「あんた、いい顔してるねぇ!」と、その男は唸るように言いながら近づき一枚の紙片を僕に渡した。「前の駅から乗ったんだが、向かいに座ったんで描かせてもらったんだ。あんたにあげるよ」。そう言うと、ちょうど到着した駅でさっさと降りて行ってしまった。あわてて追いかけたが、帰宅ラッシュの人並みに紛れて見失ってしまった。15年ほど前の常磐線松戸駅での出来事だ。

 状況を考えると、その一辺が15cm程度の紙に赤茶色のコンテを使って荒々しいタッチで描かれているのはどうやら僕の顔のようだ。裏には表情の特徴をうまく捉えた別の人の似顔絵が全く違う柔らかいタッチで2つ描かれていた。

 その日、僕は会社の製品に不具合が見つかり、我孫子のお客さんのところに出向いて朝からお詫びと検品に追われた帰りだった。精神的にも肉体的にもへとへとに疲れていて、さぞ深刻な顔をしていたに違いない。だが、少なくとも彼に取っては、その時の僕の表情はネガティブなものではなかったようだ。

 人の顔は、目や鼻、耳と言った主要なセンサーが集まっているが、同時にその表情によって相手に自分の意思を伝える役割も担っている。相手を観察する目つきや仕草自体が、自分の表情となって相手に伝わる。一説によれば、人間の目に他の動物にはない白目部分があるのは、微妙な心情を伝えるために進化した結果だという。目元や口元の表情のほんのわずかな違いでも、相手に及ぼす影響は大きく変わってくる。

 そうした相手の反応は、反作用として自分に還ってくる。自分の表情一つで相手の気持ちを捉えたり、あるいは反感を買ったりもするのである。そうした相手の反応は無意識のうちに記憶に蓄えられ、それが自分の表情を次第に変えていくことになる。人の顔は決して持って生まれたものではなく、永年のコミュニケーションを通じて次第に造り上げられたものなのだ。顔にはその人がそれまで歩んできた人生が凝縮されていると言ってもよい。

 僕の机の前には、ある美術展で買ったレオナルド・ダ・ヴィンチの素描のポストカードが貼ってある。額が禿げ上がった晩年のダ・ヴィンチの自画像だ。目の下はたるみ、額には深い皺が刻まれ、そこにはもはや若かりし頃の颯爽とした天才の姿はない。だが、この絵はいつまで見ていても飽きる事がないのだ。

 静かにこちらに向けられた眼差しは哲学的な深さを秘めているが、その意図までは読み取れない。固く結ばれた口元から感じられるのは強い信念のようでもあり、単なる年寄りの頑固さのようでもある。見る度に全く異なる印象を受ける。だが、それこそまさに顔の本質であり、ダ・ヴィンチの描こうとしたものではないだろうか。顔にはその人の人生が重層的に積み重なっているのである。この肖像が怪しい生気を放っているのもそのために違いない。

 それにしても、年老いたダ・ヴィンチの顔がこれほど魅力に溢れているのには励まされる。自分にもこれからもっといい顔になるチャンスが残されているのだから。

ベートーヴェンの「英雄」

 ベートーヴェンが33歳の時発表した交響曲第3番「英雄」は、それまでの常識を打ち破った音楽史上に輝く画期的な作品だ。

 その数年前から、彼は耳の病気に悩まされていた。誰よりも鋭敏な耳を誇り、誰よりもそれを必要とした音楽家にとって、それが与えた絶望と恐怖は想像に難くない。事実、彼は31歳の時、自分の弟宛に「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いている。

 「英雄」の誕生は、その人生最大の危機を強靭な精神力で克服したベートヴェンの生き方の象徴のように言われている。僕もかつてはそう思っていた。だが、当時の彼の作品を改めて眺めてみると、どうもそれは後に作られたもっともらしい逸話のようだ。

 当代一のピアニストでもあったベートーヴェンは、ピアノ曲の分野では既に「悲壮」や「月光」などの名作を世に送り出していた。ピアノは彼の身体の一部であり、そこで涌き上がる楽想を曲にすることは比較的容易だったに違いない。だが、ピアノの表現力には限界があった。彼の強烈な主観はあくまでも主観の域に留まり、それ以上の発展は難しかった。

 彼がその真価を発揮したのは交響曲だった。言うまでもなく交響曲においては既にモーツァルトの傑作があった。その完璧な形式美はベートーヴェンの前に立ちはだかる巨大な壁だったに違いない。彼はそこにまだ実現されていないもの、自分にしか成し遂げられないものを見つけ出す必要があった。

