが、そうした極度の集中は、次第にグールドの肉体を蝕んで行ったのである。

1981年、26年ぶりにグールドはゴールドベルク変奏曲を再録音することになった。この変奏曲は、最初と最後のアリアと、それらに挟まれた30の変奏からなるが、新録音ではこのアリアのテンポが極端に遅くなっている。「以前の録音はテンポが速すぎて、聴く人に安らぎを与えることができていない」という反省から、それを聴き手に表明する意図があったと思われる。グールドにとって再録音は非常に珍しい。彼は、「前回の録音では、30の変奏それぞれがばらばらに振舞っていて、元になっているバスの動きについて思い思いにコメントしている」と、以前の録音に対する不満が再録音の理由だったとしている。

この再録音を記録した映像からは、彼はすでに曲を解釈したり表現したりするという次元を超え、曲と一体化しているように見える。そして、あたかも神に問いかけるかのように、自らが生涯最も愛してきた曲に穏やかに問いかけ、応えを聞き、心ゆくまで語り合っているかのようである。

この録音について、音楽評論家の吉田秀和氏は、「生涯にわたって猛烈な憧れをもって探してきたものがどうしても見つからない。そこで彼は、もう一度出発点に帰ろうとしたのではないか」と述べている。録音の翌年、グールドは脳卒中で亡くなった。天才音楽家は、その生涯をかけて探し求めたものを、最後にこのアリアと30の変奏に託したのである。