 交響曲では異なる性格を持つさまざまな楽器を駆使でき、ピアノ曲に比べてはるかに複雑な構造を構築することが可能だった。ベートーヴェンは「英雄」に先立つ2つの交響曲において既に従来の古典的な様式を徹底的に研究し、それを自分のものにしていた。その堅牢な構造に加え、ピアノの前で繰り広げた涌き上がるような情熱を余すところなく取り込むことが、彼が新たな交響曲において成し遂げようとした最大の課題であった。前述の遺書が書かれた時期にも、彼は独自の音楽を確立すべく準備を着々と進めていたのである。

 モーツァルトが生み出す多様な感性や感情は音楽的必然性によって導かれたのであって、そこに本人の主観の跡は見られない。一方、ベートーヴェンの音楽には彼の熱い情熱が溢れている。だが、それは単に情熱がそのまま表現されたものではない。情熱が生み出す楽想は音楽的形式とぶつかりそれを揺るがす。それを新たな調和を見出し解決することによって初めて情熱は個人的なものから普遍的なものに昇華されるのだ。それこそまさにベートーヴェンの並外れた創造力が成し遂げたものだった。

 「英雄」におけるそうした試みは、唯一ソナタ形式で書かれた第一楽章に最も顕著に表れている。「英雄」では、終楽章の変奏曲が最初に作られたと言われている。主題を次々と変奏して行くその形式はベートーヴェンが最も好んだものだ。彼はその自由な形式で展開したものを、第一楽章において古典的に完成されたソナタ形式と融合させようとしたのだ。そこにはベートーヴェンの理想が高らかに歌い上げられている。

村上春樹と死と意識

 自分の意識は死ぬとどうなるのだろうか。その疑問に対してヒントを与えてくれるのが、村上春樹氏の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」だ。

 この小説では、「世界の終わり」と「ハードボイルドワンダーランド」というまるで異なる別々の話が交互に進行して行く。「ハードボイルドワンダーランド」の主人公は、人間の脳を用いたデータの暗号化を行なう「計算士」になるために、ある博士が考案した脳手術を受ける。だが、予期せぬアクシデントから、彼の意識はある時刻になると彼の中にあるもう一つの別の意識、つまり“世界の終わり”に移行してしまい、彼の現在の自我は消滅してしまうことになったのである。

 意識がなくなれば、肉体も間もなく死ぬことになる。となれば別の意識もなくなりそうだ。だが、博士によれば、この“世界の終わり”において彼は永遠に生きていくことができる。なぜなら、そこは思念の世界であり時間の進み方が異なるからだ。つまり、ある時刻に肉体が死ぬとすると、思念の世界では、まずそこまでの半分だけ時間が経過する。次の瞬間には、さらに残りの半分が経過する。それをいくら繰り返しても永遠にその時刻に達することはない。このゼノンのパラドックスにより“世界の終わり”においては時間は無限に引き延ばされ、肉体が滅びる前のわずかな時間に彼は永遠の人生を生きることになるのだ。

 一見、荒唐無稽に見えるが、これは人が死ぬと意識がどうなるかという疑問に対する村上氏の一つの回答ではなかろうか。一般的には人は死ぬと意識がなくなるとされ、死後の世界を考えるのは非科学的だとされている。だが、実際に死んで意識の消滅を経験した人は誰もいない。そもそも意識がなくなるなどと気軽に言うが、自分の意識がない状態を意識することなど不可能なのだ。

 死ぬと意識はなくなるという考え方は、恐らく村上氏にも素直に受け入れられるものではなかったのだろう。そこで彼は人は死をを迎える瞬間に別の意識に移行するのではないかと考えた。もっとも、正確に言えばその移行は死ぬ直前に起こり、第2の意識はあくまでも脳によって生じることになっている。外から見れば、死の直前に本人が見る一瞬の幻覚のようなものだ。だが、当人に取ってはその一瞬のうちに永遠の生を生きることになるのだ。

 ゼノンのパラドックスを持ち出したことは、村上氏の科学的な整合性への強いこだわりが表れている。彼は形而上学を避け、死後の意識を弁証法的に解明しようと試みたのである。

 主人公が別の意識に移行した後の話が「世界の終わり」である。そこでは村上氏独特の不思議な世界が展開して行く。城壁に囲まれ、住人のほとんどが心をなくした街で、過去の記憶を失った主人公はかつて人生で失ったものを何とか取り戻そうとするのである。

 死後の世界がどういうものなのかはわからない。だが、たとえ記憶は残らなくとも、現在の意識は何らかの形で次の意識に引き継がれて行くのではないか。それでこそ自分の存在は意味をもつのではないだろうか。

「意識」を撮る

 女性の写真を撮るために、毎週のように原宿に繰り出していた時期がある。最初は、M型ライカで前から歩いてきた女性をすれ違いざまスナップしようとした。しかし、フルマニュアルでレンジファインダーのライカではピント合わせもままならない。たまには不思議な雰囲気の写真が撮れることがあったが確率は非常に低かった。しかも、この撮り方ではどうしても撮れないものがあった。被写体からこちらに向かって発せられる意識だ。

 直接女性に声をかけて撮らせてもらう手もあるが、それはそれで問題があった。声をかけることで表情が固くなってしまうからだ。写真では肉眼では気がつかないような微妙な心理までもが鮮明に写る。カメラを向けた相手から自然な表情を引き出すのはほとんど不可能に思えた。とはいえ相手の意識を撮ろうとするなら、何らかの方法でコミュニケーションを図る必要がある。勇気を出して声をかけてみることにした。

 当時の原宿には、ケヤキ並木の下のお洒落な空気の中にさりげなく溶け込むのを楽しむ女性が多くいた。彼女たちは、案外孤独で内気だった。もちろんファッションには独自の工夫が表れており、控えめながらも自分の個性を主張していた。そこに座っていることは彼女たちの表現でもあったのだ。

 僕が声をかけると彼女たちは一瞬警戒し、何か下心があるのか見極めようとする。だが、その個性を写真で受け止めたいという僕の意図が伝わると、極自然に心を開き素直な表情をこちらに向けてくれたのである。原宿に集う大勢の女性の中から自分を選んでくれたことをうれしく思ってくれたのかもしれない。

 もちろんうまく行かない場合もある。断られることはザラで、一日歩いても一枚も撮れないときもある。厄介なのは、その写真を何に使うのかとしつこく聞いてくるケースだ。そんなやり取りの後では、たとえ撮らせてくれてもろくな写真にならない。せっかくの機会だからと、友達と一緒にピースと笑顔で何枚も撮られようとする輩もいる。だが、こちらはあなたたちの記念写真を撮るためにやって来ているわけではないのだ。

 あるさわやかな休日の朝、本を読んでいる女性に声をかけると、戸惑い気味に断わられた。自分は(他の子のように)写真に撮られるために来ているわけではないから、と。だが、すぐに、「しょうがないか」と思い直してくれた。そう、ここは原宿なのだ。そうした一瞬のやり取りに相手のインテリジェンスを感じることもあった。

 このように書くと、僕は写真を利用して女性たちと仲良くなることが目的ではないかと思われるかもしれない。しかし、そうではない。僕の興味は、あくまでも印画紙に焼き付けられた写真にある。そこにどれだけ彼女たちの意識が捉えられているかが全てなのだ。

 こちらに向けられ発せられた彼女たちの意識は、印画紙の上に焼き付けられると、そこで永遠に生き続ける。その一瞬の表情には彼女たちの人生が凝縮され、未来をも暗示する。そこには、映画や小説にも劣らぬ濃密なドラマが閉じ込められているのだ。

ブレイクスルー

 ピアノを習い始めて17年。当初は上達が速いと自惚れてもいたが、いつの頃からか大きな壁にぶち当たってしまった。練習すれば確かにその曲は徐々に弾けるようにはなる。だが、実力がついたという手応えがない。自分の練習には明らかに何か問題があるのだ。

 これまで指導を受けた先生方からは、いずれも手首を使う重要性について指摘されてきた。だが、それは僕の手首があまりにも固まっているので、もっと柔らかくして弾くべきだというアドバイスだと捉えてきた。あくまでも主役は指で、手首の役割は補助的なものだと考えてきたのである。

 最近のバッハでも、S先生から手首の使い方について何度も指示を受けた。しかし、手首を意識すると逆に動きがぎこちなくなってしまい、なかなか手首を使う意味が理解できない。普段ならそろそろ諦めて次の曲に移る時期だった。だが、ここが踏んばり所ではないのかという思いが、ふと頭をよぎった。とにかくこのままでは駄目だ。そこで、たとえこの小曲に1年かけようとも感覚がつかめるまでは決して止めない、と腹をくくった。

 その決意は先生にも伝わったようで、納得するまで遠慮なく駄目出ししてもらえるようになった。大人のピアノでは、楽しめれば良いという生徒が多く、先生としても技術的なことをあまりしつこく言うのは遠慮があるのだ。

 鍵盤から指が持ち上がっていないかどうかS先生の目が光る。弾きにくい所に来るとなんとか指を動かそうと無意識のうちに指が鍵盤から離れてしまうのだ。これは指に要らぬ力が入っている証拠だ。だが、いくら力を抜こうとしても指は持ち上がり、無理に抑えようして指はぴくぴく痙攣している。なんとも情けなくなる。

 だが、諦めずに試行錯誤を繰り返しているうちに、自然に力が抜けていることがあった。そうした時は、まるで手首より先が手袋になったような気分だ。手袋の指は動かないので自ずと手首を使わざるを得ない。一見、これでは指のコントロールなど出来そうもないように思える。だが、意外にも手首と指は本来あるべき位置を見つけたかのように安定し、無駄な力がすっかり抜け、音も見違えるように澄んでくる。

 無理に指の力を抜こうとするのではなく、指に力を入れずに弾ける弾き方があるのではないか。何かをつかみかけているという思いに胸が騒いだ。

 要は、腕の重みで指を自然に鍵盤に下ろせる位置に、手首を使って持って行ってやれば良いのだ。もちろん理屈はわかっても実際にやるのは大変だ。手首の使い方は音形によって無数にある。試行錯誤の連続だ。だが、気分は晴れやかだ。まるで目から鱗が落ちたように、理にかなった練習方法が見えてきたのだ。随分回り道したが、やっと重い扉が開き始めたのである。

 僕のピアノ人生にこんな展開が待っているとは思ってもみなかった。何事も納得するまでもがいてみれば、意外と道は開けて来るのかもしれない。

アベノミクスに見る危うさ

 先日、日経夕刊のトップに、大きな見出しで「賃金4年ぶり増加」(2014年)とあった。だが、よく見るとその横に小さく「物価上昇で実質2.5%減」とある。これはリーマンショック後の2009年の2.6%減に次いで過去2番目の減少幅だそうだ。

 輸入企業にとってアベノミクスに伴う急激な円安は深刻だ。76円代だったドルがこの2年半ほどで120円程に上昇し、仕入れ価格は1.5倍以上にもなっているのだ。これほど仕入れコストが上がれば値上げするしかない。だが、消費税の引き上げで売り上げが落ちている状況では値上げは難しい。また、値上げしたくてもスーパーなどの売り先は簡単には許してくれない場合もある。そうなれば小さな企業はとても持ちこたえられない。

 自動車を始めとする輸出企業にとっては確かに円安は有利だ。ドルベースで見た日本製品の価格は下がり、企業は現地で値下げして販売増加を狙うか、価格を維持して利益を増やすかのいずれかを選択できるわけだ。もっとも、政府の期待に反して多くの企業は後者を選んだ。その結果、輸出企業の利益は急増したが肝心の輸出量は増えない。そのため設備投資は増えず、そうかと言って利益が全て給与に回る訳ではない。常に厳しい競争に晒されている輸出企業が降って湧いたような円安に有頂天になり大盤振る舞いするわけがない。

 そもそも今回の量的緩和による円安誘導には、かつて日本経済を支えていた輸出企業の競争力が円高によって低下し、それが日本経済全体を沈滞させているという認識の上に立っていた。だが、日本の競争力を低下させたは円高ではない。安い労働力を武器にした中国などの新興国の台頭が最大の要因なのだ。かつてない強力なライバルが現れたのである。

 それに対抗するため、日本企業は新興国に打って出てその安い労働力を利用する戦略を取った。その結果、日本の物価は大幅に下がり、給与は増えずとも実質的に生活の質を向上させて来たのである。日本は徐々に輸出で稼ぐ国から輸入で稼ぐ国に体質転換してきたのだ。事実、今回の円安によって輸入コストが急増し、貿易収支は過去最悪となった。アベノミクスでは、デフレが諸悪の根源のように言っているが、デフレは新興国のパワーを日本の利益として取り込んだ結果でもあったのである。

 「物価が上昇すれば、値上がり前に買おうと言う人が増え経済の好循環が生じる」と安倍首相はいまだに繰り返している。しかし、かつてのバブル崩壊に懲りた日本人は、多少賃金が上がったくらいでは無駄遣いはしない。さらに今の日本では誰もが大きな将来不安を抱えている。少子高齢化は社会保証費を増やし将来世代の負担を増大させる。非正規雇用の広がりによる格差の拡大も深刻だ。そんな状況で簡単に財布のひもが緩むはずがない。

 アベノミクスは実質賃金を低下させるだけで、経済の好循環には結びつかないのではあるまいか。昨年12月に、突如、経済最優先を唱え解散総選挙に打って出た安倍首相は既にそう思っていたのではないか。失敗も集票につなげる手腕には恐れ入るが、肝心なことには手をつけず、巧みなすり替えによって独善的な政策を推し進める政治手法は要注意だ。

105のクラス会

 この15年あまり正月には高校1年5組(105)のクラス会を開いている。今年もまた皆が集まり楽しいひとときを過ごした。

 当初は3年に1度だったが、もっと頻繁に会いたいという希望により程なく毎年行うようになった。参加者は10人から15人ほど。1月3日に毎年同じレストランに集まっている。正午に始まり3次会が終わるのは夜遅くだが、そこまで話しても話し足りず、別れる際はいつも名残惜しい。この独特の充実感は一体どこから来るのだろうか。

 クラス会と言えば普通は青春の思い出が蘇ったとか、昔の気安さにすぐに戻れたなどと言って盛り上がるものだが、このクラス会ではそうした話はむしろ少なく、各人が日頃関わっている話を皆で掘り下げることが多い。メンバーには医師が多いため、日頃は聞けないことを相談できるのもありがたい。一方で昨今の厳しい医療事情も身近に感じられるようになった。高校時代から運動に身を投じてきたT君は、自らの最近の支援活動を通して格差社会の拡大を痛切に感じるという。自らの体験に基づいているだけあって話には迫力がある。

 堅い話ばかりではない。レストランを経営するソムリエのN君からはワインが美味しくなる秘密の飲み方の講習を受ける。半信半疑、その場で試してみると確かに全く違うのである。女性陣の話も面白い。手芸の展示会を開いたり、中国に恐竜の骨を掘りに行ったり、有機農業で土と格闘してきたりと実にさまざまな活動をしている。なかにはプロの画家もいて、むしろ男性よりも話題が豊富だ。皆、学生の頃から自意識が高く、自らの道を模索していたが、今でもその生き方には力強さがある。

 このクラス会が高3ではなく高1のものであるのは面白い。高校入学当時は中学時代に比べ少し広い世界に踏み出したばかりで、新たなクラスメイトが一体どんな人間なのか誰もが緊張して見守っていた。そのため各人の個性がドラマの登場人物のように強烈な印象となって今でも皆の心に残っているのだ。だが、このクラスの結束が強いのには別の理由がある。毎年、忙しい時間を割いて必ず出席してくださっている恩師のA先生の存在だ。当時から学生の自主性を尊重し、自ら体を張っての我々の希望を叶えてくれた先生の指導は、感受性が強く反抗期でもあった我々の心の大きな支えとなった。先生の愛情に満ちたまなざしに見守られてきたという共通の思いが、このクラスに強い連帯感をもたらしているのである。

 毎年開かれているこの会だが、ある時、回を重ねるごとに会話の質が上がっていることに気がついた。次第に互いの理解が深まってきたことに加え、皆が会話の質を高めようと無意識のうちに努力している結果ではなかろうか。良い会議では良い意見が出るように、皆がこの会を大切にしてきたことで内容が濃くなってきたのである。

 ふと、このクラスが1つの生命体のように感じられることがある。各人の個性が結びつくことによりクラスという別の価値観が生み出されているのだ。このクラス会はわれわれをどこに連れて行ってくれるのだろうか。今後も皆で大切に育てて行きたい。

モーツアルトの魅力(7) 無垢な心

 モーツァルトの第25番のピアノコンチェルトは彼の円熟期に書かれた傑作である。明るさと暗さが微妙に交錯する様はオペラを彷彿とさせ、その終楽章はまさにモーツアルトの創造力の爆発だ。僕にとってはこの曲は人生で与えられた最高のプレゼントの一つだ。

 ところが、先日、久しぶりにこの曲を聴いてみて愕然とした。以前、聴いたときに比べて物足りなく感じられたのだ。安直にミニコンポで聴いたのが良くなかったのか。いや、ひょっとしたら若い頃に比べ感受性が落ちているのではないか。あの小林秀雄も「モオツァルト」のなかで、今の自分はト短調のシンフォニーを20年前より良く理解しているだろうかと、自問している。彼の音楽は人生を重ねれば理解が深まるというものではない。

 数日後、MacBook AirにAKGの高級ヘッドフォンを刺して再度聴いてみた。もちろんリベンジを期して。25番の終楽章は明るくさりげない調子で始まり、時折短調と長調が絡みながらも穏やかに進行して行く。だが、しばらくするとモーツァルト特有の即興的な展開から曲は急に走り出し一気に緊張感が高まる。その瞬間、その何かに取り憑かれたかのように無心に前に進む音楽に、僕は大袈裟ではなく神を感じていた。

 モーツァルトの音楽は聴き方によって実にさまざまな顔を持つ。BGMとして聞き流しても、その軽やかな音楽は上質の雰囲気を醸し出してくれるだろう。本気で向き合えば、その絶妙な音色、独特の即興的な展開、調和のとれた構造美に心を奪われるに違いない。さらに細部に耳を澄ませれば、何のてらいもない単純な音が繊細で深い表情を生み出していることに気づくだろう。

 だが、彼の音楽にはそうした客観的な鑑賞を超えたものがある。彼の音楽はわれわれの心に普段想像したこともない崇高な感情を呼び起こすのだ。それは自分のなかに元々あったものだろうが、なぜそれが呼び起こされたのか皆目わからない。

 モーツァルトの音楽の核心は無垢な心にある。だが、それはアイネ・クライネ・ナハトムジークのメロディーが子供のように純真だ、というような意味ではない。無垢とは、現実をありのままに受け入れ、それに心が自然に反応をすることだ。幸福な時間はいつまでも続いて欲しい。だが、それは不可能だと悟れば、躊躇なく次の一歩を踏み出す。傷つくときは傷つき、喜ぶときは喜ぶ。モーツァルトの音楽はその繰り返しだ。だが、その間合いを彼が音で表した時、われわれは信じられないほど感情を揺さぶられることになるのだ。

 モーツァルトという芸術家は、あらゆる芸術家のなかで最も自分をさらけ出した芸術家、自分をさらけ出すことをそのまま芸術に昇華することができた唯一の芸術家ではなかろうか。だが、彼の美しいメロディーが裸の心を表していることにはなかなか気づかない。それに気づくためには、われわれが心にまとっている鎧を脱ぎ捨てなければならない。

 モーツァルトの音楽は聴くものの心の自由度をはかる試金石だ。彼の無垢な心に共鳴できた時、われわれの心は一歩成長し、あらたな幸福を発見することになるだろう。

自分の意識と他人の意識

 子供の頃、腑に落ちないことがあった。脳があるから意識があるというが、それではなぜ自分の意識は自分の脳に宿り、友人のF君の脳には宿らないのだろうか。

 我々は各自自分の意識を持っているが、他人に自分と同様の意識があるかどうかは実は確かめようがない。他人にも意識があるというのは我々の勝手な想像なのだ。科学的な立場からすれば、他人の行動を理解するためには必ずしも意識などというものを持ち出す必要はなく、単に脳の発達した生物としての客観的な振る舞いを解析すればよい。

 人間にせよ猫にせよ、あるいはミミズにせよ同じ多細胞生物だ。脳が発達するほど、その行動は複雑になり、どこかの段階であたかも意識を持っているかのような行動をするようになる。脳がどうやってそんな複雑な行動を可能にしているのかは未だに神秘に包まれているが、800億個もある脳細胞から突き出した軸索が複雑に絡み合いことで膨大なネットワークが形成され、それが外部からの刺激に反応することで肉体にさまざまな指示を出す。それによる行動が、他者から見ればあたかも意識があるかのように見えるのだ。

 他人の行動に意識を感じるのは我々の想像に過ぎないが、自分の意識については事情が全く異なる。自分には明確に意識がある。自分の脳とはいえ脳はあくまで客体である。客体である脳が、一体どうやって主体としての自分の意識を生むのだろうか。

 気分が鬱のときは脳の状態はこうだというように、自分の意識と脳の状態の間に密接な関係がある。将来は脳の状態を調べることにより、あなたの満足度は何%、あなたの怒りは何ポイントというように自分の意識の状態を数値化できるようになるかもしれない。

 だが、いくらそんなことをしても自分の意識がどうやって生まれるのかを説明することは出来ない。自分の感覚、自分の感情といったものは客観的に表した途端、この自分が感じている感覚とは全く別物になってしまう。主体を客観的に取り扱うことは本質的に不可能なのだ。

 客観的に扱えない以上、物理的な対象にはなり得ない。つまり、自分の意識は物理的には存在しないと言わざるを得ない。だが、自己として意識は確かに存在する。この矛盾を解決するためには、自己意識は物理的世界とは別の世界に存在すると考えるべきではないだろうか。別の世界とは言っても、それはむしろ我々が勝手に物理的世界だけを世界だと考えているからであって、客観的に取り扱えるものだけでこの世界を理解しようとすることにそもそも無理があるのだ。

 生まれた時から今の自分のような意識があるわけではない。意識は次第に言葉を身につけ、豊かな感情を育み、さまざまな思考を巡らすようになるが、これらは人との関わりのなかで形成されて行くものだ。自分の肉体を介して物理的世界とつながり、さらに多くの人との交流を通して次第に成長する。一言で自己意識と言っても、非常に複雑で曖昧な関係性の上に成り立っているのだ。

「意識」は何のためにあるのか

 生物は進化によって脳を発達させてきた。脳の発達とともに、そこに生まれた「意識」も高度になり、おかげで人類は芸術を生み、科学を発展させ文明を築いてきた。こうした知的な進歩も自然淘汰の結果なのか。あるいは「意識」が絡む別のプロセスなのだろうか。

 近年、脳の研究が進み、脳のどの部分が感情や知覚に関わっているかというようなことは急速にわかってきた。だが、脳がどのように「意識」を生み出すのかという肝心のところは全くわかっていない。記憶についても永年研究されて来たが、未だに脳内に記憶の痕跡は見つかっていない。物理的観点に立てば、脳内に存在するものは物質か電気信号しかない。脳はそれらを使って「意識」を生み出しているのだろうか。

 人間のような多細胞生物は、何十兆個もの細胞がそれぞれ自分の役割を果たしながら互いに連携して個体を形成しているスーパーシステムだ。何か食べれば胃や腸で勝手に消化吸収され、その栄養は全身の細胞にくまなく運ばれる。その仕組みは気が遠くなるほど複雑で巧妙だが、我々は何も指示する必要はない。体が全て勝手にやってくれるのだ。そもそも体のなかで「意識」がコントロールできるのは、せいぜい一部の筋肉くらいのもので、細胞一つ一つはおろか、内蔵も思うようにはならない。もともとスーパーシステムは「意識」などなくても十分やっていけるのだ。

 むしろ発達した「意識」は、肉体にとってかなり厄介なしろものだ。ダイエットを「意識」する女性は体に必要な栄養を十分取ってくれない。酒好きは飲み過ぎて肝臓を痛める。「意識」がやることは、肉体にとってはマイナスである場合が多い。

 もちろん「意識」は肉体を無視して勝手に振る舞えるわけではない。体が栄養の供給をもとめれば空腹感を覚えるし、病気になれば苦しみに耐えなければならない。肉体から「意識」へのフィードバックだ。「意識」は肉体に対して指示を出すが、同時に肉体の状態を常に「意識」させられてもいるのだ。「意識」が自らの欲望を満たそうと肉体を最大限利用するためには、自分の棲む宿主が滅びないように自重する必要があるわけだ。

 「意識」は目や耳をつかって知覚し、さらに脳を使って思考し、判断し、手足を動かして行動する。一方、肉体はそうした「意識」を牽制しつつ、自らは生命システムの管理下で淡々と生きている。こうした「意識」と肉体のやり取りは、脳を含む神経系により媒介されている。おかげで両者は互いに異なる目的を持ちつつも共存しているのだ。

 肉体は老化とともに衰え、やがて死ぬ。だが、それは生命システムに最初からプログラムされた予定通りの成り行きだ。生物は子孫を残せばひとまず目的を達成したといえる。

 一方、「意識」は肉体が衰えた後も、それをも糧としてさらに成長を続けようとする。それは、次の世代に出来るだけ多くのものを伝えようとするためだろうか。あるいは、肉体の死後、「意識」は肉体から離れざるを得なくなるため、それまでに出来るだけ肉体を利用して自らを高めようとしているのだろうか。